【ACIDMAN 20th特別企画】唯一無二の3ピースバンド、その歴史と思想とは ~浦山一悟篇~
ACIDMAN・浦山一悟 撮影=西槇太一
SPICEによるACIDMAN20周年特別企画、メンバー3人の連続ソロ・インタビューの第二弾は、バンドのグルーヴ・マスターにしていじられ役、誰もが愛さずにはいられないこの男。ドラマー・浦山一悟の登場だ。父親から受け継いだミュージシャンのDNA、ACIDMANへの加入、大木伸夫との信頼関係、バンドの危機と再出発、そして来るべき『SAITAMA ROCK FESTIVAL“SAI”』について。知られざる胸の内を初めて明かす、注目のロング・インタビュー。
――一悟さんのパパは、ミュージシャンだったんですよね?
ナイトクラブやビアガーデンで生演奏するバンドをやってたらしいです。
――英才教育を受けたんですか。
全然。楽器も、中学生になった時に自分からやりたいと言って、最初だけちょっとギターを教えてもらいましたけど、「禁じられた遊び」とかを。そのすぐあとにドラムがやりたくなったんですよ。「やりたい」って言ったら、物置から昔のドラムの練習セットを引っ張り出してきて、簡単なエイトビートを教えてくれた。それがきっかけですね。
――お父様、セミプロって感じですか。
今でいうプロミュージシャンとは違う感じです。銀座や六本木のスナックとかナイトクラブなどで所謂ハコバンっていう、別に音源をリリースしたとかそういうことではなく、お客さんからリクエストがあった曲をその場で演奏するようなスタイルでやってたという話は、聞き及んでおりますが。それも僕が物心つく頃には辞めていて、そこからプラモデル屋に華麗なる転身を遂げまして(笑)。未だに何考えてるかわかんないんですよ。
――この間、本を出されてましたよね。
やめてください! 本当に。
――興味津々ですよ。お父さんが本を出した人に会ったことないんで(笑)。
ただ単に、地元の自治会の冊子のコラムを書いてただけなんです。それをまとめて、自分でお金を出して自費出版したんですよ。だから「本を出した」とか、やめてください。自費出版なんで。
――バイタリティある方じゃないですか。
妙なバイタリティはありますね。10年ごとぐらいに趣味が変わりますからね。
――ともかく音楽に関わる点では、絶対に影響を受けてますよね。
それはあると思います。
――話は一気に、3人が出会った高校時代へ飛びますけど。その頃はもうドラマーですか。
そうです。いや、最初は3か月ぐらいベースもやりました。大木のインタビューでも語られてましたけど、サトマが極度の音痴に気づかないままボーカルをしていたコピーバンドで。
――すごいボーカルだったという伝説のバンドですね(笑)。
僕はそのバンドではベースで、別のバンドではドラムで、サトマがベース。そこで一番最初にコピーしたのが布袋寅泰さんでしたね。1年生の夏ぐらいまでは、そういう邦楽のコピーバンドをやってました。で、夏を超えたらハードロックに行って、ガンズ・アンド・ローゼズ、ヴァン・ヘイレン、ブルー・マーダーとか。みんなそうだったけど、ハードロックとメタルにどっぷりという感じでしたね。
――その頃に、大木伸夫率いるACIDMANに出会う。これはよくライブMCでも語られる話ですけど、一悟さんがACIDMANに入る時に、大木さんに猛アピールしたというエピソードがあって。
そうですね。はい。
――実際何があったんですか。
とにかく大木の組んでたバンドは、高校1年生の時から既にオリジナルの曲をやってて、またその曲が良いもんだから、とても憧れの気持ちを抱いてました。
――ギター大木さん、ボーカル椎橋さん。
そう。で、途中からサトマが入っていって。僕からしたらとても輝いてるバンドで、曲もいいし、とにかくかっこよかった。もちろん前のドラマーがいるんですけど、そのバンドに対する憧れがハンパなくて、入りたくて。でも大木とはほとんどしゃべったこともプライベートで遊ぶこともなかったし、いきなり本丸を攻める勇気は全くなかったので、外堀から埋めていこうと(笑)。で、椎橋武史と高3の時に同じクラスになったので、これはチャンスだと思って仲良くなって、週3とか週4で家に遊びに行く仲になった。入りたいということは特に言わないんですけど、まあアピールですよね。「あの曲のあそこ、いいよね」とか、「俺ならあそこはああ叩くな」とか。
――そうやってジワジワと(笑)。
外堀を埋めて、よし、本丸を攻めるぞという感じで(笑)。とにかく入りたかったんですよ。
ACIDMAN・浦山一悟 撮影=西槇太一
――大木さんの言葉を借りると、二人は性格がまったく違っていて、「俺はチャラチャラだけど一悟くんはすごく真面目」で、絶対に合わないと思っていたという。
チャラチャラではなく明るいんですよね。単純に楽しいことが好きで、友達想い。ほんとはずっと笑って生きていたいというタイプですね。で、確かに自分は真面目でしたね。予習復習してたタイプです。友達も非常に少なくて、みんなでワイワイ遊ぶタイプでもなかったので。
――そんな一悟さんが、それほどまでに入りたかったというのは、すごい衝動じゃないですか。
根暗で卑屈なんですけど、心のどこかで人より目立ちたいという、ミュージシャンの人がみんな持っている気持ちがすごくありまして。だからかっこいいバンドに対する憧れもすごく強かったですし、入りたいと思ったんですね。自分で何か表現をして目立つという勇気はなかったので。
――フロントマン志向はないですか。
ゼロじゃないです。大学生の時にギター&ボーカルのコピーバンドをほんの少しやったりもしました。でも特に歌もうまくないし、ギターもうまくないので、やっぱり俺はドラムだろうなという感じです。曲を書いて歌ってくれる人がいないと、何もできないので。
――当時「大木についていけば食いっぱぐれがないと思った」という話も、MCで何度か聞いたことあります。
高校のときには、「食いっぱぐれがない」という言葉にまでは自分の中で消化してないけれど、やっぱり人として、ミュージシャンとして、ついて行きたいという心理があったんだと思います。憧れでしたから。本人はチャラチャラと言うかもしれないですけど、俺からしたらとても誠実な生き方をしてると思います。他人に対しても、音楽に対しても。自分とサトマの人生を背負って生きるとまで言ってくれてるんですよ。チャラチャラの人間が言える台詞じゃないですよね。ちなみに、僕があるとき中途半端に髭が伸びてる時期があって、「そのまま伸ばしてみようか」って言われたんですよ。それまではツルツルだったんですけど。
――あ、一悟さんの髭キャラはそこからですか。
髭もそうだし。帽子もそう。
――キャラ付けしてもらった。
そう。そして思った以上に伸びた。それが今や自分の代名詞代わりにもなってるんで、ありがたいですよね。まさに人生のトータル・プランナーでもあるという。
――いまや事務所の社長ですしね(笑)。話を戻すと、それから椎橋氏が抜けて大木さんがボーカルになって、この3人が揃う。
ボーカルが抜けたらボーカルを入れようという発想になるじゃないですか、普通は。でもいくら想像してもしっくりこなかったんで、大木が「俺が歌うよ」ということになり。初めてのライブは吉祥寺だったかな。評判も凄く良かったし、非常に手ごたえを感じました。ギュッとしたというか、ブラッシュアップされたというか、1人減ったのにパワーアップした感じ。うまく言葉にできないですけどスリーピースの魅力に気づいたんだと思います。ボーカルがいなくなったことによって、僕も視界に入りやすくなりましたし(笑)。
――あはは。前がいなくなったから(笑)。
「俺がセンターだ」みたいな。冗談ですけど。
――一悟さん、その頃から曲は書いてたんですか。
4人バンドの時に数曲書いたことがあるというレベルです。3人になって最初に大木と話した時には、“作曲を半々で”みたいな話もあったんですけど、創作意欲に明らかに差があったので、曲の洗練度合とか研ぎ澄まされ方もも全然違いますし。今は大木の世界観をドラムを使って一緒に伝えていきたい。表現していきたいという気持ちしかないです。
――それでも「赤橙」をはじめ、一悟作品はかなりの数がありますよね。
そんなにないですよ。初期の頃に、アルバムあたり1曲あるぐらいで。
――具体的に教えてもらっていいですか。一悟さんが作った曲は?
えーっと、「赤橙」と、「静かなる嘘と調和」は俺がサビを持って来て、大木がリフをつけて。あとは「夏の余韻」と、「REAL DISTANCE」もサビかリフが俺ですね。あと「シンプルストーリー」もサビを作ったのを覚えてます。あとは「黄昏の街」。パッと思い出せるのは、それぐらいですかね。
――話を戻して、3人になってすぐにインディーズでCDを出して、2002年にはメジャーデビュー。俺たちは行ける、という感じは最初からありました?
ありました。たぶんそれは、どのバンドマンもそう思ってデビューすると思うんですけど、でもやっぱり、本当に当たり前のことなんだけど、「うちらがやってることは特別だよな」という気持ちがすごく強かったですね。ジャンルにしてもいろいろ入ってるし、バラードもあれば、ゴリゴリのロックもあれば、パンクテイストのものもやってたし。もしかしたら、一つのジャンルに方向性が固まっていた方がわかりやすいのかもしれないけど、「これはほかのバンドがやっていない」ということが、オリジナリティとしてすごく自信がありましたね。
――当時、影響を受けたアーティストとかジャンルを聴いても、はっきり答えなかったですよね。大木さん、「感動できれば何でもいい」とか言うし。
そうそう。ジャンルには本当にこだわってなくて、歌詞の世界観が揺るぎないので、とにかく感動できるもの、かっこいいもの、心が震えるもの。本質的なことしか求めてないし、そこをすごく大事にしてるから、ジャンルは何でもいいという考え方ですね。
ACIDMAN・浦山一悟 撮影=西槇太一
――そして1stの『創』がかなり売れましたよね。いきなり。
ありがたいことに。
――「よし、成功したぞ」と?
どういう感情だったかな? でもすごくうれしかったです。テレビをつけると毎日最低でも一回はCMを見たりとか。枚数で言うと、パッと10万枚ぐらいいったのかな。でも大木の中では手放しで喜ぶ感じでもなかったらしくて、「そんなに売れたいわけではなかった」「有名になりたいわけじゃない」とか、そういう感覚があったみたいで。
――それは本人も言ってましたね。
その繊細な感覚は俺にはわからなかったけど、でもたぶん大木がそういう気持ちになったのは逆に良かったと思います、今思えば。これがもっと調子に乗って天狗になってたら、もしかしたら20周年を迎えられなかったかもしれないし。大木はいいことがあった時ほどふんどしを締め直せる男なので、俺もそういう大木を見てなかったら、「イエ~イ」ってなってたと思う(笑)。大木は「次が大事だ」って常に言ってましたから。ちゃんと自分たちの現状を冷静にとらえてた。だから今聴いても『Loop』というアルバムは、かなりヒリヒリした感覚がある曲が多いと思うし。
――そのヒリヒリがどんどん高まって、やがてバンドの危機につながっていく話は、大木さんもしてました。ファーストの頃からその傾向はすでにあったと。
うん。「もっと上を、もっと上を」という思考で曲を作って詞を書いている大木の歩み方との差がどんどん開いてしまったというのはありました。自分の何個も先のレベルで物事を考えているので。
――それは大木さんがはっきり言うんですか。「もっと頑張ってくれよ」とか。
それはバンドへの愛なのでもちろん言います。
――それは細かいプレイについてですか。取り組む姿勢とか、メンタル的な面ですか。
根本はメンタルだと思うんですよね。当時は1曲作るのに何時間もアレンジを考えて、持って行ったネタを何個も試してたんですけど、ネタを作ることが目的になっちゃってるネタは、気持ちが伴ってないので。逆にたった一個でいいから、「俺はこのアレンジが絶対いいと思う。これでやろうぜ」というメンタルなエネルギーだったり、大木はそういうことをすごく大事にしているので。要するに音楽に対して誠実なだけなんですけどね。
――『and world』の制作時に、実際何があったんですか。
大木はスリーピースの在り方として正三角形のバランスを求めていたんです。さっきも言ったんですが、根本は楽しくやりたいんですよね。その為には正三角形のバランスが必要だと。でも現実とのギャップに当時は相当な葛藤があったと思います。結局、大木がスカパラ兄さんたちと飲み屋で――という話になるんですけど。
――今だから言えることですけど、結果的にそこが大きなターニングポイントになって、あらためて3人でやっていく決意が固まった。
そうですね。大木が強固な二等辺三角形になることを決意してくれたんです。フロントマンとしてもっと高みを目指してくから、僕たちにはそれをしっかりと支えて欲しい。バックは任せたぞみたいな。僕は続けられる事も嬉しかったし、大木の世界観を後押しするスタイルの方が性に合ってるので、支えるという概念に変わった事でより誇りを持てるようになりました。
――曲も変わったと思いますよ。そこからACIDMANの黄金期が始まると僕は思っていて、アルバムを出すたびにどんどん世界が広がって、高みに上っていく感覚がすごくスリリングで。その感覚は今もずっと続いてます。
これだけコンスタントに作れるのは、すごいですよね。表現者としての苦悩は計り知れないけど、こっちはいつも感動します。デモ音源で涙しちゃう事もあるし。そしてここに来て「ミレニアム」ですもんね。ほんとにすごい。
――一悟さん的には、ここ数年はメンタル的に落ち着いてるというか、安定してる感じですか。
いや、安定してる日はあまりないです。
――それはなぜ?
性格上、すぐ気を抜くので。気を抜くことと油断することが、長所であり短所なので。
――長所じゃないと思うけれど(笑)。
というか、自己管理が苦手なのを自分でもわかっているので緊張感はあります。
――危機感は今でもある?
もちろん。自分の性格はわかっていて、安定を求めると経験上あんまりいいことがないんです。大木がよく言うんですよね。別に神様がいるわけじゃないけど、言い方として「神様は見てるよ」と。人が見てないからいいやと思って怠けたり遊んでたりすると、「誰も見てないけど神様は見てるよ」って。「確かにな」と思います。ちょっと話が違いますけど、常日頃大木がMCで言っていたりすることが、正直最初の頃は全然わかんなかったんですけど、でもどんどん「あ、こういうことか」と思う瞬間が増えていって、「すべては繋がっている感覚」や、「今が色んな奇跡の連続の上で成り立っている事」とか今は、完全に信じてます。今まではそんなこと思わなかったけど、もうすぐ40ですけど、僕も大木の考えに影響され支えられます。
ACIDMAN・浦山一悟 撮影=西槇太一
――プレイヤーとして、年々成長しているという自覚はありますか。
まったくないですね。
――そこは「あります」と言ってほしい(笑)。そうですか? そんなことないですよ。
まったくないんです。何て言ったらいいんだろう、技術的なものはついてきてるのかもしれないですけど、本当に大事なものは技術じゃないところにあるということも、同時にすごくわかるようになってきたので。そうなってくると「うまいって何だ?」ということになってきて、そういう物差しで考えると、俺はうまくなってるんだろうか?と思うんですよ。
――ああ。なるほど。
たとえばライブだったら、その日その日で大木の呼吸も違うし、気持ちの面を含めると、ライブの前からライブが始まっていたりするので。ただそこに行って、「ワン、ツー、スリー、フォー」で叩けばいいということでもないので。そうすると「うまいって何なのかな?」っていう感じですね。
――答えは出ないですか。
出ないですね。まあでも一個の指標として、ライブが一本終わって、大木の呼吸とシンクロしてやれたライブはいいライブなんですよ。その精度を上げていきたいという気持ちはあります。毎回ガチっと行けるような。
――最近いい感じですよ。見るたびにハズレないです。ちなみに、録音されたもので今までの自分のベスト・プレイってどの曲ですか。
ベスト・プレイ……うーん、難しいですね。あ、でもね、今聴くと全然ヨタヨタしてるけど、「廻る、巡る、その核へ」を録音したとき、特に最後の混沌としたところは、フレーズも決めずにウワーッと、ひたすら気持ちのままにやったという記憶があって。かっこよく言ったら「おもむくまま」って言うんですかね。ベストかベストでないかという答えにはなってないかもしれないですけど、覚えているといったらそれを覚えてますね。
――最後は、来るべき『SAITAMA ROCK FESTIVAL“SAI”』の話で締めます。錚々たるバンドたちが参加を表明してくれました。
ありがたいですね。
――どんな心境で臨みますか。
シンプルに、来てくれたお客さんに楽しんでほしいです。今日こうやってデビューした頃の話をしましたけど、その頃に聴いてた人も年齢が上がってきて、もしかしたら家族もできて、あんまりライブに行ってなかったりとか、音楽から離れてる人もいるかもしれないですけど、そういう人たちも一緒に祝いに来てほしいです。……と、大木が言ってました。
――自分の言葉でお願いします(笑)。
でもそれを聞いて、確かにそうだなと思ったんです。自分ももしバンドをやってなかったら、ずっと音楽を聴いてるか?というと、聴いてない気もするし。でも自分が15年前に聴いてたバンドが記念のフェスをやるというと、ちょっとお祝いをしに行きたい気持ちにもなるじゃないですか。いい意味で昔を思い出す機会になってほしいなと思いますね。
――アニバーサリーのお祝いを過ぎても、まだまだバンドは続きます。その先にどんな夢を持ってますか。
やっぱりね、バカ売れしたいですね。
――おお~。そこですか。
それは初心と変わらないですね。インディーズの時に絶対的に自信を持っていたことが、今も変わらないので。むしろ唯一無二の大木の世界観はどんどん深みを増してるし、もっと売れてというか、世に広がってしかるべきものだと思ってるから、まだまだこんなもんじゃない。今もすごくありがたい環境だと思うんですけど、まだまだもっと上を目指していきたいなという気持ちですね。
――浦山一悟として、個人的な人生の目標はありますか。人間として。
うーん、そうですね、大きな病気にかからないように、健康でいられることがいいかな。ちゃんと健康管理して、ヘルシーに生きます。
――浦山一悟、一生ミュージシャンですか。
体が続く限りはやりたいですね。ドラムを叩ける限りは叩きたいです。
取材・文=宮本英夫 撮影=西槇太一
ACIDMAN・浦山一悟 撮影=西槇太一
2017年11月23日(木・祝)
さいたまスーパーアリーナ(埼玉県さいたま市中央区新都心8)
企画制作 SAITAMA ROCK FESTIVAL“SAI”実行委員会
運営 SOGO TOKYO
協力 さいたまスーパーアリーナ/UNIVERSAL MUSIC/Virgin Music
後援 川越市
ACIDMAN
ASIAN KUNG-FU GENERATION
the HIATUS
THE BACK HORN
STRAIGHTENER
10-FEET
Dragon Ash
BRAHMAN
MAN WITH A MISSION
RADWIMPS
(50音順)