安藤裕子インタビュー 「14年間やってきた音楽をもっと華やかに」――歩みをゆるめた2年間を経て、いま思うこと
安藤裕子 撮影=菊池貴裕
安藤裕子が前回SPICEのインタビューに応えてくれたのは、約2年前の2015年10月。2016年3月にはアルバム『頂き物』をリリースし、その後はマイペースでライブ活動を続けながら、今年に入って6月にシングル「雨とぱんつ」をリリース、今日に至る。その間のことについて安藤に尋ねると、“足を止めていた期間”だと言う。たしかに、『頂き物』はタイトルが示す通り、外部の作家から提供された曲を歌うという、シンガーソングライター・安藤裕子の“シンガー”の部分にスポットを当てた作品(1曲だけオリジナルあり)だったし、「雨とぱんつ」は2曲入りのシングルだ。これまで続けてきた、自身での作曲は2015年1月にリリースしたアルバム『あなたが寝てる間に』以降、3年近くほとんど行っていない。
彼女はなぜ活動のペースを緩めたのか、それによって何が見えたのか、そしてこの先何がしたいのか。7インチ盤がリリースされたばかりの「雨とぱんつ」や年末年始に控えた『Premium Live』のことも交えて聞く。
――SPICEのインタビューは約2年振りです。
その時どんなことを考えていたのか、記事を読み返してみたら、“ちょっと足を止めようと思ってる”っぽいことを話していて。まさにその通りになりました。全てを急に止めるわけではなく、ちょっとずつですけど。
――それを伺ったのが2015年の10月。アルバム『頂き物』のリリースが2016年3月にあって、そこから徐々に、という感じでしょうか?
その頃、曲を作ることにたいして「どうなんだろう?」って思ってたんです。そうしたらディレクターが「シンガーとしてやってきた十何年でもあるし、焦って作るより、人が作った曲を歌って楽しんでもいいんじゃない?」って言ってくれて、その頃に出会った人たちや昔から知っている人たち、気になる人たちに曲を作ってもらったアルバムが『頂き物』で。
――なぜ曲を作ることに疑問があったんですか?
人様に作るなら楽しいんですけど、自分で自分に書くものがなかったんです。シンガーソングライターにもいろんなタイプがいて、例えば自己プロデュース能力が高い人なら、見え方や反響を考えて曲を作れると思うんですけど、私はそうじゃないから。私小説的な部分が強過ぎて、自分を描くしかできなかった。でも段々と自分にかけてあげる言葉が浮かばなくなってきて。
――そこから現在は、何か変わりましたか?
レコード会社から離れて、でも私の性格的に急にスパッと止めちゃうと、全然動かないだろうっていうのがあって、事務所スタッフが2016年の年末くらいまではライブやイベントを細かく入れてくれたので、ペースを落として過ごしてきました。2017年に入って、自分は何をやりたいのか、ライブをやりながらずっと考えてたんですけど、やっぱりまとまらなくて。
――いろいろと考えることがあったとはいえ、ライブもされていますし、そこまで休まれていた印象はないんですよ。
そうなんです。完全に停止する時間は得てないんですけど、私のようなメディアとかに出ないタイプの音楽家って、日頃はプリプロダクションとかレコーディングに、だいたい年の4分の3くらいは費やすんです。それがなくなったぶん、変な話3キロくらい太ったし、そこから落ちない(笑)。
――歌うのってエネルギー使いますもんね。
ほんとに。そんな状態で、まだお話しするほど自分の考えがまとまってないんですけど、少しでも人前で歌ってないと忘れ去られるし、自分でも歌うことが怖くなる。……だって人前で歌うんですよ。怖くないですか?
――はい、想像しただけでも。
だからそこまで隙間を空けたくはないんで、地道に歌っていこうと思ってます。でも私はやっぱり作り手だから、そこの道はちゃんと決めなきゃいけないっていう気持ち。
安藤裕子 撮影=菊池貴裕
――何かぼんやりとでも構想はありますか?
一つチャレンジとして考えているのは、“これまでの安藤裕子”らしいサウンドプロダクトが好きな人の気持ちは裏切りたくないから、名前を変えて、新しい自分の作品みたいなものを作ってもいいのかなって思ってます。
――コーネリアスとかオリジナル・ラブみたいな?
そういうことに近いですかね。どうなるかわからないですけど。
――そういう意味では、今年リリースされたシングル「雨とぱんつ」はどういう位置付けなんですか?
リハビリみたいな感じかなあ。今度はもうちょっとそれを飛躍させて、やりたいことを突き詰めていきたい。
――そうなんですね。シンプルに足取りが軽くなったように思いました。気負いがないというか。
そうですね。物販として作ったというのも大きかったと思う。そんなに壮大なものでもないし、身近な感じの作品だと思います。
――タイトルも歌詞もユーモアがあっておもしろい。
「雨とぱんつ」って名前は、Salyuちゃんが付けたんですよ。デビューは近いんですけどそんなに接点はなかったのが、2年くらい前から仲良くなって、今は一緒にご飯を食べたり。で、サーフィンにも行ったんです。
――お二人とも、サーフィンのイメージが全然ないですけど(笑)。
そうなんですよ。で、案の定Salyuちゃんはすぐ足がつって、私は楽しかったんですけど、だんだん波待ちの間に船酔いしちゃってリタイア(笑)。
――大変じゃないですか。
そのあとも大変で。彼女はほんとに龍神がついているレベルのすごい雨女で、出番がくると雨が降るみたいな。私は晴れ女なんでサーフィン中は晴れてたんですけど、終わってビールとか飲みながら休んでたら、向こうから真っ黒な雲と一緒にスコールが追っかけてきて、走って逃げて。そのスコールが抜けたあと、雲と晴れ間の境目にかかった虹を見ながら、「さすが龍神だね」って話をしてました。その帰り道に、イベントで一緒に歌える曲を作ってみようってなって、Salyuちゃんが考えたタイトルが「雨とぱんつ」。遊びのなかで作ったから、軽やかに聞こえるっていうのもあるかもしれません。
――「雨とぱんつがずり落ちて」って凄く印象に残る言葉ですよね。
「雨とぱんつ」なんて名前の曲ねえよって思いながらメロディーをつけたら、そんな感じになりました。
雨も落ちるしぱんつも落ちる。それはいいチャンスでもある。雨で服もビショビショで、脱ぐしかないからそういう機会を得ることもあるよね……ってことですかね。勇気の湧かない恋人達への後押しみたいな雨って事です。
――サバイバルの方法というか、遭難して寒くなってきたら裸で抱き合うのが一番いいって、そういうことまで想像しました。
はは! ですよね、暖かいですよね。
安藤裕子 撮影=菊池貴裕
――「雨とぱんつ」も「暗雲俄かに立ち込めり」もグルーヴがあって、歌の力と同列で“踊る”という感覚があることも印象的でした。
これまで煮詰まっていた理由のひとつは、重みがあり過ぎたってこと。音楽なんですけど、言葉を全うし過ぎていたように思います。そんなに真面目に生きてないのに、真面目な曲ばかりやらなきゃいけないような気になったり、自分から出てくる言葉も真面目なことばかりだったり。軽い言葉が出てきて作ってもアルバムのなかで浮いちゃうから、もっと音だけでいいはずの曲がそうじゃなくなっちゃう。
そういうクセを取る時間も欲しかったところに、ちょっとリハビリ的な曲を作ることで、安藤裕子で14年間やってきた音楽をもっと華やかにできるんじゃないかな?って思えたんですよね。
――若い時って初めて体験することが多いから、いろんなことを歌にしやすいと思うんです。そういう物事にたいする新鮮味が減ってきたとか、歳を重ねるに連れて向き合わなきゃいけないことが多くなってきたとか、正直感性が鈍ってきてるとか、“真面目なこと”しか出なくなったことについても色々考えられると思うんですけど。
全部だと思います。音楽を始めた頃は、好き勝手やってたと思うんです。私小説だから、楽しいことも悲しいこともあるし、ファンの方々からいただく手紙やメールを読んでいると分かるんですけど、音楽を生きる糧にしている人ってたくさんいるんです。人々が元気に生きてる限りは、音楽って手軽な暮らしのアクセサリーみたいなものだったりしますよね。でも、みなさんの言葉を受け取っていたら、もっと真剣にやらなきゃって思うようになりました。自分自身も、人生の積み重ねで悲しい別れもあったり。ただ生きてるだけでも重みは増してますよね?
――はい、わかります。
2011年に震災があって、私にとっていちばん大切だった家族、祖母が亡くなって、それと引き換えに自分も妊娠して子供を産んだ。生きると死ぬがテーマになり過ぎてしまって、そこから抜け出そうと思っても現実的なことがちらついて、作品にも強く出過ぎちゃう。そこらへんがいろいろ迷い始めたスタートだったのかな。
もっと前からそういう感覚はあるにはあって、2010年の『JAPANESE POP』から『勘違い』と『グッド・バイ』、アルバムを追うごとに、妙に重くなっていくんです。『JAPANESE POP』と『勘違い』は、ジャケットも黒を使ってて、色彩感が落ちていくように。『グッド・バイ』では最初の頃に立ち返ろうと思って、デビュー作『サリー』のジャケットを意識したんですけど、気持ち的には一番落ちてたかも。
タイトル曲は震災の時に作った曲で、そのとき「都会のカラスなんたらかんたら」って曲もあって、それはまさに自分が死んだときの曲なんですけど、あまりに綺麗に“死んじゃった”から、収録するともう音楽活動ができないと思って入れなかったんです。周りも心配してくれたし、もっと楽しもうと思って作ったのが『あなたが寝てる間に』。そこにそのカラスの曲を入れて(「都会の空を烏が舞う」)、ライブでも最後にやってたんですけど、もう大満足。これができてよかったって、終焉を迎えた感覚ですよ。一生分を語ったような。そこから自分にかけてあげる言葉が浮かばなくなって、『頂き物』とかやったんですけど、結局休み時間が続いてる。
安藤裕子 撮影=菊池貴裕
――でも、今また新しい方向を探されてる。
だって、一生分を費やした気になって満足したところで、私はまだ生きてるし、死んでない。だからもう一回、自分を芽生えさせてあげたいというか。それにはいろんなインプットや人との出会いも必要だし、自発的にイベントをオーガナイズしたりもしました。
あとは、子供の傍にいたいって思っていた部分も強いのかも。音楽ってどこかエゴイスティックというかナルシストというか、そうならないと、全うできない部分があるんです。そこで、子供と向き合いたいって思う気持ちが芽生えたことは、自分に興味がなくなったことともっとも近かったかもしれない。子供といたくて仕方がないから、仕事以外の余白を自分と鏡で向き合ってる場合じゃない。
――なるほど。アーティストって、乱暴な言い方をすれば、頼まれてもないのに声を上げたり、自分を表現したりするわけですからね。
ほんとそうですよね。ある意味気持ち悪い(笑)。もともと人前に立つことはそんなに好きじゃないし、私より音楽に没頭している人や才能がある人なんてたくさんいるし、何やってんだろうって。でも、子供ができたことでそう思った反面、子供がいたからこそ、ここまで音楽活動を続けてこられたんです。
――どういうことですか?
まず体調がよくなった。それまでは、ネガティブな思いでしか自分を証明できないから一生懸命音楽にすがりついて、その不安定さが体調に出てたんですけど、そういう原因不明のしんどさもなくなったし、風邪引かなくなったし。子育てって、労力だけ考えたらもっと疲れちゃうはずなんですけど、不思議ですよね。
あと、基本的に根暗な性格なんですけど、目の前に子供がいるのにそんな自分に酔いしれてる場合じゃないってことで、性格が明るくなったと思います。……って、このトーンでこんな内容の話をされて“明るい”とか言われても困ると思うんですけど(笑)。
――いえいえ、ここまでの話の落としどころは全部、前向きじゃないですか。
そこが伝わればいいなって思います。
安藤裕子 撮影=菊池貴裕
――だからこそ、今とこれからが気になる。新たなインプットはありました? サーフィン的なものとか。
サーフィン的なのは無いかなあ。あ、でも新しいことにチャレンジするという意味では、音楽じゃない声の表現――小林武史さんがプロデュースした『円都空間 in 犬島』で詩の朗読をしたり。ほんとに楽かった。
――安藤さんと朗読。イメージ湧きます。直近のニュースだと「雨とぱんつ」が7インチでもリリースされますね。
歌もの然としているものでもないから、軽やかに楽しんでもらいたいなって思います。ジャケットも手作り感があって、インテリアとして飾ってもらうにもいいなって思ってて。だから、そういう話があった時に「どうぞどうぞ」って感じでリリースすることになりました。
――メジャーレーベルを離れてのリリース活動。今の音楽の聴かれ方や情報の取り方に思うことなどあるのでしょうか?
私のようにメジャーレーベルと共にやってきた人間にとって、今の時代の移り変わりを脅威に思うこともあって、そういうことをブログに書いて取り沙汰されたこともあったんですけど、足掻いたところで、システムも人の暮らしも変わってますから、うまく取り入れていくしかないんですよね。
とはいえ、自分でやってることはそんなに収入にもなってない。そこを広げていくためには自分でやれる事を育てていくのもいいし、私のような声の小さな人間は、細々とやっていくよりメジャーという大きな傘の下に入ってやる方が、たくさんの人が伝えてくれるから、メジャーでやることのメリットもたくさんあると思いますし。
――そうですよね。
そんななかで、身近な作品を作るということが許されやすくなった、自由度は増してると思います。これまでだったら「雨とぱんつ」みたいなことはできないし、システムが壊れていくことで、みなさんやりやすくなっている面もあるのではなかろうかと。自主でやってる人が生活基盤を得やすく、メジャーの縛りにある人も色々とやりやすく、そういう流れはあるんじゃないかと思います。
安藤裕子 撮影=菊池貴裕
――ライブ活動に関しては、直近だと12月と2018年1月に、恒例の『Premium Live』があります。内容的にはどんな感じになるのでしょうか?
安藤裕子の曲って、“弦”のたゆたいみたいなイメージが常に強かったから、冬もそうしようかと思ったんですけど、春にストリングスとバンドでやったライブでけっこう満足したから、違うことをしようと思ってます。
――違うこと?
安藤裕子の、もっとポップな部分を担っていたのって“管”なんです。「あなたと私にできる事」とか、「のうぜんかつら」のリプライズでない方とか、明るくてポップな部分を再現したいですね。
――カバー曲も楽しみです。これまでの曲目を振り返ってみると、その幅が実に興味深いので、今回は何がくるのか。
カバーが好きなんです。自分で曲作らない方がいいのかなって思うくらい(笑)。今回はちょっと1曲やりたいのがあって、凄くオーソドックスなの。
――これまでのセットリストでいうと、ニルヴァーナ「Smells Like Teen Spirit」みたいな?
もっとオーソドックス。最初はマニアックなところをやってたんです。あまり派手すぎるのもちょっと……と思っていて。でもだんだんと、大物に手を出したくなる気持ちが。
――そういえば、あまり音楽的なバックグラウンドの話はなさらないですよね。
ですね。公言してるのは、“はっぴいえんど”くらい。このあいだ、松本隆さんのトリビュート・イベントで歌わせていただいて、そのときは心臓に毛が生える……あ、毛は生えない(笑)。穴が空いちゃうくらいに緊張しました。
――青春時代、他にどんな音楽を聴いていたのか、気になります。
自分たちが中高生の時って、R&Bとか黒い感じの音楽が流行っていて。でもそこじゃなくて、ニルヴァーナもそうだし、お姉ちゃんがメロコアというか、バッド・レリジョンをパッと思い出すんですけど、そういうのはよく聴いてたかもしれない。兄弟で手分けして音源集めてました。カラオケとかも流行り出して、そこでみんなが歌う曲とか、身近にいろんな音楽が雑多にあったなかで、洋楽のほうが、情報が多かったんです。
――バッド・レリジョン、やりますか?
さすがにしないです!(笑)
――(笑)。そして2017年で40歳、2018年はデビュー15周年でもあります。
ほんと、やってこれてよかったと思います。なかなか続けられない仕事ですから。そこは聴いてくださってる方々に感謝しかないですよね。聴かれなかったらこんな話もさせてもらえないですし。
でも、続けてきたからこその代謝も必要ですよね。お客さんも歳を重ねてるし、当時の曲を今も聴いてくれてることはありがたいけど、私としては、今感じてることもちゃんと分かち合えるように、活動していきたいです。そのなかでまず年末年始は、初期からやってきた“ポップシーンの安藤裕子”をバンドで思いっきりやるんで、よろしくお願いします。
取材・文=TAISHI IWAMI 撮影=菊池貴裕
安藤裕子 撮影=菊池貴裕
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2018年1月8日(祝・月)なかのZERO(東京)
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