イメージのアングラを脱出する? 劇団桟敷童子の挑戦が始まる
劇場に現れる幻の湖に映るものは?!
人間というのは面倒臭いものだ。もし、水戸黄門が印籠を出さなければ、あれ?とやっぱり満足しないのだと思う。出す必要もない弱い相手もきっといるだろうに。演劇だってそうだ。当初は「この劇団はマンネリだね」なんてぼやいたりするのに、あるときから「この劇団はこうじゃなくっちゃ」なんてずっと見続けていることを密かに自慢したりもする。なんだろう、あのいつも通りのものを見られた安心感。見られなかったときの残念感。たとえば、テント劇団の屋台崩しだったり、振り落とし。これが見られないと見た気がしなくなってしまう。
劇団桟敷童子は、博多に根付いた伝説や歴史を題材にした物語と、けれんに富んだ演出、実力派の俳優陣によって多くの観客を集める。唐組や新宿梁山泊の血を引くが、今時珍しいほどに泥臭く演劇に立ち向かっている。そして、主宰の東憲司が、いろいろな経験を経た今だからこそと謙虚に“チャレンジ”を開始した。前作『体夢』では、それまで組んでいた博多の集落を思わせる人間の生活を感じさせる装置をやめ、白い空間に黒い巨大な灰が降り続かせた。型にはまりながら走り続く得手押さえ込んだパワーをぶつける場所を探しているかのようだった。どこでもないどこかの物語の賛否両論を乗り越えて今回は、「桟敷童子真骨頂! 本水を使った水舞台。が、いつもと違う新しい桟敷童子を目指します。前回よりも挑戦と冒険を…激しい家族劇が繰り広げられます」と東は言う。本水を使えば、客席が涼しくなるくらいの迫力で舞台のあちこちから放射されていたが、果たして、どんな演出が、装置が、物語が見られるのか。物語は町外れの森に突如現れた小さな湖に引き寄せられるように“エトランゼ”たちが、とある家族に起こす波紋を描いたものだとか。
旗揚げ15年をへて、劇団桟敷童子は、暴れ始めている。