4月17日のクイーンの日って何?クイーン研究家コラム第一回 【SPICE特別連載:QUEEN(クイーン)】
撮影:長谷部 宏/MUSIC LIFE ARCHIVES
クイーンと日本
1975年4月17日(木)。クイーンは初めて日本の地を踏んだ。JAL061便で18:25過ぎに羽田国際空港に到着した彼らを出迎えたのは1000人超(3000人という説もある)の女性ファン。到着ロビーには黄色い歓声が飛び交い、異様な雰囲気に包まれた。興奮したファンがメンバーを囲み、身の危険を感じる程であったそうだ。この熱狂的な歓迎に心底驚いたのはメンバー自身。本国イギリスでは、女性ファンもいるが、どちらかといえば男性ファンが多い。こんなアイドルのようなリアクションは経験したことがない。
翌日には東京プリンスホテルのバンケット・ルームで来日の記者会見が開かれる。そこでもメンバーを驚かせる。会場にはスポーツ新聞や雑誌の記者にカメラマン、TV(いまでいうワイドーショー)のカメラまでもが、ズラリと並びクイーンの登壇を待ち構えていた。イギリスではデビュー以来、クイーンへの酷評が続き、どちらかといえばプレスとはいい関係は築けていない。しかも、これほどの規模の記者会見は初めての経験だ。
さらに驚かせたのは翌日(4月19日・土曜)のコンサート初日。会場に選ばれたのは、あのビートルズが行ったのと同じ日本武道館。当時、クイーンは世界に先駆け日本で最初にブレイクしたと言われ、そう信じていた日本人も多かった。しかし、これは誤報道。1973年にデビューした彼らは、当初は鳴かず飛ばずであったが、74年10月にリリースすたシングル「キラー・クイーン」が英2位、米12位とヒット。この頃、ようやくイギリスやヨーロッパ、アメリカでヘッドライナー・ツアーを行えるぐらいまでには売れてきた。とはいえ、来日時はデビュー3年目の新人。ワンマン公演といっても3000人弱のホール・クラス。そこへ10,000人超収容のアリーナ、日本武道館だ。これには、さすがの彼らも面食らった。なので正確に言えば、日本で最初に"大"ブレイクしたのだ。
初めてのジャパン・ツアーは名古屋(22日)、神戸(23日)、福岡(25日)、岡山(28日)、静岡(29日)、横浜(30日)と地方でも6公演がブッキングされていた。全国どの都市に行っても、ファンからの熱い歓待を受けコンサートも満員。追加公演として5月1日(木)には、さらにもう1回、日本武道館でもコンサートを行った。繰り返すが、デビュー3年目の新人バンドだ。それが日本ではトップスターとしての扱いを受けたのだ。悪い気がするはずがない。この初来日公演でクイーン(特にフレディ)は、すっかり日本に魅せられ、以来、日本とクイーンの今日に至る特別な関係が続くことになる。余談だが、あの「伝説のチャンピオン」は初訪問した日本での興奮が覚めやらぬ帰国の機上で一挙にフレディが書き上げた。録音はもう少し後にはなるが、もしジャパン・ツアーがなければ、あの名曲は誕生してなかったかもしれない。
4月17日のクイーンの日ってなに?
さて、クイーンの日だ。きっかけは2015年。レコード会社の担当ディレクターから春の時期にクイーン関連のイベントを開催したいという相談があった。当時は今のようなクイーン・ブームでもなかったので、9月のフレディの誕生日と11月の命日の年2回、ファンが集まる場はあったぐらい。折しも2015年は初来日から40周年にあたる年。初めて日本に来た4月17日にクイーン関連イベントを開こうと計画。せっかくなら降り立った地、クイーン・ファンにとっての聖地・羽田空港でやりたいという思いの中、空港内にちょうどいいホールを見つけた。
しかも、1975年当時のクイーンが降り立った場所のすぐ近くだという。この場所でクイーン・ファンが集まれる、新しいスポットを作ろうと始めたのが「クイーンの日(The Queen Day)」だ。
同時にレコード会社から、日本記念日協会に4月17日を「クイーンの日」として申請し登録が認証された。5年目を迎えた今年の「クイーンの日」には、映画「ボヘミアン・ラプソディ」のDVD/BDがリリースされ、長らく絶版だった「グレイテスト・カラオケ・ヒッツ」を始め、ライブ盤のCDやDVDが一斉に再発される。羽田空港のイベント「クイーンの日(The Queen Day)」も5年連続で開催(今年は4月13日。は完売)出来る運びとなり、いつになく「クイーンの日」が盛り上がっている。これは44年前、我々の先輩が羽田空港で彼らを迎え、コンサート会場に足を運び、”おもてなし”の精神でクイーンを見守り続けてくれたおかげ。
クイーン・ブームも一過性でなく、ずっと続いてほしいものだ。
文=石角隆行(クイーン研究家)