舞台『クヒオ大佐の妻』で作・演出を手がける吉田大八が企むものとは?
吉田大八(撮影:田窪桜子)
「誰もがクヒオの妻であり、クヒオでありうるという可能性を、日常に持ち帰らせることができれば」
現在、上映中の『美しい星』が話題の映画監督・吉田大八。彼は、2013年『ぬるい毒』で舞台演出家デビューを飾り、大胆でいて奥深い世界観を打ち出した。そんな吉田の舞台第2弾『クヒオ大佐の妻』が6月11日まで東京芸術劇場 シアターウエストで上演されている。稀代の結婚詐欺師・クヒオ大佐を通して現代日本を見つめなおした意欲作である。社会への視線をいかに持ち人間を描くか、初戯曲を書き下ろした吉田に聞いた。
――『ぬるい毒』(2013年)で舞台演出デビューして以来、少し時間が空きましたが、再び演劇に取り組もうと思ったのはなぜですか?
舞台と映画では俳優との関わり方などが全く違い、自分の中では大きな経験でしたが、終わってすぐの頃は「またやる?」と聞かれても、「わからない」と答えていました。演劇は若い頃から観ていたので、関わること自体は嬉しかったけれど、創作のプロセスのしんどさは初体験でしたし、ほかの仕事との関係もあって、すぐにやろうという気にはならなかったんです。ただ、宮沢りえさんに「クヒオ大佐に妻がいるらしい」という話をしたらすごく興味を示してくれて、その時ふと、また演劇をできるような気がしました。
――宮沢さんとは映画『紙と月』で一緒に仕事をされて高い評価をうけていますね。
とは言え、彼女が演劇で積み上げてきた素晴らしい仕事の数々を考えると、我ながら無謀なオファーだとは思いましたが、だからこそチャレンジしたくなりました。やれる時にやらないと後悔すると思って。
――クヒオ大佐は映画『クヒオ大佐』(2009年)でも題材にされています。日本人なのに「アメリカ空軍パイロットでカメハメハ大王とエリザベス女王の親類」と名乗って次々と騙していった実在の人物ですね。そこまでクヒオ大佐にひかれるのはなぜですか。
結局、自分がなぜクヒオにここまでひかれるのか知りたくて、やり続けているのだと思います。いま日本一クヒオのことを考えている人間かもしれませんね僕は(笑)。クヒオがなぜ日本人なのにアメリカ人、それも軍人を騙ったのか? 自分に引きつけて考えるうちに、奇妙な妄想がどんどん膨らんできて。日本人の、例えばパーソナルな男女関係にさえ、「アメリカ」が無意識レベルで影を落としてるんじゃないか、とか。乱暴な仮説かもしれないけど、一度そこに向き合ってみたい。
――日米関係ですか?
アメリカと日本って、構図として日本がどうしてもアメリカに対して「女」になっていますよね。気をひこうとするけど相手にされない、みたいな。まずシンプルに、クヒオと女性たちの関係をパラレルに置いてみようと思います。
――クヒオを待ち続ける「妻」に宮沢さん。ほかにハイバイの主宰で脚本・演出の岩井秀人さんなどキャスティングも魅力的ですね。
キャスティングの時点ではまだ台本はできていなかったので、まず自分が見たい組み合わせを考えて、一人ずつ口説いていきました。以前からお付き合いのあった岩井さん、彼の劇団で以前から気になっていた川面さん。水澤さんは昨年映画の現場でご一緒して、その場でスカウトしました。少人数だけど濃い、贅沢な顔ぶれだと思います。
――世の中への違和感の描き方と、暗喩的な部分など、とても演劇的な戯曲になりましたね。
映画を撮った僕が言うのもなんですが、クヒオはすごく演劇的というか、演劇の人が興味を持ちそうな題材なのに、誰もやらないのが不思議で。「それならもう一度やらせてもらいますけど……」という感じです。嘘と本当ってすごく微妙な言葉の問題じゃないですか。映画よりも舞台は、そのあわい(間)みたいなものに言葉をつくせると思います。
――小さいアパートの部屋が舞台ですが、世界との関わり方など物語は壮大ですね。
年齢のせいかもしれないけど、表現そのものに、より大きなものとの関わりをどうしても意識してしまう。映画『クヒオ大佐』でもその気持ちはあったのですが、話のスケールをわざと極端に振ったりして、どこか茶目っ気を含む部分があった。でも、舞台では、もう少しストレートに扱ってみるつもりです。もちろん、最終的には「アメリカ」じゃなくて人間の話をしたい。でも社会が人間に影響しないわけはないし、また、その人間の状態が社会へ影響していく。その循環をそろそろちゃんとした言葉で描く機会があってもいいと思っています。
――お話を聞いていて次の舞台が楽しみになりましたが、舞台は続けていかれますか?
『ぬるい毒』が4年前ですからね。オリンピック方式だとすっかり細胞が入れ替わって、いろいろ大事なことを忘れてしまいます。ペースを変えることも含めて、今回の手応え次第でまたあらためて考えたいと思います。
――やるなら、こんな形のものをというのはありますか。
もし体力が許せば、ですけど、もっとお行儀がよくない、効率悪くても破格なものをやりたいです。例えば自分の記憶に残っている舞台は、意外と普通の劇場で観ていないことが多い。倉庫とか、スクラップ置き場とか、駅の操車場とか、ビルの屋上とか。そういう、異境のイベント感みたいなものも、自分にとっての「演劇」なんでしょうね。でも最近、自分も含めてみんな取捨選択する感覚は鋭くなりました。以前は、何だかわからないけど読んでみるとか、合わないと思っても何回か付き合ってみるとかあったけど、今はワンクリックで、「はい、これは削除」「これは保存」とスマートに整理している。確かにそのほうが効率いいんだけど。でも、人間の存在自体が非効率なものだし、演劇というメディアはそのことを表現するのに最も向いているような気がします。矛盾や無駄、足りないものがいっぱいあるという感覚を忘れないようにしたいです。
――では最後に、この『クヒオ大佐の妻』では、何を持って帰ってもらいたいですか?
僕は映画もそうですけど、落ち着いてゆったり楽しめるような、ウェルメイドには多分ならなくて、ざわざわした気持ちが観ている間続いて、終わってからも、そのざわざわが長く後をひいてしまうと思う。さらに生身の人間が熱量をもって演じることで、観た人により強く、何かを刻み付けられるのではないか。誰もがクヒオの妻であり、クヒオでありうるという可能性を、それぞれの日常に持ち帰らせることができれば……という大それたことを考えています。
興味をもったら騙されるしかない。劇中のクヒオ大佐の妻たちに、ふと共感している自分に気づき、怖くなってくる不思議な作品。騙す男にとりつかれた監督に、騙されてみるのも面白い。ざわざわを長く感じ続けるためにも、アメーバ―のようなでいて硬派な吉田ワールドに飛び込んでみようと思った。
取材・文・撮影:田窪桜子
■会場:東京芸術劇場 シアターウエスト
■日程:2017/5/19(金)~2017/6/11(日)
■作・演出:吉田大八
■出演:宮沢りえ/岩井秀人/水澤紳吾/川面千晶
■公式サイト:http://www.kuhiowife.com/