貴城けい、田野聖子ら出演『マリア・シュトゥアルト』が開幕 ゲネプロレポート&舞台写真が到着
『マリア・シュトゥアルト』
2026年10月28日(水)IMAホール(光が丘)にて『マリア・シュトゥアルト』が開幕。初日を前に行われたゲネプロのオフィシャルレポート及び舞台写真が到着した。
『マリア・シュトゥアルト』初日直前・ゲネプロレポート——90分、目を離せない
初日を目前に控えたIMAホールで、『マリア・シュトゥアルト』のゲネプロが行われた。休憩なしの90分。通し終えた瞬間、客席に残っていたのは拍手より先に、息を整える気配だった。本番を前に、ここで見えてきたものを記しておきたい。
これまで数多く上演されてきた「メアリー・スチュアート」とは違う。女優二人が前半と後半で役を入れ替える——その新しさだけが、この公演の魅力ではない。
舞台に立つのは、役者としての出発点は近いのに、まったく異なるジャンルで生きてきた二人の女優。その交錯こそが核である。
貴城けい。気品と気高さ、そして孤高。その佇まいはそのままに、今回は心の奥底に封じられていた熱量が弾ける瞬間がある。私たちがまだ見たことのない貴城けいの新たな一面であり、観客は思わず感情を寄せ、魅了されていく。
田野聖子。確かな演技力で、エリザベスの孤独を、そしてマリアの崇高さとたおやかさを見事に演じ切る。言葉を一つずつ置いていく精度の高さに、客席が静まり返る場面が幾度もあった。
二人の女王が口にする「どちらでもよかったのかもしれない」「どちらでもよくないのだから」という言葉にも、ぜひ耳を澄ませてほしい。役を交換して演じるこの構造のなかで、その一言がどこへ落ちていくのか——それはご覧になってのお楽しみとしておく。
そして舟木健。まさに八面六臂の活躍である。恵まれた身体と自在の声色に「道化」というエッセンスが加わることで、この物語の操り手は実は演出助手の企みだったのではないか、と見間違うほどだ。
物語を司る<語り手>=演出家は、豊原功補と堀部圭亮のWキャスト。ゲネプロの語り手は豊原功補だった。
豊原の演出家は、穏やかな人である。落ち着いたベテランが、急遽のアクシデントで来られなくなった役者の代役プロンプターを務めるはずが……。作品が進むにつれ、その穏やかさは次第に情熱を帯びていく。作品を客観的に眺めているようでいて、実は登場人物たちの運命を握り、救いの場を用意し、「会えば分かり合える」と信じて疑わない。自信に満ちていたはずのその確信が、少しずつ崩れ始める。淡々と、ほとんどぶれずに進んでいたはずの彼に訪れる悲哀。それが静かに、しかし確実に客席へ届く。この<語り手>という存在そのものが、とても面白い。
一方、舞台稽古で見た堀部圭亮は、まったく違うアプローチをとっている。飄々として、一瞬お調子者にも見える。ベテランの風格を湛えながらも、自らが翻弄され、どんどんこの世界に拘束されていってしまう男。稽古が進むほどに二人の違いは色濃く立ち上がり、同じ台本から、まったく別の印象の舞台が生まれつつある。その色合いの違いを見比べることも、この公演の大きな愉しみになるだろう。
舞台上に居続けるもう一人の存在が、楽士アラン・パットン。その生演奏が、この作品の悲喜交々を彩り、ときに押し出し、ときに引き留めながら物語を展開させていく。
そして終盤。私たちは一体何を目撃していたのか——それを思い知らされる瞬間の仕掛けについては、ここでは書かない。ただ、上演台本・演出を手がける中原和樹がつくりだす【アクチュアル】な場が、その一点で鮮明に浮かび上がる、とだけ記しておく。
初日の幕は、もうすぐ上がる。
撮影:角田勇太
公演情報
上演台本・演出:中原和樹
音楽・演奏:アラン・パットン
貴城けい 田野聖子 舟木健 豊原功補/堀部圭亮(Wキャスト)
第一期:2026年10月28日(水)〜30日(金)
第二期:2026年11月10日(火)〜13日(金)
会場:IMAホール(光が丘)
全席指定:12,800円(税込)
※未就学児童 入場不可
※車椅子でご来場の場合は、
公式X:@mari_eliza_st
問い合わせ:info@m-s-stage.com
主催:『マリア・シュトゥアルト』製作委員会
舞台に現れるのは、二人の女優、語り手、そして道化。
開演前、語り手は観客に語りかける。
自分はこの物語の「操り手」であり「演出家」であると。
けれど、女王たちを操るのは自分ひとりではない ── 世間であり、社会であり、
「皆さんも、入っています」。
女王エリザベス1世の命により、19年もの間幽閉されている。
エリザベス暗殺計画への関与を問われ、死刑判決を受けたマリア。
その命は、エリザベスの署名ひとつに委ねられていた。
正統な血筋と美貌を持ちながら全てを失ったマリアと、
玉座に在りながら、その正統性への不安に苛まれ続けるエリザベス。互いの存在そのものが、互いを脅かす。
誇りを懸けてぶつかり合う二人の女王 ── その瞬間を境に、二人の女優は役を入れ替える。
囚われていた者が裁く側に、裁いていた者が囚われる側に。
玉座に残されたエリザベスは、勝者でありながら、たったひとり取り残される。地上の勝者と、精神の勝者。
王冠はひとつ。
けれど、本当に戴冠していたのは、どちらの女王だったのか ── 。