七之助の大蛇に息を呑み、玉三郎の火の鳥を目の当たりにし、勘九郎の研辰に翻弄される 歌舞伎座『八月納涼歌舞伎』第二・三部観劇レポート

12:30
レポート
舞台

第三部『野田版 研辰の討たれ』(前列左から)姉娘およし=中村七之助、平井九市郎=市川染五郎、守山辰次=中村勘九郎、平井才次郎=中村勘太郎、妹娘おみね=坂東新悟、番人番五郎=市川中車 /(C)松竹

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2025年8月3日(日)、歌舞伎座で『八月納涼歌舞伎』が始まった。1日三部制のうち、第二部では、坂東玉三郎監修による中村七之助主演『日本振袖始』、そして玉三郎が演出・補綴、出演もする新作歌舞伎『火の鳥』が、第三部では舞踊『越後獅子』、野田秀樹脚本・演出による中村勘九郎主演『野田版 研辰の討たれ』が上演される。第二部と第三部の模様をレポートする。

第二部

一、日本振袖始(にほんふりそではじめ)

八岐大蛇(やまたのおろち)を題材とした、ダークファンタジーな舞踊劇。舞台には8つの大きな甕が置かれ、その向こうには険しい岩場に荒々しく川が流れている。空間を裂くような笛の一音、これに続いて響く鼓の一打で、伝説の世界に足を踏み入れる。

第二部『日本振袖始』岩長姫実は八岐大蛇=中村七之助 /(C)松竹

村人たちの話によると、今日は八岐大蛇に人身御供を捧げる日。生贄となるのは、美しい稲田姫だ。揚幕から現れた稲田姫(中村米吉)は悲しみに沈んでいた。ただ、ほのかに光をまとうような可憐さが、哀れささえも美しく見えた。対してスッポンから登場する、岩長姫(中村七之助)。カッと放たれる強い美しさ。しかしその正体は八岐大蛇だ。銀の簪を煌めかせながら、赤い振り袖で甕を抱えるようにして酒(実は毒入り)を飲み干していく。酔いがまわり、異様な本性を現し始めていたが、その妖しさと月あかりの中で舞う孤独な姿に、簪を煌めかせていた時よりもずっと、心を奪われた。いよいよ毒が回り始めると……。

第二部『日本振袖始』(左より)稲田姫=中村米吉、素盞嗚尊=市川染五郎 /(C)松竹

第二部『日本振袖始』(左より)稲田姫=中村米吉、素盞嗚尊=市川染五郎、岩長姫実は八岐大蛇=中村七之助 /(C)松竹

素盞嗚尊(すさのおのみこと。市川染五郎)は、稲田姫の恋人だ。花道より風をきるように駆けつけて、雄々しくセリフを響かせた。本舞台で剣を鮮やかに抜き、回り、跳んで床をダン! と鳴らして着地。場内の熱が一気に上がる。八岐大蛇と7人の分身が現れてからは、スペクタクルが加速する。義太夫、三味線が熱を帯び、ツケが響き、分身たちが素盞嗚尊に打ちかかる。分身たちのフォーメーションは、七之助の大蛇の巨大さを体現し、さらに染五郎の素盞嗚尊の英雄らしさを際立たせた。稲田姫が宝剣を手に奇跡の生還を果たし、舞台はクライマックスへ。静と動の緩急に富み、最後は明るい喝采に包まれ、圧倒的な盛り上がりのまま幕を引いた。

二、火の鳥(ひのとり

舞台は、大王(松本幸四郎)が身体を休めている宮殿の寝所から。黄金のベッド、鳳凰が描かれた黄金の壁。豊かな国のようだ。しかし王は病床にあり、国の行く末を憂う。そこで、ふたりの王子、兄のヤマヒコ(市川染五郎)と弟のウミヒコ(市川團子)が、永遠の命を持つと言われる火の鳥を捕まえる旅に出る。

第二部『火の鳥』(左より)ウミヒコ=市川團子、ヤマヒコ=市川染五郎 /(C)松竹

脚本は竹柴潤一。演出・補綴に、原純と坂東玉三郎。ヤマヒコとウミヒコの長い旅路は、映像を用い表現された。舞台一面が巨大なスクリーンとなり、歌舞伎座の舞台機構、俳優の動き、吉松隆の音楽と、映像が折り重なる。映像ならではのスピード感で、海、平原、山が目くるめく立ち現れ、その中を迷いなく進む兄と、迷いながらも進む弟。雄大な自然に対し、人間の存在はあまりにも小さかった。しかし自然も支え合う兄弟も美しかった。兄弟は、黄金の林檎がなる木に辿り着く。木を見守ってきたイワガネ(坂東新悟)は、ここに毎夜火の鳥が訪れることを教えるが……。

第二部『火の鳥』火の鳥=坂東玉三郎 /(C)松竹

火の鳥(玉三郎)は、漆黒の夜空より現れ、旋回し、林檎の木に降り立つ。歌舞伎の枠組みでは想像したことのない存在感に一瞬身構えた。身構えたのは、まだ見たことのないものに出会う緊張だったと気がついた。気高くも繊細で、儚さを秘めた幻想の鳥だった。後半には、『日本振袖始』の大蛇さながら、火の鳥の分身たちも登場。躍動感あふれる舞踊は、玉三郎が長きにわたり古典の衣裳の中で磨き続けてきた、一表現者の魂そのものが、今まさに解き放たれたよう。

第二部『火の鳥』(左より)ウミヒコ=市川團子、ヤマヒコ=市川染五郎、火の鳥=坂東玉三郎 /(C)松竹

兄弟は試練にみまわれながらも、宮殿へ。大王、王子たち、火の鳥のセリフ劇となる。火の鳥は、大王、王子たちに答える形で、自らの“不滅”を語り始める。もどかしいほどに切々と、言葉を尽くす。幸四郎の王の深い苦悩に表れる切実さ、そして染五郎と團子という若い俳優が放つ生命力が、善悪を超えて人間らしさを象徴していた。ひいては火の鳥の神秘性を一層高めていた。魂とは。魂の修行とは。いつしか観客への問いかけとして響きはじめる。魂のありようを思うこの時間が、その修行の入口なのかもしれない。日常から切り離された、唯一無二の観劇体験となった。

第三部

一、越後獅子(えちごじし)

頭に獅子頭をのせた角兵衛獅子たちによる、長唄舞踊『越後獅子』。舞台と花道に、赤い獅子に、白の着付の揃いの衣裳の角兵衛獅子が並び踊りはじめると、パーッと青空が晴れ渡るような楽しい空気になった。出演は、中村橋之助、市川男寅、中村福之助、中村虎之介、中村玉太郎、中村歌之助、市川青虎。背景には「冨嶽三十六景 江戸日本橋」を見るような、日本橋のたもとから江戸城、そしてさらに遠くに富士山を望む景色が広がる。

第三部『越後獅子』(左より)角兵衛獅子=中村歌之助、中村橋之助、中村福之助 /(C)松竹

角兵衛獅子の踊りは、越後の国の月潟村からはじまった。洪水や不作の影響で村が困窮した時に、角兵衛さんが獅子頭をつくり、村の子どもたちに踊りを教え、諸国をめぐる出稼ぎにいったという(諸説あり)。大道芸がそのルーツとあり、様々な踊りで楽しませた。

第三部『越後獅子』(左より)角兵衛獅子=中村歌之助、中村玉太郎、中村虎之介、中村橋之助、市川青虎、市川男寅、中村福之助 /(C)松竹

第三部『越後獅子』(左より)角兵衛獅子=中村玉太郎、中村虎之介、中村歌之助、中村橋之助、市川青虎、中村福之助、市川男寅 /(C)松竹

品よく粋な橋之助、華やかでキレがある虎之介とソロで踊り、福之助、歌之助も登場。演奏が華やかさを増し、片肌を脱いだ青虎の踊りに舞台の空気が引き締まる。観客を魅了する。橋之助・福之助・歌之助兄弟は歯が一本の高下駄の踊りも披露した。結びには、7名が揃って白く長い晒し(細長い布)をひらひらとさせ、目で追いきれないほど幾重もの美しい線で舞台空間をいっぱいにした。目に爽やかな一幕が、熱い拍手で幕となった。

二、野田版 研辰の討たれ(のだばん とぎたつのうたれ)

「研辰」こと守山辰次は、もとは刀の砥師でありながら、口の上手さから殿様に召し抱えられた職人上がりの武士。本作は木村錦花の原作をベースに、野田秀樹が脚本・演出を手がけ、2001年8月に十八世中村勘三郎(当時 勘九郎)主演で初演された。2005年5月と7月には十八代目中村勘三郎襲名披露狂言として再演され、今回は20年ぶりの上演。主人公の守山辰次を、中村勘九郎が初役で勤める。

第三部『野田版 研辰の討たれ』(左より)粟津の奥方萩の江=中村七之助、守山辰次=中村勘九郎、家老平井市郎右衛門=松本幸四郎 /(C)松竹

舞台は、赤穂義士の討ち入り直後。仇討ちブームの真っただ中だ。しかし職人上がりの研辰は、今どき剣術の稽古に励むなんて「棒を振って、人生を棒に振る」と武士たちを小馬鹿にする。ところが、ひょんなことから家老・市郎右衛門(松本幸四郎)の仇となり、その息子・九市郎(市川染五郎)と才次郎(中村勘太郎)に追われる身となる。

一部始終、面白かった。野田作品らしい言葉遊び、セリフの応酬、飛んだり跳ねたり、俳優たちの身体表現が展開する。時事ネタを含むギャグも、変わらず引き継がれていた。たとえば『サラダ記念日』(劇中では「おひたし」)の引用は、初演の時点ですでに「ひと昔前のあれ」だった。今回は「まだ使うんだ(笑)」というノスタルジー混じりの親しみと、背景なしにも楽しい語感に気づかされる。

過去の研辰との比較にも触れておく。勘三郎の研辰は、鬼ごっこを楽しむように皆の“本気”をするりとかわし、それでも愛嬌を失わない人間離れした存在だった。頭一つ分大きな武士たちに囲まれれば守ってあげたくなったし、ラストシーンには自然と同情が湧いた。初役となる勘九郎の研辰は、軽口でも屁理屈でも発した言葉に輪郭がある。その印象を抜群の身体能力を駆使した馬鹿馬鹿しさで上書きしてみせる。ラストシーンでは、おかしみの奥にも緊張感があった。あの状況に、第三者目線の同情ではなく、他人事とは思えない恐ろしさを覚え、作品に新たな奥行きを感じた。

第三部『野田版 研辰の討たれ』(左より)守山辰次=中村勘九郎、家老平井市郎右衛門=松本幸四郎 /(C)松竹

脇を固める面々も見応え十分だ。中村七之助の奥方の萩の江による「あっぱれじゃ!」は、初演で中村福助が生んだ爆笑の間合いそのもの。くす玉が割れるようなおめでたさを、鮮やかに受け継ぐ。七之助は、姉およし役も好演。仇討ち兄弟のグルーピー姉妹として、顔の良さ、姿の良さをフル活用し、過剰なきゃぴきゃぴで笑いをさらう。妹おみねに坂東新悟。姉に匹敵、時には上回るきゃぴきゃぴと、それでも品の良いキャラクターで芝居をさらに弾ませる。

市川中車の八見伝内の昆虫採集、研辰のいだてん走りなど、将来は注釈付きになりそうな小ネタも満載。染五郎、勘太郎は「エモ」と清新さで物語を牽引した。片岡亀蔵は、野田秀樹・作シアターコクーンでの『パンドラの鐘』にも出演し、歌舞伎以外の野田作品にも声がかかる、野田の信頼を得たひとり。亀蔵の初演以来のからくり人形の再来に、客席は笑いと悲鳴を上げた。中村扇雀の僧良観、坂東巳之助の役人の町田定助、市川猿弥の角力取が、脇をかため「人々」を彩り豊かにする。家老の市郎右衛門は松本幸四郎。十世坂東三津五郎の“ご家老”を真摯に踏襲するマインドでありながら、抑えきれないユーモアが溢れている。「同じ演目も、役者が変われば見え方が変わる」という古典歌舞伎の醍醐味を、自身の場面でいち早く示していた。なお幸四郎と染五郎は、1日三部制のうち3演目に重要な役で出演中。そんな1ヶ月の、1日の最後の演目にも、出し惜しみのない存在感で観客を楽しませた。

第三部『野田版 研辰の討たれ』(左より)平井九市郎=市川染五郎、平井才次郎=中村勘太郎 /(C)松竹

クライマックスは、死にたくない研辰、郷里に帰るために仇を討たねばならない兄弟、「刀を持て」「助けてやれ」と煽ったり翻したりする群衆の三つ巴。匿名の人々の薄情さ、残虐さを孕みながら、喜劇と悲劇を行き来する。初演の頃ならばインターネットの匿名掲示板、現在ならばSNSの「炎上」を連想させる構図ではないだろうか。20年たっても、その構図が世の中にみられることに、軽い戦慄を覚えた。しかしその戦慄も紅葉の美しい景色と音楽に昇華されて、勘九郎の研辰が放った「生きてえ、生きてえ、死にたくねえ」の余韻が美しく深く残った。

第三部『野田版 研辰の討たれ』守山辰次=中村勘九郎 /(C)松竹

第一部から第三部まで、カラーの異なる意欲的な演目が揃った『八月納涼歌舞伎』。歌舞伎座で、8月26日(火)まで。第一部は別の記事にてレポートしている。
 

取材・文=塚田史香

公演情報

松竹創業百三十周年
『八月納涼歌舞伎』
日程:2025年8月3日(日)~26日(火)
会場:歌舞伎座
 
【休演】12日(火)、20日(水)
 
第一部 午前11時~

池田大伍 作
織田紘二 演出

一、男達ばやり(おとこだてばやり)
 
朝日奈三郎兵衛:坂東巳之助
三浦小次郎:中村隼人
唐犬権兵衛:市川猿弥
奴権平:市川青虎
老人六兵衛:嵐橘三郎
放駒四郎兵衛:中村福之助
茶屋亭主又兵衛:中村橋之助
又兵衛女房とま:中村米吉
 

  猩々(しょうじょう)
二、
  団子売(だんごうり)
 
〈猩々〉
猩々:松本幸四郎
猩々:中村勘九郎
酒売り:市川高麗蔵

〈団子売〉
杵造:松本幸四郎
お福:中村勘九郎
 

第二部 午後2時15分~
 
近松門左衛門 作
坂東玉三郎 監修

一、日本振袖始(にほんふりそではじめ)
 
岩長姫実は八岐大蛇:中村七之助
稲田姫:中村米吉
素盞嗚尊:市川染五郎
 

竹柴潤一 脚本
原 純 演出・補綴・美術原案
坂東玉三郎 演出・補綴

二、火の鳥(ひのとり)
 
火の鳥:坂東玉三郎
ヤマヒコ:市川染五郎
ウミヒコ:市川團子
イワガネ:坂東新悟
重臣:中村亀鶴
大王:松本幸四郎
 

第三部 午後6時15分~
 
一、越後獅子(えちごじし)
 
角兵衛獅子:中村橋之助
同      :市川男寅
同      
:中村福之助
同      :中村虎之介
同      :中村玉太郎
同      :中村歌之助
同      :市川青虎
 

木村錦花 作
平田兼三郎 脚色
野田秀樹 脚本・演出

二、野田版 研辰の討たれ(のだばん とぎたつのうたれ)
 
守山辰次:中村勘九郎
平井九市郎:市川染五郎
平井才次郎:中村勘太郎
粟津の奥方萩の江/姉娘およし:中村七之助
八見伝内/番頭友七:市川中車
役人町田定助:坂東巳之助
妹娘おみね:坂東新悟
湯崎幸一郎:中村橋之助
蔦屋長三郎:中村長三郎
小平権十郎:中村吉之丞
女中お駒:中村歌女之丞
お酌の太郎:澤村宗之助
高橋三左衛門:大谷廣太郎
宮田新左衛門:市川猿弥
からくり人形/番人番五郎:片岡亀蔵
家老平井市郎右衛門:松本幸四郎
僧良観:中村扇雀
 
 
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