帝国劇場の“生き字引” 森公美子が語る“あの頃”の帝劇~作家・小川洋子特別対談/特集「帝国劇場」
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森公美子、小川洋子
建替えのため2025年2月をもって一時休館となっている帝国劇場。その帝国劇場を題材にした、作家・小川洋子による小説『劇場という名の星座』が、2026年3月5日(木)に発売になる。客席の案内係、売店スタッフ、幕内係、そして、出演者の楽屋と舞台をつなぐ、現・帝国劇場ならではの楽屋エレベーター係等、様々なセクションを丁寧に取材し執筆した本作は、裏方、観客、俳優を含め様々な角度から“帝国劇場”に関わる人たちの人生を描く短編小説。大の演劇ファンである小川さんの帝劇愛に溢れた、帝劇ファン必読の本になっている。
SPICEでは、小説刊行を記念し、改めて「帝国劇場」とはどのような劇場であったのか、小説を糸口に辿っていく連載を開始。帝国劇場に携わってきた人々から、心に残るエピソードや劇場への想いを語ってもらっている。今回は、小川洋子さんと俳優・森公美子さんの対談をお送りする。
森繁久彌さんの思い出
森:先生の『劇場という名の星座』、拝読いたしました。ナターシャが出てきたところで、嬉しくて嬉しくて(ナターシャさん=『内緒の少年』にも登場する、かつて帝国劇場の楽屋食堂で働いていた女性)。
小川:ありがとうございます。今はもう、ナターシャさんのことをご存知の方があまりいらっしゃらないと伺っております。森さんは、ナターシャさんのお作りになったものをお食べになりました?
森:食べたどころじゃありません、私は野菜の千切りもしました(笑)。
小川:えっ、そんなお手伝いまで。
森:『屋根の上のヴァイオリン弾き』に出ていた頃(1984年から出演)、楽屋にちょっと早く入ってはナターシャに「今日は何作るの?」と聞いてね。「メンチカツ!」と言われたら「はいはい」とキャベツを切っていました。料理人の方の道具を使うのは失礼ですから、マイ包丁を持参して。
小川:旅館の娘さんでいらっしゃるから、そういうところはやっぱり気を遣われるのですね。
森:そうなんです(笑)。ほかにも「この食材、どうするの?」と、稽古の合間にお手伝いしたり。あの頃は、ナターシャの洗い物を手伝って、その代わりに定食をタダで食べさせてもらっているアンサンブルさんもいましたね。
――帝劇に楽屋食堂なんてものがあったんですね。いつ頃まであったのですか?
森:1988、89年くらいかな。1990年にはなくなっていたと思います。地下1階、幕内事務所の奥にあったんですよ。ナターシャの思い出はいっぱいあります。公演の打ち上げをやるじゃないですか。その時は「誰!?」というくらいおしゃれしてきて、ちょっと場をざわつかせるんです(笑)。めちゃくちゃおしゃれな方だったし、そういうTPOはきちんとしていらっしゃいました。
小川:そのエピソード、小説に入れたかったです(笑)。ナターシャという愛称を付けたのは、森繁久彌先生だったとお聞きしました。森繁さんはどんな座長さんだったのですか?
森:みんなが森繁先生を中心に盛り上げようと一丸となっているようなチームでしたね。中日(なかび)の打ち上げでは座員は必ず余興をしなければいけないのですが、先生の稽古場代役をやられていた方が先生のモノマネをしたり。私も「公美子、何かやれよ!」と言われて、上野動物園のゴリラのクソ投げのモノマネをしましたら、先生がウケにウケていたのを覚えています。
小川:先生を喜ばせようと、皆さん奮闘されていたんですね。
森:そうです、それと「もうあと半分、頑張りましょう」の気持ちですよね。私はその『屋根の上のヴァイオリン弾き』が帝劇初出演だったのですが、二期会から来ているということで森繁先生に「お前、ペラオなんだろ」と言われまして。
小川:ペラオ……オペラの反対ですか。
森:そうです、オペラの業界用語(笑)。「はい、ペラオもやります!」と答えたら「お前これから売れるぞ、絶対売れるから俺が芸名考えてやる」と、わざわざ色紙に考えた私の芸名を書いてくださったんです。それで、私に見せる前に先生がフッと笑ったんですよ。何だろうと思ったら、そこには「雷電為子」と書いてあって!
小川:(笑)。
森:森繁先生に向かって「クソじじい!」と言った人間は、私が初めてじゃないでしょうか(笑)。
小川:でも、森さんが森繁先生に愛されていた様子が、目に浮かびます。
――『サークルうてな』(『劇場という名の星座』収録)では、俳優さんの付き人をされている人が登場しますが、小川さんがその執筆に際してご取材されたのが、森繁さんの付き人だった守田伸子さんだとお伺いしました。
小川:守田伸子さん、あの方も本当に森繁先生に人生を捧げていたような方ですね。
森:伸子さんほど先生にご自分を捧げた人はいないと思います。先生が出演されていた『佐渡島他吉の生涯』(人力俥夫が主人公)の劇中シーンを真似て、座っている先生の足を持ち上げて「どこ行きますか旦那さん!」とやっていたら伸子さんに「いい加減にしなさい、座長ですよ!」と怒られたことも(笑)。その時は、森繁先生のディナーショーのお稽古中だったかな。私、コーラスに入っていたんです。
小川:ディナーショーのコーラスもなさっていたんですか。それだけ頼りにされてたのですね。
森:先生が「ペラオの公美子がいいんじゃないか」と選んでくださった。……そういえば、先ほど『屋根の上のヴァイオリン弾き』の公式サイトを見ていましたら、900回記念公演の写真が載っていまして、よく見たら舞台ギリギリで花束を受け取っていらっしゃる先生が落ちないように腰を押さえているの、これ私ですよ。
『屋根の上のヴァイオリン弾き』900回達成千秋楽カーテンコール(写真提供:東宝演劇部)
小川:重要な役目をされていらっしゃる! ご記憶には?
森:ないんです。きっと「お前行け」と言われてハイとやっていたのでしょうね。森繁先生のテヴィエは918回が最後でしたので、かなりラストに近い公演ですね。
小川:回数まで覚えていらっしゃるんですね。
森:大入り袋に918円が入っていたんですよ。千円入れてくれればよかったのにと思ったので、覚えているんです(笑)。
小川:伸子さんは相当走り回っていたそうで、100人分のおでんを作ったというお話も聞きました。
森:電子レンジがそこまで流通していませんでしたから、座長のご飯は楽屋で作っておられましたね。私もよくお手伝いをしていました。私は帝劇が好きすぎて、3時間くらい前に劇場に入って、伸子さんの代わりに卵焼きを作っておいたりもしていましたね。
――帝劇が好きすぎて、とおっしゃいましたが、なぜそこまで帝劇がお好きなんでしょうか。
森:観客としてはとにかく異空間。一方で、その頃の帝劇公演は2・3ヵ月やっていたので、出演すると自然と“我が家”という感覚になります。みんなが家族みたいになって、本当に楽しかった。あの劇場に携わっていた方は、みんなが「いいものを作ろう」と一つの方向に向かっていました。
小川:皆さんが一丸となって。
森:仲が良すぎると緩みが出てしまうものですが、そこは座長がびしっと締めていましたね。一度座長のそばに照明が落ちたことがあるんです。その時はさすがに「こっちは死ぬ思いで舞台に立っているんだ」とスタッフに活を入れていました。森繁先生は、見ていないようでいて、そういう裏のアクシデントや役者同士のいざこざもご存知でしたね……。まぁ、ほとんどは伸子さんが伝えていたのでしょうけど(笑)。
ミュージカル俳優の仕事を父親に認めてもらった『ラ・カージュ・オ・フォール』
小川:『屋根の上のヴァイオリン弾き』のアンサンブルで初めて帝劇に出演された森さんが、次にこの劇場に立ったのが1985年の『ラ・カージュ・オ・フォール 籠の中の道化たち』。2作目でもうダンドン夫人という名前のある役を務められていらっしゃいます。
森:大抜擢だったんです。そもそも東宝の仕事が始まったきっかけは、『屋根の上のヴァイオリン弾き』のヴァイオリン弾き役であり、振付にも関わっていらした坂上道之助先生が、二期会の講師にいらっしゃって、私がやたらと踊れることを気に入ってくださった。「太っているのにこんなに踊れるヤツ、初めて見た」なんて言われました(笑)。なんで踊れるのかと聞かれ「ディスコに通ってます」と答えたら、納得しながら「ちょっと悪いけど、ここに行ってくれ」と言われたのが、『ナイン』のオーディションでした(編註:『ナイン』は1983年日生劇場にて上演)。
『ナイン』も『ラ・カージュ~』も、オーディション場所は今のシャンテの場所にあった東宝の別館。あそこは稽古場が3つほどあったんですよ。本当に古いビルで、エレベーターはなんと手動。人がガチャガチャと回すと、ぐわん!と動くんです。揺れる上に、係の人に「(あなた)重いね……」とか言われて、もう落ちるんじゃないかと怖くて(笑)。初めに乗ったきり、あとは階段を使っていました。『ラ・カージュ~』のオーディションでは、そんな思いをして着いた稽古場でプロデューサーの佐藤勉さんにいきなり「君、バク転できる?」と言われ、「……手をつくのならできます!」と。ブリッジから足を蹴り上げて起き上がるのならできたんですよ。
小川:すごい。柔軟性がおありなんですね。
森:ディスコで踊ってたおかげですね(笑)。ディスコで、JACの方がバク転していたのがカッコよくて、市民体育館で一生懸命練習したんですよ。それでちょっと支えてもらいながらもクルリと回ったら「はい、合格」と。ほかにも、役をいただいた理由としては「君が脱ぐと面白いからだよ」とも言われました(笑)。あの役は、最後にダルマ(レオタード姿)になりますから。
小川:ラストの、全てが弾けるようなあのシーンは最高です。
森:最初は自分でも「こんな恰好イヤだな、親に見せられないな」と思っていたんですよ。でも初日にあのシーンで客席から「おおおお~」という声が上がったんです。あの帝劇の客席がどよめいた瞬間は、忘れられません。
『ラ・カージュ・オ・フォール 籠の中の道化たち』(写真提供:東宝演劇部)
小川:それまで芸能のお仕事に難色を示していたお父様が『ラ・カージュ~』をご覧になって「君はすごくいいものを持っているんだね」とおっしゃったとお伺いしました。そんな素敵な言葉をお父様からかけてもらえるなんて、幸せなことですね。
森:そうなんです。父は、オペラは芸術で、ミュージカルは芸能だという認識だったようなんです。それで初めてミュージカルを見たら「ミュージカル、面白いな!」となった。ミュージカルの仕事をする私を苦々しく思い、仕送りも止められていたのに、180度変わって「ニューヨークに行こう! 本場を観ないと!」と言い出して。
小川:さすがケニアまで象を見に行かれたご家族。行動力がある!
森:ブロードウェイも一緒に行きました。英語があまりわからなかったので、観客が大笑いしていると「あとで意味を教えてくれ」とこそっと言ってきたりね。そんなこともありました。