市村正親「僕は間違いなく、帝劇の“幸運の椅子”に座った」~作家・小川洋子特別対談/特集「帝国劇場」
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市村正親、小川洋子
建替えのため2025年2月をもって一時休館となっている帝国劇場。その帝国劇場を題材にした、作家・小川洋子さんによる小説『劇場という名の星座』が、2026年3月5日(木)に発売になる。客席の案内係、売店スタッフ、幕内係、そして、出演者の楽屋と舞台をつなぐ、現・帝国劇場ならではの楽屋エレベーター係等、様々なセクションを丁寧に取材し執筆した本作は、裏方、観客、俳優を含め様々な角度から“帝国劇場”に関わる人たちの人生を描く短編小説。大の演劇ファンである小川さんの帝劇愛に溢れた、帝劇ファン必読の本になっている。
SPICEでは、小説刊行を記念し、改めて「帝国劇場」とはどのような劇場であったのか、小説を糸口に辿っていく連載を掲載中だが、今回は小川洋子さんが小説執筆に際しても取材をしたという俳優・市村正親さんが登場。市村さんの代表作の数々に関するエピソードから、市村正親流の俳優論まで、多岐にわたり盛り上がったふたりの対談をどうぞ。
僕は間違いなく、帝劇の“幸運の椅子”に座った
――『劇場という名の星座』を執筆するにあたり、小川さんは市村さんにも取材されたとか。
小川:そうなんです。2024年の5月、帝国劇場のクロージングラインナップの『モーツァルト!』(24年8・9月)の少し前の時期でしたね。
市村:僕は昔から小川さんの小説を読んでいたんですよ。最初に読んだのは『博士の愛した数式』。頭が良い方なのだろうなと想像していたのですが、実際にお会いしたらやっぱりその通りでしたね。お話していても、色々なことに話題が膨らんでいって。『劇場という名の星座』もそう。『すばる』での連載を1話1話読むたびに、様々なエピソードが色々な角度から出てくるさまと、ボキャブラリーの豊富さに、すごい量の蓄積を感じました。
小川:それはもう、市村さん含め、すべて帝国劇場からもらった言葉ですよ。たくさんの方にお話をお伺いして、ものすごく刺激を受けました。市村さんが「『モーツァルト!』の出番がない時に舞台袖で本を読んでいる」とおっしゃったお話とか。
――ああ! 「内緒の少年」に登場する……。
市村:先生の小説では、本でなくて詩になっているんですね。これは上手いなと思いました。
小川:市村さんだとバレてはいけないかなと思いまして、少しアレンジを……でも、ファンの方が読めばわかるように書いてはいるんですよ(笑)。
市村:怪人をやって、世界一有名な犬になって……とありましたからね(笑)。それにしても詩はいいですね。確かに詩だと続きが気にならないし、同じ詩を何度も読むのもいい。
小川:市村さんからお話を伺った時、イメージがパーッと鮮やかに浮かんできたんです。舞台では『モーツァルト!』の世界が広がっている。そして舞台袖では、そこに出ている役者が静かに本を広げて読んでいる。その俳優はしおりを挟み、また舞台へ戻っていく……。
市村:小川さんの感性が素晴らしいんですよ。
小川:私としては、劇場は色々なプロフェッショナルが集まっているので、どの角度から見ても全部小説になり、私に実りをもたらしてくれた感覚でした。
市村:この話はいきなり葬列から始まるのもいい。この少年は……。
小川:菊田一夫先生なんです。評伝を読むと、とってもかわいそうな子ども時代を過ごされていた。菊田先生は「自分は芸術なんていう高尚なものを作っているんじゃない、社会の片隅で背中を丸めてる、かわいそうな子どもの背中を優しく撫でてやるようなお芝居を作りたい」という言葉を残されているのですが、それは菊田一夫自身がそうされたいんじゃないのかな、と思ったんです。
市村:それがあの少年なんですね。その彼がステンドグラスの裏に住んでいるというのもいい! あれはどこにあるんだろうね……。
小川:入られたことは、おありですか?
市村:本当にあるの!?
小川:あるんです。2階の下手側のロビーに小さなドアがあって。でも、細長いものをしまっておく倉庫のようになっていました。
市村:本当にあったんだ……。僕が小説を読んだのは帝劇に入れなくなってからなんですよ。もう確かめようがないや。ちょっと悔しいね。帝劇が建替えになる、二代目帝劇がなくなってしまうと聞いて、最後の『モーツァルト!』の頃からやたらと色々なところを見たり、触ったりしていたんです。普段は見ないようなところも目を凝らして見るようになったら、舞台上手の着替え室の上の方に橋があって。気付かなかったけど、あそこは帝劇の怪人が歩く橋なんだろうなって思った。そうやって色々見ていたけど、ステンドグラスの裏は知らなかったなあ。
帝国劇場アニバーサリーブック NEW HISTORY COMINGより
小川:役者さんは、客席の方にはあまりお行きにならないでしょうし。
市村:そうなの。あと、先生のご本で言うと、“ちゃばこ”も嬉しかったなあ……! 僕の三女なんだよ。(「ホタルさんへの手紙」に登場する女性。『屋根の上のヴァイオリン弾き』の登場人物・チャヴァと重ねられている)
小川:あれは、帝国劇場の案内係さんって本当に世界一だな、プロのお仕事だと思ったところから発想しました。
市村:ロビーの“幸運の椅子”も本当にあるんですか?(「こちらへ、お座り下さい」に登場するエピソード)
――それはもともとあった映画を上手くアレンジし、小川さんのアイディアでできたものだそうです。
小川:実際にあるのかはわかりませんが、市村さんからいただいたお手紙に「僕は間違いなく、帝劇の“幸運の椅子”に座った人間です」とあって、本当に嬉しかったです。でもファンとしても「間違いなくそうですよ!」と申し上げたい。
市村:本当にそう思う。そうじゃなきゃ、ここまで来れていないと思うもん。
退路を断ってオーディションに挑んだ『ミス・サイゴン』
『ミス・サイゴン』初演(1992)(写真提供:東宝演劇部)
――市村さんが最初に帝国劇場に立ったのは『ミス・サイゴン』の日本初演の時。1992年です。
小川:それまで所属していた劇団四季を辞め、退路を断ってエンジニアのオーディションを受けられた。オーディションでは、会場に入った瞬間に「エンジニアが来た」と思われたそうですね。市村さんの「何としてもこの役を掴む」という気持ちがそのまんまエンジニアに重なったのでしょうね。
市村:その直前まで『オペラ座の怪人』をずっとひとりでやっていたので、実力は足りていると自分では思っていて。あとはハートだと思いオーディションに行きました。その気持ちが、身体から出ていたのでしょうね。『ミス・サイゴン』のエピソードはたくさんありますよ。初演の時、ちょうど1年たった頃かな。少し風邪をひいていたことも影響したのか、お腹が痛くなって入院したことがあるんです。2回公演をなんとか務め、公演が終わって、即入院。急性胃腸炎でした。その日は病室が空いていなくて、救急病棟みたいなところで過ごしたのですが、夜中、色々な人が運ばれてきて「すごいところに来ちゃったな……」と思いました。「俺は酔っぱらっていない!」と叫んでいる酔っ払いとかね(笑)。あれもいい思い出です。
小川:それもまた舞台みたい(笑)。次の日は公演はあったのですか?
市村:ありましたが、ダブルキャストの笹野高史さんがやってくれました。1週間、笹野さんがひとりで演じてくれた。それまで僕が週8回、笹野さんが週2回だったのですが、笹野さんが週10回全部やって「毎日やると楽しいな!」と言ってた。まあ僕は、開幕から4ヵ月ひとりで演じたんだけどね(笑)。でも病気して初めてわかりました、穴をあけるというのはどれだけ大変か。去年『屋根の上のヴァイオリン弾き』の時も、休みの日にマッサージに行くところで転んでしまって。倒れる先に物があったものだから、それをよけたら顔から着地してしまった。けっこう腫れて、ファントムみたいな顔でテヴィエをやっていました。ダブルキャストがいたら休ませてもらうんだけど……やっぱり役者の気持ちとしてはシングルでやりたいんだよね。
小川:そういうお気持ちもあるんですか。
市村:はい。それはそうです。そこまで役に固執するのが役者だと思う。役者というより“欲者”ですね。
小川:役者さんの本能ですね。
市村:みんなニコニコと仲良くやっていますが、心の中で「クソ、俺の方が」という気持ちは誰しも持っていると思います。一方で誰かダブルがいた方が絶対いいと考えるのも当然だと思っています。
『モーツァルト!』の父の愛、『ラ・カージュ~』の母の愛
『モーツァルト!』(写真提供:東宝演劇部)
小川:シルヴェスター・リーヴァイさんとお話をしました時に『モーツァルト!』の話題になって、僕は市村さんのパパ(レオポルト)が世界一だと思う、とおっしゃっていました。モーツァルトのお父さんは、息子の才能に嫉妬している役である、でも市村さんはその嫉妬心を上手く隠し、愛情を表現していると。客席から拝見していても、息子の才能を自分のものにしたい、でも確かに息子のことを愛している……むしろ愛情の方が大きく伝わってきます。とても切ないです。
市村:2幕でヴォルフガングがお父さんのことを歌うじゃないですか(『何故愛せないの?』)。あれを響かせるためには、ただただ怒っている親父じゃダメなんです。あそこで子どもが、父親の気持ちに気付く。僕も、自分が父親になって親父の気持ちが改めてわかりましたし、自分の子どもも彼らが親になった時に僕を理解するのでしょう。そういうサイクルが、人間にはありますから。
小川:市村さんの『婦人公論』でのエッセイ(「市村正親のライフ・イズ・ビューティフル!」)を毎号楽しみにしているのですが、まだ10代の“マー君”が役者を目指しおうちを出る時にお母さまがどんな気持ちだったか、ということに思いを馳せているエピソードを拝読し、胸が痛くなりました。あれもまさに、親の気持ちがあとになってわかるというものですね。
市村:母は「まさが出ていっちゃった……」と大泣きに泣いたそうです。これはずいぶんあとになってから……僕がもう四季に入ったあとかな、親父から聞きました。こっちはまったくそんなこと知らなかった。前しか見ていませんからね。今思うと「我慢していてくれたんだな」と思う。だからいつも仏様に「あの時は本当に悪かった」と手を合わせています。
小川:でも帝劇に立たれた市村さんのお姿も、ご覧になっているのでしょう?
市村:見ています。おふくろは『ミス・サイゴン』も20回は観ていると思う(笑)。
小川:それはそうでしょう、私も母親だったら毎日行っていると思います(笑)。では、それが何よりの親孝行だったと思いますよ。でもいよいよ、市村さんのいない『ミス・サイゴン』が始まりますね。
市村:僕もチラシを見て「いねぇじゃないか」って思った(笑)。僕の夢はね、新しい帝劇ができたらきっと『ミス・サイゴン』もやると思うんです。そこで特別公演とかで出させてもらえないかなっていうこと。生きてたら82・3・4歳かね。エンジニアは若けりゃいいものでもない、ちょっと新しいエンジニアが生まれると思うよ。『アメリカン・ドリーム』なんて泣けてくるんじゃないかな。去年、帝劇のラストコンサート『THE BEST』で『アメリカン・ドリーム』を歌ったんです。2回やったのですが、1回目はハンドマイクだったけど、2回目はワイヤレスにしてもらった。そうしたら振りも全部できてね。それを観た東宝の社長が「まだやれますね」と言ってくれました(笑)。それを目標に長生きしようと思って。
小川:エンジニアというのは、目標にできる役ですものね。初演から何年たちましたか?
市村:初演が1992年だから、今年で34年。僕は30年演じました。
小川:年数は松本白鸚さんの『ラ・マンチャの男』、森光子さんの『放浪記』に続く長さでしょうか。
市村:年数ではそうかもしれない。回数で行ったら(堂本)光一の『SHOCK』とかがあるけれど。『ラ・カージュ・オ・フォール 籠の中の道化たち』もけっこう長くやっているんですよ。『ミス・サイゴン』初演の翌年(1993年)から出演していますから、これも30年以上やっています。最後と謳っては、リターン公演だなんだと言って(笑)。
『ラ・カージュ・オ・フォール 籠の中の道化たち』(写真提供:東宝演劇部)
小川:『ラ・カージュ~』も非常に社会的な問題を先取りしたテーマですね。ミュージカルって、本当懐が深い。80年代(市村の前に近藤正臣・岡田真澄コンビで1985から上演されている)に「ゲイのカップルが子どもを育てる」というテーマの物語をやるなんて。しかも市村さんの演じるザザは、血の繋がっていない息子をあんなに可愛がって……。レオポルトの、ヴォルフガングに対する愛ともまた違いますね。
市村:『モーツァルト!』は父の愛、『ラ・カージュ~』は母の愛。だから山崎育三郎は「僕は市村さんに父親と母親の両方をやってもらった」と言っている(笑)。……『ラ・カージュ~』の稽古をしている時に、母が脳梗塞で倒れたんです。病院に駆けつけたら、上手く口のまわらない声で母が「お前、忙しいのに、身体は大丈夫か」と言った。自分のことより僕の身体を心配するんです。その時に「ザザって、これだ」と思いました。子どものことだけ考えれば、ザザになれる、と。
小川:私も母親ですから、それはわかります。毎日毎日舞台に立っている息子が、お見舞いに来てくれた。大変な手間を取らせてしまったというお気持ちだったと思います。あのミュージカルは笑えるし、泣けるし、色々な要素が入っている。こんなすごいミュージカルがこんな昔からあったんだ、ということに驚かされます。
市村:最初の頃はまだタブーの話だったんですよね。
小川:理解が進んでいるとはいえ、結局今でもまだ完全に解決したとは言えない、問題提起もしてくれます。『屋根の上のヴァイオリン弾き』もまた、民族が対立し、迫害され、差別される、というのは現代の問題でもある。何年たっても色あせない作品はそういった普遍的なテーマが含まれていますね。それを舞台の上で表現される……俳優さんというのは素敵なお仕事ですね。