チョン・ミョンフン&東京フィル、”新たな始まり”のベートーヴェン

コラム
クラシック
2016.9.21
7月定期演奏会「蝶々夫人」終演後のマエストロの笑みはこの未来を見据えていただろうか

7月定期演奏会「蝶々夫人」終演後のマエストロの笑みはこの未来を見据えていただろうか

今年9月1日に、東京フィルハーモニー交響楽団はこれまで桂冠名誉指揮者として共演を重ねてきたチョン・ミョンフンを名誉音楽監督に迎える、と発表した。思い返せば、2001年からの東京フィルハーモニー交響楽団と新星日本交響楽団との合併直後の、けっして安泰ではない時期を、世界で活躍する彼がスペシャル・アーティスティック・アドヴァイザーとして長くこのオーケストラを支えてくれた頃から、長い時間を重ねて彼らのパートナーシップも変化した。そして今回の決定は、チョン・ミョンフンがあらためてこのオーケストラの重要な存在として。これからも活躍してくれることを約束してくれるものとなるだろう。

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さっそく今月もこれから3回、東京フィルの定期演奏会に登場するチョン・ミョンフンだが、まずは前回7月の定期演奏会のなかから、オペラ指揮者としての彼の実力が存分に発揮されたプッチーニの「蝶々夫人」をコンサート形式で上演した二公演を振り返ってみよう。

ピンカートンを演じるコスタンツォとともに、蝶々さんのイェオは愛のドラマを描き出す

ピンカートンを演じるコスタンツォとともに、蝶々さんのイェオは愛のドラマを描き出す


コンサート形式とは言いながら、かつて「オペラ・コンチェルタンテ」シリーズで数多くのオペラを”上演”してきた東京フィルは”正装の歌手たちが、登場人物の感情、ドラマの展開にあわせて身振りをつける”くらいのコンサートには収めない。蝶々さんを見事に演じた(と評することに、来場された方すべてが同意されるだろう)ヴィットリア・イェオと、献身的なスズキを演じた山下牧子の二人は和装に身を包み、また舞台前方の小さいスペースでいくつかの小道具を用いることだけでも、演奏会のステージを立派に舞台として機能させた(ここで紹介する写真はサントリーホールでのものだが、かつて「オペラ・コンチェルタンテ」シリーズを展開してきたオーチャードホールでの公演では、照明も効果的に用いられてより劇的な”舞台”として演奏会は行われた)。充実したコンサートの中でも特に第二幕、ピンカートンを信じて待ち続ける蝶々さんとスズキのやり取りは、彼女たちの後ろに大編成のオーケストラがいることを忘れさせるほど”ドラマ”に没入させてくれた。

スズキを演じた山下牧子も歌、演技ともにさすがの出来栄えだ

スズキを演じた山下牧子も歌、演技ともにさすがの出来栄えだ

 
かつてバスティーユ・オペラで活躍し、今ではミラノ・スカラ座の常連指揮者として活躍する世界有数のオペラ指揮者であるチョン・ミョンフンは、彼自身のキャリアの最初に演奏したオペラ「蝶々夫人」を、ことさらに異国趣味で人目を引くのでもなく、お涙頂戴とばかりに無用に感情を高ぶらせたりしない。彼はこの作品に小細工の必要はないことを熟知し、プッチーニが書いた音楽から自然にドラマの起伏を美しく描きだした。彼の指揮に、いつもより落ちついた、深みのある音色で応えた東京フィルの見事さには、さすが日本を代表するオペラのオーケストラ、と感じられた方も多いだろう。

舞台上演でチョン・ミョンフンによるオペラに触れる機会がなかなか訪れないのは惜しいが、こうして彼のオペラの手腕が感じられる貴重な機会は充実した公演となった。いまの時点で振り返れば、この公演は彼ら自身による名誉音楽監督就任への前祝いのような、特別の機会だったのかもしれない。
 
チョン・ミョンフンのオペラをもっと聴きたい、そう思わなかった聴衆はいないだろう

チョン・ミョンフンのオペラをもっと聴きたい、そう思わなかった聴衆はいないだろう

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7月にはオペラで聴衆を魅了したチョン・ミョンフンが9月定期で取り上げるのは、すべてベートーヴェンの作品だ。かつて2002年から2004年にかけて東京フィルと交響曲全集のレコーディングを残し、2007年にも全曲演奏を行ったチョン・ミョンフンが十数年の時を経て、ふたたび彼らとベートーヴェンに取り組むのだ。

7月定期を紹介した際、「オーケストラの中心的なレパートリーを定期公演で取り上げる場合は、名曲コンサートや顔見世ではない、指揮者の本気が測れるものになる」と言及したが、今こうして彼が名誉音楽監督となることを踏まえて振り返るとまた違った景色が見えてくる。東京フィルを「日本の家族と呼んでいる」と語るマエストロ(東京フィルハーモニー交響楽団 公式サイト掲載のインタヴュー参照/ 聞き手:柴田克彦)が、その親密な関係をより深めるために編んだ、特別のプログラムだったのだ、と今ならわかる。そう、この足掛け三ヶ月の東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会は、コンサート・レパートリーとオペラの両方で「これからの”チョン・ミョンフン&東京フィル”はこういうサウンドを作っていくのだ」と宣言するシリーズなのだ。

交響曲第六番を「どのオーケストラも『田園』交響曲をニューイヤー・コンサートで演奏したらいいのではないか」と、上述のインタヴューで冗談混じりに語るほどに愛するマエストロは、三回の公演すべてでこの作品を演奏する。皆さまにはぜひ、どれかの演奏会でその愛を確かめてほしいところだ。

その「田園」に合わせて演奏される作品も実に興味深い。まず東京オペラシティ(9/21)、そしてサントリーホール(9/23)では昨年のショパン国際ピアノコンクールで優勝したチョ・ソンジンをソリストに迎えてピアノ協奏曲第五番、「皇帝」だ。今回の共演に「皇帝」を選んだのはチョ・ソンジンだという。

マエストロとチョ・ソンジンは、彼が13歳のときから何度も共演してきたという。同郷の若き才能をマエストロがどう導くか、または成長著しい才能がマエストロを驚かせることになるのか。この顔合わせ、この曲目からは巨匠と俊英との、そんな教養小説風の成長と相克のドラマが自然と想起されるところだが、果たして実際にはどのようなコンサートになるだろうか。

そしてオーチャードホールの公演(9/25)では、近年では最も有名かもしれないベートーヴェン作品である交響曲第七番を組合せる。具体的な描写を交えつつひとつのドラマとも理解できる「田園」と、”舞踏の聖化”とも謂われた第七番が一つのコンサートで演奏されることは珍しいが、マエストロはこの組合せがお気に入りだという。たしかに、性格の異なるこの二つの交響曲の対比は少し想像するだけでも明瞭なもの、コンサートは前半と後半でまったく違う印象をもたらすことだろう。

マエストロが好きな作品、信頼する共演者たちを想定して編んだどちらのプログラムには大いに期待できるが、なにせ演奏曲すべてがベートーヴェンだ。彼の考え抜かれたスコアは演奏家に決して楽をさせてくれない、それも代表的な大作を二つ並べたプログラムともなればオーケストラには多くが求められる。とはいえ、7月の「蝶々夫人」で聴かせた完成度の高さを思えばいささかも不安はない、東京フィルは新たなポストについたマエストロの求める音楽を実現してくれると期待していいだろう。”チョン・ミョンフン&東京フィル”の新時代が、2016年9月から始まる。その音を、ぜひ会場で確かめてほしい。

(写真提供:東京フィルハーモニー交響楽団 撮影:上野隆文)

公演情報
東京フィルハーモニー交響楽団 第101回東京オペラシティ定期シリーズ/第884回サントリー定期シリーズ

■日時&会場:2016年9月21日(水) 19:00開演 東京オペラシティコンサートホール/2016年9月23日(金) 19:00開演 サントリーホール 大ホール
出演:
指揮:チョン・ミョンフン
ピアノ:チョ・ソンジン
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
曲目:
ベートーヴェン:
ピアノ協奏曲第五番 変ホ長調 Op.73 「皇帝」
交響曲第六番 ヘ長調 Op.68 「田園」
■公式サイト:http://www.tpo.or.jp/
 
公演情報
東京フィルハーモニー交響楽団 第885回オーチャード定期演奏会

日時:2016年9月25日(日) 15:00開演
会場:Bunkamuraオーチャードホール
出演:
指揮:チョン・ミョンフン
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

曲目:
ベートーヴェン:交響曲第六番 ヘ長調 Op.68 「田園」
ベートーヴェン:交響曲第七番 イ長調 Op.92
■公式サイト:http://www.tpo.or.jp/
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