人間国宝・井上八千代と安寿子に聞く<京舞>の魅力『古典芸能を未来へ』~至高の芸と継承者~有楽町に祇園がやってくる!
(左から)井上八千代、井上安寿子
かけがえのない古典芸能を過去から現代、現代から未来へとつなげていくシリーズ『古典芸能を未来へ』~至高の芸と継承者~。第六回となる今回は、千年以上にわたって発展した京都・祇園を中心に育まれ、優雅で格調高い舞が特徴の「京舞」を取り上げる。本公演では京舞の核となる人間国宝の五世家元・井上八千代(井上流)の至芸と、伝統の芸を受け継ぐ長女・安寿子の舞を中心に芸妓や舞妓による華やかな舞も披露される。また、総勢6名の人間国宝の芸が集結する構成も大きな話題だ。ここでは7年ぶりとなる「京舞」東京公演に向けておこなわれた井上八千代、安寿子出席の取材会と、ふたりのSPICE単独インタビューの模様をお届けする。
(左から)井上八千代、井上安寿子
【取材会】
ーー京舞の特徴と魅力はどこにあるのでしょう。
八千代:同じ日本舞踊といいましても“舞”は“踊り”と少し違います。具体的にお話しますと、原則的に舞はひとりの人の気持ちを表すもので、その心の内を少な少なに語るものなんです。ですから、今回のような広い空間が必ずしも舞に適しているかというと難しいのですが、お客さまと私ども舞手がどこまで心を共有できるかがポイントになってくると思います。お客さまの心をつかむためには、自分の芯の力が大切ですし、それこそが京舞の命なのかもしれません。
京舞は祇園という閉ざされた土地のなかで培われてきたものです。それはある意味、井の中の蛙と申すのかもしれませんが、外に出ることなく築かれてきたものの良さは確かにあるとも感じております。交通手段も発達して京都と東京の移動が簡単になった今だからこそ、閉ざされた中で育ってきた京舞の価値が試されているのかもしれませんし、私たちはまさに岐路に立っているということなのでしょう。
昨日、東京で日本舞踊の舞台を拝見しましたが、男性だけでなく、舞踊にお出になる女性もきっぱりしてらっしゃいますね。昔からいわれる“小股の切れ上がった”を体現なさっている印象です。それに比べ、京舞は良くいえばはんなり、悪くいえばもう少しもっさりしていますね。しかも内向的で内に秘めたものがより多いのかもしれません。そこが少し怖いところでもありますが(笑)。せっかくの機会ですから、お江戸とは異なる京の舞を体感していただけましたら嬉しいですし、今回の演目にはありがたいことに野村万作先生の語(かたり)などもございますので、楽しみにしていただければと思っております。
ーー今回、安寿子さんが舞われる『鷺娘』は映画『国宝』で踊られていたものとどう違うのでしょうか?
安寿子:映画の『国宝』で(田中泯さんと吉沢亮さんが)踊られた『鷺娘』は長唄のもので、今回の舞台でご覧いただくのは義太夫の『鷺娘』になります。義太夫の『花競四季寿』は、春夏秋冬をあらわす構成になっており、『鷺娘』は冬の景。終わり方も冬が終わればまた春がやってくるという明るいもので、映画『国宝』のなかで描かれた長唄版のような、鷺娘が責め苦にあい、死を想起させる展開とは異なります。
八千代:私たち井上流にも今回ご覧いただきます義太夫に加えて長唄の『鷺娘』もあるのですが、それはとても古い形で、同じ長唄版でも『国宝』のものとはまた違うんです。私たちが舞う長唄版は舞台上に丸い雪だるまがあり、それがパカっと割れてそこから鷺娘が出てくる仕掛けです。
【SPICE単独インタビュー】
鮮やかな色彩やビジュアルも楽しんでほしい
井上八千代
ーー京舞が東京で披露されるのは約7年ぶりということで、初めてご覧になる方も多いかと思います。初心者に向けて、鑑賞のポイントなどを教えてください。
八千代:今回の演目もすべてにはっきりした筋立てや明確な物語があるわけではなく、さらに台詞もありませんから、舞のなかで紡がれ、劇場を包み込むような空気感をお客さまと共有することが大切だと思っています。幕開きの『東山名所』には京都の舞妓と芸妓が登場しますから、ビジュアル的にもとても楽しいですよ。舞妓の長い帯や、自毛で結った髪、江戸前とは少し違った京都の芸妓の着物のとり合わせや着こなしなども新鮮なのではないでしょうか。
また、京都ならではの色彩に注目していただくのもいいと思います。赤壁の前で舞う白塗りの芸妓や舞妓もそうですし、お江戸の芸者さんや日本舞踊家の方たちと京都では色の使い方が違ったりするんです。たとえばピンクと黒、黄色と濃い紫の組み合わせなど、連続性がなく対称的な色を組み合わせて使う点も京風の特徴。京都はちょっと派手なんですね。お江戸の場合はもう少し地味な色合いが好まれ、それが“粋(いき)”とされていますから、それらの違いを意識しながら、京都ならではの華やかなビジュアルを楽しんでいただくのも良いかもしれません。
ーー鑑賞前に調べたり、知っておいたほうが良いことなどはあるのでしょうか。
八千代:ご覧いただくのに特に事前の下調べなどは必要ではないですが、あえていうなら『屋島』の内容を知ってから観ていただくといいですね。あとは唄に出てくる“花”とか“桜”“東山”などの単語や地名が聞き取れたら、何とはなしにその情景が浮かぶでしょうし、感覚的に好きな場面であったり、印象に残る箇所も出てくると思います。本当に最初の入り方は何でもいいんです。
ーー八千代さんが五世家元を務められる井上流には花街(かがい)で活躍する舞妓さん、芸妓さんのお弟子さんが多い印象ですが、男性のお弟子さんは?
八千代:男性のお弟子さん、おひとりいらっしゃいますね、もう10年になります。特に芸事のお家の方ではなく、料理屋さんにお勤めで、今もそのお仕事を続けていらっしゃいます。
師匠と弟子、そして母と娘という関係
(左から)井上八千代、井上安寿子
ーーおふたりは師匠と弟子であり、母と娘、かつ安寿子さんは八千代さんの芸の継承者でもいらっしゃいます。普段の関係性はどのような感じなのでしょうか。
八千代:この人(=安寿子さん)突然、怖くなるんです(笑)。
ーーえっ?
八千代:お稽古のときは「お師匠さん」って大人しかったのが、終わると普通に私が怒られたりもしますね(笑)。やはり、芸の世界と日常でスイッチの切り替えをしないと、一緒に暮らすのは難しいです。私の師匠は祖母(四世井上八千代)でしたが、稽古はとても厳しかったです。ただ、どこかで師匠と弟子ではなく、祖母と孫の関係に戻らないと365日、一緒に暮らすことはできなかったと思います。今の私たち親子の関係性もそんな感じです。
安寿子:たしかにそういうところはありますね。
八千代:家(うち)は、私の母が芸に関してはまったくの素人で、祖母が舞の世界で名人といわれる存在であることを知らずに嫁いできたんです。そこから母は祖母の一番のファンになり、全員の“ママ”として家族の核になってくれました。今、私たち親子の関係を彼女(安寿子さん)がどう思っているかは知りませんけれど(笑)。
井上安寿子
ーー安寿子さん、いかがですか?
安寿子:余所のお家の話を聞くこともありますが、私が公私ともに母を頼りにしているところは大きいと感じます。わからないことがあればすぐ聞いてしまいますし、母に助けてもらっていることは多いですね。
伝統芸能・京舞の継承者として、個人として
井上八千代
ーーお二方とも二歳の頃から舞の世界に入られたとうかがっています。芸の継承者としての任を背負いながら、他にやりたいことができたり、舞をやめたいと思われたことはあるのでしょうか。
八千代:私の場合は、良きにつけ悪しきにつけ、(舞の世界で)母の一代が空いていたことの影響が大きかったと思います。一番近いところにいる母が舞とは遠い存在であることで寂しさを覚えたり、逆に遠いところにいてくれてよかったと思ったり、その両方の感情がありました。同世代の方とお話をしていると、芸を極めていくことにまったく迷いはなかったと言う方もいらっしゃいますが、私はいろいろ迷いました。ただ、やはり最終的には舞から離れられないと感じたこと、師匠の芸に心底惚れていたことも大きかったですね。
ーー安寿子さんは京都造形芸術大学(現 京都芸術大学)にも通われましたね。
安寿子:私は幼い頃から周囲の皆さまに「将来、頑張ってや」とじわじわと言われ続けまして「……はい」みたいな感じで流れに身を任せてきたのですが(笑)、将来、自分が立方になるため、裏方の勉強をするとの名目で、大学の舞台芸術学科に通いました。今思えば、それがある種の逃避だったのかもしれません。ただ、大学生活の中で劇場の方や友人と信頼関係も築けましたし、今でも助けていただくようなことがありますので、良い経験だったと思います。
(左から)井上八千代、井上安寿子
ーー伝統芸能の世界でご活躍のおふたりですが、他ジャンルの作品もよくご覧になりますか?
八千代:たまに拝見します。久方ぶりに観た映画『国宝』にはいろいろ考えさせられました。劇中で描かれる歌舞伎の世界がどうこうというわけではなく、ギリギリの線で役に打ち込み、自分が魅せられ巻き込まれていく人々の姿や冒頭と最後の強烈な色彩や原作小説との違いなども興味深かったです。『国宝』の影響で歌舞伎のお客さんも増えていると聞きますし、作品を媒介にいろいろな方が歌舞伎や劇中の舞踊について語り合ってくださることは大きいですよね。この流れがブームで終わらず、継続していってほしいです。
安寿子:私はバレエなど洋舞を鑑賞する機会はあまりないのですが、好きなアーティストのライブや、彼らが出演する舞台作品はよく観に行きます。そういえば、最近、母と宝塚歌劇を観に行って驚きました。今、グッズの数が凄いですよね。
八千代:街全体がタカラヅカ色なのもおもしろかったです。知り合いのお嬢さんが出演している関係で、久しぶりに大劇場へうかがったのですが、ずいぶん街の雰囲気も変わったなあ、と思いました。この子が小さい頃は伝統芸能以外にもいろいろ連れて行ったんですよ。
安寿子:はい、古典から現代劇までたくさん見せてもらいました。
八千代 :『ライオンキング』とか宝塚歌劇、スーパー歌舞伎などにも。なかなかを取るのが大変でしたけど、これなら集中して大人しく観てくれるだろうと(笑)。とにかく小さい頃は元気で、移動中に新幹線の車両を三往復するような人でしたから。
ーー貴重で楽しいお話、ありがとうございました。最後にお一言ずつお願いいたします。
安寿子:本当になにも気負わず、京舞の世界をご覧いただければ嬉しいです。今回、能・狂言の演目もございますので、舞台上には老若男女さまざまな世代の方がお出になります。能の世界でいうところの、それぞれの花を体感していただければ幸いです。
八千代:今回の会場にはすっぽんも花道もありませんので、これから工夫をしてまいります。ご覧いただく皆さまには、そこに人々が生きている、命の手触りのようなもの、人は生き、死に、また続いていく日本的な明るい無常観とでも申すのでしょうか、そんな世界にしばし身を置いていただきたく思います。
取材・文=上村由紀子(演劇ライター) 撮影 =小川知子
公演情報
井上八千代(人間国宝)、井上安寿子、野村万作(人間国宝)、片山九郎右衛門、祇園甲部歌舞会ほか
上方唄 東山名所(ひがしやまめいしょ) 祇園甲部歌舞会
萬歳(まんざい) 井上安寿子
海女(あま) 井上安寿子
関寺小町(せきでらこまち) 井上八千代(人間国宝)
鷺娘(さぎむすめ) 井上安寿子
弓流
素働
七福神
花づくし