秘められた「大奥」の世界、その真の姿が明かされる 特別展『江戸☆大奥』レポート
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特別展『江戸☆大奥』展示風景
江戸時代、歴代の徳川将軍家の後宮として誕生した「大奥」。圧倒的な権力を持つ将軍の正室・側室たちが生活したその場所は、秘められた世界であり、それゆえに庶民の関心を惹きつける場所だった。2025年7月19日(土)から東京国立博物館 平成館にて開催している特別展『江戸☆大奥』では、近年の研究によって明らかとなった事実や、貴重な資料、ゆかりの品を通して、「大奥」という特殊で閉ざされた世界の中で、女性たちがどのように生きてきたか、その真の姿に迫る。
虚構の世界の「大奥」
江戸時代より大奥の世界は、浮世絵や物語などの題材となってきた。第1章では、そうした虚構の「大奥」から、大奥がどのように表され、イメージが形成されていたのかを紹介する。
近年における大奥イメージの代表例は、よしながふみ氏による漫画『大奥』、そしてそれを実写ドラマ化したNHKドラマ10『大奥』だろう。疫病で男子の生存率が著しく低く、江戸幕府の歴代将軍を女性が務めることとなるという物語で、歴史上の人物が男女逆転する大胆な設定が話題となった。本展は、ドラマで使用された衣装と撮影セットの展示から始まる。
NHKドラマ10『大奥』で用いられた衣装、舞台セット(御鈴廊下)の展示風景
続いて、明治、江戸時代に「大奥」がどのように描かれてきたかを遡るようにして紹介されている。江戸時代には、出版統制で公に大奥を題材にした作品を作ることは許されなかったため、大奥を描いた作品が描かれるようになるのは明治期になってからだ。
その明治期に大奥を描いた代表例として、浮世絵師・楊洲周延による《千代田の大奥》が展示されている。年中行事など、大奥の女性たちの四季折々の様子を描いた作品群で、その描写には実際と異なり、想像で描かれた部分も多い。
《千代田の大奥》の展示風景。全40図が描かれた本作を、会期中に場面替えを行い、存分に鑑賞できるようにしている
《千代田の大奥》より「千代田の大奥 鏡餅曳」 楊洲周延筆 明治28年(1895)東京国立博物館蔵
江戸時代には、柳亭種彦による長編小説『偐紫田舎源氏』が絶大な人気となったが、『源氏物語』を大奥の世界になぞらえている点が科となり、絶版処分となった。また、《奥奉公出世双六》という、大奥の世界を双六にしたものも刊行されるなど、大奥が庶民の憧れの的であったことがうかがえる。
《偐紫田舎源氏》柳亭種彦作、歌川国貞 (三代豊国)筆 19冊 江戸時代 文政12~天保13年 (1829~42) 東京・法政大学図書館 古川久文庫蔵
展示風景
「大奥」という場所と体制
第2章から、いよいよ“真の大奥”をひも解く。まずは、大奥誕生の最大のキーパーソンである春日局や、実際の大奥の間取りを表した地図などから、大奥という場所、その体制について紹介している。
3代将軍・家光の乳母であった春日局(1579-1643)は、家光を大層可愛がり、将軍に就任すると、徳川家直系の子孫に後を継がせるため、側室、側妾を大奥に迎える。この時期に、御台所(将軍の正室)、側室、彼女たちに仕える女中たちの序列が整備され、「大奥」の基礎が築かれていった。春日局は、 寛永6年(1629)に後水尾天皇に拝謁した際、「春日」の名を賜り、寛永9年には従二位の位と共に緋袴の着用が許された。そのため、春日局の肖像は緋袴を着用した姿で表される。
《春日局坐像》 1軀 江戸時代 17世紀 京都・麟祥院(京都市)蔵
《江戸城本丸大奥総地図》 1舗 江戸時代 19世紀 東京国立博物館蔵
火災が多かった江戸時代、江戸城も度々その被害に遭ってきた。再建の折などに制作された江戸城本丸の図面には、大奥の構造も記されており、そこからは大奥の実態が浮かび上がる。例えば写真の絵図面は、天保15年の火災で江戸城が消失した後、弘化2年(1845)に再建された際の江戸城の姿だ。黄色、赤、薄茶の3色に塗り分けられており、それぞれ大奥の「御殿向」「長局向」「広敷向」を表している。
「御殿向」は将軍の寝所、御台所や将軍子女の居室などに用いられており、「長局向」は側室のほか、大奥で働く女中たちの居住地でもあった。「広敷向」は大奥の事務や警護をする男性や、大奥に品物を納める商人、女中たちの診察を行う医師など、男性の出入りが許された場所だという。
これを見ると、敷地内の半数を占めるのが「長局向」であること、それぞれの部屋の間取りから大奥の中での序列など、様々なことがうかがい知れる。ちなみにフィクションの世界で、将軍が女性たちの前に現れ、その日の相手を選ぶ惣(総)触(そうぶれ)の場として描かれる「御鈴廊下」であるが、実際には御鈴廊下で謁見することはなく、その先にある部屋で将軍を出迎えていたという。
《江戸城本丸等障壁画下絵 西丸大奥御対面所》 狩野〈晴川院〉養信筆 1巻 江戸時代 19世紀 東京国立博物館蔵 ※前期展示:7/19~ 8/17
大奥で働く女性たちの栄枯盛衰
手前:《天樹院(千姫)復元衣装》 1具 令和3年(2021) 兵庫・姫路城蔵
大奥の体制が厳格に定められると、その中で絶大な権力をもつ女性も現れる。一生を大奥の中で過ごすこととなる「御年寄」は女中の中でも最高位にあたり、権力・財力を持ち、ときには表の政治にまで影響を与えうる存在にもなった。
その中でも特に有名なのは、絵島だろう。7代将軍・家継の生母である月光院に仕えた御年寄であった絵島は、月光院の名代で参詣した後、山村座に歌舞伎見学に訪れ、その後の宴席では歌舞伎役者・生島新五郎を招いて宴に興じ、門限を破った。そうした行状の悪さなどを理由に信濃国高遠に流罪となる。この「絵島生島事件」は、大奥のスキャンダルとしてセンセーショナルな話題となり、絵島と生島の逢瀬は歌舞伎などの題材にもなった。
本展では、絵島の流罪後の生活を物語る品々や、覚書などが展示されており、大奥の中で権勢をふるった絵島の栄枯盛衰がうかがえる。
『絵島没後取調覚書』 1冊 江戸時代 寛保元年(1741) 長野・蓮華寺(伊那市)蔵
そのほか、13代将軍・家定の時代に御年寄を務め、江戸幕府最後の将軍付き御年寄となった瀧山ゆかりの品も展示されている。天璋院と跡継ぎ問題で対立するほどの力を持った瀧山であったが、彼女が使用した「女乗物」と呼ばれる駕籠は、大奥の女中たちが乗ることができる「乗物」の中でも最高位のものになる。
《女乗物》 瀧山所用 1挺 江戸時代 19世紀 埼玉・錫杖寺(川口市)蔵
「玉の輿」の語源になったお玉の方の振袖も
「大奥」という場所に焦点が当てられていた第2章に続いて、第3章ではそこに住んだ人々にスポットを当て、歴代大奥のヒロインたちを、ゆかりの品と共に紹介している。
重要文化財《振袖 黒綸子地梅樹竹模様》 桂昌院(お玉の方)所用 1領 江戸時代 17世紀 東京・護国寺(文京区)蔵 ※前期展示:7/19~ 8/17
本章で最初に展示されているのは、5代将軍・綱吉の生母である桂昌院(お玉の方)が着用していたと伝わる振袖だ。お玉の方は京都の八百屋の娘であったと言われており、3代将軍・家光の側室であるお万の方に仕えていたところを、春日局の名で家光に近侍し、家光に見初められ側室となった。綱吉が将軍となったことで権勢をふるい、女性最高位となる従一位の官位を賜った。現在でも使われる「玉の輿」という言葉は、お玉の方のこうしたシンデレラストーリーが由来なのだ。
また、重要文化財《刺繍掛袱紗》にも注目したい。掛袱紗とは、贈答品を贈る際などに品物の上に掛けておくための袱紗のことで、展示されているのは、5代将軍綱吉の実子を生み育てた瑞春院のために綱吉が用意させたものだ。全31点を前期と後期に分けて全て公開する貴重な機会となる。
展示風景
重要文化財《刺繡掛袱紗》 瑞春院(お伝の方)所用 31枚 江戸時代 17~18世紀 奈良・興福院(奈良市)蔵 ※前期・後期で入替
婚礼調度に、四季折々の衣装
場所、人に焦点を当てた後は、「生活」に注目する。第4章では、13代将軍・家定の正室である天親院(鷹司任子)や、天璋院(篤姫)の婚礼調度、5代将軍綱吉の正室となった浄光院(鷹司信子)が輿入の際に使用したとされる「女乗物」、婚礼の際の行列を描いた屏風、さらに季節ごとの衣装や日用品、雛飾りなど、大奥の暮らしぶりを想像させる品々を紹介する。
手前の油単(ゆたん)は、装身具などを入れた鋏箱(はさみばこ)を風雨から護るカバー。本作には、徳川家家紋の「三つ葉葵紋」と、近衛家家紋の「抱き牡丹紋」が表されており、婚礼調度を運ぶために誂えられたもの
圧巻なのは、武家女性たちが身につけていた衣装の展示。大奥では御台所は1日に5回も着替えを行っていたという。本展では武家女性の四季折々の衣装を通して、大奥の中でもさぞ華やかで壮観であったであろう装いの美に触れる。
展示風景
実は存在していた“女性の歌舞伎役者”
江戸時代最大の娯楽であった歌舞伎。大奥の女性たちも歌舞伎を観たい気持ちは抑えられない。そんな中で活躍したのが、11代将軍・家斉の時代に、女性の歌舞伎役者であるお狂言師の坂東三津江であった。展覧会のラストは、3代目坂東三津五郎に師事した三津江が、大奥の女性たちの前で演じた際の歌舞伎衣装の数々で華やかに締め括られている。
坂東三津江が着用した衣装類の展示風景
『京鹿子娘道成寺』『本朝二廿四孝』など、現在でも上演される作品の衣装も並ぶ。現在用いられている衣装とは異なるものもあり、歌舞伎ファンはそうした違いも楽しむことができるだろう。当時の歌舞伎衣装の多様さ、装飾性、技巧の粋が感じられる。大胆な柄や配色は、先ほどの武家女性たちが日常的に着る衣装とは異なり、歌舞伎衣装ならではであり、見ているだけでも心躍る。
《小忌衣 浅葱天鵞絨地菊水模様》 坂東三津江所用 1領 江戸時代 19世紀 東京国立博物館蔵 高木キヨウ氏寄贈
展示では、家斉の妹の蓮性院(れんしょういん)、家斉の側室の専行院(お美代の方)、その娘の溶姫や末姫の前で演じた衣装が飾られている。1つの衣装だけでこれだけの技術と美の粋が結実した品が用いられているのだから、その華やかで贅を尽くした大奥の生活の一端が想像される。
将軍家の世継ぎを産むという、デリケートで重大な役割を担ってきた大奥の女性たち。だからこそ人々の興味を惹きつけ、良くも悪くもさまざまに表象されてきた。本展では、そんな女性たちの本当の姿に迫ろうとするまたとない試みである。
ミュージアムグッズも注目のアイテムが目白押し
大奥の中で生きた女性たちの姿を追い求めた本展。そのミュージアムグッズも華やかなアイテムがズラリと揃っている。
展覧会公式図録
豪華な装幀が眼を引く図録は、展示替え作品などが網羅されているほか、詳細な系図も収録しており、まさに「大奥決定版」な一冊。全416ページで、豊富な作品解説やコラムが収録されており、より深く大奥の歴史と文化を知ることができる。
グッズ売り場
文具系、お菓子類、コラボ商品など、さまざまなグッズが展開されているが、特にお薦めしたいのがファッションアイテム。羽織やアロハシャツ、靴下など、普段のファッションのアクセントになること間違いなし。筆者は実際に靴下3種、羽織を購入した。大奥のきらびやかで華やかな暮らしぶりを、日常の中に取り入れてみてほしい。
特別展『江戸☆大奥』は9月21日(日)まで、東京国立博物館にて開催中。
文・撮影=よもつ
イベント情報
※入館は閉館の30分前まで