シンセ番長・齋藤久師が送る愛と狂気の大人気コラム第五十沼(だいごじゅっしょう) 『テレビ!沼』
「welcome to THE沼!」
沼。
皆さんはこの言葉にどのようなイメージをお持ちだろうか?
私の中の沼といえば、足を取られたら、底なしの泥の深みへゆっくりとゆっくりと引きずり込まれ、抵抗すればするほど強く深くなすすべもなく、息をしたまま意識を抹消されるという恐怖のイメージだ。
一方、ある物事に心奪われ、取り憑かれたようにはまり込み、その世界にどっぷりと溺れることを
「沼」
という言葉で比喩される。
底なしの「収集」が愛と快感というある種の麻痺を伴い増幅する。
これは病か苦行か、あるいは究極の癒しなのか。
毒のスパイスをたっぷり含んだあらゆる世界の「沼」をご紹介しよう。
第五十沼(だいごじゅっしょう) 『テレビ!沼』
最近、1年半ぶりにテレビを見た。
いや、正確に言うと、アンテナ線とテレビをつないだ。
昨年(2018年)の1月1日に引っ越して以来、1年半もの間、ウチのスタジオにあるテレビはほぼ置物と化していた。
60インチもある4Kテレビの存在感は異常にデカく、テレビ線もつないでいなかったので、子供達がゲームをする時やyoutube、あるいはネットムービーを見る事にしか使われていなかった。
久しぶりに見るテレビ。
もともとテレビはNHKのニュースくらいしか見ていなかったのだけれども、
タレントなどの出演者が知らない人ばかりで驚いた。
あらためて、芸能界の人の移り変わりの激しさを感じる。
何故あまりテレビを見なくなったかというと、あるコメンテーターの一言がきっかけだった。
『現代は、ますます少年による犯罪が増加していますが……』
というコメントを聞いたとき、「いいかげんだな〜」と思ってしまったからだ。
実は、戦前と現代を比べてみると、少年犯罪の数は圧倒的に減っているのはみなさんご存知だろうか?
戦前には少年による殺人事件が毎日のように起こっていたことがデータで残っている。
当時は、現代のような核家族化とは対照的に、兄弟姉妹が5〜6人は当たり前の大家族がほとんどだった。
そんな中で、親が全ての子供達に十分な教育の目を届けるのは不可能であり、よく言えば「おおらかな環境」、悪く言えば「放任的」で躾が行き届かなかったと分析されている。
小学生による殺人事件や、今でこそ犯罪名が一般化した「ストーキング行為」など、新聞やラジオなど限定されたメディアしかなかった当時は、ほんの数行で事件を報じる程度であった。
しかし、テレビメディアが誕生すると、情報量が一気に急増すると同時に、マスコミは各社上げてセンセーショナルな事件とし、集中して取り上げ一斉に報道し始めた。
それらの情報は目と耳から勝手に飛び込んでくるようになった。
一方で、テレビにも良い事はたくさんある。
現場に行かなくてもスポーツ観戦ができるし、旅行番組では自宅にいながら旅にでたような錯覚を楽しめる。
ヒーローやヒロインものなどは子供達に絶大な人気を誇り、教育番組では育児の手伝いもしてくれる。
料理番組では優良なレシピを紹介し、情報番組ではさまざまなジャンルの楽しそうな事を教えてくれる。
しかし、外国人の友達が言ってた言葉が忘れられない。
「ニホンノテレビバングミッテ、オイシー、カワイー、バッカリダネ」、と。
コレには爆笑した。
インターネット時代に突入し、テレビのコンプライアンスも厳しくなるにつれ、私はテレビから徐々に遠のいた。
もちろん、インターネット上に流れる情報は事実かどうかを見分ける必要がある。
しかし、テレビには長い歴史があるため、全ての情報を疑い無く信じてしまう人々が多く存在していて危険だ。
インターネットを利用する場合、自分の欲しい情報を「取りに行く」のに対し、テレビはチャンネルこそ変えられるものの、基本的には情報を「一方的」に送ってくる。
一応申し上げておくと、私はテレビが好きだった。
的確な情報を送り、程よい笑いを提供してくれ、子供心に夢をみさせてくれていた頃のテレビ。
たまにはオッパイポロリンで親と気まずい思いをしたテレビ。
そのテレビを一年半見ずに過ごせた。
しかし、あまり寂しさはなかった。
もちろん、子供達や妻は他のテレビを見てギャーギャー笑いながら騒いでいた。
ただ、私だけがテレビを見ていなかった。
ただひとつだけ、今でもテレビで大好きな番組が一つだけある。
それは「フィラー」だ。
広告の無い深夜などに各局が流す街の夜景や大自然の風景などが永遠と続く映像。
何故かアレを見ていると心が落ち着く。
こんな夜遅くに、自分以外にも誰か起きてるんだな。そして、この美しい映像を
みているかもしれない。とか想像しながら。
是非、フィラー専門チャンネルっていうのを作って欲しい。