《連載》もっと文楽!~文楽技芸員インタビュー~ Vol. 15 鶴澤友之助(文楽三味線弾き)

2026.4.13
インタビュー
舞台

鶴澤友之助(文楽三味線弾き)

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ヴァイオリニストのシーナきのはらを母に、作編曲家・ジャズピアニストの齋藤信介を父に持ち、エレキベース、フラメンコギター、コントラバスなどを弾いたのち、文楽の三味線にたどり着いた。近年は演奏に加え、作曲でも引っ張りだこの鶴澤友之助(45)。その音楽遍歴と文楽観の変化とは。

出会った楽器を片端から習う

友之助さんの紹介に必ずついて回るのが、音楽一家という家庭環境だろう。実際、それは友之助さんの人生において無視できないほど大きいものだ。物心ついた時から母のヴァイオリンや父のピアノの演奏を聴き、家には両親の音楽仲間が頻繁に出入りしていた。そんな友之助さんが最初に弾いた楽器は、クラシックギター。

「誰も弾かないクラシックギターやフォークギターが、何故か家にあったんです。それを手にとって遊んでいて、小6〜中1ぐらいの時に『習いたい』と。最寄り駅の近くにクラシックギターの教室があったんです。面白くて、ずっと通っていました。当時はGLAY、LUNA SEA、L'Arc〜en〜Cielなど、ビジュアル系バンドの全盛期。中2の頃、友達が組んだバンドにベースがいなくて、クラシックギターをやっているからということで誘われました。興味を持ち、親の知り合いのプロのベーシストに相談して楽器を選んでもらって始めたところ面白くなって、こちらもプロに習い始めました。中学卒業時には同級生みんなでお金を出し、難波のライブハウスを貸し切って卒業ライブをやって。母が聴きに来てくれ、その録音を聴いた父は『リズムがしっかりしている』と褒めていたらしいです」

なお、一人で弾くのではなく合奏をするという経験をしたのは、バンドが初めて。それがベースだったことは、友之助さんのその後を象徴するかのようだ。

「ドラムとベースは、たまに目立つ瞬間もあるけれど、基本的には土台として支え、リズムキープをする役割。こっちが安定した演奏をするほどフロント(ボーカル、ギター)が遊べるし、こっちが崩れたらフロントも崩れる。僕自身、そんなに前に出る性格でもなかったので、性に合っているなと思って」

高校に入ってからは、ライブ活動を続けつつ、母が演奏仕事を請け負っていた音楽団体でアルバイトもした。

「小中高の音楽鑑賞会で世界中の音楽を紹介する『世界の音楽』というプログラムを手伝いました。ギターとベースの両方が弾けるから、演奏要員も兼ねて。朝一で音響さんのトラックに乗って小学校や中学校や高校に行ってマイクやスピーカーや照明などをセッティングし、そうこうするうちにプロの演奏家が来てマイクチェックをしている間に、僕は自分の楽器を出し、マイクチェックをして、本番ではプロの演奏家と一緒に楽器紹介や演奏を披露するんです。母がヴァイオリンで参加することもあれば、和太鼓や、(南米アンデスの民族楽器である)チャランゴやサンポーニャなど珍しい楽器の人が来ることもありましたね。公演が終わってプロの人が帰ったら、僕は音響さんと二人で片付けて、スーパー銭湯に寄って帰る。大変でしたけど、すごく愉しかった。たまにフラメンコダンサーの人が来ると、その場で教わって見様見真似でギターを弾いていたのですが、ちゃんとやりたくなり、やがてフラメンコギターも習い始めました。フラメンコギターと普通のギターでは、弦の種類や駒の高さが違うんです。クラシックギターよりフラメンコギターのほうが弦高が低いから速く弾きやすい代わりに1音は弱くなる。文楽の三味線と津軽三味線の関係に似ています」

96年3月、中学校の卒業ライブにてエレキベースを演奏。 提供:鶴澤友之助


≫コントラバスか、三味線か