観る者によって受け止め方も共感する人物も異なる物語~蓬莱竜太作・演出『消えていくなら朝』稽古場オフィシャルレポート公開
(左から)田実陽子、大谷亮介、関口アナン、坂東希、松本哲也、大沼百合子
2025年7月10日(木)~27日(日)新国立劇場 小劇場にて、未来を見つめるシリーズ「光景─ここから先へと─」第3弾、『消えていくなら朝』が上演される。この度、稽古場オフィシャルレポートが届いたので紹介する。
『消えていくなら朝』稽古場オフィシャルレポート
蓬莱竜太の作・演出による「消えていくなら朝」が7月10日(木)より新国立劇場・小劇場にて上演される。初日まで2週間ほどとなった6月下旬、通し稽古が行われた稽古場に足を運んだ。
蓬莱自身と自身の家族をモチーフに執筆したという本作。家族と距離を置いて生きてきた主人公の劇作家が、恋人を連れて久々に帰省し、18年ぶりに一家全員が顔を揃えての一夜の物語が展開する。2018年に新国立劇場の当時の芸術監督であった宮田慶子の演出で初演されており、今回は蓬莱自らの演出での上演にあたりフルオーディションによるキャスティングが行われた。
(左から)関口アナン、大沼百合子、坂東希
稽古場には、物語の舞台となる実家のリビングと台所のセットが置かれているが、一見してその広さと家具の豪華さに驚かされる。中央には6人が悠々と座れるテーブルセットがあり、居間には囲炉裏や暖炉も見える。家具のほとんどが木でつくられており、既に子どもたちが成人して家を出て、夫婦2人で暮らす家にはやや大げさにも思えるが、その後の会話から、こうした家具の数々は、定年後に時間を持て余した父親が自らこしらえたもののようにも見える。
この日は、久々に家族が顔を揃えるシーンの稽古に続き、通し稽古が行われた。波の音が優しく鳴り響く中、主人公の定男(関口アナン)が家に到着し、父(大谷亮介)が迎えるところから静かに物語は始まる。
続いて、18年ぶりに家族全員が揃った食卓のシーン。久々の再会を喜ぶ家族の会話が展開するが、なんてことのないやり取りのように見えて、些細な会話から、ひとりひとりの人間性や生き方が浮き彫りになってくる。
(左から)松本哲也、大谷亮介、田実陽子、大沼百合子、坂東希、関口アナン
例えば父。ラーメン屋のアルバイト店員の態度の悪さを嘆き、駆け出しの若手女優である定男の恋人のレイ(坂東希)に対し「演劇で食べていくことができるのか?」と無遠慮に尋ね、ものづくりに対する思いを熱く語る姿からは、人生の大半を“仕事”に捧げてきた男の誇りが感じられ、それが彼の人生の根幹となっていることがわかる。生真面目で厳格だが、近くにいる人間からすると「ちょっと面倒くさいな…(苦笑)」とも思ってしまう昔ながらの一家の長――そんな父親の威厳、そして既に人生の終盤に差し掛かり、彼が抱えている虚しさや寂しさを大谷が絶妙なニュアンスで表現している。
父親だけではない。定男たちが小さな頃から自身の「信仰」で家族を巻き込んできたが、全く悪びれることのない母(大沼百合子)。この両親に大きな影響を受けて大人になり、挫折と喪失を味わい、それゆえに家を出て東京で自由気ままに生き、成功を手に入れたように見える定男への嫉妬や反発をところどころににじませる兄の庄吾(松本哲也)。陽気でさばさばとした性格で、巧みに家族のバランスを取り、みんなに愛されて生きているように見えて、家族に対して絶望と諦念とも言える感情を抱いている末っ子の可奈(田実陽子)。それぞれの登場人物たちが抱える不満や怒り、葛藤、嫉妬、寂しさなどが、ちょっとした言葉の端々やリアクションから小さなトゲのように飛び出し、チクリチクリと周囲の人間(と観客)の心を突き刺していく。
(左から)大沼百合子、田実陽子、坂東希
緊張感をはらみつつも、それでも久々の再会を祝し、表面的には穏やかに進んでいた食卓の会話だったが、定男が次回作で、この一家のことを書こうと思っていると告げたことで空気が一変! 定男の言葉をきっかけに、それまで軽く匂わせながらも大っぴらにはしてこなかった、それぞれの心の内に溜まりに溜まっていた不満や怒り、恨みが爆発し、間欠泉のように外に向かって噴き出されていく。
これまで「家族だから」という理由で何とか許し合い、やり過ごし、バランスを取ってきた一家だが、こうして臨界点を超えたが最後、逆に「家族である」がゆえに遠慮も気遣いも適切な距離感も失い、歯止めなく怒りや憎しみをぶつけ合うことになる。積年の怒りや恨みを爆発させ、思いの丈を家族にぶつけるさまはスリリングで感動的ですらあるが、同時にどこか滑稽でもある。哀しいかな、決死の覚悟で吐き出した怒りの告発が、必ずしも相手の心に届くとは限らない。周りの者にとっては全く理解すらしがたいものであったり、それどころか冗談や笑い話のように受け止められたりすることさえもある。ある人物が、物語の終盤に放つ「無条件でしょ、家族は!」というセリフがずっしりと心に重くのしかかる…。
(左から)大谷亮介、関口アナン、田実陽子
観終わって、なんとも言えない疲労感を味わわせてくれる本作だが、通し稽古で全体を見て、何よりも強く感じたのが、戯曲そのものが持っている強度、そして俳優陣による表現の質の高さと深みである。蓬莱自身の実体験に基づいた“私戯曲”的な作品であり、再演作品であるということも踏まえると、何気ない会話の積み重ねがもたらすリアリティや説得力はさすが! といったところだが、この精緻な会話劇の魅力を、開幕まで2週間以上もあるこの段階で、ここまでの高い完成度で表現しているキャスト陣の演技力は驚異的だ。もちろん、各俳優の実力の高さは言うまでもないが、それだけでなくフルオーディションによるキャスティングを実施し、じっくりと時間をかけてひとりひとりが戯曲を読み込み、自分の役をつくり込んできたことのメリットが最大限に活かされているように感じられる。
特に俳優陣によって考え抜かれた表現の妙を存分に味わえる部分として、ぜひ注目してほしいのが蓬莱作品の大きな特徴でもある、各人のセリフの語尾についた数多くの「(笑)」や「……」といった表現。当然のことながら、劇場で芝居を鑑賞する際には、戯曲の中に書かれた「(笑)」や「……」を目で確認することはできないが、物語のあちこちに散りばめられた幾多の「(笑)」や「……」のニュアンスを俳優陣は見逃すことなく受け止め、丁寧に表現している。それらは時に「驚き」を表し、時には「怒り」をはらみ、時には「呆れ」や「諦め」の匂いを漂わせており、俳優がほんのちょっと表現を変えるだけで、観客の受け止め方がガラリと変わってしまうほど繊細かつ凄まじい破壊力を持っている。
(左から)田実陽子、松本哲也
なお、新国立劇場の本作のホームページでは、初日開幕前日の7月9日(水)までの期間限定で、本作の戯曲を無料で公開するという画期的な試みを実施しているので、冒頭の数ページだけでものぞいてもらえれば、「(笑)」と「……」の凄まじいまでの多さに驚くはず! これらの微妙な感情のニュアンスを俳優陣がどのように咀嚼し、表現しているのか? ぜひ劇場で確認してほしい。
「家族とは何か——?」 これまでさまざまな演劇作品によって繰り返し描かれてきたこの問いかけに対し、蓬莱竜太が自身の経験という“劇薬”をもって出したひとつの答えであり、観る者によって受け止め方も共感する人物も異なるであろう物語をじっくりと堪能してほしい。
取材・文=黒豆直樹 撮影=宮川舞子
公演情報
シリーズ「光景─ここから先へと─」Vol.3 『消えていくなら朝』
【会場】新国立劇場 小劇場
【出演】大谷亮介、大沼百合子、関口アナン、田実陽子、坂東 希、松本哲也
『消えていくなら朝』戯曲公開ページURL
https://www.nntt.jac.go.jp/play/news/detail/13_030003.html
公開期間:2025年6月27日(金)18:00~7月9日(水)23:59まで