中谷美紀の美しき女盗賊、井上芳雄演じる名探偵との残酷で純粋な愛の駆け引き『黒蜥蜴』開幕
中谷美紀
2018年1月9日(火)、中谷美紀と井上芳雄らによる舞台『黒蜥蜴』が東京・日生劇場にて開幕した。演劇界の俳優たちが敬愛する英国演出家デヴィッド・ルヴォーが、自身が敬愛する三島由紀夫の作品に臨む。初来日から約30年を経た今も日本で演出を続けたいと願うほど日本に魅了された理由は「三島由紀夫作品と歌舞伎に出会ったためだ」と語るルヴォー。今回、長年夢に描いた演出プランで上演する。
三島由紀夫の『黒蜥蜴』は、残酷で純粋な究極の恋愛を描くとても美しい戯曲だ。江戸川乱歩による原作は1934年に、これをもとにした三島由紀夫の戯曲は1961年に描かれた。タイトルの黒蜥蜴は、耽美に執着する美貌の女盗賊の名である。ふんする中谷美紀の前には、これまで舞台だけでも美輪明宏、坂東玉三郎、松坂慶子、篠井英介、浅野ゆう子、麻実れいなど数々の名優が演じてきた。男性の名も多いが、彼らは黒蜥蜴の性別を超越した妖艶さを見せてきた。しかし今回は、現代において、女性が演じるからこそ説得力のある舞台になっていると思う。
舞台『黒蜥蜴』
相楽樹
一代で財を築いた宝石商・岩瀬庄兵衛(たかお鷹)は、娘の早苗(相楽樹)を誘拐するという脅迫状に怯え、私立探偵の明智小五郎(井上芳雄)を雇う。大阪のホテルに身を潜める父娘の隣室には、岩瀬の店の上客である緑川夫人(中谷美紀)が宿泊していた。しかし彼女こそ、誘拐予告をした張本人の女賊・黒蜥蜴だった。
「今まで男の顔が頭の中で邪魔になったことなんか一度もなかった」―。恋に溺れたことのない黒蜥蜴。己の生き方、己の美学、己の信念をつらぬき生きてきた。軽やかに宝石を奪い、美しい若者をさらう。中谷は佇まいから妖艶な雰囲気を醸し出し、大胆に、そして軽やかに犯罪をおかす。冷酷な顔、酔いしれる顔、悔しげな顔、剥き出しの背中、すべてが美しい。そんな女が生まれて初めて「男」というものに惹かれた。賊という己の立場と相反する、探偵の男に。
黒蜥蜴に対峙する明智は、明晰でロマンチストな名探偵。犯罪への憧れを隠しもしない明智には、少年っぽさと同時にどこか危険な香りも漂う。演じる井上がスラリと美しい長身で、時おり皮肉げに、時おり自信たっぷりに笑う様子が目をひく。ルヴォーが井上について「もう王子様役は十分でしょう(笑)」と配役したように、今作ではハードボイルド…冷酷で強靭、完璧主義な男を演じている。しかしクールさだけではなく、犯罪への憧れを語る目の奥は子どものように輝き、凛とした高音の声とこれまでまとってきた気品ある王子様の雰囲気が垣間見えている。これでは百戦錬磨の黒蜥蜴でなくとも心奪われてしまう。
井上芳雄
舞台『黒蜥蜴』
昨今、日本に限らない話だが、女性の社会進出は目まぐるしく、恋人と仕事を天秤にかける経験をした女性も少なくないだろう。そんな時には女として恋の悦びに身も心も震わせるけれど、恋を選んでしまったら自分の信じて歩んできた道を否定することになってしまう。愛する男を選ぶか、一人積み上げてきたキャリアを選ぶか…その狭間で悩んだことのある女性は、黒蜥蜴の狂おしい身悶えが自分の人生のように迫るのではないだろうか。報われない、しかし至上の恋。こんなにも残酷で純粋なラブストーリーがあっただろうかと、胸が締めつけられる。
中谷美紀、井上芳雄
シンプルな薄暗い舞台は、想像力をかき立てる。上演前は天井だけのなにもない黒い舞台に「ここで何が始まるのか?」と思いきや、幕開けと共に流れるようにドアが現れ、舞台上が回転し、その流れのまま妖しげな世界に吸い込まれる。特に東京タワーや黒蜥蜴のアジトなど、場面が変化した際の演出には驚く。映像も使用し、黒蜥蜴の美学の詰まった光景が脳内に広がっていく。
さらに舞台上での生演奏がさりげなく観客を独特な世界へ誘う。役者の演技には、三島由紀夫特有の美しい台詞の応酬や互いを探る間があるが、その隙間に音楽がするりと入り込み、いつの間にか観客を引きつけて離さない。
舞台『黒蜥蜴』
黒蜥蜴に仕えるものたちの妖しげなダンスは、地を這い静かに舌をのばすタイミングを伺う爬虫類のよう。黒蜥蜴を慕う美青年・雨宮潤一(成河)、家政婦ひな(朝海ひかる)らの盲目的な狂信にもぞくぞくとさせられる。嫉妬、自己愛、献身といった人間らしい感情が見え、ときにはドジも踏むところが愛しい。成河と朝海は誠実かつ堅実な演技で、耽美な世界に人間の体温を吹き込む。
成河、中谷美紀
朝海ひかる
また、黒蜥蜴が何度も着替える衣裳が目を奪う。同じ「黒」でも異なる質感、微細な飾りや模様、ひるがえすドレスの裾の広がり、どれもが繊細で、黒蜥蜴が自身の美学を身にまとう高潔さが際立つ。このお色直しだけでも楽しい。
黒蜥蜴と明智は、どちらも冷酷かつ聡明でどこか似ている。犯罪に魅入られたふたりは犯罪を挟んで対峙し、互いに出し抜いたかと思えば出し抜かれ、罠にかけたかと思えば罠にかけられ、追いかけているかと思えば追いかけられる。犯罪というフィールドでの好敵手であり恋敵。交錯する二人の立場と思いが交わる構成は、演劇的に表現された騙し絵のようだ。それをルヴォーがさりげなく、魔法をかけるように実現していく。ルヴォーの演出について成河はコメントで「想像力を刺激するシンプルで力強い演出。デヴィッド・ルヴォーの美意識が行き届いた、演劇ならではの「空間の使い方」に是非注目していただけると思います」と述べた。
井上芳雄、中谷美紀
主演の中谷は今作について「高尚なものと低俗なもの、喜劇と悲劇、美しいものと醜いもの、愛と悲しみ、エロスとタナトス、相反する二つの世界が混じり合い、拮抗し合う三島ワールドをぜひご覧いただきたいです」とコメントした。井上は中谷について「悲しいほどに美しい美紀さんの黒蜥蜴とご一緒できるのも光栄です」と嬉しさを語り「きっと今まで見たことのない、でも、心の奥ではどこかで知っていた愛の世界がそこにあるはずです!」と『黒蜥蜴』の魅力を表現した。
また中谷はルヴォーから「一字一句誤りの無い完璧な台詞で感情がこもっていないよりも、物語を生き、感情の発露によって多少台詞が乱れても、後者の演劇を観たいと思う」と言われたと明かす。観客席の熱量が充満した劇場では、その空気を感じた俳優らは生々しく生きていくだろう。自分とはまったく相反するものに対する愛のなかには、さまざまな感情が渦巻いている。息づかいの聞こえる繊細なルヴォー演出では、人間の感情の豊かさと、信念と愛の残酷さが鋭く切り立っていた。
中谷美紀
取材・文・撮影=河野桃子
■原作:江戸川乱歩
■脚本:三島由紀夫
■演出:デヴィッド・ルヴォー
一倉千夏、内堀律子、岡本温子、加藤貴彦、ケイン鈴木、鈴木陽丈、滝沢花野、長尾哲平、萩原悠、松澤匠、真瀬はるか、三永武明、宮菜穂子、村井成仁、安福穀、山田由梨、吉田悟郎(50音順)
■公演日程:
東京公演:2018年1月9日(火)~ 28日(日)日生劇場
大阪公演:2018年2月1日(木)~ 5日(月)梅田芸術劇場メインホール
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■一般発売中
■料金
東京公演 S席 12,500円 A席 9,000円(全席指定)
大阪公演 S席 12,500円 A席 9,000円 B席 5,000円(全席指定)
■企画・制作:梅田芸術劇場
■問い合わせ(10時~18時):梅田芸術劇場 0570-077-039[東京] 06-6377-3800[大阪]
■公式サイト
http://www.umegei.com/schedule/634/