金属恵比須・高木大地の<青少年のためのプログレ入門> 第11回「Road to 武田家滅亡、Back to 1582」第2章(『武田家滅亡』山梨旅行記 後編)
武田神社で「躑躅ヶ崎歴史案内隊」の皆さんと筆者・高木大地
前回はこちら
『武田家滅亡』という不吉なコンセプト・アルバムを作ってしまった金属恵比須。甲斐(山梨)の名門・武田家最後の当主・武田勝頼にまつわる話を20分にわたり楽曲化してしまった。原作は、歴史小説の大家・伊東潤氏のメジャー・デビュー作『武田家滅亡』(角川文庫)で、ご本人公認のもと製作を開始。しかも伊東氏ご自身も作詞に参加するという豪華な仕様となった。
しかしである。伊東氏ご本人に許可をいただいたからといって、当の主人公である武田勝頼公のお許しをいただいたわけではない。2017年8月に製作が決まったと同時に、お墓参りをしてはいる。
話はそれるが、筆者は割とそういう点は律儀に守るタチだ。2003年に、民間伝承・能・歌舞伎をもとにした「紅葉狩」という曲をつくったことがある(今でもライヴの定番曲)。この時は舞台の長野県戸隠村・鬼無里村(現・長野市)、に3度出向いている。鬼女・紅葉に関わる物語で、彼女は山奥に棲んでいたとされており、当時ガードレールもないダートの危険な道(現在は舗装されている)を登りながら命がけで拝みに行った。2002年に現地調査取材と資料収集、2003年には製作のご報告、2005年にはCD化のお礼参り。
ここで不思議な体験をしている。2005年8月にお礼参りをしに行った時のこと。当時は山の上に入るとケータイが繋がらない。「無事CD化させていただき、まことにありがとうございました」と手を合わせた後に山を下りると、着信履歴が。当時のレーベルの社長で、「来年(2006年)のメキシコのプログレフェス(Baja prog)に出てくれませんか? 主催者が『紅葉狩』をいたく気に入っているようで」と。「紅葉狩」の舞台で金属恵比須の初海外遠征が決まったのである。未だに鬼女・紅葉のご加護だと信じている。
そういった過去もあり、勝頼公のご加護をいただくため、お墓のある景徳院に赴いていたのだが、前回書いた通り、『武田家滅亡』レコ発ライヴにてトラブル続出。マーシャル・アンプがぶっ壊れたり。それを鎮めるために、この旅を再び決行したのである。
前回までは、
・岩殿城
・景徳院
・栖雲寺
を紹介した。その続きを追っていこう。
■やっぱり本物ののぼりを見たい! 雲峰寺
国道411号線「青梅街道~大菩薩ライン~」を北上し東京方面へと車を走らせる。目指すは大菩薩峠周辺。ここらへんは大学時代の運転の練習として独りで訪れたことがある。しかし道に迷ってしまい、たまたまみつけたお土産屋でキーホルダーを買って引き返した思い出が。それは、日本現代史の興味からだった。
1969年に赤軍派が軍事演習をするために集ったのが大菩薩峠の福ちゃん荘。ここで赤軍派は警察に一斉逮捕され壊滅的打撃を受ける。赤軍の“赤い旗”がへし折られた場所である。
話を昭和から天正に戻そう。武田家は1582年3月に滅亡した。その際、軍旗を持ち去ってこの雲峰寺に持ち込まれたとされている。現在、「日の丸の御旗」「孫子の旗」「諏訪神号旗」「馬標旗」が保存されている。
国道411号線をきゅるるっと曲がり、少し山に登るかたちで少し車を走らせればすぐに到着。しかし、駐車場から本堂に向かう階段がとにかくきつい。鬱蒼と木の茂る山の中に石段がひたすら伸びている。半分登った時にはすでにへとへとで、正気をなくし、HMV record shopのマスコット「竹野くん」と一緒に撮影。バチ当たるか。
雲峰寺 「竹野くん」
やっとたどり着いた。人気もなく、すでに山陰に隠れて日光も当たらず、ひたすら静謐を保っている。建物すべてが国の重要文化財に指定されているのもうなずける。
それにしても、静謐が保たれすぎていることにイヤァな予感。……もしかして、宝物殿、開いてない? 本物ののぼりを見ることができなかった。仕方ないので、階段上で金属恵比須のオリジナルのぼりを置いて撮影。いやはや、金属恵比須の“赤い旗”もへし折られてしまった。
雲峰寺 のぼりと共に
臨済宗妙心寺派 裂石山雲峰寺
住所 山梨県甲州市塩山上萩原2678
電話 0553-33-3172
http://unpoji.ko-shu.jp/
■ゲンコツ怖い 恵林寺
続いて、武田家の菩提寺であり、武田信玄公のお墓もある恵林寺に行っておかなければなるまい。小説そしてCDの『武田家滅亡』と直接は関係ないものの、武田家を題材として扱うからにはごあいさつしなければ。ここは武田家滅亡後、織田軍がここに押し寄せ、快川和尚ほか100人の僧侶が生きながらに焼かれた場所だ。その時の快川和尚の句はあまりにも有名。
「安禅必ずしも山水を須(もち)いず。心頭を滅却すれば火もおのずから涼し」
焚かれる業火に身を置きながらも邪念を払えば火すらも涼しく感じる――なんと凄まじい句だろうか。ちなみに、私はこの句を小学校3年生の時から知っている。当時の担任がよくいっていたからだ。
学級会の時に、悪い事をした児童を教壇の前に立たせ、高らかに声を上げる。「天網恢恢疎にして漏らさず、悪事はいつかばれる! 心頭滅却火もまた涼し! エイ!!」 ゲンコツを食らわす。もっと悪い事をした児童にはビンタ。
当時何をいっているかわからなかったが、今にして思えば、前半は老子の言葉、後半は快川和尚だった。痛いことも邪念を払えば気持ち良くなる、みたいな発想だったのではないか。ちなみに真ん中「悪事はいつかばれる!」は――たぶん先生のオリジナルだろう。とりあえず、今やったら体罰で確実に捕まるね。
そんな小学生時代を思い返しながら、武田信玄公のお墓にお参りしたのだった。信玄公、『武田家滅亡』というCD作っても怒らないで下さい。心頭滅却してもゲンコツは痛いから(経験談)。
恵林寺
恵林寺
〒404-0053 山梨県甲州市塩山小屋敷2280
https://erinji.jp/
■甲冑に囲まれ城巡り 武田神社
最後は、甲府駅の北側にある武田神社に向かう。武田神社自体は、1919年の創建なのだが、ここは武田家滅亡まで「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)」として、甲斐の政治の中心地であった場所だ。武田信玄の父親である武田信虎が居城を構え、武田信玄、そして武田勝頼が滅亡直前まで利用されていた館である。遺構がたくさん残っているのだ。せっかくならそういうところを見てみたい。
ということで、案内をお願いするために「躑躅ヶ崎歴史案内隊」(以下「歴史案内隊」)に連絡する。ボランティアとして武田家の甲冑姿で観光客にガイドをする方々だ。金属恵比須のライヴにお越しいただいた方はおわかりだと思うが、2017年10月と2018年9月のライヴに出演いただいた、甲冑姿のあの方々である。
出会いは突然だった。こう書くとトレンディドラマっぽい。
2017年10月、伊東潤氏とのコラボ曲「武田家滅亡」初お披露目ライヴ。その1週間前、ツイッターでこんな書き込みを見た。
「ライヴ楽しみ!(歴史案内隊)」
おいおい、武田家の甲冑ボランティアの方がライヴにいらっしゃるのかよ。だったら甲冑で来てほしくない? と、悪魔の囁き。メールを入れてしまう。
「甲冑持ってきてくれませんか?」
意外にも即OK。マジか。再び悪魔の囁きが脳内を駆け巡る。
「ライヴの前説、登場していただけませんか?」
意外にもまたまた即OK。ということで、なんだかんだで段取りが変更になり固まったのが、ライヴ4日前。当日、ライヴ会場では階段の踊り場で甲冑の置物のごとく坐ってもらい、オーディエンスを出迎えた。
吉祥寺シルバーエレファントにて
「武田の宴へようこそ~」
いやいや、テーマは「武田家滅亡」なんだけどいいのか?
「越後在住なので」
おいおい、上杉の間者(スパイ)かよ。
ともかく、甲冑のおかげでライヴのコンセプト「戦国時代」が際立ち、非常に助かったのだった。
吉祥寺シルバーエレファントにて
調子に乗って2018年9月のライヴにもお呼びしたら、今度は2名の甲冑にご参加いただいた。打ち上げではひたすら、「ライヴの小道具のあののぼり、いいですねェ」とご評価いただいた。ちょっと欲しそうだった。
このような経緯があり、武田神社に行く際は是非とも甲冑姿でご案内いただきたいと思っていたのだった。
その時は、七五三シーズン。晴れ着姿の子供が躍る。そんな中、ひそかに車に積み込んでいたのぼりをセットして、堂々と神社に踏み入れる。ちょっと恥ずかしかったけど。すると、鳥居の下に甲冑がいた。しかも4人も。ああ、ここに入れば、私はのぼり持ってても違和感ないな。さすがは武田家の居城。晴れ着姿の子供たちよりもよっぽど輝いてるぞ。
武田神社入口
本殿をお参りし、すぐに東へと歩き出す。そうか、今日は「神社」に来たのではなく、武田家時代の「館」に来たのだ。
のぼりを持って散策
まずは土塁(土を盛って壁状にする防御物)を越して土橋(読んで字のごとく、木や石などで空中に渡す橋ではなく、土でできた橋)を渡り、馬出(うまだし)を見る。門から敵を防ぐために四角く、もしくは丸く囲った状態の防御施設だ。「このような丸馬出を大きくしたものが大阪城に築かれた『真田丸』(大坂冬の陣で築かれた巨大な丸馬出)です」
なるほど! こうやって直接解説をいただきながら眺めると、まったく違った風景が見えてくる。
馬出を見る
お次は、本殿(=館時代の主郭)を通り過ぎ、西曲輪(くるわ)に。今は何も建っておらず野原となっているが、ここは、武田信玄の嫡男・義信のために増築されたそうだ(天文20年、高白斎記より)。
それにしても、信玄の主郭と義信の西曲輪の間には、ものすごい高さの土塁と空堀がある。空堀に落ちればひとたまりもなく、もはや這い登ってくることもできなさそうだ。今でいう「二世帯住宅」なのだろうけれども、その間の「壁」は厚すぎる。ただしこんなつくりだったら、姑の嫁いびりとかに遭った場合、空堀に突き落とせばいいわけだし、二世帯住宅でもいいかな――なんて思ったりもする。
義信邸を見る
なお、土塁の上に案内隊が登って歩いて見せてくれる。戦国時代は実際こんな光景だったのだろうか。
武田神社 土塁の上の兜
北の土橋を抜け、田畑が広がる。田畑にまわりはなおも発掘調査が行なわれていた。奥に見えるのが要害山。武田信玄が生まれた城である。
武田神社から要害山を眺める
少し尿意を催した。西曲輪の公衆トイレで用を足す。出てきたら、あれ、のぼりがない。――歴史案内隊にのぼりを奪われていた。武田家はだまし討ちもするのか。
「奇襲もたまには」
武田神社 のぼりを奪いし者
力づくで来るなら、こちらは経済制裁だ。「特注ののぼりなので製作に相当な費用がかかっています。それにさらにマージンを乗っけてご請求でも大丈夫ですか?」
帰ってきた答えは、「はい! 大丈夫です!」
さすが、甲斐の国。まだ金山で潤っているのか。最後はサインを書くことを条件で和睦。無事にのぼりも返してもらえた。武田の人質にならなくてよかった。
サインをする
武田神社
所在地: 〒400-0014 山梨県甲府市古府中町2611
http://www.takedajinja.or.jp/
*
ということで、武田勝頼公の怒りを鎮めるための旅。無事に終わったのであった。
現在、次のライヴのためにリハーサルを行なっている。3月23日、高円寺HIGHにおいて、プログレアイドル「キスエク」との初対バンだから気合を入れて。『武田家滅亡』からの曲を合わせる。
ダブルネックギターの音を鳴らす。
ぷつ……ぷつ……。
上のネックの音が途切れる。
え? 勝頼公、まだお怒りで?
「清州信長鬼ころし」でも供えましょうか?
文=高木大地(金属恵比須)
金属恵比須・高木大地の<青少年のためのプログレ入門>
ライブ情報
■日時:2019年3月23日(土)18:00
■会場:高円寺High
■出演予定:金属恵比須、xoxo(Kiss&Hug) EXTREME
■金属恵比須公式サイト:http://yebis-jp.com/
イベント情報
■日時:2019年4月20日(土)
OPEN 12:30 / START 13:00
■会場:ROCK CAFE LOFT is your room
http://www.loft-prj.co.jp/rockcafe/
■前売(ROCK CAFE LOFT web予約)¥1500-※要1オーダー
平成最後の新興プログレ・バンド「金属恵比須」が、難解でとっつきにくい”プログレッシヴ・ロック”のイロハを伝授。オススメから作法までを惜しむことなく披露。初心者からマニアまで、腹を抱えて笑い転げること間違いなし。え? プログレって笑っていいの?
――笑わないとやってられませんヨ!
もちろん、青少年でなくても(例えば「中高年」)OK! みんな、プログレ地獄でシニマショウ!
■公式サイト:https://www.loft-prj.co.jp/schedule/rockcafe/110316