『ダンケルク』はなぜカタルシスを排し、苦痛を強いるのか? クリストファー・ノーランが映像で描く戦争体験

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2017.10.22
  (C)2017 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. ALL RIGHTS RESERVED.

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クリストファー・ノーラン監督の最新作『ダンケルク』は、物語のカタルシスが少ない。いきなり説明もなく主人公たちが銃声から逃げ回り、撤退が始まっている。主人公がどんな人物なのか、全く描かれることはなく、ドライとも言える、内面の葛藤などを描かず、“記述的”に物語が進んでいく。

だが、本作はそれが作品の魅力となっている、ハリウッドメジャーの映画としては珍しい作品だ。観客は混乱の中で、自分も命からがらの撤退戦に参加しているような気分にさせられる。ヘトヘトに疲れた後にイギリスに着いた時の安堵感は唯一の癒やしだ。

『ダンケルク』は、人類の戦争において最大級の撤退戦と言われるダンケルクの戦いを、イギリス側の視点で描いた作品だ。撤退する陸の兵士たち、撤退を支援する空軍パイロット、撤退のために船を出す民間の協力者たちの3つの視点で、それぞれの時間を交錯させながら描いている。ユニークなのは、陸の兵士たちの1ヶ月と、船に乗ってダンケルクに向かう民間人たちの1日、そして空中戦に望むパイロットの1時間をそれぞれをクロスさせて描いている点だ。同じ撤退戦でも、立場によって体感時間が全く違うのだろう。

ダンケルクの戦いとは

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映画は、舞台となるダンケルクの撤退戦についての説明もほぼないので、鑑賞にはある程度の事前知識を持っていた方がいいだろう。何も知らずに戦場の只中に放り込まれるように観るのもいいかもしれないが、背景を抑えていたほうがより深く鑑賞できるのも間違いない。

ダンケルクの戦いは、第二次大戦中、ドイツ軍のフランス侵攻の最中の撤退戦で、港町のダンケルクで包囲されたイギリス・フランス連合軍40万人をイギリス本国へ帰還させる大掛かりなものだった。時のイギリス首相チャーチルが軍の撤退を命じ、軍艦だけでなく民間船まで動員し、実に35万人以上もの兵士の撤退を成功させている。

この大作戦は第二次大戦の戦局に大きく影響を与えたと言われ、残存兵力を多く残すことに成功し、撤退という形で連合軍に勝利をたぐり寄せることになった。そして多数の民間人が勇気を出して撤退戦に参加したことも、士気を高めることに貢献したとも言われる。

本作は、ダンケルクの浜辺で撤退を待つ兵士たちと、作戦に協力する一隻の民間船のクルー、そして撤退戦を空から援護した空軍パイロットの3つのエピソードを交えて、この壮大な撤退戦を描いている。

撤退を待つ兵士たちと同じ状況に置かれる観客

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浜の兵士たちのシーンはとにかく陰鬱で、ドイツ軍の爆撃におびえながら、撤退の船に乗り込み、爆撃された船から逃げまどう様を緊迫感ある映像で見せる。先に出発した撤退戦が爆撃で沈められたりと、どこに逃げればいいのかわからず、あがき続ける兵士たちを観客は観続けることになる。過去を語りだす兵士もいないし、未来への希望を謳う人間も出てこない。ただただ今を生き延びようとする様子をノーラン監督は執拗に写し続ける。

正直、このエピソードは抑うつ的な緊張感の連続で、鑑賞していてとても疲れる。だが、それこそが監督の狙いでもある。本作は大上段から戦争とはなにかを偉そうにふっかける作品ではなく、戦場をできるだけリアルに体験させることを目的に作られている。どうすれば救われるのか、右も左もわからない状況に観客を放り込み、兵士と同じ気持ちを味わわせようとする。そこにはドラマらしいドラマもない。兵士たち一人一人がどんな人間なのかもほとんど描かれない。本気で生き延びようとする瀬戸際の人間は自分語りをしている余裕などないのだ。

ドラマと希望を感じさせる民間船のエピソード

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浜の兵士たちとは対称的に、民間船のクルーにはドラマティックな展開が用意されている。船長であるミスター・ドーソンと乗り込んだ息子とその友人、そしてダンケルクに向かう途中で救い出した兵士の間で起きる小競り合いでは、民間人たちの勇気が試されるような展開もある。

とりわけマーク・ライアンス演じる初老の船長役は大変好感の持てる人物として描かれているし、ダンケルクに民間船団が到着するシーンは、作中最もヒロイックに演出されている。

ともすれば、非常に陰鬱で鑑賞するのもつらい作品になってしまいそうなところを、この民間船のエピソードによってわずかに希望を与えている。彼らのドラマがなければ、この映画は本当に苦痛を強いる鑑賞体験となるだろうし、撤退を待つ兵士たちだけでなく、観客にとっても勇気ある民間人たちは希望になる。

戦争を語る難しさとは

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本作は戦争映画のカテゴリに属するだろうが、なぜこのような対称的な視点で描かれているのだろうか。

戦争は言うまでもなく悲惨なものであり、それを伝えることは重要なことだ。戦争では英雄も生まれるが、それ以上に多くの犠牲がある。戦争そのものを体験することは、戦場に行くしかないが、映像は戦場のリアリティを最も的確に伝える手段であり、そうした役割を担ってきた部分もある。戦場の残酷さを映像によって疑似体験させることは、戦争を知らない世代にとって貴重な体験になることだろう。

同時に、それは苦しい鑑賞体験でもある。

観ていて苦痛をともなう作品を観たがる観客は少ない。実際の戦争を知らない世代に、戦争を語ることの難しさがここにある。英雄物語は観ていて気持ち良いが、戦争は英雄よりも遥かに多くの犠牲者を作るのが現実だ。

ノーラン監督は、苦痛を伴う戦場体験だけではなく、観客に身近に感じられる民間人の勇気を描くことで一縷のカタルシスを映画に与えた。戦争を語ることの困難さがここに現れているように思える。実際、こうした悲痛な戦場を体験させる映画が興行成績の上位に来ることは相当に珍しいことだ。ノーラン監督のネームバリューは大きく影響しているだろうが、ただ苦痛を強いるだけの映画ならこの成績は難しかったかもしれない。

鑑賞体験としても凄まじいレベルの作品だが、戦争を語る方法論についても考えさせられる作品だ。

映画『ダンケルク』は公開中。

作品情報
映画『ダンケルク』


(英題:Dunkirk)
監督・脚本・製作:クリストファー・ノーラン
出演:トム・ハーディー、マーク・ライアンス、ケネス・ブラナー、キリアン・マーフィー、ハリー・スタイルズほか
オフィシャルサイト:http://dunkirk.jp
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