音楽業界でもトップランナーともいえる男『エンタメの今に切り込む新企画【ザ・プロデューサーズ】第十三回・本間昭光氏』
ザ・プロデューサーズ/第13回本間昭光氏
編集長として”エンタメ総合メディア”として様々なジャンルの情報を発信していく中で、どうしても話を聞きたい人たちがいた。それは”エンタメを動かしている人たち”だ。それは、例えばプロデューサーという立場であったり、事務所の代表、マネージャー、作家、エンタメを提供する協会の理事、クリエイターなどなど。すべてのエンタメには”仕掛け人”がおり、様々な突出した才能を持つアーティストやクリエイターを世に広め、認知させ、楽しませ、そしてシーンを作ってきた人たちが確実に存在する。SPICEでも日々紹介しているようなミュージシャンや役者やアスリートなどが世に知られ、躍動するその裏側で、全く別の種類の才能でもってシーンを支える人たちに焦点をあてた企画。
それが「The Producers(ザ・プロデューサーズ)」だ。編集長秤谷が、今話を聞きたい人にとにかく聞きたいことを聴きまくるインタビュー。そして現在のシーンを、裏側を聞き出す企画。
今回のプロデューサーズは、日本を代表する作編曲家、キーボーディスト、プロデューサーであり、槇原敬之のバンドマスター、ポルノグラフィティへの楽曲提供、いきものがかりのサウンドプロデュースなどを行う、音楽業界でもトップランナーともいえる本間昭光に話を聞いた。
ザ・プロデューサーズ/第13回本間昭光氏
――9月に行われた、本間さんがプロデュース、バンマスを手がけるいきものがかりの地元・海老名、厚木での10周年ライヴ、歌、演出はもちろん音の素晴らしさに感動しました。あれはどれくらい前から準備していたのですか?
準備は三か月位前からで、リハも一か月半位前からやり始めました。4公演全部プログラムが違ったのですが、いきものがかりチームは、全部の流れを体に入れたいので、曲だけをやればいいという感じではないんです。4公演全て、オープニングからエンディングまでの一つの流れを、バンドとして表現して行きたいと。聖恵ちゃんはステージの花道と同じ長さの距離を、リハーサルスタジオの中で、歩いたり、走ったりしていました。バンドの周りを3周回ったら花道と大体同じ距離で、そうやって実寸で動いて確認していました。それで音の尺を変えたり、全部シュミレーションするんです。とにかくライブにかける意気込みは毎回すごいです。
――いきものがかりにインタビューした時「本間さんとの出会いが大きかった」と改めて言っていました。当時ホールツアーからアリーナでもやるようになって、大きな会場に相応しい音を本間さんが作りあげてくれたと。
そうですね、2010年の全県ホールツアーから一緒に回って、ホールでは勢いのある音で一気に行く感じもいいとは思いますが、彼らがやってる音楽がオーソドックスなスタイルなので、やはり多少ショーアップされたものの方が、全県ツアーで地方を回る上では、お客さんに刺さるのではと思いました。演出、曲の並び、インターバルもきちんと起承転結がある方が、いきものがかりのライブを初めて観る人には、わかりやすく届くんじゃないかと。そこからスタートして、次のアリーナで彼らのステージをステータスアップしようと思いました。名刺を置いてくる全県ツアーは終わったので、次はステータスアップ。規模感に負けないものを作るスタッフを集めました。音周り、映像チーム、アーティストが大きくなっていく過程で必要な、エンタテイメントを作ってくれるスタッフを揃え、これまでの経験を元に、いきものがかりとスタッフにその術を伝えていきました。
――いきものがかり×本間さんというと、大ヒット曲「ありがとう」(2010年)です。NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の主題歌ということで、作っている時プレッシャーはありましたか?
朝ドラだからという気負いはなかったです。イントロも朝ドラ用、本編用何パターンか作りました。その本編のイントロを、先日『関ジャム』(テレビ朝日系)で、音楽プロデューサーの蔦谷好位置君に絶賛され、すごく嬉しかったです。
ザ・プロデューサーズ/第13回本間昭光氏
――一度聴くと忘れられない、切ないイントロですよね。イントロはやっぱり大切にしていますか?
イントロ勝負だと昔から思っています。昔とあるディレクターに「本間君のアレンジは必ずイントロがあるよね」と言われ。それが褒め言葉なのかどうなのか、いまだに分からないのですが、「ええそうですよ」と思っていて(笑)。例えばポール・マッカトニーが「レット・イット・ビー」のイントロの最初の一音弾いたただけで、東京ドームが沸き立つ、あの感じにやっぱり憧れているんですよね。イーグルス「ホテルカリフォルニア」のイントロとか。リフとかイントロが大好きな世代です。カーペンターズもビートルズもそうだし、レッド・ツェッペリンだってリフじゃないですか。あのリフ弾いたら一発で興奮ですよ。やっぱりその世代で生きてるから、一音聴いただけでお客さんの拍手が起きるような、いつもそんなイントロになるように心がけてアレンジしています。イントロ命です。
――本間さんは作曲家でもあり、編曲家でもありますが、この2つは全く違う脳を使う感じですか?
作曲する時と編曲する時は、別の脳を使わないと、全然ダメなんですよね。作曲の時は、和音とかに対してメロディが過保護にならない様に気をつけていて、要するにスケールに収まっているのでいいメロディになる訳がなく、アウトしていかないと響かないんです。どこからどこでアウトさせるかというのを、アレンジャー脳で考えるとアウトの事さえも論理的に考えてしまいます。でも作曲する時はそんな事を忘れて、感覚を大切にしてやらないとダメなんです。
――相容れない感じなんですね?
全然違います。作曲脳で作曲したものを、アレンジャー脳で整理するという感じです。アレンジは曲を作った日ではなく、別の日にやらないとダメですね。
――キャリアのスタートはアレンジャーとしてでした。
アマチュアの時は曲も作っていましたが、プロになったらもうアレンジャーしかやりたくないと思って。とにかくアレンジャーがやりたくて東京に出て来たので。
――松任谷正隆さん主宰の音楽専門学校「マイカ音楽研究所」に入られたんですよね?
そうです。大阪に住んでいたのですが、学校が世田谷区で、日曜日の10時から14時までがアレンジコースの授業があったので、土曜までアルバイトして、土曜の夜に夜行バスで上京していました。授業が終わったら、また夜行バスで大阪に帰るという感じでした。
――関西学院大学に通いながら、東京にも通っていたんですか?
そうです。音楽業界へ入るきっかけが欲しかったんです。思い出作り半分、きっかけ半分みたいな感じで東京に通っていました。大阪に住んでいる以上、そういった世界で仕事をするのは難しいだろうし、アマチュアで大阪でやるしかないと思っていました。ただ大阪でそういう仕事というと当時はCMの仕事位しかありませんでした。関西出身のアーティストのバックバンドや、どこまでも深いブルース系の世界しかないって感じで(笑)。自分が求めているものがなく、やはり東京だと思っていました。
――松任谷正隆さんの耳に留まった本間さんのアレンジというのは、学校の授業で作った作品だったんですか?
学校は、シンガー・ソングライターコースとか作詞コースとか色々あって、シンガー・ソングライターコースの人からデモテープのアレンジを頼まれたんです。それを聴いた松任谷さんが「これ誰がアレンジしたんだ」って話になって、呼ばれて。「東京に来る気あるの?」と言われたので、「あります!」と即答しました。食べられなくてもトライしようと思いました。それで武部聡志さん(音楽プロデューサー)を紹介してくれました。
――最初はアイドルの楽曲を手がけていたんですね。
アイドルの楽曲のアレンジ、ライブアレンジを3年位やって。アイドルで武者修行です。それからアーティストのアレンジ、ライブの仕事も増えていって。当時、船山基紀先生とか、様々な先生方からアレンジの譜面が送られてきて、それを見て、こういう風に譜面書くとこうなるんだとか、作曲家の方のテクニックが勉強になりました。後藤次利さんが工藤静香さんに書くメロディは、なんでこんなに引っかかるんだろうとか。それでレコーディングを見学し行くと、(後藤)次利さんが仮歌をマニピュレーターの方に歌わせていて、そこで譜面通りに歌っていたら、その場でどんどん譜面を変えていくんです。「そこちょっと引っかからないな、こっちにしよう」って。その時に思ったのが、これが作曲、編曲両方をやっている人間の特権なのかと。アレンジャーだけやっていたら、これはできないと。その時、いずれ両方できるようになりたいと思いました。ただそういう機会がないので、アレンジャーをやりながら色々な人のデモテープを聴いて、それをどうアレンジするか考えていて、それが蓄積されていって、ポルノグラフィティに至るという感じです。
――槇原敬之さんのバンドのキーボードもやられていました。
最初からずっと一緒で、バンマスを7年位やっていて、全てのアレンジをやらせてもらい、それもいい経験になりました。それまでアイドルの世界で、昭和の作曲家の先生が作る、構築されているアレンジを学んできて、でもマッキーと仕事をするようになって、アーティスト自らが手がけるアレンジのバランスが、それまで見てきたものとは違うという事に気づいて。積み上げ方としても意識としても全然違っていて。マッキーはインスピレーションや感覚を大事にしているんです。それとセンスの塊で作りあげている。理論を超えたセンスみたいな感じです。
――そうなんですね。
大きな発見でした。メロディをどう引き立てるのか、メロディをどう守るのか、メロディにどう誘導していくのかという。じゃあそれを今度ライブでは、どう変化させようかという事を、その時学びました。アイドルのライブは基本は音源の再現で、それ以外に作るとしたらインターバルの繋ぎの部分やメドレーの部分で、でもマッキーのライブは最初から変えていこうと。ただ印象はそのまま、オリジナルの印象は残しながら、ライブでしかできないものを微妙にいじって作っていこうと。そういう作業を通して、再現と変化が自然にできるようなものを学んだのが、マッキーのツアーでした。その経験が脈々と自分の中に流れていたので、ポルノグラフィティといきものがかりでも色々な事ができました。最初の10年の色々な経験が生きてました。
ザ・プロデューサーズ/第13回本間昭光氏
――ポルノグラフィティは最初は本間さんの目にどう映りましたか?
派手で華はあって、東京で2年やっていたのでほぼ完成していました。ライブの迫力もあるし、ウケてるし、何が悪いというところは全然なくて。でももっと良くなるのにと思いました。やるかやらないか決まっていない時に、ライブを観に行って、その時は本人達には会わずに帰って。ライブを観ればわかるじゃないですか、実力が。ボーカルの(岡野)昭仁君の声が本当によく出ていて、とにかくスピードの速い声じゃないですか。ガツンと出てくる珍しいタイプで、しかも滑舌がいいから、ライブハウスで聴いても言葉が全部きちんと聴こえます。これはすごいなと。あまりいないタイプで面白いので、やる事になりました。
――デビュー曲「アポロ」は鮮烈でした。
彼らには最初はプリンスっぽいものがいいのかなと思いましたが、それよりもホール&オーツとか、デュラン・デュランとか、そういう感じの方がいいのかなと。でも結局アース・ウインド&ファイアとかスティービー・ワンダーというところに落ち着いて、その雰囲気をうまくミックスさせた感じのサウンドで、だけど生ではなく打ち込みでやろうと最初から思っていました。バンドだからという部分を取っ払って音作りをした方が、新しいイメージが作れると思いました。必ずドラムを使わないといけないとかそういう決め事はやめようと。だからファーストアルバムは生ドラムは使っていません。生っぽいものを全部打ち込みでやって、結局生ドラムを使うのって、だいぶん経ってからです。
――「アポロ」以降、「ミュージック・アワー」「サウダージ」「アゲハ蝶」「メリッサ」「ハネウマライダー」など、ヒット曲がキラ星のごとく並んでいます。
次から次へとうまいこと時代の流れに乗ってくれた感じです。事務所(アミューズ)がポルノを全力で推してくれていたのも大きいと思います。
――ポルノグラフィティの曲はak.hommaというクレジットでした。「ポルノグラフィティのメンバーじゃない、曲を書いているak.hommaって誰?」という声もありました。
そう言われたいがために、名前を変えました。それまで色々なアーティストのアレンジをやっていたので、本間昭光という名前で、ポルノグラフィティというバンドの中に入ると、穿った見方する人もいるのでは?と思って。とはいえ、例えが大きくなりますが、マイケル・ジャクソンやマライヤ・キャリーだって、自分で曲書いてないですし、マイケルがいい曲を歌ってくれたら、それでみんな幸せじゃないですか。だってマライヤ・キャリーのヒット曲を誰が書いたかなんて、みんな知らないじゃないですか、という論理です。マライヤが書いてないから嫌かというと、決してそんな事はない訳で。そんな事を思いながらも、先入観がないように名前を変えた方がいいかなと思いました。
――その後、2009年からはいきものがかりのプロデュースを手掛けるようになります。ポルノグラフィティとは全然違う音楽性のグループです。
様々な音楽を受け入れられるのも、松任谷門下生ですから。いきものがかりは松任谷正隆さんがアレンジで参加したこともあり、僕は元々伝統的なJ-POP系の音楽を得意としているので。やっぱり色々な経験が生きているのだと思います。
――前半で、作曲家と編曲家の2つの面を持っているという話が出ましたが、いつも心がけている事を教えて下さい。
アレンジャーの役割は、アーティストが一番よく見えるようにバランスを取る事。歌、アーティスト、歌詞、全部が良く見えるように、聴こえるようにという事を、説明的になりすぎないようにしながらバランスを取ることです。わざとアンバランスさを作るのもアレンジャーの仕事、ものすごくパランス良くまとめるのもアレンジャーの仕事なんです。だからどこでどうするかというのと、そのプログラム自体がどれだけ“崩し”を望んでいるかという事であったり、異質なものをどれだけ望んでいるかという事によってやり方は変わって、何にしても最終的に到達するのはアーティストが一番良く見えるという事。それを心がけてやっています。
ザ・プロデューサーズ/第13回本間昭光氏
――色々な要素のバランスを取る、と。
そうです。トータルでコンディショニングしていかないと、ただ単にフレーズを重ねるだけでは、深い響きには到底ならなくて。同じフレーズを弾くのでも、ミュージシャンのセレクトを間違えてしまうと全然だめです。この人だったらな、というのはあって、それがないように普段から色々な人とセッションしています。
――ミュージシャンそれぞれの音、癖をインプットしておくんですね。
最初にインプットしておいて、こういう曲の場合はきっとこの人だなというのを、最初にアレンジする前にイメージします。アレンジ前にイメージしたら、その人が叩くフレーズ、弾くフレーズが頭の中に浮かんでくるので、そうしたらそれを元にアレンジを進める事ができます。できあがりのイメージを、完全に自分の中に構築することが大切です。
――さっきの声の話が出ましたが、本間さんが「この人はいけるな」という判断基準の大きな要素は、やっぱり声ですか?
そうですね。声と、その人がシンガー・ソングライターなのでしたら歌詞ですね。メロディはなんとかなると思います。もちろんメロディが類稀なる人もいますが、でももはやメロディは出尽くした感があると思っていて。サウンドとメロディの組み合わせの新しさであったり、色々な事だと思います。例えばすごくイケイケのダンスビートだけど、メロディは歌謡曲っぽいとか。あ、これは組み合わせをうまくやったんだなと。ちょっと前の言い方だとミクスチャーなのかなと思ったり。
――なるほど。
2月にグラミー賞を観に行って、そこで感じたのはアメリカの音楽もひと周りしているという事でした。ケンドリック・ラマーのパフォーマンスは素晴らしかったのですが、やはり歌詞がわからないと自分的には無理だなと思って。でもなぜ同じラッパーでもエミネムは面白かったんだろうと考えると、声が楽器として成立したのかなと思って。グラミー賞を観て、色々な事を考える事ができました。日本でもやっぱりこの先、声と歌詞というのは変わらず大切だと思いますが、オケとのマッチングの新しさというのはどんどん出てくると思います。今、ちょっと流れが、70年、80年代の音楽をやっていればカッコいい、という感じになっていると思います。でも決してそういう事じゃないと思うんですよね。今みんな試行錯誤している時だと思います。特にバンドが80年代っぽいところに寄っている感じがしますが、でもそれだけじゃカッコよくないんだよ、というところに気づいた者勝ちだ、と考えているバンドは多いですよね。
――どうハイブリッドにするかという事ですよね。
そういう事なんです。ただハイブリッド、ハイブリッドと言いますが、結局地道な掘り下げがないと、そうはなっていかないから、基礎研究をしない事にはその先の研究は生まれてこない。だから僕はその基礎研究を怠ってしまわないようにしないと。誰が気づくかですよね、そこに。それによって新しいものが生まれると思っています。
ザ・プロデューサーズ/第13回本間昭光氏
――音楽業界はこれからどうなっていくと考えていますか?
色々なところで議論されていますが、Spotifyが本格的に参入してきて、自分でも使ってみると「何だこれ便利じゃん」って思うのは当たり前な話で。だけどそれが自分に跳ね返ってくる訳じゃないですか。だから売上げというものに関しては、完全にもう破綻していると思います。これから先も、右肩上がりになる事は期待できないと思います。だからそもそもの考え方で、80年代、90年代の夢はもう見てはいけないという事です。
――確かに。
じゃあどういうものを作っていくかといえば、聴き手にちゃんと届くものを作るというスタートラインに立ち返ることによって、ようやく活路が見い出せるのではないでしょうか。90年代の半ばからずっとそんな話をしていますが、結局何の手立ても打てずに今に至っているという事を考えたら、改めて作品力という事を考えなければいけないと思いました。それはグラミー賞を観た事がきっかけになったという事もありますが、どんな状況でも歌いきるアデルの姿を見て強く感じました。彼女はアメリカ人ではなくイギリス人じゃないですか。でもそういう底力を持った人達が這い上がってこれる環境をどうやって構築すべきなのかという事を、本気で考えないと日本の音楽がダメになってしまうギリギリのラインに来ている気がしています。
――間違いないです。
だからそういう環境を、どこそこの会社という事ではなく、国全体でそういう機関や雰囲気を作るような、文化的な動きが必要だと思います。奇しくも東京オリンピックという世界中から注目されているイベントが控えています。今世界が、東京に向けてのリオ五輪でのパフォーマンスが功を奏して、日本ってイカしてるじゃんという感じで注目が集まっています。そういう時期に何を提示できるのかです。世界の人達が、本当に底力のある音楽、パフォーマンスを期待しているんです。でも2020年まで実質3年しかありません。3年で何ができるのかという話です。だからそうなった時に、誰かが旗を振って、新しい動きを啓蒙活動含めてやっていかないと、結局3年間でやった事が実を結ぶのが、2025年だと思うんです。15年計画位のつもりでやっていかないと、日本の音楽は本当にこのまま終わってしまうと思ってしまいました。アデルのパフォーマンスを観ていても思うし、レディ・ガガを観ても、イーグルスを観ても思うのですが、日本の音楽はアメリカの音楽に追いつけ追い越せで来ていたはずなのに、今はもう圧倒的に離されていると感じます。何でだろうと考えた時に、人のせいにしてはいけないと思いました。我々がまず動かなければいけないと。その以前の問題として、手を加えすぎ、直しすぎの歌文化もどうかと思います。あそこまで加工してしまうと、歌詞がひと言も伝わってきません。“揺らぎ”があってこその言葉なのに、それを壊している人達が多いです。
――本間さんはここ数年『花より男子』ミュージカルの音楽を手がけたり、アニメの劇伴やったり、幅広い活動をしていますが、元々ミュージカル好きということで、これからも映画のサントラやミュージカルの劇伴には力を入れていく方向ですか?
劇伴は自分の中では見よう見まねでやっている段階なので、本職の劇伴作家の方達に申し訳ないと思う部分もありますが、ミュージカルに関してはやっぱりやりたいですね。言葉をどう活かすかという事の究極の形ですから。言葉が聴こえないような曲を作ってはダメだし、アレンジしてはいけないし。どう聴かせるかなんです。ただ必要以上に考えてしまうので、なかなか難しいです。劇伴も、もっと経験値のある、腕のある人だったらサラサラ書けると思いますが、僕は経験値が少ないのでひたすら考える事しかできないんです。でもそこで深く考えたところから出てきたものが、芝居に合っていたりすると嬉しいですよね。説明的すぎず、美しくて一度聴くと耳に残るものを作りたいです。それは歌でも劇伴でもミュージカルでも、何でもそう。ミュージカルを観て出てきたお客さんが、なんとなく口ずさんでしまうような。そんな音楽がやっぱり憧れというか目標です。「ほら、なんだっけあのラララって曲?」みたいな感じでもいいんです。歌番組で誰かが歌っているのを聴いて、サビのワンフレーズでもいいから翌日残っている感じ。全部残っていなくてもいいので、そういう事が必要だと思うんです。そこから全部聴いてもらった時、いいじゃんって思ってもらえるような曲を、常に作りたいです。最近ともすれば、世の中がサビ重視になりすぎちゃっていて、サビのワンフレーズだけ良ければいいみたいな作り方の曲が多いんですよね。それもまたちょっと違うと思っていて。この流れがあって、このサビに来るんだというジーンと来るような、そういうフレーズ作りをしていきたいです。
――今の若い作家はそれこそ「アレンジャー脳」で作っているという事ですよね。
本当にそう思います。全てがバラバラなんです。だからコラージュ型になって、あれは完全にゲーム世代の人の特徴ですよね。例えばゲームで、敵が出てきたら急に音楽が変わるじゃないですか。それも違和感なくやっているので、それまでのどかな所をトコトコ歩いているのに、急に戦いモードになっても何も感じないんですよね。
――改めて聴き手に届く、“ちゃんとした”作品を作っていかなければいけないという事と、実力がある人が、ちゃんと出てくることができ、真っ当に評価される環境を作ることが、至急の課題で、もっと危機感を持つべきだというお話は、勉強になりました。
危機感を持って、なんとかしようとしているアーティスト、音楽業界の人、テレビ局、メディアの人もたくさんいる事はいるんですよ。でも利害関係とか色々なものが絡み合うと、現実的になかなか動きが取れなくて、形にできないのが現状だと思います。色々と難しい。ただなんとかしたいんですよね。世直し的な気持ちというよりは、才能が消えていくのがもったいないという想いです。まるでメールのような安っぽい歌詞や、かつてのメロディの焼き直しが世の中に溢れているのが現実で。一時期それがいわゆる年寄りの戯言かなと思って、自分自身がちょっとずれているのかと思った事もありますが、そんな事はないんですよね。やっぱりいいものをしっかりと作っていかなければダメだという事です。
ザ・プロデューサーズ/第13回本間昭光氏
そういうことに気づき、ちゃんと楽曲というものをとらえ、人が奏でる「揺らぎ」を信じ、ドラマ性をもたせて作品を産み出すことの大切さ、そしてそれがあまりにもできなくなっているこの国の作家たちへの警鐘ととらえました。
もっとメロを、歌詞を、カタルシスとドラマを、いかに人に届けるのか。そういうことを考えていかなければビートルズのように後世に残せるキャッチーなものや、素晴らしい音は残せないと確信します。トラックから作っていき、適当に音を詰め込んで素敵なものにしている気になっている作家さんたちは、頭を切り替えて、改めてピアノと鼻歌とメモ帖だけで作曲をはじめてみては?
SPICE総合編集長:秤谷建一郎
企画・編集=秤谷建一郎 文=田中久勝 撮影=風間大洋
作編曲家、キーボーディスト、プロデューサー
大阪府出身。独自のポップな音楽センスを生かしたプロデュースワークを目指し、(有)bluesofaを設立。槇原敬之のバンドマスター、ポルノグラフィティへの楽曲提供、プロデュースなど様々なアーティストを手掛ける。
昨年、自身初の主催イベント“本間祭2015 ~これがホンマに本間の音楽祭~”をNHKホールで開催し、大成功をおさめる。
現在は、いきものがかりのサウンド、ライブプロデュース、“花より男子 The Musical”の音楽や、NHKアニメ“境界のRINNE”の劇中音楽、スカパー!presents 『FULL CHORUS ~音楽は、フルコーラス~』 in 日本武道館の音楽監督を手がけるなど、精力的に活動の幅を広げている。