【2025年をプレイバック!】音楽祭ならでは! 一期一会のコラボや試み続く『スタクラ 2025 in 横浜』2日目をレポート

レポート
クラシック
2026.1.10

感性光る務川慧悟のオールショパン。激動の一年をめぐる ‟旅路” 

務川慧悟

務川慧悟

『務川慧悟 ALL CHOPIN(オール ショパン)』
日程:10月5日(日)14:40開演(約60分)
出演:務川慧悟(ピアノ)

『務川慧悟ALL CHOPIN』は、60分休憩なしで1842年に作曲されたショパン32歳の若き円熟期の大作5作を連続で演奏するというダイナミックな試みだ。みなとみらいホールの大ホールは務川が登場するのを今か今かと待ちわびる様子。午前中に開催されたショパンの協奏曲第一番と第二番を弦楽五重奏版で聴かせるという深みのある企画に続き、さらにショパンの深層を抉りだす玄人好みの渋い企画を、ショパンの名手でもあり、世界中で躍進し続ける務川のピアノで聴けるという、ただの音楽フェスティバルにはとどまらない『スタクラ』らしい極上の内容だ。

務川はステージに登場するといきなりマイクを持ち、自らMC。この演奏会の内容について「1842年」にフォーカスをあてた理由などを語った。ショパンが1842年に32歳であったように務川も今年、奇しくも歳を同じくする。だからこそ、というわけではないようだが、やはり同世代、しかも最も敬愛する作曲家の一人であるショパンという音楽家の生き様には興味があるようで、その感慨や、1842年にショパンの身の回りに起きた出来事などに触れつつ、これから演奏する5作品~三つのマズルカ作品50/即興曲第三番作品51/バラード第4番作品52/ポロネーズ「英雄」作品53/スケルツォ第4番~が生まれた背景についても雄弁に語った。

1842年はショパンが故郷ポーランド時代から深い親交のあった二人の大切な人物――一人は幼年時代のピアノの恩師、もう一人は幼き時代の最愛の友人――を立て続けに亡くした年でもあり、悲しみの中で創作されたこれらの作品は、その後に続く晩年期の霊感的ともいえる創作活動を前にして一つの大きな転換点であったと言われている。務川自身も1842年をショパンにとっての「転機の年」と捉えており、これらの5作品を一挙に並べて演奏会を開くという構想を、高校生の頃から抱いていたという話も興味深かった。

一曲目は 三つのマズルカOp.50。マズルカらしい純朴さを湛えつつも、夢想的に、あたかもキャラクターピースを思わせる作品を演奏しているかのように一つのストーリーを饒舌に語る。長尺の三曲目(Op.50-3)は、構成感の巧みさもさることながら、一つのストーリーを客観的に、傍観するかのように訥々と、そして、時に内省するかのようにグッと自らに引き寄せるなど、柔軟に視点を変えつつも、つねに説得力のある語り口で語り紡ぐ姿が印象的だった。

二曲目の  即興曲 第3番 変ト長調 作品51では、愛おしむように左手の奏でるメロディラインに寄り添う姿が印象的だった。歌おうとして歌うのではなく、それは務川にとって心の底からの自然な想いの発露であり、務川が抱く内なる感情と曲が完全に同調しているかのようだった。繊細な美しさの中にも深遠なるものを感じさせ、ショパンがこの時期に抱いていたであろう内界に限りなく近づかんとする務川の強い、しかし、しなやかな意志を感じさせた。

そして、ショパンの全作品の中でも最高傑作の一つと称される バラード 第4番 ヘ短調 Op.52。破壊的な激情のほとばしりを、品格ある優雅さで、しかし狂おしいほどの情熱で語り紡ぐ。経過的な部分に至るまで丁寧に練り上げ、ショパンがこの若き円熟の境地で感じ取っていたであろう“行間”に託する思いがみずみずしい音で綴られており、務川の深い思考と音楽的知性もあいまって各箇所で至芸を聴かせた。その多重人格的ともいえる狂気や、めくるめく心の襞の揺れを繊細に受け止める務川の感性が光っていた。

そして、誰もが知るポロネーズ 第6番 変イ長調「英雄」Op.53。何とも務川の「英雄」らしく、華麗で端正なスタイルの中にもポロネーズらしい絶妙なリズムの取り方や緩急の聴かせ方などの多彩なスパイスが随所に散りばめられており、全体的な構成感の充実とともに細部までも彩る余裕を感じさせる演奏だった。

プログラムを締めくくる最後の一曲は スケルツォ 第4番 ホ長調 Op.54。スケルツォ(冗談)という言葉が示すようにこの作品の本質である“諧謔的”な要素を、務川の透明感ある華やかで軽やかな、しかし力強さのあるピアニズムが饒舌に語り紡ぐ。そして中間部のメランコリックなくだりでは、相反する感情を流れるようによどみなく歌いあげる。それは一つ前に演奏したバラード 第4番でもそうであったように、一人の人間の内なる感情の捉えきれぬほどの複雑な心の襞をつぶさに映しだしているかのようだ。終結部(コーダ)で務川らしい華と余韻を感じさせつつ勇壮にフィナーレを飾り、作曲家の激動の一年をめぐる ‟旅路” を締めくくる。本プログラム演奏後、「今後もこれらの5作品以降に書かれた作品60番台を弾き続けていきたい」と宣言。客席から大喝采を浴びていた。

アンコールは一週間前に行ったドイツ・ミュンヘンでの演奏会の際にヘンレ(Henle:ミュンヘンの老舗音楽出版社で多くの作曲家の版権を持ち原典版の楽譜を出版している)の担当者から贈られた2024年に見出されたという ショパン 小ワルツ イ短調 を演奏(本当に短い曲だった!)。そして、満を持して エチュード「革命」 で再び一時間の旅路を華麗に締めくくった。

取材・文=朝岡久美子 撮影=奥野倫

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