青年劇場公演『あの夏の絵』作・演出の福山啓子に聞く
青年劇場公演『あの夏の絵』(福山啓子作・演出) 撮影/V-WAVE
11月18日から、青年劇場公演『ある夏の絵』(福山啓子作・演出)が、スタジオ結(YUI)で再演中だ。ある年の夏、美術部の高校生たちが、長年、自分の被爆体験を語ろうとしなかった証言者のおじいさんからお話を聞いて、それを絵で再現していく過程を描いた劇だが、おじいさんと孫という世代の違いを乗り越えて、両者は広島に原爆が投下された直後の記憶へとさかのぼっていく。そして被爆者が語る言葉と、それをできるだけ忠実に再現しようとする高校生の思いが、奇跡のような絵として結実する。言葉が絵を生みだす一方で、絵が記憶を掘り起こし、掘り起こされた言葉が絵をさらに精密にしていく。この感動的な舞台の再演について、作・演出を手がける福山啓子に話を聞いた。
「原爆の絵」を描く試み
──2年前、『あの夏の絵』を見せていただいて思ったのは、まず被爆者の方々は、わたしの親世代よりすこし上になりますが、そもそも戦争体験を語ろうとしない。あまりにすさまじい体験だったので、子供に伝えたくない。できれば自分の体験は、あの世まで持っていこうと考える。だから、その子供である40代、50代は、親から戦争体験についてあまり聞いていない。だから、わたしたちの子供たちの世代にも、個人的な戦争体験は伝えられないまま、消えていってしまう。そのようにして、戦争の体験がどんどん風化していく。そう思っていたときに、『あの夏の絵』を見て、被爆者と高校生のこういう協力のしかたがあるのかと驚きました。まず、ずっと話さないでおこうと思っていた被爆者の人たちが、やっぱり伝えなければならないと思って語りはじめた。しかも、ひと世代飛ばして、孫の世代に話している。しかも、その孫の世代が、いちばんプリミティブな絵を描くという方法で、その記憶をいっしょに再現していく。70年以上前に起きた出来事を、絵で再現することによって体験しなおしていく過程が感動的でした。『あの夏の絵』を書かれたきっかけは、どういうものですか?
きっかけは日本原水爆被害者団体協議会(略して被団協)が、2014年に「原爆被害者の基本要求」策定30周年の集いを開いたんですが、そのときにわたしは構成劇のお手伝いをしたんです。被爆者のおじいちゃんと原爆の絵を描いた高校生と大学の先生が出てくる劇を書いたんですが、そこに登場する立教大学の小倉康嗣先生は、ずっとこの「次世代と描く原爆の絵」を追いかけていらして、この取り組みについて教えていただいて、びっくりして……。
──「原爆の絵」を描く試みは、何年前からやられているんですか。
2007年からです。その前の被団協の集会で、小倉先生は広島市立基町高校での取り組みを紹介されたんですけど、そのときはまだ広島の人たちや被団協の人たちも、知らない人がけっこういて……。
──基町高校が中心になって活動しているんですね。
やってるのは基町高校だけなんですよ。基町高校には、普通科が9クラスあり、1クラスだけ創造表現コースがあって、巨大な校舎のなかに、美術室がいくつもあるんですが、そこの美術部の生徒が2007年からずっと取り組んでる活動です。
その話を聞いて、構成劇にしたんですが、これで終わらせるのはもったいない気がしたので、2015年2月から小倉先生といっしょに基町に行き、美術部の先生や高校生の話を聞いたりしました。
見せていただいた絵が、やっぱりものすごい絵だから、どうして高校生がこんな絵を描けるんだろうと思うようになって、小倉先生にもいろいろアドバイスをいただきながら現地へ行き、いろいろ取材をする過程で、キャンバスの絵がどんどん変わっていくのを見ました。描いてあったものがなくなったり、なかったものが出てきたり、着物の柄が二転三転したり……6月ぐらいに完成披露会をやるんですが、直前まで手を入れて描き込んでいく。それを見ているうちに、絵はその結果なんですけど、その過程を演劇にしたいと思ったのがスタートです。
青年劇場公演『あの夏の絵』(福山啓子作・演出)のチラシ。
証言者と高校生の共同作業
──とても興味深いのが、最初は断片的にしか出てこなかった被爆者の方の当時の記憶が、はじめは曖昧だったのに、高校生が証言に基づいて、その断片や部分を絵として再現すると、今度はそのディテールまで思い出していく。そういう過程も面白い。しかも、それが80代と16歳という、おじいちゃんと孫ほど年齢が離れた人たちが、その差を超えて、ひとつの目標に向かっていく。ちょっと他にはありえない。
ほんとにね。やっぱり話を聞くと、被爆者の心情がわあっと伝わってくる。だから、何百人対ひとりとかで、講堂でマイクを使って話すときには、なかなかストレートには伝わらない思いでも、少人数で話をくり返し聞いていくと、傷みとか、苦痛とか、後悔とか、いろんな思いが伝わってきて……。
──プリミティブなかたちのものがダイレクトに伝わる。
整理されないものが出てくるんでしょうね。だけど、それを再現してくれと言われても、自分の感情ではないので、それがまず大変。見たことも聞いたこともないものですし。
でも、絵を描いていくうちに、傷口を描いたり、焼死体を描いていくうちに、それがものすごくつらいと思うことから重なりはじめて、自分の体験になっていく。人を赤で塗ったり、黒で塗ったり……この人は本当は死体じゃなくて人生があった、ほんの少し前までは生きていた。そこから、どういう人だったんだろうと考えて、絵のなかにそれを全部描き込んでいくんです。
そうなると、被爆者の思いと生徒の思いが重なっていき、ひとりひとりに表情がある絵になっていく。だから、すごく細かいところまで、いろいろな工夫を重ねて描かれている。
──美術部員の台詞にもありましたが、最初は肌色で塗ったあとに、傷口を赤で塗ったり、火傷の部分を黒くしたりという段階を踏まないと、そこまで行けないと言う。高校生たちは想像力を働かせながら、そこまで行こうとしている。そういう過程を経ないと、そこまで体験が共有できないんだという感じがしました。
だから、描いてもらった被爆者の方が、高校生とやりとりをくり返しながら、「ここはこうで……」と描き直しをするうちに、最終的には「私の絵」と言うようになる。描いてもらった絵じゃなくて、「私の絵」と言う。その過程もすごく感動的でした。
「もし、同じ場面を撮った写真があったら、絵とどっちがいいですか」と小倉先生がインタビューしたときに、多くの証言者は「絵がいい」と答える。その理由を尋ねたら、「写真のほうがきれいだけど、絵には思いがこもっているから」と言う。
──ご自身の思いと、それを受けとめて再現してくれた高校生の思い。
そうですね。
青年劇場公演『あの夏の絵』(福山啓子作・演出) 撮影/V-WAVE
被災者のひとりひとりに人生があった
──その一方で、修学旅行では被爆者の体験を聞く機会がありますが、ずいぶん前に、講演者に向かって生徒が飴を投げた事件がありました。このとき、被爆体験であろうとも、姿勢を正して聞いてくれないので、話す方もどうすればきちんと伝えることができるのかを考えなければいけない時代に入ったと思ったんです。『あの夏の雲』では、3人いる美術部員のうちのふたりは、はじめはそれほど乗り気でなく、美術部の先生に半ば強制のようにやらされるんですが、次第に巻き込まれていき、自分から積極的に関わりはじめるところが面白かった。
見てくださった方が、工藤奈々という東京から来た女の子が、わたしの分身のようだと言う方が多くて。彼女がいるから、割とすっと入っていける。反発しながらも惹かれていく。
──原爆を落としたのはヒトラーだって言ったり……。
あれはテレビのバラエティ番組で、アイドルが本当に言ったエピソードです。
──日本とアメリカが戦争をしていたと言うと、「嘘でしょう」と言って、信じない若い人は少なくない。
ちゃんと学校で教えないから、そういうことになる。日本史の授業が明治維新でおしまいになるので、本当に知らない。広島の子にとっては、となりの岡山でも、そうなってることがすごいショックだったり……そういったエピソードは、取材して聞いたことです。
──今年は、教員に関する権限が広島県から市に移ったため、8月6日を休日とする市条例を教員にも適用し、例年の登校日が取りやめになりました。広島市でも、そのような変化が見られるなか、戦争体験をどうやって受け継ぎ、後世に伝えていくかというときに、わたしたちの世代がやらなきゃいけないことはいっぱい残ってるなと。そのひとつはちゃんと聞いておかなきゃいけないということ。次に、その体験を聞こうとしない子供たちにどう伝えるか。難しいように思われますが、そのひとつの成功例がここにある。
そうですね。だから、表現させるということがポイントなんだと思うんです。一方的に聞くだけじゃなく、聞いたもので表現しなきゃいけないから……。
──言葉で聞いたものを、絵でアウトプットする。
インプットとアウトプット、そこが大きいんだと思います。美術部の橋本先生は、ずっと2007年度からずっとこの絵に取り組んでこられたんですけど、やっぱりこの絵を描くと子供に主体性が育つって。
──「成長した」という台詞がありました。
絶対に受動的では描けない絵なので、自分で資料を調べなきゃいけないし、現場へ足を運ばなきゃいけないし、画面を構成しなきゃいけないし、質問して聞かなきゃいけないし……って、そういうことをやってるうちに、主体性が育っていくということと、やっぱり思いを重ねていくという、このひとりひとりにどういう人生があったかとか、どういう暮らしをしていたかとか、そういうことを想像しながら表情が生まれていく過程のなかで、ただ見えるものだけじゃなくて、見えるものの裏側にあるものを考えるようになる。だから、その後の絵が変わってくるとおっしゃっていたのが、すごく印象的でした。
兒玉光雄さんという証言者は、もう5枚ぐらい絵がありますが、あるとき「被災者を正面から描いた絵がほしい」とオーダーした。横から撮ったり、後ろから撮った写真はありますが、カメラマンは被災者を正面から撮ることができない。だから、絵にするんだったら、正面から描いてほしいというオーダーで描かれた絵なんです(「『友達を助けてくれ!』『火が廻って来たぞ、逃げろ!』)。
──つらい人の正面に立って、カメラマンは撮れないんです。視線を避けるように、ちょっと横から撮ったりする。その気持はよくわかりますが、兒玉さんは被災者とちゃんと向き合ってほしいんでしょうね。
人物のひとりひとりにそれぞれのドラマがあって、こういうものも見た、こういうものも見た、そして、歩いて逃げる過程で見たものが、全部このなかに入っている。ここに兵隊が避難して並んでいるんですが、被災者を助けないで逃げていく彼らを見て、「日本は負けたと思った」とか、そういう思いも全部入っている。
これらの絵は全部、原爆資料館の地下の資料庫に入っています。資料館に行って、閲覧を希望すれば、だれでも見せてくれます。
広島平和記念資料館主催事業「次世代と描く原爆の絵」の冊子も、学校で手作りしており、1枚ずつコピーをとって作ったものです。予算がないから、図録として発注することはできないので、毎年手作りで作成しているんですよ。
『あの夏の絵』の作・演出を手がける福山啓子。
絵について語ることで、体験が広がる
——では最後に、作・演出家として、見どころについて教えてください。
やっぱり被爆者を演じることには、たいへんなプレッシャーがあるので、証言をリアルに、どう舞台の上に再現するか、役者も苦しみながら、悩みながらやっているんだと思います。でも、伝えたいという思いは、高校生とわたしたちもいっしょなので、証言を伝承していくかたちのひとつとして、こういうものもあるかもしれないと思ったと、美術部の先生が言ってくれたのは、すごくうれしかった。
原爆の絵の話と言うと、すごい重くて暗い話だと思われる方が多いんですが、見たらそんなことなかったと、みんなが言ってくれました。高校生が「原爆の絵」にどう取り組むのか、そのなかでどう変わっていくかを描いたお芝居なので、笑えるところもあるし、すごく爽やかな芝居だと思っています。だから、構えないで見ていただけたらと思います。
──高校生たちの絵が、綿密に、何層にもわたって描きこまれている感じがすごくするのも魅力のひとつですね。それだけの時間をかけて、ある証言をより重層的に絵画のかたちで具体化しようとしたところも……。
だから、描くということ自体は、その高校生自身の体験なので、基町高校の創造表現コースは美大へ進学する生徒が多いんですが、自己紹介でプレゼンテーションみたいなのをやるときに、この取り組みの体験を話すと、大学の先生も学生たちもすごく真剣に聞いてくれたというから、高校生自身が体験を語る「語り部」になっている。そういう広がりかたもすごくすてきだなと思う。
──それに加えて、歴史の事実に対する真剣さが、ここにはありますね。
ものすごい真摯なんですよ。
──本当に事実に向かって、真摯な姿勢で、一生懸命に表現をする。すると、最初は怖い体験だと思っていても、描いているあいだは我を忘れて描いてしまう。描いているときは怖くないというのも、すごく面白い感想だと思うんですけど、それと同様に、舞台を見ているあいだも怖くなくて、いっしょに原爆の体験について考える時間になってくれたらいいなと思います。
取材・文/野中広樹
2017年11月18日(土)〜23日(木・祝)青年劇場スタジオ結(YUI)
2017年11月25日(土)18:00、中野・なかのZERO小ホール
2017年11月27日(月)18:30、府中・バルトホール
2017年11月28日(火)18:30、八王子・いちょうホール小ホール
2017年12月1日(金)18:30、埼玉会館小ホール
2017年12月3日(日)14:00、横浜市教育会館
2017年12月9日(土)14:00、市川市八幡市民会館全日警ホール
2017年12月14日(木)18:30、千葉市美浜文化ホール
■作・演出:福山啓子
■出演:青木力弥、藤井美恵子、秋山亜紀子、原田悠佑、傍島ひとみ、前田みどり
■公式サイト:http://www.seinengekijo.co.jp/