日本初の近代演劇女優・松井須磨子100回忌記念「松代町オリジナル年賀はがき」申込み受付け中
松井須磨子
なんだかんだ、2017年も残すところ、あと2カ月になってしまった。僕はやり残したことばかり。皆さんはいかがですか?
今の演劇ファンは松井須磨子をごぞんじだろうか。日本初の近代演劇女優と言われる存在だ。日本の演劇は歌舞伎に始まる。それに対し、川上音二郎の書生芝居、壮士芝居が登場して新派へとつながっていく。一方で、早稲田大学講師でヨーロッパに留学した島村抱月は帰国後、坪内逍遥らと文芸協会を設立し、やがて演劇研究所の1期卒業生らにより帝国劇場で『ハムレット』を上演する。その舞台でオフィーリア役を演じたのが松井須磨子だ。1911年のこと。ちなみに時期を同じくして、やはりヨーロッパ演劇に刺激を受けた小山内薫と二代目市川左団次により翻訳劇を演目に据えた自由劇場も活動を開始する。その二つの動きが新劇運動の先駆的な役割を果たした。新劇というのは現在の文学座、俳優座、民藝、青年座などの劇団を指す(あまり今では新劇とも言わない気がするが、小劇場と対になる言葉としてはわかりやすいかもしれない)。また文芸協会の演劇研究所2期生には澤田正二郎がいて、歌舞伎よりもリアルな立ち回りを多用した時代物で男性客の人気を得た新国劇を旗揚げする。
話を松井須磨子に戻そう。1911年、ヘンリック・イプセン『人形の家』の主人公ノラを演じて認められ、1913年、島村抱月と劇団芸術座を旗揚げし、レイ・トルストイ原作『復活』(抱月訳)のカチューシャ役が大当たりし、人気女優の階段を駆け上った。また『復活』の中で須磨子が歌った主題歌「カチューシャの唄(復活唱歌)」(抱月作詞・中山晋平作曲)のレコードも当時2万枚以上を売り上げる大ヒットを記録するなど、日本初の歌う女優の名もほしいままにする。明治から大正時代の封建的な風潮が強かった時代のことだ。日本初の美容整形をやったと言われたり、不倫で有名だったり、もの静かな長野県民としては異色?だったか、情熱的に、そして奔放に光り輝きながら時代を駆け抜けたらしい。
須磨子は明治19年7月20日、今の長野市松代町清野に士族の五女として誕生した。その活躍は上記の通りだが、大正7年11月5日、敬愛する島村が病死すると、須磨子は一転、抜け殻のようになって、大正8年1月5日、島村の後を追い32歳の若さで自らの手で人生の幕を下ろす。そして2018年の新年早々に100回忌を迎える。
今までの話は前振りで、本当の本題はここからです↓
須磨子の出身地、松代観光事業振興会では、松代町を広く周知するため彼女の肖像を描いたイラストを印刷したオリジナル年賀はがき(10枚1セット)を発売する。現在受付中。
故郷・長野市松代町清野には、今も須磨子の生家と、生家の裏山にお墓がある。そうそう、新宿中村屋の創業者・相馬黒光と夫・愛蔵(今の安曇野市出身)は芸術座、特に須磨子をひいきしたんだそう。中村屋サロンと銘打って、さまざまな文化人と交流したそうだが、きっとひときわ華やかだったろう。このお正月は、須磨子のはがきで年賀状を出し、中村屋の元祖クリームパンでも食べながら、100回忌をお祝いしませんか? お祝いなのか? そんな女優がいたからこそ今の演劇界があることに思いを馳せるのがよいかもしれない。それに長野市は北陸新幹線で東京から約1時間30分。近い近い! 松代の町をぜひ散策してみてほしい!
文=いまいこういち
◼︎申込方法:購入希望の方は別紙申込み書にご記入の上ファクスまたは必要事項をメールでお送りいただくか、会議所松代支部窓口でお申込みください。
◼︎申込受付期間:10月16日(月)~11月10日(金)
◼︎支払方法:代金は会議所窓口で現金でお支払いただくか、または下記口座にお振込みください。
◼︎締め切り:11月10日(金)
◼︎振込先:八十二銀行 松代支店 普通169959 松代観光事業振興会 会長 芳川順一
◼︎お渡し方法:11月29日(水)以降、ご希望の場所(松代支所または松代まち歩きセンター)でお渡しします。*市外からお申込みの方は送料無料でお送りします。
◼︎お問合せ:松代観光事業振興会(長野商工会議所松代支部内)
TEL.026-278-2534、FAX.026-278-2554
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