1ミリ以下のペン先が生み出す、緻密で壮大な生々流転 『池田学展「誕生」』レポート
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《誕生》2013-2016 / 紙にペン、インク、透明水彩 / 300 × 400 cm 佐賀県立美術館蔵 Photography by Eric Tadsen for Chazen Museum of Art / ©IKEDA Manabu, Courtesy Mizuma Art Gallery, Tokyo / Singapore
ミヅマアートギャラリーで『池田学展「誕生」』(会期:2017年7月26日~9月9日)が開幕した。同ギャラリーでの個展は2010年の「焦点」以来、約7年ぶりとなるもので、展示される最新作の《誕生》は本展にて東京初公開となる。
個展オープン初日のようす。多くの人がかけつけ、作品を目を凝らしながらみていた。
池田学(1973-)は、1ミリにも満たない細い線で、壮大な自然や異世界の風景などを描き出す細密画法で知られる画家だ。今年1月にスタートした初となる大規模巡回展『The Pen―凝縮の宇宙―』(佐賀、金沢を経て9月に東京巡回予定)において、故郷であり最初の会場となった佐賀県立美術館で9万5740人という来場者数を叩き出し、テレビや雑誌で特集を組まれるなど、今最も注目を集めているアーティストの一人である。
2011年に渡航し、文化庁芸術家在外研修員としてバンクーバーに滞在したのち、2013年に米マディソンのチェゼン美術館の招聘を受け、滞在制作を開始した。
《誕生》はこの滞在制作で描かれ、新天地で出会った風景や人々との交流が、作品に新しい風を吹き込んでいる。作品規模も縦3m×横4mと池田作品のなかで最も大きなサイズを誇り、制作期間も3年3ヶ月と非常に長い歳月がかけられている。
全体を眺めると、満開の花々を抱えた大木の存在感に圧倒され、ひとたび部分に目をやると、さまざまなモチーフやストーリーがユーモアを交えながら描かれており、みるたびに発見があるような作品となっている。
海外でも高い評価を受けている、緻密な線で広大な世界を創り上げる池田の巨大絵画。その傑作をぜひ間近でじっくりと堪能してほしい。
《誕生》のきっかけは東日本大震災
《誕生》 (部分) 2013-2016 / 紙にペン、インク、透明水彩 / 300 × 400 cm 佐賀県立美術館蔵 ©IKEDA Manabu, Courtesy Mizuma Art Gallery, Tokyo / Singapore
2011年3月11日。東日本大震災が発生したとき、池田はバンクーバーにいた。報道される映像に衝撃を受けつつも、そのときは海の向こう側からニュースを傍観することしかできなかった。そんななか日本から悲しい知らせが届いた。2008年に制作した《予兆》の公開を自粛するという内容だった。
《予兆》は、巨大な波のようなものが大地とともに遊園地やビル、家、船などを飲み込んでいるという作品で、「雪や氷河でできた世界が溶け始め、昔の文明が飛び出してくる」という構想が基となっている。一見すると巨大な波に見えるが、雪や氷でできた白い波涛(はとう)であり、細部には、雪の上を楽しそうに滑るスノーボーダーがいたり、結婚式が執り行われたりと、池田自身の日常風景や記憶の断片が細かく盛り込まれている。
震災前に制作した絵で、偶然が重なっただけである。しかし、自分の描いた絵が思いもよらず、誰かを傷つけたり、嫌な思いにさせる可能性をはらんでいるという予想外の事実に直面し、池田は自分が絵を描くことの意味を見失いはじめていた。
そんな池田の背中を押したのが、同ギャラリー代表で、いち早く池田の才能を見出した三潴末雄だった。「僕はこんなことをしてていいのか」と悩む池田に対し、「アーティストはアーティストとしてやるべきことがある。こういうときだからこそ、日本を元気にするような絵を描けばいいじゃないか」と三潴は励ました。
この言葉をきっかけに池田は再びペンを持ちだした。そして描き上げたのがこの《誕生》なのである。
世界中で繰り返される災害、そのたびに破壊される人々の営み。その直視しづらい状況に、池田は彼ならではの自由で軽やかな想像力と表現力をもって対峙した。大きな困難に直面し無力さを感じ呆然とせざるをえないとき、それでも希望を失わずに生きていくこと。《誕生》には画面いっぱいに真摯な想いが表現されているからこそ、心を動かされるのかもしれない。
《誕生》 (部分) 2013-2016 / 紙にペン、インク、透明水彩 / 300 × 400 cm 佐賀県立美術館蔵 Photography by MIYAJIMA Kei ©IKEDA Manabu, Courtesy Mizuma Art Gallery, Tokyo / Singapore
《誕生》 (部分) 2013-2016 / 紙にペン、インク、透明水彩 / 300 × 400 cm 佐賀県立美術館蔵 ©IKEDA Manabu, Courtesy Mizuma Art Gallery, Tokyo / Singapore
細部の重なりで創り上げる壮大な命の物語
絵を前にしたとき一番に目に飛び込んでくるのは色鮮やかに咲き誇る花々だ。全体をみると桜のイメージだが、よくみると様々な種類の花が入り乱れ、ひとつたりとも実在する花はない。仮設住宅を示すテントや、または人間や動物の赤ちゃんが花を形成している。
そして、下部に描かれたがれき部分もぜひ注目したい。池田自身は東日本大震災を日本で体験していないこともあり、がれきを描くことに躊躇する気持ちもあったという。しかし、がれきを描かないことには始まらないという気持ちで、何とか半年以上かけ少しずつ描き進めていったそうだ。
《誕生》 (部分) 2013-2016 / 紙にペン、インク、透明水彩 / 300 × 400 cm 佐賀県立美術館蔵 ©IKEDA Manabu, Courtesy Mizuma Art Gallery, Tokyo / Singapore
そこには遊園地やマディソン(アメリカ合衆国・ウィスコンシン州の都市)でおなじみのキャラクター、そして制作中に誕生した娘の名前が描かれている。重苦しいテーマでありながらも、何度もみたくなるようなエンタテイメントな要素がふんだんに盛り込まれているのだ。
ほかにも思わず感嘆の声をあげたくなるような見どころが数多く描かれている。ぜひ会場に足を運んで探したり、想像をめぐらせたりすることをおススメしたい。
傑作を支える、地道かつ緻密な作業
《誕生》 (部分) 2013-2016 / 紙にペン、インク、透明水彩 / 300 × 400 cm 佐賀県立美術館蔵 Photography by MIYAJIMA Kei ©IKEDA Manabu, Courtesy Mizuma Art Gallery, Tokyo / Singapore
使うのは丸ペン、アクリル顔料インクと至ってシンプルで、紙はフランス製美術用紙「アルシュ」。東京藝術大学の卒業制作に取り組んでいる際、下絵を先生に褒められたことから現在の技法を見出した。
下絵は描かず、イメージしながら描くため、1日に描けるのはわずか10cm四方ほど。それが3年以上の年月を経て3m×4mの作品となったことを考えると途方もない作業だということがよくわかる。
《誕生》では、空間を含めた全体感を表現するために余白をつくらず画面を埋めつくし、明暗の表現に深みを出すため初めて水彩をとりいれたりと新しい試みもされている。
本人曰く、あくまで重視しているのは全体のボリューム感であり、細部の描写はそのための下準備にすぎないとか。
1本のペン先から無限に広がるイマジネーション。その細胞は今も池田の頭のなかで今も増殖し続けているにちがいない。