アンドレアス・シャーガー(テノール)
アンドレアス・シャーガー
ワーグナー作品に潜在する感情の流れに身を任せればよいのです
ワーグナーを歌い始めてわずか数年、たちまちにして世界の一流歌劇場を席巻しつつあるヘルデンテノールの新星アンドレアス・シャーガーが、いよいよ最大のヒーロー、ジークフリート役を日本の聴衆に披露する。まさに彗星のごとく現れたという印象が強いが、ただし、ここに至るまでには彼なりの長いキャリアがあった。
「オーストリアの片田舎、農家の出身です。収穫のおりに皆で歌ったりはしましたが、クラシック音楽には縁がありませんでした。ウィーンの大学で歴史学と神学を専攻したのですが、そのとき友人に誘われて合唱団に入ったんです。コンツェルトハウスのコーラスで、アバドやラトルの指揮で歌ったこともあります。そのうち私の声が合唱指揮者の耳にとまり、ソロのパートを歌わせてもらえるようになったのです。 卒業後、音楽大学に入り直して声楽を本格的に勉強し、24歳で歌手としてのキャリアを始めましたが、最初の12年間は地方の劇場でオペレッタばかりを歌う生活が続きました。メルヘン仕立ての《ジークフリート》は軽喜歌劇に通じる要素も多く、活気あふれる若者を歌い演じるにあたって、この経験がとても役立っています」
ワーグナーとの出会いは2009年、グスタフ・クーンが主宰するチロル音楽祭で《マイスタージンガー》のダーフィトを歌ったとき。たちまちワーグナーの音楽に魅了されたシャーガーは、このあとヘルデンテノールに転向、2013年秋に来日し《トリスタンとイゾルデ》の主役(チョン・ミョンフン指揮、東京フィル)を歌うまでになる。わけてもベルリン州立歌劇場へのセンセーショナルなデビューは有名だ。
「当時ハレの劇場でジークフリート役を歌っていたのですが、そこの指揮者がバレンボイムに推薦してくれて、《神々の黄昏》を一回だけ歌うチャンスがまわってきました。劇場に入って数日後の《神々の黄昏》本番のための練習を終えたとき、突然、『今から開演する《ジークフリート》の主役がまだ来てないので歌ってくれないか』と頼まれたんです。即座にOKして10分後には開幕、私は舞台袖で楽譜を見て歌い、演出助手が演技をしました。この成功から新たな道が開けたのです」
ジークフリート役は第1幕の英雄的な声、第2幕の抒情的な声、と多彩な歌いまわしが求められるうえに、第3幕後半ではそこで初めて声を発するブリュンヒルデ役と対等に張り合って、長大な二重唱を乗り切らなければならない。
「自分でペースを計算するのではなく、一つひとつの場面から力を受けとるのです。台本も自ら書いたワーグナーの作品の場合、言葉と音楽が密接に結びついているので、歌い手もテクストを読み込んで、そこに潜在する感情の流れに身を任せればよいのです。
もちろん日頃から節制を心がけたり、本番前に昼寝をしたり、できるかぎりフレッシュな状態で舞台に上がるようにしていますが、いざ幕が開いたら、頭をまっさらにして、ワーグナーが放射するエネルギーを身に浴びるようにします。感情こそが技術を導くのであって、その逆ではありません」
まさにポジティヴで楽天的、生まれ育った環境から言っても、この役にぴったりの自然児という印象だが、次の発言など、知性に裏打ちされた役への取り組みをも感じさせる。
「大蛇さえも難なく一撃のもとに倒したジークフリートが、ブリュンヒルデに出会って初めて怖れを知るとはどういうことか? これは彼女に対する恐怖ではなく、彼女の身に何か悪いことがおきたらどうしよう、という恐怖だと思います。それまで彼はミーメのほか、森の動物たちしか知らなかった。突然、他の人間が自分にとってかけがえのない存在となりうることを予感し、ゆえに守ってやらなければという気持ちをつのらせるのです」
「恐怖」ではなく、愛する女性への「気遣い」というわけだが、この素敵な解釈を聴き手に実感させるには、とりわけ第3幕の後半、眠れる美女を目の前にしたときから彼女と結ばれる幕切れにいたるくだりをどれだけ初々しく繊細に歌えるかが鍵となろう。4月の公演が待ち遠しくてならない。
取材・文:山崎太郎 写真:中村風詩人
(ぶらあぼ + Danza inside 2016年3月号から)
《ニーベルングの指環》第2日《ジークフリート》
(演奏会形式/字幕・映像付)
出演:
アンドレアス・シャーガー(ジークフリート)
エリカ・ズンネガルド(ブリュンヒルデ)
エギルス・シリンス(さすらい人)
ゲルハルト・シーゲル(ミーメ)
トマス・コニエチュニー(アルベリヒ)
ヴィーブケ・レームクール(エルダ) 他
東京文化会館
問合せ:東京・春・音楽祭サービス03-3322-9966
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