銀塩写真は「絶滅した」のか? 現代美術作家・杉本博司の代表作から初公開の新作まで『杉本博司 絶滅写真』レポート
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『杉本博司 絶滅写真』
日本のアートシーンを多分野にわたって牽引する現代美術作家・杉本博司(1948-)の展覧会『杉本博司 絶滅写真』が、2026年9月13日(日)まで東京国立近代美術館にて開催されている。杉本博司の写真作品で構成する美術館での個展は、国内では2005年の森美術館以来21年ぶりの開催となっており、会場には作家の創造活動の原点と言える銀塩写真約60点が集結。中には初公開の新作も含まれる。さらに、その制作の秘密を記した未公開資料「スギモトノート」がサテライト展示されるのも見どころだ。
会場エントランス
それにしても“絶滅写真”とは衝撃的で、ちょっと自虐的にも感じるタイトルだ(今年1月の江之浦測候所の新年挨拶では、杉本自身が本展のことを「写真のお葬式」とまで表現している)。確かに写真のデジタル化が進み、古くからのアナログ手法で生み出された写真は少なくなった。そして何より、いかようにも容易に改変可能なデジタル写真は、写真という表現から“証拠能力”を消し去った。加工が当たり前となった現在、「写真に写っているものは疑いようのない真実だ」という共通認識は、もはや幻想となってしまったのである。
杉本は自身のことを「生き残った最後の銀塩写真家」と語る。いま改めて彼の銀塩写真の作品群に触れることで、私たちはどんなことに気づき、受け止めることができるだろうか?
コンセプトに耳を澄まして
まず感想をお伝えしてしまうと、これは思索を促す非常に面白い展覧会である。誰かを誘っても誘われても、きっといい1日を過ごせるだろう。丁寧にナビゲートしてやれば、小学生くらいの子供でも有意義に鑑賞を楽しめるはずだ。展示数自体はそこまで多くないので、ぐるりと鑑賞して1時間ほど。内覧会に参加した筆者は全体を2周して気づけば140分も滞在してしまったが、想像力を刺激された興奮のためか、帰路の足取りは軽かった。触れたあとで世界の見え方が多少なりとも変化するのがアートなのだとしたら、『杉本博司 絶滅写真』はこの上なくアートしている展覧会である。
《ボーデン湖、ウットヴィル》1993年 (C) Hiroshi Sugimoto/Courtesy of Gallery Koyanagi
また大前提として、これは写真展というより「写真という表現手法を取った概念芸術」の展覧会だ。全てが禅問答のような問題提起を含んでいるため、ただ眺めて終わりではなく、見る側の解釈しようとする姿勢が重要である。作品の前で少しずつ立ち止まりつつ、深く潜れそうなポイントを見つけて、自分なりに思考を押し進めていくのがいいと思う。
併せて、音声ガイド(レンタル版:税込700円、配信版:税込800円)の利用を力強くオススメしたい。会場のパネル以上の詳しい解説もさることながら、この『杉本博司 絶滅写真』で作家が何を伝えようとしているのかを明確に知るには、音声ガイドのラストに収録されている作家本人のコメントを聴くのが一番分かりやすいからだ。
前置きが長くなってしまったのは本展の魅力ゆえ、と思っていただければ幸いだ。それでは以下、展示の様子や鑑賞の取っ掛かりになりそうな作品をピックアップして紹介しよう。
第1章「時間・光・記憶」
展示はゆるやかな時系列に沿った全3章で構成されている。第1章では、杉本の評価を確立することとなった初期三部作〈ジオラマ〉〈劇場〉〈海景〉を見ることができる。
第1章〈ジオラマ〉シリーズ 展示風景 (C) Hiroshi Sugimoto/Courtesy of Gallery Koyanagi
アメリカ自然史博物館のジオラマ展示を撮影した〈ジオラマ〉シリーズ。モノクロ写真に収めてしまうと、剥製も書き割り背景も、なぜか妙に真実らしく見える……という作品群だ。まるで太古にタイムスリップして撮影してきたかのようにリアルに見えるのは、色彩・遠近感という虚実を見抜くための判断材料が限られているから。そして何より、鑑賞者たちに「写真=本物、真実」という揺るぎない認識があったからこそ、杉本はそれを鮮やかに裏切ってみせたのだ。
杉本のデビュー作を含むこのシリーズはまさに、彼の言う“失われた写真の証拠能力”を前提とした作品だった。展示冒頭から、すでに「絶滅写真」というテーマを強く意識させる構成である。
《ポコット族》2025年 (C) Hiroshi Sugimoto/Courtesy of Gallery Koyanagi
本展では、初公開となる同シリーズの新作も展示されている。長年にわたり許可の下りなかったジオラマの撮影が叶い、《ポコット族》などが新たにシリーズの仲間入りを果たしたのだという。
作品の横にぼうっと浮かび上がっている縦書きの文字は、杉本博司によるひとことコメントや、短歌・狂歌である。驚くべきことに、短歌・狂歌は全展示作品の横に書き添えられている(けっこう掛け言葉というかシャレが多い)。これは開催直前に追加されたアイデアとのことだが、鑑賞を深めるヒントになるのでぜひ注目したいポイントだ。
第1章〈劇場〉シリーズ 展示風景 (C) Hiroshi Sugimoto/Courtesy of Gallery Koyanagi
杉本作品の中でも高い人気を誇る〈劇場〉シリーズ。展示空間に入ると、劇場という場所そのものが持つハレの感覚に、わっと気分が上がる。これらはいずれも、映画館や劇場でスクリーンに映画を写し、上映開始とともにカメラのシャッターを開け、終了とともにシャッターを閉じることで撮影されている。つまり丸ごと映画1本を、一枚の写真に収めているのである。眩しく光るスクリーンは、どれもただひたすらに白い。人の心を動かすために作られた“物語”の内包する、高揚感と虚しさの両方が凝縮されているようである。
《パレス・シアター、ゲーリー》2015年 (C) Hiroshi Sugimoto/Courtesy of Gallery Koyanagi
〈劇場〉シリーズから派生した〈廃墟劇場〉の作品もあり、崩れ落ちたプロセニアムアーチと、輝くスクリーンとのコントラストに激しく胸を打たれた。時代の流れとともに多くの映画館が閉館し、杉本がカメラに収めた華やかな劇場建築は過去の遺物となりつつあるという(これもまた絶滅である)。ちなみにこの作品に写っているのはディズニー映画「白雪姫」だそうだ。お伽話と浮世のギャップがまた哀しい。
〈海景〉シリーズは、ぜひ美術館で体感すべき圧巻の展示だ。ゆるやかなカーブを描く大壁面にシリーズが均等に配置され、まるで海に突き出したテラスで水平線を眺めているような感覚になる。ひと繋がりの海のように見えて、作品はどれも異なる国・異なるタイミングで撮影されたものだ。でも実際海は繋がっているわけだから、やはり結局はひと繋がりなのである。
第1章〈海景〉シリーズ 展示風景 (C) Hiroshi Sugimoto/Courtesy of Gallery Koyanagi
このシリーズは、「原始人の見ていた風景を、現代人も同じように見ることは可能か」という問いがコンセプトだという。画面には鳥も船もなく、写っているのは海と空だけだから、確かに原始人もこんな景色を見たかもしれない。超絶シンプルな風景を前にして、太古の昔と現在もまた、ひと繋がりになったような気がした。
第2章「観念の形」
第2章〈建築〉シリーズ 展示風景 (C) Hiroshi Sugimoto/Courtesy of Gallery Koyanagi
第2章では、人が創造・想像した様々な「かたち」が主役となる。〈建築〉シリーズは、有名な建築物を敢えてぼかして撮影したものだ(カメラの焦点距離は無限遠の2倍。要するに、はるか彼方に設定されているという)。杉本曰く、本当に優れた建築はこれほど大胆なピンボケでも“溶け残る”のだという。同時に、ぼんやりと残ったその姿は余計な装飾や制約上必要なパーツを取り去った本質部分であり、それこそが建築家がイメージした原初の理想形であると作家は考えた。時の洗礼ならぬ、焦点距離の洗礼である。何も知らずに眺めるとただのボケた建物の写真なのだが、コンセプトを知ると見え方がグッと深くなる作品群だ。
左:《スタイアライズド・スカルプチャー120[クリスチャン・ディオール、Bar、1947]》2025年、右:《観念の形0003 ディニ曲面:擬球をねじって得られる負の定曲率曲面》2004年 (C) Hiroshi Sugimoto,Object: (C) Christian Dior Couture collection,Paris
さらに第2章で面白いのは、数理模型(三次関数の数式を立体的に表したもの)をモチーフとした〈概念の形〉シリーズと、1920年代以降のファッションを彫刻として扱った〈スタイアライズド・スカルプチャー〉シリーズを意図的に織り交ぜて展示しているところだ。交互に目の前に現れるのは、モードなファッションを身に纏ったマネキンと、数理模型。かたや美しさを徹底追求したもので、かたや全く美的であろうとしていないものだというのに、ふたつはハッとするほど似て見えるのが不思議だ。
第3章「絶滅写真」
いよいよクライマックスとなる第3章は、展覧会タイトルである「絶滅写真」の名を冠している。ここでは比較的近年に制作された6つのシリーズが紹介されるが、それら全てに共通するのは、写真という存在そのものに立ち返るようなアプローチ。そして、絶滅の気配である。
第3章〈肖像〉シリーズ 展示風景 (C) Hiroshi Sugimoto/Courtesy of Gallery Koyanagi
例えば〈肖像〉のシリーズは、生きた人間ではなく蝋人形を撮影した肖像写真だ。〈ジオラマ〉シリーズと同様に、カメラのレンズを通すことで蝋人形は異様なリアルさを獲得している(エリア冒頭に展示された昭和天皇の作品を見たときは、てっきり“本物”の御真影なのかと思ってしまった)。蝋人形館の設立は写真の黎明期と重なるという。生身の人間から石膏型(ネガ)を取って像(ポジ)を得るという意味で、確かに蝋人形と写真は共通するところが大きいかもしれない。
《ヘンリー八世》1999年 (C) Hiroshi Sugimoto/Courtesy of Gallery Koyanagi
とりわけ興味深いのは《ヘンリー8世》のような遠い過去の人物を写した作品だ。本作は、16世紀にホルバインが描いた肖像画を元にして蝋人形が作られ、その蝋人形を杉本がルネッサンス絵画と同じようなこだわりのライティングで撮影したもの。実在→絵画→彫刻(蝋人形)→写真という伝言ゲームを経て、額の中のヘンリー8世はこの上なく生々しい……のだが、そもそも生前のヘンリー8世の姿を知る人なんて誰もいないというのに、本作を見て「まさに彼が生きているようだ」だと納得するなんて、何かが転倒していて何かがおかしい。元祖・ヘンリー8世を置いて、リアルさがひとり歩きを始めているではないか。生きているとは一体なんなのか、姿を写しとるということがなんなのか、この展示エリアは鑑賞者の深い思索を誘う。
第3章〈Opticks〉シリーズ 展示風景 (C) Hiroshi Sugimoto/Courtesy of Gallery Koyanagi
ほぼ最後に登場する近年の〈Opticks〉は、展覧会中唯一の色彩を持ったシリーズである。モノクロームに慣れた目がドキッとするような、鮮やかな色面が鑑賞者を待ち受ける。まるで抽象絵画のようだが、これらは光をプリズムで七色に分光し、それを白い漆喰の壁に映して撮影したもの。作家は虹の色と色の間にある色彩を捉え、大画面で提示しようとしているのだ。絵の具ではなく“光で絵画を描く”この試みは、まさに「photograph(「光」と「描く」を組み合わせた言葉)」の本来の意味に近づいていると言えるだろう。
《Opticks 087》2025年 (C) Hiroshi Sugimoto/Courtesy of Gallery Koyanagi
初公開の新作《Opticks 087》も展示されている。撮影にはポラロイドフィルムが用いられており、プリント前にデジタル処理で画面のノイズを除去するという、杉本作品の中でも異例の「デジタル加工」を敢えて採用している作品だ。代表作である〈海景〉シリーズと同じ、画面を二分する構図に、作家はどんな思いを託しているのだろう。これもひと繋がりの写真の歴史、ということなのだろうか。
「絶滅」するのは何か?
展覧会のラストには、掛け軸とガラスのオブジェがそっと展示されていた。掛け軸は杉本の所有する地獄草紙の断片(本展カタログの見返し部分にも使われている)、そして立体作品は光学ガラスで出来た五輪塔(宇宙の五大要素を象徴した、日本独自の供養塔)である。
杉本博司《光学硝子五輪塔》、《伝寂蓮法師 地獄草紙詞書断簡》平安時代 描き表装:杉本博司 (C) Hiroshi Sugimoto/Courtesy of Gallery Koyanagi
杉本博司からのメッセージは音声ガイドのエピローグで聞けるのでここでは触れないが、とにかく本展の全てを通じて「目の前の真実をちゃんと見ろ」「その眼のシャッターを切れ」と言われているような気がしてならなかった。ただ銀塩写真という表現手段の絶滅が良いとか悪いとかいう問題ではなく、作家はもっと焦点距離をはるか遠くにとった、人の生き方そのものに対する想いを伝えようとしている。そんな確信が心に残った。
「スギモトノート」をめくってみよう
「劇場・海景・スギモトノート」展示風景(所蔵作品展「MOMAT コレクション」10室)
美術館3階の所蔵品ギャラリーでは、本展との連動企画として所蔵の全杉本作品を鑑賞できるほか、貴重な未公開資料「スギモトノート」を見ることができる。実物展示に加えて、自由にめくって鑑賞できるレプリカノートも用意されているので要チェックだ。
「劇場・海景・スギモトノート」にて展示中の「スギモトノート」(所蔵作品展「MOMAT コレクション」10室)
ノートは1970年代半ばから記されはじめたもので、中には作品のアイデアや暗室作業についてのテクニックなど、あらゆる情報が記録されている。一枚の写真の中でどこをどう「覆い焼き」したのか……といった細やかな記述は、生涯をかけて銀塩写真を極めたアーティストの職人的一面を示すものである。これは写真愛好家必見かもしれない。
WE DON’T LOVE YOU ANYMORE?
ミュージアムショップ風景
ミュージアムショップに並ぶポストカードは、通常より大判で存在感たっぷり。家に飾って思索の手掛かりとしたい作品ばかりだ。ほか、「EXTINCTION(絶滅)」 「CAUSE YOU DON’T LOVE ME ANYMORE(だってもう愛してないんでしょ)」と皮肉なメッセージが前後にプリントされたオリジナルTシャツなども販売されていた。
《棘のある三葉虫》2008年 (C) Hiroshi Sugimoto/Courtesy of Gallery Koyanagi
本展で出会えたのは本当に興味深い作品ばかりだった。そして、銀塩写真だけが持つ白〜黒の極上リッチな階調は、どう頑張ってもこの記事の画像ではお伝えすることができないため、ぜひ会場で目に焼き付けてほしい。銀塩写真が絶滅危惧種だからというわけではなく、自分はこの素敵な表現をこれから出来るだけ愛していきたい、そう心から思わせてくれる展覧会だった。
『杉本博司 絶滅写真』は東京国立近代美術館にて2026年9月13日(日)まで開催中。
文・写真=小杉 美香
イベント情報
会期: 2026年6月16日(火)- 9月13日(日)
開館時間: 10:00-17:00(金曜・土曜は10:00-20:00)入館は閉館の30分前まで
休館日: 月曜日(ただし7月20日は開館)、7月21日
会場: 東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー
主催: 東京国立近代美術館、日本経済新聞社
特別協賛: DIOR
協賛: セイコーグループ、サンエムカラー
特別協力: 公益財団法人小田原文化財団、ギャラリー小柳
観覧料: 一般 2,300円(2,100円)、大学生 1,200円(1,000円)、高校生 700円(500円)
※いずれも消費税込
※( )内は20名以上の団体料金、ならびに前売券料金[前売券販売期間:4月21日(火)10:00- 6月15日(月)23:59]
※中学生以下、障害者手帳をご提示の方とその付添者(1名)は無料
※本展の観覧料で入館当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(4 - 2F)もご覧いただけます
問い合わせ: 050-5541-8600(ハローダイヤル)