実力派俳優・成河が語る、年齢・性別・国境を越えた38役に挑むひとり芝居『フリー・コミティッド』

インタビュー
舞台
2018.5.16
成河 (撮影:中田智章)

成河 (撮影:中田智章)

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成河(そんは)が、初めてのひとり芝居『フリー・コミティッド』に挑む。

ここ数年、大作、話題作に多数出演し、個性が際立った難役を次々と演じ分けてきた成河。特に昨年から今年にかけてはミュージカル『わたしは真悟』の真悟役、劇団☆新感線『髑髏城の七人~Season花~』の天魔王役、『子午線の祀り』の源義経役、『人間風車』の平川役、『黒蜥蜴』の雨宮役と、まさに八面六臂の大活躍ぶり。

そんな彼が初めて挑むひとり芝居『フリー・コミティッド』は、ニューヨークを舞台に人気レストランの予約電話受付係の奮闘を描いた痛快作で、俳優は主人公サムとその電話相手、全38役を演じ分けることとなる。電話をかけてくるのは、金持ちの社交界夫人、レストラン支配人、日本人観光客、カリスマシェフ、サムの父親、変わり者のボーイ長、ドミニカ共和国出身のコック、大柄でタフなフランス人女性、医者、優しい性格のウエイトレス、下っ端のマフィア、などなどなど……。こうしてキャラクターを羅列しただけで、一体どんな事態になるのかワクワクしてしまう。この舞台に取り組む意欲を、成河にたっぷりと語ってもらった。

――初のひとり芝居『フリー・コミティッド』に挑むことになり、まずどんなことを思われましたか。

実はこの舞台のプロデューサーさんは以前からとても信頼している方で、本当に長いことお世話になってきたんです。その方がぜひ、と話を持ってきてくださったのにもかかわらず、ずっと返事を引き延ばしていたんですよ。

――成河さんに、この作品にぜひ出ていただきたいと言われていたのに?

そうなんです。『フリー・コミティッド』の権利を買って来たので上演したいんだけれど、誰にでもできるものではないからぜひやってみてほしいとだいぶ前から言ってくださっていて。でも台本を一読して「いやいやいや、僕には無理っすよ!」と、ちょっとのらりくらりとしていたのですが、ここ最近になってようやく決心がつきました(笑)。確かにひとり芝居を本格的にやること自体は初めてですが、劇団時代に稽古場で落語をやったり、メルマガ会員の方対象の『一人会』で一人パフォーマンスをやったりもしていたので。

――ということは、初ひとり芝居のハードルが問題だったのではなく。

第一の問題は、これが翻訳劇だということでした。では今から、このお芝居がどれだけ日本では不可能だと思ったかを、お話ししたいと思います(笑)。

――ぜひ、その難しさを教えてください(笑)。

うまく伝わるかなあ(笑)。たとえばこれは決してギリシャ悲劇やシェイクスピアのようなスケールの大きな物語ではなく、現代の、いたって個人的でささやかな生活の中にあるお話で。それでも、人生を生きていく中で誰しもに訪れるような大事な瞬間を描いている、とても繊細な劇なんです。舞台はニューヨーク(以下、NY)のど真ん中、そこに38役が次々に登場するわけです。NYですから、いろんな人種、いろんな英語の発音をする、いろんな出身地の、そしてとにかくものすごく個性豊かなキャラクターの人たちがたくさん出てきます。そういう38役を演じながら、ひとりでドラマを回していくと考えたら、日本には落語というぴったりの表現方法があるんですよ。つまり素直にこれをそのまま日本で上演しようと思ったら、本当なら落語が一番適しているんです。

――ああ、そうかもしれませんね。

それと同様に、アメリカにはスタンダップ・コメディという文化があるんですね。ですからこの芝居の上演風景を見てみると、やるほうも観るほうも自然とスタンダップ・コメディ的な約束事を念頭において観ている雰囲気になっているんです。どちらかというと西洋の娯楽というのは躍動的でエンターテインメント性に満ちていていますが、日本の娯楽というのはすごく抑制が効いたものであって。ほらね、だいぶ不可能感が出てきたでしょう?(笑)

――はい、そう言われれば、確かに(笑)。

だからこそアメリカではその38役が、うまく見世物になっているんです。そのくせ、ドラマ自体はすごくプライベートで繊細なもので、些細な出来事を綴っていく。これを日本で翻訳してやったとしても、東京に住む日本人にはNYで見かける人たちほど表立った差異はないじゃないですか。日本語には英語ほどの発音の違いはないですし、訛りだって、東京では基本的にみんな訛りを隠そうとするでしょう。でもNYの人はその差を主張しようとする。これはその主張が、面白く切り替わっていく劇になっているんです。

――なるほど、そういうことなんですね。

そう考えると、その切り替えを日本人のお客さんたちの前でやろうとするとどうなるかというと。簡単に思いつくのが、お笑い芸人さんのモノマネコメディですよね。そのようにやることも可能でしょう。ただ、僕はあまりそういう風にやることには興味がないですし、特にそのやり方が得意ではないですし。僕が、よし、やろう!と一番魅かれた点は、このお話が持っているドラマの面白さでしたしね。些細な出来事の中で人間の成長が描かれていることが面白いのであって、それは些細だからこそ共感できる成長の部分で、人生の中で大切な一瞬でもある。それを言葉にすると、「何かを諦めた時にこそ、あらゆるものが降ってくる」ということでしょう。まあ、サム君は本当にいろんなものに翻弄され、大変な目に遭い、さまざまな人の板挟みになり、自分の本当にやりたいことはできず、悶々とした中でバタバタとあがき苦しむわけです。劇の中盤、後半になると、もういい加減にしろってプッツン!となって、もうどうでもよくなってくるんですよ。そこですべてを諦めかけた時、あらゆるチャンスが巡ってくるという構造になっていて。それもやはり些細なことではあるんだけど、人生の温かさがすごく感じられる作品になっているんです。

――そこが一番の魅力なんですね。

そもそも、この脚本を書かれたベッキー・モードさんというのはアメリカのテレビドラマのシナリオを書いている方で、日常的な繊細な感覚をドラマにすることがとても上手なんですね。まさにそこに、僕はとっても魅かれました。とはいえ、いざやろうとするとやはりその38役というものが壁になるわけですよ。

――そのドラマを見せるためには。

ええ。だって、たとえば日本で落語を聴きに行く時、誰も、落語という表現方法自体を第一の目的にはしないじゃないですか。

――はい。その演目の物語を聴きに行く、という感覚です。

もちろん、その技術を聴くためとか、より高度な楽しみ方はあるでしょうけれど、基本的にはやはりお話を聴きに行くんですよね。なのに「役がコロコロ変わってすごく面白かった」なんて言われたとしたら、たぶん落語家さんとしては失敗じゃないですか。

――物語の筋ではなく、そこに気がいっちゃったらダメだと。

それを気にさせないのが落語の技術だと思うんですよ、お話に集中してもらう技術。スタンダップ・コメディにも同じようなことが言えて。そういう躍動的な芸の中でもそれがある程度お互いに了解されているので、そこに気を取られずにお話に入っていくことができる。でも日本で、そういう躍動的なひとり回しをしようとするとそこは本来ならお笑い芸人さんの得意分野で、でもドラマ性という意味ではあまり相性は良くないんですね。今回はそれを翻訳劇でやろうというので、それで限りなく不可能なんじゃないかと僕は思ったわけです。

――最初は、そう思われていた。

たとえば、あんなしゃべり方、こんなしゃべり方と派手に面白おかしく切り替えていく、という楽しませ方をすることもできますけど、これはつまりあらゆるコメディの要素が“NYあるある”なんですね。これはもう、翻訳劇というジャンルがいずれもぶち当たる壁ですが、NYに住んでいる人たちにとってはそれだけで面白い話題だったりするんですけど、それを伝えるのは非常に難しくなる。かつ、それがコメディとしての要素だったりもするので。

――それを基に、笑わせなければいけない。

と、いうことですね。今回、演出として千葉哲也さんをお迎えしていて、千葉さんと一緒にいろいろ話をしている中でも、魅かれるのはドラマのすごく繊細な部分だったりするので。

――そこは千葉さんも一緒なんですね。

一緒どころか、千葉さんもそうじゃなかったらやらないというほうなので、僕もホッとしました。なので、要するにやはりそこがドラマに向かうための壁になるんです。その壁が非常に高くて、苦労しているところです。

――そこをクリアすべく、稽古を重ねていくわけですね。

そのために目下、取り組んでいるのが翻訳です。その“NYあるある”という部分に関しては、むしろもう笑ってもらわなくても結構で、ただ邪魔にさえならなければいいので。そういった壁を今ちょっとずつちょっとずつ乗り越えて、このドラマの一番魅力的な部分をきちんと、日本のお客様にも共感できるようにしていきたいと思っているんです。

――演出家としての千葉さんとご一緒されるのは、これが3回目とのことですが。演出家としての魅力はどういったところに感じられていますか。

やはり特殊なところですよね。というのは、つまり千葉さんは役者なので。役者で演出もやられる方は多いですけど、千葉さんは、自分は演出家だとは別に思っていない方で、あくまで“役者がアドバイスをしている”というのがスタンスなんですよ。なので、僕にとっても言葉が通じやすいし、腹の底から何でも話し合える演出家さんです。もちろん、そうでない関係だからこそ面白いものが作れることも絶対あると思いますよ、演出家となんでもかんでも話し合う必要はないですし、作品で繋がっていれば良いのであって。だから僕にとっては特殊な関係なんです、千葉さんに関しては。そういう壁を取っ払って「ちょっと俺見るね」、「ちょっと俺やるね」っていう関係(笑)。役者と演出家というよりはどちらかというと二人ともが役者で、ちょっと役割分担をしているという、特に今回はそういう印象が強くあります。

――共演者がいない分、そんな男二人だけでがっつり稽古をするんですね。

一体、どうなるんだろう(笑)。ただ、千葉さんも実際に演出家として頭を悩ませていらっしゃるのが、サムが電話を延々と取り次ぐ間、やはり差異が少ないとは言っても38役あるわけですからね。お客さんをどこまで混乱させないようにできるかというのが、演出家の仕事のひとつでもあったりするので。それで電話をどこに置くとか、あっちの電話の時には誰と誰が出てくるとか。そうやって極力、僕が気を遣いすぎないでいいような仕掛けをいろいろ考えてくださっているので、助かっています。とにかく、とても個人的な日常のお話なんですよ。ある王国の滅亡を描いたとかではないから。だからこそ、最初からずーっとつながってなきゃいけないんです、お客さんと。ああー大変だあー(笑)。

――話せば話すほど、難しい挑戦だということが伝わってきます(笑)。

やっぱり何かしらの形式は見つけなければいけないと思うんです。スタンダップ・コメディと落語、その中庸にあるようなものとして。

――そういうルールでやっているんだよ、ということがお客様に伝われば。

そう、それが大事ですよね! そうしたら気にならなくなっていく。だから最初の5分、10分くらいが勝負だと思います、これは。

――ちなみに、基本的に舞台上にいる人物はずっとサムで、電話の相手が変わるということなんですか?

そうです。なので視覚的には、サムしかいません。サムが、いろいろな人からの電話をひたすら受け続けるということですね。

――その電話のやりとりから、相手が誰なのかが見えてくる。

その場で電話の向こうにいる人間にもなるわけですから、そういう意味では非常に落語的ですよね。上下(かみしも)に身体を振ることで、サムが電話の相手にもなり、またサムに戻るという感じなので。今、ちょうどそれぞれの役柄の香盤表を作ってみたところなんですが、本当に巧いなあ~!と思いました。登場人物は、常に二人しかいないんですよ。「ちょっと待ってね」と言って一度電話を切り、別のところにある電話に出ると別の人間との会話が始まるんです。でも三人以上の人数の会話にはならないので、それがとても構造として面白い。だからすごいスピーディーに進行するんですが、人間関係はくっきりわかる。良くできているなと思いますね。

――また、今回はとても狭い濃密な空間でやるというのも、この作品にピッタリでいいですよね。

そう!(笑) ホントそう思いますねえ。あくまで、日常のお話なのでね。繊細な心の動き、心の機微みたいなものが伝わってナンボだったりするので。スピード感はものすごくありますけど、その中にふっと訪れた時間だったり、そこでのちっちゃな心の変化だったりが拾えないと、なんだったんだろう、なんかガヤガヤしていろんな人が出てきて楽しかったね、で終わっちゃうんです。でも実は段階ごとに、ものすごく繊細な心の変化が随所にあるはずなので。そのためにも小さい劇場でできるのは、環境的に一番いいと思います。

――まさにこの期間中に、この劇場に来ないと絶対に観られないものではありますよね。映像では味わえない面白さもある舞台ですし。

完全にライブですから。でもまあ、ひとり芝居で、翻訳劇で、なんて言うと、どうしても観る方は構えてしまうかもしれませんね。それをいかに、開幕直後からお客さんとまったく同じ土俵、同じ目線で最後まで連れて行けるか。これはもう、やる人間の責任ですよ。でも、翻訳劇ではまだまだ日本ではそこまでの段階に行けていないんですよね。ずっと古典劇イコール翻訳劇というイメージだったりもしたから、だから現代の翻訳劇ってもっと目線を合わせていかなきゃいけないんだけれど、それについてはまだ答えが出ていないんです。それを今回、僕ががんばってやりますから!ということなんです(笑)。

――それは、非常に楽しみです(笑)。

これはつまり、想像力を使った“遊び”でもあるので。本来、演劇、舞台って、想像力を使って遊ぶだけの話なんですよ。それにいろんな、豪華絢爛なとか、教養の深いとか、高尚なものがへばりついてくるから、それに嫌気がさしてしまうんですね。観るほうもやるほうも。そういうものをどこまでこれから僕たちが取っ払って、単に純粋に想像力を使って遊べるか。どこまでフランクな付き合い方を、お客さんとできるかどうか。ということが、これからの現代劇には問われるんだと思います。なので、遊びに来るつもりでふらっと想像力を使いに来てください。観終わった後はなんかこう、人生捨てたもんじゃないかもしれない!と思ってもらえるはずです。その“かもしれない”くらいで止まってるところが、またセンスがいいんですよ。

――より共感できそうですよね。

できると思います。今の僕たちの感覚としてはそのドライな部分も、つかまえやすいところだと思うので。ここは、このレストランの味を信用して、大勢の方に食べに来てほしいなあ! ぜひみなさん、平服でお越しください(笑)。

取材・文=田中里津子  写真撮影=中田智章

公演情報

『フリー・コミティッド』

■作:ベッキー・モード
■翻訳:常田景子
■演出:千葉哲也
■出演:成河
■企画・製作/主催:シーエイティプロデュース

 
■日程:2018年6月28日(木)~7月22日(日)
■会場:DDD 青山クロスシアター http://www.ddd-hall.com/
■料金:一般 6,900円(全席指定・税込)
※未就学児入場不可
■問合せ:スペース TEL:03-3234-9999
■公式サイト:https://www.stagegate.jp/stagegate/performance/2018/free_committed/
 
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