イアン・ボストリッジ(テノール)
イアン・ボストリッジ(テノール)
ランボーの詩にブリテンは自分の心を共振させたのかもしれません
滑らかな声音と抜群の喉の技で、バロックから近代まで緻密な歌の世界を作り上げるイアン・ボストリッジ。オックスフォードとケンブリッジで歴史学を学んだ知性派の名テノールが、この6月に東京都交響楽団と初共演。大野和士の指揮でブリテン初期の代表作、歌曲集『イリュミナシオン』を披露する。
「ブリテンは近代イギリスの大作曲家ですが、オペラに名作が多いものの交響曲は書かなかったので、管弦楽のファン層だと馴染みが薄い方もおられるかもしれません。一方、彼のことを“インディーズ映画の名監督のような作曲家”と捉える人もいます。ハリウッド映画のような大衆性の持ち主ではないですが、世界中に熱烈な愛好者が存在しています」
確かに、ブリテンに初めて触れた人が、やがて熱心な聴き手と化すケースは少なくない。
「以前、ザルツブルク・イースター音楽祭で『イリュミナシオン』を歌った時、客席には『ブリテンって小難しい?』という空気がありありでした(笑)。でも、終演後にはみなさん、眼の色を変えて熱狂されました。もとはソプラノと弦楽合奏のために書かれた曲ですが、男声の方が力強い表現が出来るので、今はもっぱらテノールが歌います。ブリテンのオーケストレーションはマーラーの系譜に連なるもの。この曲でも弦しか使っていないのに目も眩むかのようで、音の色合いが、それはカラフルです。ハーモニクス(倍音)もバイトーナリティ(複調)も用い、時には尖った響きも出したり…音色の宇宙と呼びたいくらい」
ちなみに、この歌曲集では、詩の内容も多種多彩。題名の『Les Illuminations』が示す通り、フランスの鬼才ランボーの詩集から歌詞が採られている。
「ブリテンは少年期から仏語に曲をつけていましたが、『イリュミナシオン』は彼が渡米しニューヨーク郊外で暮らした時期の作です(1939)。ランボーが『イリュミナシオン』の原稿を纏めたのもドイツ滞在中のことで、彼もまた異境の地で書き上げたわけですね。ブリテンは、異国の大都市に住む歓びと恐怖がないまぜになる中で、ランボーの詩と自分の心を共振させたのかもしれません。二人には同性愛者という共通項もありました。そういえば、ランボーの詩に作曲したのはいま思いつく限りではブリテンぐらいかな? フランス人にもいないと思いますが、彼の詩を読み上げると音声それ自体が音楽的です。言葉だけで音楽のような響きが生まれます。内容は謎めいていますが、詩人のイメージの塊には意味が明確でない場合も多く、そういった曖昧さも、この詩が音楽と合さっても成り立つ理由の一つでしょう」
確かに、『イリュミナシオン』全9曲(第3曲は2部構成)は曲ごとに内容がバラバラで抽象的。でも全体的な統一感は強く、聴けば聴く程ブリテンの音の宇宙に魅了される。
「冒頭の〈ファンファーレ〉には調性が2つ存在します。弦がトレモロを演奏するので、どっちに転がっているか分からない(笑)。次の〈都市〉では聴き手がいきなり“大都市のカオス”に放り込まれます。〈王位〉はお伽噺の語りを思わせる一曲。シリアスな情景が続く中にこの“ほっとするページ”を巧く挟み込むあたりもこの作曲家の素晴らしさです。続く〈海の絵〉はコロラトゥーラの勢いあるフレーズが光の渦を思わせますね。短い一曲ですが、歌手は力の配分に要注意です。〈美しい存在〉はホモエロティックで曲調も耽美的。でも、次の〈パラード(客寄せ道化)〉は全く対照的に、いきなり低い“ト”音から歌い始めて、様々な名前をからかうように並べるなど、騒がしくも活気に満ちた世界です…。大野和士さんとは2014年にリヨンで共演し、その時もブリテンの『セレナード』を歌いました。そして、いずれ日本でも一緒にやりたいという互いの希望が、今回、実りました。オーケストラから幻想的な音色を引き出しつつ、歌声もしっかり支えて下さる素晴らしいマエストロのもとで、東京都交響楽団の皆さんともご一緒出来ることを、今からとても楽しみにしています!」
取材・文:岸 純信(オペラ研究家) 写真:藤本史昭
(ぶらあぼ + Danza inside 2016年3月号から)
大野和士(指揮)イアン・ボストリッジ(テノール)*
ブリテン:イリュミナシオン*
ドビュッシー:「夜想曲」より「雲」「祭」
スクリャービン:法悦の詩(交響曲第4番)
6/8(水)19:00 東京文化会館
第810回 Bシリーズ
6/9(木)19:00 サントリーホール
問合せ:都響ガイド03-3822-0727
http://www.tmso.or.jp