尾崎魔弓プロレス人生40年総括ロングインタビュー「麻里ちゃんのことを伝えなきゃいけないのも役目」 8/16『OZ30th & OZAKI40th~プラムの花咲くOZの国2026~』を前に
尾崎はメイン登場し、“年齢”をテーマにしたシングルマッチ3連戦に挑む
OZアカデミー女子プロレス『OZ30th & OZAKI40th 尾崎魔弓デビュー40周年記念大会 ~プラムの花咲くOZの国2026~』が8月16日(日)、後楽園ホール(東京都)で開催される。
『OZ30th & OZAKI40th ~プラムの花咲くOZの国2026~』は8/16後楽園ホール(東京都)で開催
1986年8月17日にジャパン女子プロレスの旗揚げ戦でデビューし、今年でレスラー生活40周年を迎える尾崎魔弓。今大会のメインイベントでは、その40年の歴史を節目となった“年齢”に重ね合わせ、尾崎が3人の女子レスラーとシングルマッチを行う。
第1戦では、尾崎がデビューした当時と同じ17歳の咲蘭と10分一本勝負で対戦。第2戦は、尾崎がヒールユニット「OZアカデミー」を立ち上げた27歳にちなみ、27歳のRIKOと20分一本勝負を行う。第3戦では、OZアカデミーを会社として設立した37歳に重ね、37歳の山下りなと30分一本勝負で激突する。尾崎が歩んできた40年を、3つの時代と3人の対戦相手を通してリング上に描き出す記念試合となる。
同大会は、1997年に亡くなった尾崎の同期・プラム麻里子さんを追悼する大会でもある。全5試合が組まれ、OZアカデミー認定タッグ選手権、同パイオニア3WAY選手権などのタイトルマッチも行われる。
■『OZ30th & OZAKI40th 尾崎魔弓デビュー40周年記念大会 ~プラムの花咲くOZの国2026~』対戦カード
メインイベント:尾崎魔弓デビュー40周年記念試合
第1戦:シングルマッチ10分一本勝負 ~尾崎魔弓デビュー・17歳との対決~
咲蘭 vs 【正危軍】尾崎魔弓
~尾崎魔弓デビュー・17歳との対決~ 咲蘭 vs 【正危軍】尾崎魔弓
第2戦:シングルマッチ20分一本勝負 ~OZアカデミー立ち上げ・27歳との対決~
RIKO vs 【正危軍】尾崎魔弓
~OZアカデミー立ち上げ・27歳との対決~ RIKO vs 【正危軍】尾崎魔弓
第3戦:シングルマッチ30分一本勝負 ~OZアカデミー会社設立・37歳との対決~
【パワーゴジゾネス連合】山下りな vs 【正危軍】尾崎魔弓
~OZアカデミー会社設立・37歳との対決~ 【パワーゴジゾネス連合】山下りな vs 【正危軍】尾崎魔弓
セミファイナル:OZアカデミー認定タッグ選手権 タッグマッチ30分一本勝負
【第42代王者:パワーゴジゾネス連合・ゴジゾネス】松本浩代&ZONES vs 【挑戦者:漆黒のオイモカブキ】安納サオリ&ウナギ・サヤカ
松本浩代&ZONES vs 安納サオリ&ウナギ・サヤカ
第三試合:OZアカデミー認定パイオニア3WAY選手権試合 3WAYマッチ30分一本勝負
【王者:パワーゴジゾネス連合】水波綾 vs 【挑戦者:ファントムリミット】AKINO vs 【挑戦者:正危軍】翔
水波綾 vs AKINO vs 翔
第二試合:「ちびっこ愚連隊6人タッグ10連勝による新王座創設」OZアカデミー公式妨害試合 6人タッグマッチ30分一本勝負
ジャガー横田&宮本裕向&黒潮TOKYOジャパン vs 【ちびっこ愚連隊】ラム会長&米山香織&花園桃花
ジャガー横田&宮本裕向&黒潮TOKYOジャパン vs ラム会長&米山香織&花園桃花
第一試合:タッグマッチ30分一本勝負
青木いつ希&風南ユキ vs 【ファントムリミット】狐伯&神姫楽ミサ
青木いつ希&風南ユキ vs 狐伯&神姫楽ミサ
尾崎とともに歴史を刻んできた盟友や尾崎の背中を追い続ける若いチカラが交錯し、趣向を凝らした対戦が続く至福の大会。激闘必至の40周年マッチを前に、尾崎にこれまでの歩み、OZアカデミーへの思い、そして後楽園ホール大会へ向けた意気込みを聞いた。
■尾崎魔弓インタビュー(聞き手/安西伸一)
ヘアヌードじゃないからいいやと思って
リラックスした表情で自身の”歴史”を振り返る尾崎
――まず、埼玉出身のイメージが強い尾崎さんですけれど、本当は北海道出身なんですよね。
尾崎 そう。3歳ぐらいまでお父さんの地元の紋別にいて、埼玉の蕨(わらび)に出てきたの。で、中学の時に県内の川口に移った。
――女子プロレスにはまったのは?
尾崎 中学3年生だったかなあ。ちょうどクラッシュギャルズとかがブームで憧れて。
――で、選手になって私がダンプ松本をやっつけてやるとか?
尾崎 そんなことはないんだけど、なんかカッコイイなと思って。OLとかになる気は子供の頃からなかったんだけど、テレビ中継で女子プロレスを見た時に「コレだ!」と思って。うちらの世代はみんなそうよ。「コレだ! コレがやりたい!」って思ったの。
――当時、全日本女子プロレスは授業料を取って会社の道場で、プロを目指したい一般の女子にも教えていて。そこでトレーニングを始めましたよね。
尾崎 高校1年生の時からね。
――年度末には入門オーディションがありました。それに受かると、さらに練習を積んでプロテストが受けられるチャンスをもらえて。でも当時は狭き門というか、狭すぎる門でした。
尾崎 2年の時に落ちたあと、新しい団体「ジャパン女子プロレス」が出来るっていう話が雑誌に載っていて。私は、プロレスが出来るなら全女じゃなくてもいいやと思って、ジャパンを受けたの。
尾崎のデビュー戦は1986年8月17日の後楽園ホールだった
――当時から1歳下の井上貴子さんと仲が良かったとか。
尾崎 でも、一緒にジャパン女子を受けようって誘ったとかは、覚えていないんだよね。
――キューティー鈴木との出会いは?
尾崎 ジャパン女子に受かってから知ったの。同じ川口市内に住んでいても、中学、高校は一緒じゃなかったし。で、私は女子高で2年生終了まで通った。
――クラスメイトはなんて言ってましたか?
尾崎 みんなビックリしてたよ。エーッて。1、2ヵ月だけど、授業が終わったらジャパン女子の練習に行ってたの。先生が3月が終わるまであとちょっとだから、中退するなら2年の資格まで取ってからにしなさいって言ってくれて。で、練習が終わってから一緒に川口まで、キューティーと帰ってた。それで仲良くなったの。
――当時、ジャパン女子の道場では、山本小鉄さんがコーチを務めていて。
尾崎 そのあとグラン浜田さんがメキシコから来て。
――新日本の道場でも、小鉄さんにみんなで教わっていましたよね。
尾崎 行った行った、めっちゃ行った。あと、ジャパン女子の道場にも来てくれたし。小鉄さんのことは、よく覚えてる。
――毎日ひとつずつ思い出して教わったことを書きためて行ったら、一冊の本が書けるくらいでしょ。
尾崎 めんどくさいこと、言うなあ(笑)。
――でも、教わったことは財産なんだから大切に。
尾崎 ホントだね。
――尾崎魔弓選手のデビュー戦は、ジャパン女子の旗揚げ戦、1986年8月17日の後楽園ホールでした。
尾崎 エステル・モレノと組んで、剣(つるぎ)舞子とメキシコ人(レイナ・ガレゴス)との対戦だったね。
――当時、会場には週刊プロレスの記者として取材に行っていたけれど、さすがに試合内容までは覚えていないなあ。
尾崎 私も覚えてないよお。頭の中、真っ白だったもん。でも最後にメキシコ人に肩車されて、うしろにバンと倒されて、ワンツースリーで負けたの。それだけは覚えてる。メキシコ人、激しかったよ……。
――その日のメインイベントが、ジャッキー佐藤対神取忍で。神取のたたずまいには、それまでの全女では見たことのないような気概を感じて。詳細までは覚えていないけど、試合を通じて、新しい時代が始まったことを痛感しました。
あとは風間ルミさんの、やられているときのあの苦しそうな、というか悶絶するようなうめき声が耳に焼き付いて(赤面)。客席が20秒ぐらい凍りついたことだけは、ハッキリ覚えています。
尾崎 忘れないよね。……忘れないよ。
――エッ! 選手の間でも評判になっていたんですか!?
尾崎 なってた。ウエイト・トレーニングのときなんか、すごいんだから。
――じゃああの声は試合でワザと出していたんじゃなくて、天性の素質だったんだ!
尾崎 あの声出してウエイトやってるんだから。あのときは先輩だから言えなかったけど。だいぶたってから「もう、ヤラシイから!」って。
――それで、やられているときの声の出し方を変えていったのか(笑)。そういえば尾崎さん、いつだったのかリング上で試合前に、風間さんがグラビアに出ていた雑誌を風間さんに投げつけて、「お前、それでもレスラーかよ!」って叫んでブチ切れて。風間さんは「うるせえな! 仕事だろ!」って言い返したんでしたっけ。いまとなっては尾崎さんのほうがファンから「どの口が言ってんだか!」って言われかねないです。
尾崎 いまは言えないよね。そのときはホントにそう思ったから。そん時は思うじゃん。プロレスラーがって。セミヌードみたいに。
――では尾崎さん自身は、どういう心境の変化で?
尾崎 いやー、もう大人になったし。おカネも入るし。別にいいやと思って。アハハハハハハ(大爆笑)。ヤだね、大人になると汚くなるね、心が。減るもんじゃねえし。別にヘアヌードじゃないからいいやと思って。
ファンの人達もマスコミの人達も、私と関西のことを全女にかなうわけないって言ってた!
40年に渡って女子プロレスをけん引し続ける尾崎の一挙手一投足には凄みすら感じられる
――ジャパン女子では、日本のプロレス史に残るようなこともありましたが、一番は1987年の7月18日、神奈川・大和車体工業体育館での神取忍対ジャッキー佐藤の一戦です。
尾崎 仲が悪いのは知ってたけど、大和でああいう試合になるとは思わなかった。だって本当に知らなかったから。
――当時の尾崎さん自身は神取派だったのか、ジャッキー派だったのか?
尾崎 どっち派っていうのはなかったけれど。ペーペーの新人だったから、まだどっち派なんていうのはなくない? どちらかにすごく可愛がってもらっていたわけでもないし。神取さんには受け身を教わっていたけれど。ずっといたのはジャッキーさんだったっていう印象。神取さんが出たり出なかったりするようになったのは、そのあとか。
――ジャパン女子には、いわゆる中堅と呼ばれる立場の選手がいませんでしたからね。四天王としてジャッキー佐藤、ナンシー久美、風間ルミ、神取忍がいて。上と下のクッション役になるような人が、いなかったんじゃないかと思います。
尾崎 そうそうそう。
――で、ジャパン女子の最後の興行は旗揚げからだいたい5年半。1992年1月26日、埼玉の熊谷市民体育館でした。
尾崎 解散になってから、ヤマモ(山本雅俊)さんが、「このまんまJWPを続けて行こうと思うんだけど」って言って。その前にもう噂あったじゃん、もう一個(別に)。風間さん達が団体やるっていう噂があったの。LLPWが先に動いてたの、たぶん。
それは知ってたんだけど、だけどヤマモが全選手を呼んで、「このまんまJWPを続けて行こうと思うんだけど、やらないっていう人はいますか? 辞めるっていう人はいますか?」って言って、手を挙げてった人がみんな、LLの人達だったっていう話。もう(そっちに行く人も決まっていて)団体が出来るっていう話があったんだよ。
――キューティー選手なんて風間さんの付き人だったし、親しい間柄だったはずなのに。
尾崎 だからそこは選んだんじゃない? だから由美(キューティー)はワケがわからなくなっていたから。え、あの人も行っちゃったみたいな感じでオドオドしていたから。どうしよう、え、なんで辞めるのって。だから「お前は座ってればいい。座ってたほうがいいよ」て言ったの。
――尾崎さんは向こうから全然誘われなかったし、私も入れてよ、みたいに言うつもりもなかった?
尾崎 ないないないないないない。だって私、こっちの人の方が仲いいから。(ダイナマイト)関西とか。JWPが先に旗揚げしたから、JWPの方が先に話があったんじゃないかみたいに思われてるけど、全然違う。
――どこの組織でも、派閥というか仲間と言うか、仲良しグループみたいのが出来ていくのは普通だと思います。
尾崎 そんな派閥みたいのは、なかったんだけどね。最後のほうは風間さんも神取さんもジャパン女子の試合には出ていなかったじゃん。最後の熊谷にもいなかったはず。
――風間さんは風間さんで、もうスポンサーを見つけていたんですかね。
尾崎 まあ、いまさらどうでもいい話なんだけど(笑)。聞かれたから答えてるだけ。結果良かったんだから。お互い別れて。
――対抗戦時代に入っても、最初はなかなか絡まなかったですよね。
尾崎 うん。そりゃあそんなに絡みたくはないじゃん。
――対戦しだしたキッカケは?
尾崎 たぶん(JWPの)福岡晶と(LLPWの)紅夜叉あたりからだったんじゃないかなあ。そんな話いらなくない?(笑)。
――女子プロ各団体の対抗戦の口火を切ったのは、1992年11月26日の神奈川・川崎市体育館。全女の大会のメインイベントとしてWWWA世界タッグ選手権試合、山田敏代&豊田真奈美の王者組に、尾崎魔弓&ダイナマイト関西が挑戦する試合でした。とにかくこの試合がすごかった!
尾崎 私に会うと、いつもその話言うね(笑)。
――この試合が決まってからというものの、せっかく団体間の垣根を超えた対抗戦が続いていくかもしれないというのに、最初に体の小さな尾崎が全女に出て行ったら真っ先に潰されて、全女とJWPの力の差がハッキリ出てしまう。そうしたら、ああやっぱり実力差は明白だったんだとなって、対抗戦をやっても客は呼べなくなる。尾崎がボコボコに潰されるって、そりゃあ心配の声が多かったんです。
それで関西と山田で試合が始まったら、関西が尾崎にタッチして。尾崎が山田をロープに飛ばしたら山田は背中越しにトップロープに両ヒジをかけてリバウンドせず、尾崎はネックブリーカーを狙ったような形でリング中央に落下。その直後、山田が強烈な後ろ回し蹴りを尾崎のノーガードの顔面にモロに入れて。さらに山田からタッチを受けた豊田は尾崎をロープに振って、下から両足を揃えたドロップキックで、尾崎のアゴをブチ抜くように突き刺したんです。
これで尾崎は大の字になって、口は半開き。セコンドについていたキューティーが、ダヨーンのおじさんみたいに大きく口をあけて「オザキーッ!!」って必死に叫んでいました。
尾崎 そんな大げさな(笑)。
――そのあと、豊田が尾崎の髪と片腕を持って起こそうとするんだけど、尾崎は立てなくて尻餅をついてしまう。観客は熱狂していたけれど、試合序盤からこんなアゴをぶち抜くような打撃を入れられたら記憶が飛んで、そのあともうプロレスがプロレスとして成立しなくなる。本当に心配しました。
それでも関西は尾崎を助けて、尾崎も闘い切って3本勝負をやり切っているんですよ。1-1のあと、尾崎は終盤に豊田のムーンサルト・プレスも返して、客席からオザキコールも起こったんですが、豊田のクロスアーム・スープレックス・ホールドで敗れています。
尾崎 試合は40分ぐらいだったよね。
――試合後尾崎さん達の控室に行って、ひととおりマスコミ向けのコメントが終わったあと、ほかの記者に向かって僕は「皆さん、ではこれでコメントいいですね?」って会見を終わりにしました。そして尾崎さんと関西さんそれぞれに近づいて、耳元で「よく頑張ったね」って小声で伝えたんです。尾崎さんは疲れ切っていて下を向いたままだったけど、関西さんはこっちを向いて握手してくれました。
尾崎 ああそうー。そういういい話を、ドンと書かないと!(笑)
――とにかくあの試合が失敗していたら、のちの対抗戦ブームは絶対に来ませんでした。
尾崎 最初は意識が半分飛んでたから。だけど逆にそれで、クソーッみたいな、ふざけんなみたいな気持ちは燃え上がったかもしれない。ダメージのことはそんなに覚えてなくて、とにかく最後にギリギリで負けたのがすごく悔しかった。でもこの試合の前は、ファンの人達もマスコミの人達も、私と関西のことを全女にかなうわけないって言ってたんだよ。でも(試合のあとは)手の平返して。ザマアミロってね(笑)。
「よけるのはすごくカッコ悪いと思っているから」
――尾崎さん自身は試合前に気後れするようなことはなかった?
尾崎 全くなかった。関西やデビル雅美さんとJWPでずっと闘っていたし。全女の選手も大きいかもしれないけれど、関西もデビルさんも大きいからね。関西なんか、蹴りすごかったでしょ? だから全女の選手に負ける気は全くしなかった。これが関西やデビルさんと当たってなくて、小さい選手ばかりが相手だったら、気持ちは違っていたかもしれないけれど。
――なるほど。あの試合でも尾崎さん、ちょっと顔そむけたりガードしたりしたらいいのになあとも思ったけれど、正面から逃げずに技をもらっていました。
尾崎 私は関西の蹴りで記憶がなくなっているのは、しょっちゅうだったし、よけるのはすごくカッコ悪いと思っているから。だからあの試合で意識がなくなっていても、そもそもJWPでいつもそんな試合をしていたから、そんなに自分では……。“記憶なくなり慣れ”していたみたいな感じ。そんな慣れはいらないけどさ。
――小鉄さんの教えで、技は胸を張って受けろみたいなものはあった?
尾崎 たぶん言われているはず。ちっちゃいから、一発入れられたら十発返せとかは、よく言われてたね。でもホント、関西の蹴りはすごいから。関西にも平気でアゴとかに入れられていて、ホントにしょっちゅう記憶なくなってたから。だけどそれがあったから、3本勝負でも最後まで(出来たのかと)。途中で記憶は蘇っていたから。ただ2本目が始まるとき、何本目なんだろうと思ってセコンドのキューティーやプラムに「いま何本目?」って聞いたら、「2本目」って言われた。ああよかった1本目じゃなくてって思ったのは覚えてる。それからは、だんだん意識は蘇ってた。
――僕はその試合以来、山田さんと豊田さんに近づく機会はなかったんだけど、今から12年くらい前かなあ。当時ブル中野さんが経営していた「中野のブルちゃん」という店があって、そこで山田さんがカウンターの中にいて働いていたことがあって。店に飲みに行った時にその試合の話になって、僕が「序盤からいきなりあの攻め方はないだろう!」って言ったら、山田さんが「あの頃は同期でみんなバチバチしていて、タッグパートナーだった豊田とも負けられないっていつも争っていたの。だから私はあの試合で3人と闘っていたようなものだったのよ! 私も必死だったの」って切々と聞かされて。なんだ山さんっていい奴だったんじゃんってなって。どんどん山さんにおごっちゃいました(笑)。
尾崎 全女は全女でプライドがあったしね。JWPなんかに負けるもんかっていうプライドがあったんだろうからね。
――当時のLLPWのファンの人に聞くと、対抗戦が終わったあと、フジテレビで実況していた三宅正治アナを駐車場で取り囲んで、「なんで実況で全女びいきの放送ばかりするんだ!」って詰め寄ったこともあったそうです。「三宅さんには悪かったけど、それぐらいファンも熱くなっていたんですよ」って言ってました。
「全女は全女でプライドがあったしね。JWPなんかに負けるもんかっていうプライドが」
昔は電話帳に実家の電話番号が載っていたでしょ。だから実家によく電話がかかってきて
選手を辞めようかと悩んだのは「あ~、う~ん。ちょっと1回」
――そして……プラム麻里子さんが亡くなったのが1997年。JWPの8月15日、広島・アステールプラザの大会でした。この大会には尾崎さんはOZアカデミーのユニットとして天野理恵子と組んで、プラム&コマンド・ボリショイで対戦。プラムさんは尾崎さんのライガーボムで敗れ、イビキをかいて昏倒してしまいます。
尾崎 その夜、選手達は開頭手術の成功したプラムさんを一般病棟で見届けて、翌日、新幹線で東京に向かったの。容態が急変して亡くなったと、車中で聞かされて。
――プラムさんも尾崎さんと同期。29歳でした。その次にライガーボムを出したのは?
尾崎 何週間か経ってからだった。どこかで断ち切らなきゃダメなんだけど、怖くてなかなか出せなかった。
――選手を辞めようかとまで悩んだ?
尾崎 うんうん。
――ほかに今までで辞めようと思ったことは? ダイナマイト関西が2016年12月11日に引退する前にも、辞めようと思っていた時期がありましたよね。
尾崎 あ~、う~ん。ちょっと1回。そうだね。
――でも関西の引退興行をやるために、自分は引退しなかったのでは。
尾崎 そうそうそうそうそうそう。智江ちゃん(関西)を見送る約束をずっとしていたから。智江ちゃんよりは先に辞められないなと思って。それから辞めようと思ったんだけど……。思いとどまっちゃって。キャッハッハッハッ。
――ハーレー斉藤さんが2016年12月に亡くなった時も、葬儀のこととかで色々大変そうにしていました。
尾崎 そう? 病気になってから結構仲よくと言うか、うん。
――葬儀の後、くたびれ果てて焼肉店「三宝(さんぽう)」の長椅子の上で立野記代さんと一緒に爆睡していた、とマスターが言ってましたよ。それを聞いて、尾崎さんは仲間が去る時に仲間のために頑張る人なんだなあと思いました。まあ、僕が知っている昔話はこれくらいなんですが、尾崎さんみたいに長いことこの世界にいると、マスコミの誰かから好きだとか言われちゃうことってなかったんですか?
尾崎 言われないよー。ヤバくない? 選手にそんなこと言っちゃあ。
――若い頃はねえ、そりゃあみんな可愛い女の子でしたし、選手はみんな頑張っていたから。ファンには尾崎さんも人気ありましたよ。
尾崎 昔は電話帳に実家の電話番号が載っていたでしょ。だから実家によく電話がかかってきていて。簡単に調べられるから、いま考えると恐ろしいですよね(笑)。で、母親には「喋っちゃダメだ」って言ってあるのに、「いつもありがとうございます」とか話しちゃうんですよ。いまだったら考えられないですよね!
二世ほどつまらないものはない!と思ってる(笑)
「ヒールやっていて、二面性があるのが面白いと思う」
――そこから1996年にGAEA JAPANの永島千佳世とシュガー佐藤が弟子入り志願してきて、付き人だったカルロス天野とヒールユニット『OZアカデミー』を結成しています。団体化しようとした契機はなんだったのでしょうか?フリーで参戦していたGAEA JAPANが2005年4月に解散していますが。
尾崎 それでシュガーと永島が試合する場所がなくなっちゃうと思って。そうなったらOZで興行するしかないかなと。
――当時は女子プロレス界にとっては冬の時代で、他の団体がなくなって行く中で不安はなかった?
尾崎 それは全くなかったけれど、団体化する前は半年や年に一回の興行だったから、お客さんは入るんですよね。でもGAEAがなくなってOZで毎月やるようになったら、最初は良かったけれど、だんだんお客さん少なくなったり、ムラがあるようになったりして。半年や1年に一回やるのとは違うなって感じて不安にはなりました。
――さまざまな団体が出来たり潰れたりして。そんな中で、いまだにOZアカデミーが残っている秘訣は一体なんなのでしょうか?
尾崎 えーっ! 秘訣なんか、あったらこっちが聞きたいよ(笑)。
――なにかよそと違う要素はあるはずですよね。
尾崎 ほかと違う点を考えたら、やっぱりヒールがいるってことかな。
――確かにヒールっていう存在をメインに据えている団体はほかにないかも。
尾崎 社長がヒールっていうのも、女子の団体でないから(笑)。ほかと違うっていったら、そういう感じはするかな。あとは、誰も社長の私の言うことは聞かない(笑)。
――正危軍っていうものがあって、団体を問わず暴れ回っている。でも、ヒールとしての敵がいなくなってきた気もするんです。
尾崎 だけどキューティーみたいに可愛くて、やられっぷりがいい選手はあんまりいないよね。みんな強くなっちゃって(笑)。
でもOZに上がってる選手は、全く私の言うこと聞かないけれど、実力もあるし。やっぱり自分の団体に出てくる人は選びたい。いい選手を上げたい。正危軍はキレイで試合ができる、みたいな。出来なくても育てればいい話なんだけど、光るものがある選手じゃないと、OZには上げたくないなと思う。
――現在、唯一無二と言っていいくらいのヒールユニットとして、すべての団体のベビーフェースから有望な選手を仲間に引きずり込んでやるみたいな構想とかは?
尾崎 なんかね、ヒールやっていて二面性があるのが面白いと思うの。翔(関口翔)とか安納サオリとか雪妃真矢とか、そういう子がかっこいいヒールになったらいいなっていうのはある。翔なんてホント弱くて、なよなよしていて。でもだけど、もしかしたらヒールにいいかもって思って、正危軍に入れ込んだの。他団体でも光る子がいたら、もうちょっと増やしたいんで。ヒールだけやれるんじゃなくって、正危軍で二面性を見せられる選手は面白いなと思う。
――最近はマーベラスとの抗争もありましたけれど、今後のターゲットとしてレジェンドの選手で誰か引っかかっている選手はいますか?
尾崎 私は直感で選ぶタイプなんで、めぼしい人がいたらその人にちょっかい掛けたいなって思うけれど、今はピンとこないな。
――ほかの著名な選手になってくると○○二世みたいな感じの選手が出てきますが、尾崎さんにはそういう選手が見当たりません。それはあえて作っていない?
尾崎 いや、二世ほどつまらないものはないと思ってる(笑)。コピーみたいに見えるし、全く違うタイプだったら、もっと面白いはずなんだけど。二世って言われている人って似ちゃうから、それじゃ意味ないと思う。
別に私は、私みたいな選手を作ろうとは思わないし、そんな風に育てようとも思ってないから。全然違う個性の二世ならいいと思うんだけど。自分の次みたいになると、だいたい似てるなって。そういうので縛りたくない。
――弟子を作るというより、正危軍みたいについて来てくれる子達が集まってくれればいいと。
尾崎 そうそう。それが一番気楽。気楽だし、その子達も自由に出来ると思う。
――ではOZアカデミーとして新人育成に取り組むというのは?
尾崎 全く考えてない。何年か前までは、OZの生粋の新人とか自分が辞めたらその子に引き継いでほしいとか思っていたけれど、現状では無理なのでもう何も考えてない。いらないとかじゃなくて。もしいたらいたでいいけれど。なんかもう、そりゃあいいかなと。割り切ろうと思って。
――それよりは自分のプロレスラー人生を充実させていきたいと。
尾崎 そうそう、もうそっちでいいなと思って。道場もないし寮もないし。来たとしても、ちゃんと面倒みれないなみたいな感じ。
――これまで一番の定期会場だった新宿FACEがなくなります。
尾崎 そこが一番心配なとこ(苦笑い)。ホント東京の会場がないんで。誰か作ってくれないかなあ。
――最近、錦糸町や板橋に……。
尾崎 いろいろ調べてはいる。いろんな場所をやりながら、考えていこうかな。新宿FACEは、リングが置いてあるのが良かったよね。
――ところで新宿FACEについては都市伝説があるんですよ。会場のドリンクカウンターの権利を尾崎さんが持っていて。
尾崎 ないって! ないって!
――そもそも新宿FACEの設立に関わっていたからと。
尾崎 あの場所がライブハウスのリキッドルームだったあと、(2004年に終了して)何年も空いていたらしくて。私を可愛がってくれていた作家の堺屋太一先生が、次に何をやったらいいんだろうという相談を受けていて。卓球場とか釣堀リと食堂を一緒にするとか、色々な案があったらしいんだけど、その中で先生がプロレスや格闘技ができる会場がいいんじゃないかって言ってくれて。それでそうなったんですよ。だから先生が関わったから私も関わったみたいに言われてるだけで。
――ドリンク代の売り上げの10パーセントが、尾崎さんのふところに入っているとか、聞いたことがあるんですけれど。
尾崎 だから、そんなことないって言ったじゃん! ないから!
――噂はすごいですよ。
尾崎 すごいんだよ。FACEはもう私のものだから、みたいになってるから。もしそうだっら、ウチらタダで使ってたよねえ。
――でも、それぐらい、堺屋先生には可愛がってもらっていたんでしょう?
尾崎 そうそう。私が若い頃からずっと娘みたいに。けっこう愛人とも間違えられて(笑)。若い頃は「そんなことない!」ってずっと言ってたんだけど、途中からもういいや別に愛人と思われてもって思って(笑)。18歳の頃かな。作家の人だとも知らなくて、でもジャパン女子のスタッフが、なんで毎回会場で見かけるのかと大騒ぎになって。直接本人にうかがったら「尾崎さんのファンで」ってわかって。ちゃんとご自分で買って、来てくれていたんです。
――最近の話に戻ると、ギネスの最年長タッグの記録も取りました。ギネスブックの記録に載っているプロレスラーは少ないでしょうね。
尾崎 そうなんですよ。これはもう絶対、ジャガーさんと私しか最年長のタッグチャンピオンになれるのはいないなと思って。で、ジャガーさんに相談して「ギネスに申請してみましょうよ」ってね。でも申請するのがなかなか大変で。
尾崎(右)とジャガー横田のタッグは、「プロレスのタッグチームとして勝利した最高齢ペア」としてギネス世界記録に認定
――現場に来てもらったり、申請料もかかりますしね。
麻里ちゃんのことを伝えていくことも私の役目!
「いま辞めたら後悔するって思って、ずーっときたら40年経っちゃった」
――ところで8月の後楽園大会はプラム麻里子さん追悼の大会でもありますが、プラムさんは尾崎さんにとってどういう存在だったのか。そして背負って生き続けることを、どう思われているのか?
尾崎 プラムは同期だったので。ウチらの同期は仲良かった。で、同期としてやっぱり名前をつけて命日のときの後楽園をやるのは、別に背負ってるとかじゃなくて、当たり前のことだと思ってる。やらなきゃいけないとかじゃなく、自然な形だと思ってる。でも麻里ちゃんの存在をわからない人が多くなってきてるから。それを説明していくのものね。現役である以上、試合でこんなふうに亡くなったって、伝えなきゃいけないのも役目ではあるんだよね。
――10月の横浜BUNTAIでは、いよいよ大興行です。長い現役生活、感慨深さはありますか?
尾崎 あっという間だった気もするけど。いや、あっという間ではないなあ(笑)。あっという間と言うにしては、長すぎる気もするし。感慨深いということもないんだけど、良くやってたなあっていうね(笑)。
なんか気づいたら40年経っていて。でもまさか自分が40年もプロレスやるとは、夢にも思っていなかった。デビューのときは20歳で辞めようと思ってたの。ヤンママになりたかったの! 20歳で子供を産んでって(笑)。
――では、なぜ辞めなかった?
尾崎 ちょうどその頃、プロレスが楽しくなってきたのね。いま辞めたら後悔するって思って、ずーっときたら40年経っちゃったの。
――風間さんが10年ぐらい前かなあ、「尾崎に言ったの。『もうプラムもいいって言ってるよ。ケガする前に辞めなよ』って」って言ってたそうじゃないですか。
尾崎 ……あーん、覚えてない(笑)。そんないいこと言ってくれてたのに覚えてない(笑)。
――先に亡くなっちゃいましたけれどね。
尾崎 ホントだよね。たぶんいま辞めても、全然後悔しないと思う。ホントにやりたいことは、やって来たなと思ってる。だからいますぐ辞めても後悔はないんだけど、もうちょっとやっていたいなみたいな。でも急に辞めるかもしれないし。それは本当にわからないんですよ。目標がないから。あと1年頑張ろうとか。それを決めちゃうと無理しちゃうなと思ってるから。
「たぶんいま辞めても、全然後悔しないと思う」
――保育士の資格を取っているのは、今後のことを考えて?
尾崎 そうそうそう、もちろん。それはもうプロレス入る前から、プロレス以外でやりたいことは保育士とか親のいない子の施設に勤めたかったの。で、そろそろ40ぐらいになったときに、プロレス以外になんにも出来ないから、何か次の仕事を考えなきゃと思った時に、養護施設で働くにしても保育士の免許を持っていれば大丈夫だから。高卒認定から取って、保育士の資格も取ったの。
高校2年までは資格取っていたのに、それが30年ちょっと過ぎていて、過ぎていなかったら4科目ぐらいの試験ですんだのに。結局9科目全部、若い子に混じって、勉強教えてもらってやっと高卒の資格が取れた。保育士の資格は通信だったので、実習はしなかったんだ。逆に実習をしていったほうが楽だったかな。
――保育園を作って、庭にリングを置いて。先生がチェーン振り回して暴れて(笑)。いつかは何か形になったら楽しいかもしれないですね。そして8月の後楽園ホールではひとりで3試合に出ると。
尾崎 何か記念になることをしたいなと思って。ホントは3試合はキツイんだけど(笑)。だけど次の50周年なんか出来ないから。45周年も出来るかわからないし。最後の周年になりそうな大会で何をやればいいのかすごく悩んで。普通の試合やるのはつまらないと思ったから。
「3試合やるのは挑戦なので、自分でも楽しみ」
――17歳でデビューしたので、1試合目は17歳の元アイスリボンの女子選手と対戦することにしたんですね。27歳でOZが出来て、37歳で団体化。だから17歳、27歳、37歳の選手と対戦すると。
尾崎 47歳のときは特になかったね(笑)。17歳の相手が咲蘭。で27歳がマーベラスのRIKO(川畑梨瑚)。37歳が山下りな。
――激しい試合になりそうですね。
尾崎 ……楽しくはないだろうね(笑)。
――山下との対戦ルールは?
尾崎 まだそこまでは考えてなくて。ハードコア? やらない(苦笑)。
――山下は凶器も持ち込んでくるだろうし。
尾崎 いやいやいや(笑)。どんな試合になるかわからないけれど、ほかの人が出来ないような試合はしたいなと思っているから。
――咲蘭が桜花由美さんの弟子で、RIKOが現在長与千種の弟子で、デビュー時の師匠が堀田祐美子。それぞれの師匠達の影は感じますか?
尾崎 そんなこと、言われるまで全然感じなかった(笑)。とにかく年齢ピッタリの人がそんなにいなくて。17歳は咲蘭だけかな。ほかも2、3人ずつしかいなかった。
――咲蘭は元々アイスリボンでは飛翔天女二世、藤本つかさの弟子でもあります。因縁があるような相手が組まれている。
尾崎 そうなのか! 知らなかったけれど、そうなってるんだね、ちゃんとね。
――山下の師匠はGAMIさんですね。
尾崎 山下以外は、対戦はほぼなかったと思う。3試合やるのは挑戦なので、自分でも楽しみ。みなさんも楽しみにしてほしいな。
8/16は自身の軌跡をなぞりながら17歳・27歳・37歳の相手と戦う。
――8月16日の後楽園ではタッグ王座戦もあります
尾崎 安納サオリとウナギサヤカが組んで。安納になんとしても勝ってもらいたい。
――だいぶウナギ・サヤカに尾崎さんがイジられている感じがしますよ。
尾崎 そう? ウナギが安納に夢中になっているから。ホントは安納には、ウナギとのタッグでベルト取ってほしくないけれど(笑)。どうせやるなら、安納が勝ってベルトを取ってほしい。
――ウナギ選手は最初、正危軍に入りたいって言ってきたから断って。今度尾崎さんが入れてやろうとしたら、ウナギ選手の方から断ってきました。
尾崎 そうそう。あの野郎ホント、調子に乗ってるよね。自由がすぎる。8月の大会からは、私としては集大成を迎える気分。気分的にね、そんな感じ。だから一人でも多くの人に見てほしい、40年の歩いてきた道を。3試合はかなりキツイけど、それも尾崎魔弓の新たな挑戦なので。ゲスト? ゲストは来ないよ。主役は私なので!(笑)。
「主役は私なので!」と笑う尾崎は、記念すべき大会でどんなファイトを見せてくれるだろうか。
尾崎魔弓デビュー40周年、OZアカデミー30周年を飾る『~OZ30th & OZAKI40th~業火絢爛』は10/25に横浜武道館(神奈川県)で開催
イベント情報
尾崎魔弓デビュー40周年記念大会『OZ30th & OZAKI40th ~プラムの花咲くOZの国2026~』
日時:2026年8月16日(日)11:20試合開始
会場:後楽園ホール(東京都)