東京二期会オペラ劇場『ダナエの愛』 深作健太氏にインタビュー
撮影:平田貴章
「幻のオペラ」と呼ばれるリヒャルト・シュトラウスの『ダナエの愛』。作曲家が生涯の終わり近くに書いたこの作品は、音楽的な水準の高さにもかかわらず世界で十数個の演出ヴァージョンしか存在せず、我が国でも演奏会形式の上演しか行われてこなかった。今回の東京二期会による初の舞台上演では、映画監督の深作健太さんが演出を手掛けることでも大きな話題となっている。2010年から演劇の演出家としても活躍する深作さんだが、オペラ演出はこの『ダナエの愛』が一作目。都内の稽古場で行われている舞台稽古は白熱し、深作さんは歌手と同じ動きをしながら、歌詞のひとつひとつを吟味して芝居を作り上げていた。少年時代からオペラに魅了され、たびたびドイツに飛んで本場のワーグナーを鑑賞していたとい深作さんに、大きなオペラ愛と演出のヴィジョンについて尋ねた。
■ふたつの宝物が描かれたオペラ
撮影:平田貴章
――『ダナエの愛』は名作にもかかわらず、リヒャルト・シュトラウスのオペラの中では不遇の作品と呼ばれています。
リヒャルト・シュトラウスさんがこの曲を作曲した当時は、世界恐慌があり、次に第二次世界大戦があって、ヨーロッパ全土が戦火に覆われていた時期でした。そうした背景もあって、平和への祈りということがこのオペラには込められていると思います。『ダナエの愛』には2つの宝物が出てくるのですが、ひとつは黄金であり、もうひとつはタイトルにもなっているリーベ=愛です。一番の価値であった黄金が、戦禍によってまったく価値をなくしてしまう。では新しい価値観とは何か、新しい宝物とは何か?となったときに、愛が出てくるのだと思います。しかしこのリーベ=愛は、19世紀のワーグナーさんの時代に語られていたものとは違うんですよね。大きい神様の愛とうのは、ナチスの台頭や国家主義の台頭によって、全部意味をなくしてしまう。リヒャルト・シュトラウスさんが説いた愛というのは小さな愛で、『影のない女』でも語られている愛なんですけど、家庭の愛や、つつましやかな愛のことです。人間一人一人の愛にこそ、大切なものが込められているんじゃないかと。リヒャルト・シュトラウスさんはそう考えたのではないかと思います。
■オペラ体験はワーグナーから
撮影:平田貴章
――深作さんはもともとオペラの大ファンだったのですね。
学生の頃から好きで、最初はワーグナーさんのオペラだったんですけど…というのは、僕は映画が好きで、ジョン・ウィリアムズさんの音楽が好きで、『スターウォーズ』からクラシックに入っていったんですよ。すると、ジョン・ウィリアムズさんのライト・モティーフの使い方というのは、元をたどればワーグナーさんに辿り着くんです。そこで『ニーベルングの指輪』なんかを見るとすごく感動するわけですね。それが入口です。そこから遡ってモーツァルトさんや色々なドイツ・オペラと親しむようになり、ぶり返しでリヒャルト・シュトラウスさんに出会うんです。最初は『サロメ』や『エレクトラ』のような初期のとんがったオペラから入っていったんですが…30過ぎてからですね。『ばらの騎士』や『ナクソス島のアリアドネ』の美しさが分かるようなったのは。ハッと気づけば「美しい」という形容詞を今までの人生であまり使ったことがなかったんですよ。「綺麗」とか「可愛い」は女の子に対しても使うけれど、「この音楽は美しいなぁ」という感覚を感じるようになったのは『ばらの騎士』や『アリアドネ』を聴くようになってからです。
――相当たくさんのオペラを聴いてこられたのですね。
『ダナエの愛』にはワーグナーの『ニーベルングの指輪』のモティーフが少し使われているんですよ。パスティーシュというより、もっと突っ込んだオマージュを捧げていると思います。描かれている神様も『ダナエの愛』のユピテルと『指輪』のヴォータンはどこかつながっていると思うので、意識して演出させていただいています。
■ウィーンの地下墓所がダナエの棲家
――大変丁寧に読み込まれていますが、『ダナエの愛』の音楽はもう何回くらい聴かれたのでしょう…?
何度も稽古場で聴いて、稽古場の行き帰りに聴いて、クレメンス・クラウスの初演盤も他の録音も聴かせていただいて…聴けば聴くほどダイナミックな部分もありますし、リリカルな部分もあって、演出しがいのある作品だと思っています。
――ダナエが黄金の雨を浴びるシーンは、演出的にも大きな見せどころですね。
ダナエの設定は、台本には書かれていないんですが、原作のギリシア神話だと彼女はのちにペルセウスを生みますから、お父さんに怖がられて幽閉されているんですよね。それを自分の演出でもいただきました。冒頭ではダナエは地下墓所に幽閉されている。その天窓から金の雨が降ってくる…これは果たしてユピテルが変身したものだろうか? という疑念が僕の中ではあるんです。抑圧された10代後半の少女が抱く性的な夢、トラウマとしての夢である可能性もある。その先に、自分を迎えに来てくれる大切な恋人の存在が見えてくるんです。
撮影:平田貴章
――ダナエは二人の男性から求愛されますね。
主神ユピテルと王ミダス。ミダスの登場シーンはテノールの聞かせどころですね。福井さんも菅野さんもあそこで「ダナエ万歳」と言って現れる。そのあとにミダスに化けたユピテルが、さらに上をとってかっこよく登場する。小森さんと大沼さんの聞かせどころですね。登場の勇ましさとメロディの美しさが素晴らしいです。
撮影:平田貴章
――さきほど、ダナエの棲家は地下墓所と仰られましたが、深作さんはセットのイメージを得るためにウィーンに取材に行かれ、この地下墓所を見つけられたといいます。灰色の閉じ込められた空間が、オペラの中で意味するところは何なのでしょう?
当時のヨーロッパは戦火に覆われ、この『ダナエの愛』もナチスの劇場封鎖令によって1944年に飛ばされてしまい、1947年のザルツブルクでの初演まで3年間待たなければなりませんでした。色々な都市で美術品や芸術品が燃え、その中にはウィーンを代表するクリムトさんの絵も…。僕は、この作品に3つの瓦礫をかぶせたいと思って演出しています。一つは、戦火の中のドイツの瓦礫ですね。ほとんどの都市が灰燼と化してしまいました。そして同じころ、日本中の都市が空襲や原爆によって瓦礫になってしまいました。そこから70年経って、高度成長で日本もドイツも一生懸命復興を遂げたわけなんですが、また震災が来て、戦後の復興の原動力となったエネルギーの問題もあって、今でも被災地の復興が果たせないところがまだある。3.11の日本の瓦礫も重ね合わせて、3つの瓦礫を主題にして描きたいです。1幕目と2幕目は地下墓所のダナエの寝室で、物語が展開される。3幕目は瓦礫の荒野で、いかにダナエとミダスは復興を遂げ、自分達を見つけて行けるか。そして世界を一度滅ぼしてしまった神としてのユピテルは、どういう形でまたここに戻り、ダナエとの愛を取り戻せるのかどうか…そのへんをテーマに見ていただけたらなと思います。
――リヒャルト・シュトラウスのオペラでは、いつも女性が選びますね。女が選択する権利を持っている。
音楽って、ドイツ語では女性名詞なんですよね。シュトラウスさんは、自分のオペラのほとんどに女性の名前をつけているんです。『サロメ』も『エレクトラ』も『アラベッラ』も『アリアドネ』もそうです。一方で、交響詩は『ドン・ファン』であったり『英雄の生涯』であったり、男の名前がついていることが多い。ですから、シュトラウスさんにとってオペラは娘のような存在だったのではないかと思います。
■ダブルキャストのそれぞれの魅力
撮影:平田貴章
――10/2.4のキャストと10/3のキャストとでは、どのような違いがありますか?
2日と4日のキャストは、ユピテル小森輝彦さん、ミダス福井敬さん、ダナエ林正子さんと、一オペラファンとして、夢の顔合わせです。ユピテルとミダスがえんえんと歌で闘うシーンがあるわけですが、小森さんと福井さんは本当に夢の対決で、こちらも演出席で見てわくわくしています。そして林さんの美しいダナエがそこにからんで、素敵な三角関係になっていきますから、日本を代表する共演を楽しんでいただければと思います。一方、3日のほうは、若杉先生の指揮で日本初演した佐々木典子さんがダナエで、ベテランの佐々木さんに大沼さんのユピテル、菅野さんのミダスという若い二人がぶつかっていく。そういう組み合わせが素敵だと思います。佐々木さんのダナエがまた、とても可憐で可愛いんですよ。それぞれ全く違った印象ですし、二回とも見ていただきたいですね。
――お稽古では、深作さんと歌手の方が細かく話し合いをされながら、ひとつひとつお芝居の真実を探っていくような場面を拝見しました。
映画や演劇を自分はやってきて、お芝居の部分で大切にしたいのが、言葉や想いの発動点なんですよね。どこで相手の思いを、台詞として発動していくのか…アクションよりリアクョン大事だと思っていますので。どういうときにどういう気持ちが働いて、その歌が出てくるかというところを大切にしたい。稽古のときは想いの部分を探っていって、一緒に楔(くさび)を打ちながら作っています。先輩である歌手の皆さんから教えていただくことも多く、毎日色々な感情やモーメントが生まれていっています。
撮影:平田貴章
――俳優と歌手とでは、演出する感覚も異なってきますか?
一緒なんですよね。戯曲を元にした演劇や映画と、スコアを追うオペラとでは違うと思っていたんですが、やはりどこで感情が生まれ、次の言葉や次の歌が生まれてくるか、という点では演劇とオペラは違わないし、違いがあってはいけないと思います。区別せずに同じなんだと思って作っていますが、大きな違いもあります。音楽の魅力を聴いていただくのがオペラだと僕は思っていますので、そういう意味では演出の見せ方は一歩下がったところで、まずはシュトラウスさんが書いた美しい音楽を聴いていただいて、そのあとでお芝居と、見える「絵」か伝わっていけばいいですね
――指揮者の準メルクルさんとは、制作記者会見ではとても仲良く見えました。
あの会見の日、僕は財布を忘れてしまってメルクルさんに500円の定食をおごってもらったんです(笑)。そのときにどんなコンセプトで作るんだと聞かれて、一点だけ、シュトラウスは大音量なのでなるべくなら反響する装置にしてほしいというリクエストを仰られたんです。地下墓所を考えていたので、それなら壁に反響するし、問題ないと。すごくいい方で、僕にとっても兄みたいな人ですし、これから合流してどんどん稽古で作ったものを積み上げていきたいです。
――初のオペラを(御父様の)故・深作欣二監督に見せたかったと思うことはありますか?
学生の頃、必死の思いで一万円借りてNHKホールの三階の一番後ろの席からオペラを観ていました。それで、たまに親爺のすねかじりでついていくと、よく寝てたんですよ(笑)。だから、もし元気で見てくれていたとしたら、寝ないオペラを見せたいですね。親爺は、映画は祭りだと言ってましたが、たった一日の本番のためにゼロから毎日繰り返し続けて行くオペラも、僕にとってもお祭りを作っているようなもの。楽しくて仕方ないんです。
[取材・文=小田島久恵]
[撮影=平田貴章]
(インタビュー全編動画/聞き手:小田島久恵)
2015/10/2(金)~10/4(日) 東京文化会館大ホール (東京都)
原案:フーゴ・フォン・ホーフマンスタール
台本:ヨーゼフ・グレゴール
作曲:リヒャルト・シュトラウス
演出:深作健太
ユピテル:小森輝彦/大沼 徹
メルクール:児玉和弘/糸賀修平
ポルックス:村上公太/高田正人
ダナエ:林 正子/佐々木典子
クサンテ:平井香織/佐竹由美
ミダス:福井 敬/菅野 敦
セメーレ:山口清子/北村さおり
オイローパ:澤村翔子/江口順子
アルクメーネ:磯地美樹/塩崎めぐみ
レーダ:与田朝子/石井 藍
ほか
合唱:二期会合唱団
【1】10/2(金)公演にご来場のお客様先着1,500名様に、準・メルクル指揮特別CDをプレゼント!
【2】10/3(土)公演終了後に、深作健太によるアフタートークショー開催!
公式サイト:東京二期会 http://www.nikikai.net/lineup/danae2015/