Karin. インタビュー 突如現れた新星シンガーソングライターが音楽に綴るものは
Karin. 撮影=高田梓
Karin.の1stアルバム『アイデンティティクライシス』を聴き通した後で、心の中の繊細な部分を少し引っ掻かれたような気持ちになるのは、歌っている彼女が18歳だからではなく、彼女が生きることにとても一生懸命で、その結果が音になっているからだと思う。どんなにクレバーで清涼感あふれる人でも、一生懸命になると、その振る舞いはどこかデコボコしていたり、少し暑苦しいくらいの熱を帯びていたりするものだ。この音楽から感じるのも、それと同種類の、ひたむきなぎこちなさだ。一生懸命であるが故に陥る、嘘/本当の疑心暗鬼の先で、彼女は今、音楽から何を得て、音楽で何を伝えようとしているのか。
――音楽とは、どんなふうに出会ったんですか。
一番最初に音楽に触れたのは、6歳の頃に始めたピアノ教室なんですけど、それから小学校に入ったら吹奏楽部に所属していました。同時に少年団に入ってずっとバレーボールをやってて、中学ではそのままスポーツを続けてたんですけど、中学2年の時に来た若い女の美術の先生が大好きで、悩み事とか、いいことがあった時もなんでもその先生に話してました。で、あるとき落ち込んでたら、「昼休みに来なよ」とその先生が言ってくれて、私の前で弾き語りをしてくれたんです。
――美術の先生だけど、音楽も好きだったんですね。
元はバンドでギターとボーカルをやってたそうで、「何の曲が聴きたい?」と言ってくれて、私が言った曲を弾き語りで聴かせてくれたときに、“高校生になったら、ギターを手に入れて、バンドを組みたい”と思いました。で、高校1年生の終わりの頃に、地元の高校生を数人集めてスタジオに入ったんですけど、そこで“自分一人でいいな”と思ったんです。自分がやりたいものは、自分一人でやりたいなって。それで、そこに集まってくれた人の中に別のバンドでライブハウスに出てる人がいたから、紹介してもらって、高校2年の、去年なんですけど、6月8日に初めてライブハウスに立ちました。
――その時は、弾き語りですか?
弾き語りです。
――バンドは、オリジナルをやったんですか、コピー・バンドですか。
コピー・バンドです。事前に「この曲をやりたいです」と伝えて、みんなに練習してきてもらって、スタジオで初めて会って、合わせてみるっていう。
――そのときに「やりたいです」と伝えたのは、何だったんですか。
「丸の内サディスティック」(椎名林檎)と、SHISHAMOの「BYE BYE」をやったんですけど、難しくてすぐ諦めました(笑)。
――上手くできなかったから、“バンドは違うかな”と思ったんでしょうか。
上手くできなかったからじゃなくて、集まった人それぞれの価値観というか……。「ここ、こうしたいんだよね」みたいな意見が出たときに、“いや、それはちょっと…。私は嫌だな”と思ったりして。それで、自分でやろう、と思ったんです。
――バンドをやることはいろんな意見や感覚をすり合わせることの連続で、そのことに面白みを感じる人も少なくないわけですが、Karin.さんにはそれがやりたいことを邪魔するものに感じられたんですか。
どんどん、自分がやりたいものじゃなくなっていく気がして。集まった人たちが普段聴いている音楽は、私と同じだったり違ってたりするから、私が思っていることを100%受け入れてくれるということはまずないんですけど、でも私はそこで“私の100%で音楽をやりたい”と思って、一人で弾き語りでやろうと思いました。
――ということは、その時点で“私の100%”と言えるような、やりたいことのイメージがあったということですよね。
そうですね。
――それは、言葉で説明すると、どんなイメージだったんですか。
それは今につながる、この『アイデンティティクライシス』のように、自分が持っている心の叫びを音楽で表現したいと思っていました。
――ちなみに、その当時、Karin.さんが叫びたいと思っていたことは、例えばキーッという感じですか。ワーッという感じですか。あるいは、ウーッという感じですか。
ウーッという感じですね(笑)。
――放っておくとどんどん下に溜まっていくような感じですね。それを解消する方法は、音楽やスポーツでなくても、例えばグレてみるとか(笑)、何か見つからなかったですか。
見つからなかったです。だから、音楽をやってなかったら、今頃どうなってたかなと思いますね。
――探してはいたんですか。
ずっと探してました。「ストレス発散法ってなに?」っていろんな人に聞くんですけど、紙を破くとか大声で叫ぶとか物をブッ壊すとか(笑)、そういう話になるんですけど、それで解消できるとは思えなかったんです。
――音楽との最初の出会いの話に戻りますが、ピアノ教室でピアノを習うのは楽しかったですか。
楽しかったですね。曲はクラシックなんですけど、自分のやりたい曲をやれたので。年に一度、発表会があって、そこを目標にしてやれるのはすごく楽しかったです。
――音楽でもスポーツでも、うまくいかないとなかなか続けられないじゃないですか。それが、楽しんでやれたということは、かなり弾けたんですね。
いや、そんなに上手じゃないんですけど、それでも一つの曲がちゃんと弾けるようになったりとか、それでだんだん難しい曲が弾けるようになったりとか、そういうふうに自分で成果を実感できることが、他のスポーツや習い事ではないなと思って。だから続けられたんだと思います。
――「愛を叫んでみた」にもスポットライトを浴びる話が出てきますが、ピアノの発表会もスポットライトを浴びるような状態になりますよね。そのときには、そういう状態に気持ち良さを感じることはなかったですか。
毎年、すごく緊張して、普段だったら絶対忘れないようなところがわからなくなったりしたし。自分で曲を作ってライブするのとは全く違う感覚で、終わった時に思ってたのはいつも“最後まで失敗せずに弾けた”とか、そういうことだけだったと思います。
――バレーボールの思い出は?
私は左利きなんですけど、みんなは右利きだったから、世の中はみんなそういうことなんだと思って、途中で「左利きでもいいんだよ」と言われるまで、ずっと右でやってましたね。
――客観的に見て、Karin.さんは運動神経はいいんですか。
運動はできるほうなんですけど、ケガしがちで……。
――それは、自分の能力以上にがんばってしまうから?
痛みを感じてもすぐには言わないとか、自分では大丈夫だと思ってたことが大丈夫じゃなかったり。後になって気づくケガが多かったです。
――で、中学校2年の時にやって来た美術の先生の話です。Karin.さんにとって運命の人ですよね。
ほんと、キーパーソンです。
――その先生のどういうところに惹かれたんですか。
私、黒の服をけっこう持ってるんですけど――
――今もそうですね。
そうなんです(笑)。その先生は全身真っ黒で、私は一目惚れじゃないですけど、最初に会った時に“この先生、すごく好きだ!”と思ったんです。
――先生が弾き語りで歌ってくれると言ったときに、何をリクエストしたんですか。
椎名林檎さんの「丸の内サディスティック」とかサスケさんの「青いベンチ」とか。
――そういう音楽はピアノ教室で習う音楽とはずいぶん違いますが、いつ頃から聴くようになったんですか。
J-POPはよく聴いてたわけじゃないんですけど、小学校後半あたりから洋楽が好きになって、けっこう聴いてました。それで、中学でその先生に出会って、先生が椎名林檎さんを好きだと聞いてから、私も毎日聴くようになりました。
――洋楽はどんな音楽を聴いてたんですか。
マルーン5です。『ハイスクール・ミュージカル』という、アメリカのテレビ映画があって、そこで流れている音楽がいいなと思ったんです。それから、そういう音楽をけっこう調べるようになったんですけど、マルーン5は仲のいい友達からすごく勧められて聴いたのが最初で、毎日聴くようになりました。
――『ハイスクール・ミュージカル』で流れていた音楽に惹かれたのは、それまでに聴いていた音楽と何かが違っていたんでしょうか。
日本人よりも圧倒的に歌が上手で、歌う感じが全く違うとと感じたことと、メロディーがJ-POPには無い感じだなと思いました。
――メロディーの「J-POPには無い感じ」の理由をピアノで探ったりはしたんですか。
洋楽の曲ではそういうことはあまりやってないですけど、例えばクラシック音楽だと最初のコードと同じコードで終わるとか、J-POPだと4つのコードを淡々と繰り返してるとか、そういう違いがあるんだなとは思っていました。
――マルーン5の良さについては、自分では分析できなかったですか。
歌詞を和訳して、言葉の壁を超えたときに、やっぱりすごいなあと思いました。
――歌詞を自分で訳したんですか。気に入ったものについては、相当突き詰めていくんですね。
そうですね。スポーツでもそうなんですけど、“レギュラーになりたい”と思ったら、レギュラーになれるまでずうっと続けるし。負けず嫌いなので、自分で気が済むまでやり切らないと眠れないです。
――オリジナル作りには、どのタイミングで向かったんですか。
それは、初めてのライブの1ヶ月前にライブの日が決まって、そのときにライブハウスの人から「1曲くらい何か作ってきたら?」という話が出たので、「じゃあ、それまで作ってきます」と約束して、それで初めて曲を書きました。
――オリジナル曲は作ろうと思ったら、すぐに作れましたか。
そうですね。作ろうとしてから、多分20分以内でできたと思います。
――それが、今回のアルバムの6曲目に入っている「あたしの嫌いな唄」ですよね。“私って天才?”って感じですか?
いや、“こんなにすぐにできちゃったけど、曲なのかな、これ?”と思いました。
――言葉とメロディーはどういう順番で、どんなふうに出来上がったんですか。
どの曲もそうなんですけど、コードを鳴らしたら言葉とメロディーの両方が一緒に出てくるんです。それを書き溜めていって、録音して、それで次の日くらいにもう一度聴いて“いいな”と思ったら、出来上がりです。
――“曲なのかな、これ?”と思いながらも、ライブで披露したんですよね。
やりました。とりあえずライブハウスで歌ってみて、「あれ、何?」と言われたらやめようと思って。
――自分のオリジナル曲を人前で歌った時の感触はどんな感じでしたか。
恥ずかしかったです。「あの曲、変だね」とか言われたら、どうしよう……って。自分では自信を持って歌えるような曲ではなかったので、大丈夫かなあ…という不安な気持ちでした。でも、あの曲は私が詰め込みたいものだけを詰め込んだ曲なんですけど、それを「あのオリジナル曲、良かったね」と、けっこう言ってもらえて、だから恥ずかしい気持ちよりもどんどん曲を作ろうという気持ちのほうが強くなりました。
――そう思っても、2曲目は1曲目のようにはいかないこともあるようですが、どんどん作れましたか。
どんどん作れました(笑)。歌詞については、思い描いていることがけっこう多いので、それを携帯に書き留めて、“こういう曲を作りたいなあ”と思ったときに、その書き留めたものの中から抜き出してきたりしてます。
――今回のアルバムの中では、例えばどの曲が“こういう曲を作りたいなあ”と思って作った曲ですか。
例えば「愛を叫んでみた」は、自分の中で盛り上がる曲を作りたいと思ったんです。この曲はライブを始めてから出来た曲なんですが、弾き語りだと拳を上げたりしないじゃないですか。みんな座って聴くような曲ばかりだったから、拳を上げて「イエーッ!」って言うような曲を私も作りたいと思って。
――「愛を叫んでみた」には<スポットライトに当たって/存在が確かになる>という一節がありますが、それはライブをやるようになって感じたことですか。
そうです。普段の生活の中では、家に居ても学校でも、スポットライトを浴びることはそんなに無いじゃないですか。
――ほとんど、無いでしょうね。
普段の生活では、協調性を求められて、みんなと同じように行動するように言われる中で、自分だけがスポットライトを浴びるなんて無いですけど、でもライブハウスだけは、というか出番が30分だったら、その30分間は私にだけスポットライトが当たって、みんな私だけを見ているっていう。そのことにすごく感動して、私はここでしか輝けないんだと思いました。それに、ライブハウスの方も「こういうコンセプトでやってください」とか、そういう話は一切なくて、本当に1から自分で作り上げたんで、その過程で自分が思っていることを全部外に出せたなって感じました。
――30分間スポットライトを浴びるということは、言い換えるとその30分がKarin.さんのものになる、みたいなイメージだと思うんです。
そうですね。任せられるということですよね。
――そういうふうに、Karin.さんにすっかり任せた、Karin.の色で満たされた時間や場所を、ライブハウスの30分からもっともっと広げていくことが、Karin.さんにとっての音楽活動だということになりますか。
もっといろんな人に、自分の知らない街の人にも自分の曲が届いて、何か寄り添えるものを作りたいと思うし、もし私みたいに“言いたいのに、言えない”とか、そういう悩みを持っている人がいたら、私がこういう曲を歌うことによって寄り添ってあげたいと思います。
――ただ、例えばKarin.さんの悩みはKarin.さんだけのもので、他の人間にはわかり得ないものじゃないですか。
そう思います。
――だからこそ、Karin.さんもずっと抱え続けてきたものがあるんだと思いますが、そういう何かをそれぞれに抱えている人に寄り添う歌ってどういう歌だと思いますか。
私は、人を励ますことができないので、その分寄り添えるものが作れたらなと思うんですね。ただ、それは全員に寄り添いたいというのではなくて、もし同じような悩みを持っていたらとか、言いたいことが言えないような環境に置かれているとか、人に決められた道をただ歩んでいるとか、そういう人がいたら寄り添ってあげたいなと思うんです。
――Karin.さんが辿ってきた道や今立っている場所に佇んでいる人なら、自分の歌は何かをやれるかもしれないということですか。
そうですね。
――そういうKarin.さんが、オリジナルの音楽を作り始めて、こうしてオリジナルの音源を出すことになった今、音楽についてあらためて感じることはありますか。
私が作った曲が、プレイリストの中だったり日常だったりに、溶けていったりするんだなあって、ちょっとびっくりしました。
――「愛を叫んでみた」には<売れてないミュージシャンが歌ってた曲は日々に溶けていった>というフレーズがありますが、音楽が日常に溶けていくというのは、別の言葉でいうとどんな感じですか。
その人の日常の中のふとした時に聴いてくれて、その人の悲しみとか悩みとリンクした感じになるというか……。このアルバムの曲のように、私の悩みや悲しみを全部ブチ込んだものが人の日常に入っていけるものなんだって、ちょっと不思議な感じもするんですよね。それって、人間同士だから繋がれるんだと思うし、人間だから感じられるものを一つでもいろんな人と共有できたら嬉しいなと思います。
――Karin.さん自身は、例えば「青春脱衣所」という曲を作って、身の周りや眼に映る世界がどんどん動き始めている感じがあると思いますが、そういう自分になってあらためて青春を謳歌したいなというのが今の感じでしょうか。
私は今、高校生ですけど、高校生というのは大人ではないし、子供でもないと思うんです。大人と子供の狭間に立たされた人たちをだんだん大人にしていくのが中学だったり高校だったりすると思っていて、そういう進んでいく時間の中で周りはどんどん大人になっていくのに、自分だけが置いていかれてしまっているんじゃないかなと感じてたんです。“大人ってどうなったら大人なんだろう?”と思うし、“私はいつになったら大人になったという実感を持てるんだろう?”と思うんです。それでもいつかは大人になるんだよ、ということでああいう曲を作ったんですけど、それでも今の私はまだ子供だと思うし。大人だとも思うし。大人は本当に大人なのかな?と思うし、子供のままでいたいと思っている大人もいるんじゃないかなあって。この曲を機に、大人ってどういうものなんだろう?と考えてみてほしいです。
――今の時点では、Karin.さんにとってはどういう存在が大人ですか。
自分というものをしっかりわかっていて、自分はどういう役割を果たさなきゃいけないのかということを、その場その場で考えて行動できて、その時々で人の気持ちも理解できるようになったら大人なのかなと思います。
――Karin.さん自身の達成度は、今の時点では何%くらいですか。
62くらいですね(笑)。
――(笑)、かなり高いなあ。
でも、ずっとそのあたりにいる感じがします。
――ただ今は、「青春脱衣所」という曲を作ったりして、止まっていた時計がまた動き出した感じがしているんですよね。
そうですね。でも、数字が下がることもあると思うんです。寂しくなったり悲しくなったりして、“私、まだ子供だな”と思う時も多いし、でも“そんなふうに私はずっと自立して生きてるよ”とも思うし。そんなふうに、ずっと彷徨っているような気がします。
――ずっと彷徨っていたい、という気持ちはありますか。
ここだな、と自分で確信が持てるようなところはないんだろうなとは思います。
――ゴールはない、ということでしょうか。
それを見つけるのが音楽だと思っていて、見つかってしまったら曲が書けなくなるんじゃないかなぁという気もするんですけど、それでもとにかく今しかできないことをやりたいなと思っています。
取材・文=兼田達矢 撮影=高田梓
リリース情報
ライブ情報
mito LIGHT HOUSE 30th anniversary ~SPECIAL 30days~
「Cherry Bomb Dream」
2019年11月16日(土)
@水戸LIGHT HOUSE
OPEN 17:30 / START 18:00
出演:goomiey / Karin.(バンド編成で出演)
イベントオフィシャルサイト→http://mitolighthouse.com/30th/