シンセ番長・齋藤久師が送る愛と狂気の大人気コラム・第六十五沼 『混ざり沼!』

コラム
音楽
アート
2020.2.13

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「welcome to THE沼!」

沼。

皆さんはこの言葉にどのようなイメージをお持ちだろうか?

私の中の沼といえば、足を取られたら、底なしの泥の深みへゆっくりとゆっくりと引きずり込まれ、抵抗すればするほど強く深くなすすべもなく、息をしたまま意識を抹消されるという恐怖のイメージだ。

一方、ある物事に心奪われ、取り憑かれたようにはまり込み、その世界にどっぷりと溺れること

という言葉で比喩される。

底なしの「収集」が愛と快感というある種の麻痺を伴い増幅する。

これは病か苦行か、あるいは究極の癒しなのか。

毒のスパイスをたっぷり含んだあらゆる世界の「沼」をご紹介しよう。

 

第六十五沼 『混ざり沼!』

混ざる。混ぜる。ミックスする。まあ、いろんな表現がある。

人間同士の同調、協調、アンサンブルはとても難しい。

先日、私はSNSで以下のような声明(お願い)を掲載した

「オーガナイザーの皆様へお願いとご報告です。

今後、私がモジュラーセットのライブを行う際に、同じモジュラーの方とのセッションは行わない方向で参ります。

理由はカオティックになりすぎ、音楽的にも音響的にも伝わり難いからです。

その他の電子楽器を始め、全てのプレイヤーさんとのセッションは是非!

理由をもっと簡単に説明しますと、4人編成のバンドが2組同時に演奏を行うような感じになってしまうからです。

例えば周波数帯域制限のルールを決めれば可能ですが、なにしろライブですとなかなか難しいと思うのです。

これはポジティブな決意ですので、何卒宜しくお願い申し上げます。」

 

この声明に対し、正しく理解していただいたオーガナイザーやファンの皆さまから賛同のメッセージを沢山いただいた。

何故このような声明をわざわざ発表したかと言うと、本文そのままの理由なのではあるが、

せっかくSPICEのコラムの連載枠をいただいているので、全国の音楽家と音楽ファンに詳しく噛み砕いてもう一度説明したいと思う。

音楽には様々なタイプのものが存在する。

古い歴史の中で成熟され完成されたオーケストレーション。

前世紀に確立された4ピースのロックバンドスタイル。

ジャズの編成。

各国の古くから伝わる民族音楽の数々。

まだまだ沢山あるが、そのどれもが長い時間をかけ研ぎ澄まされ、各々の楽器構成によるアンサンブルが可能になっていった事は容易に想像できる。

しかし、その中で最も歴史が浅く、新しい音楽、「電子音楽」を通して、私は表現している。

電子音楽にも様々な形態がある。

なにしろ、最も歴史が浅いわけだから、まだ完成されたスタイルなど無いに等しい。

しかも、電子楽器は毎年、毎月、毎日、新しいものが登場し、一つのスタイルに定着するどころか、常に進化し続けているのだ。まるで「スタンダード化」を避けているかのように。

私の持ち出し用eurorack modularと機材車

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私は、これら電子楽器を使った音楽を、ある「型」にまとめたいわけではない。むしろ逆だ。

では、何故ユーロラックモジュラーシンセを使用したアーティストとのセッションを行わない事にしたのか。

前述の声明では

理由はカオティックになりすぎ、音楽的にも音響的にも伝わり難いからです。

と申し上げた。これをもう少し噛み砕くと、

「帯域のぶつかり合いを避けたい」

という事が言いたいのだ。

音の周波数帯域をザックリ分けると

  • 高音域
  • 中音域
  • 低音域

の3分割にしてみるとわかりやすいかもしれない。

もし2人以上の人間が、即興でユーロラックモジュラーシンセによるセッションをした場合、とても広範囲の帯域を出せてしまうユーロラックシンセサイザーでは、同帯域の音が重なった時に衝突が度々起こってしまうのだ。

例えば、4ピースのバンドを考えてほしい。

●ベースの人は低音域を

●ドラムの人はキックとフロアータムなどが低音域、そしてスネア、ミッドタムなどが中音域、金物が高音域を

●ギターの人は中音域を

●ボーカルの人は中音域から高音域を

担当する事が多い。

つまり、担当により、各々がぶつかりにくい周波数帯域のサウンドを演奏しているためバランスを保っているのだ。

ボーカルとギター、そしてベースは音程を操るので、あらかじめ決められたルールの中であれば

ぶつかり合う事は少ない。更にハーモニーがあるので、「整理された音楽」となる。

そして、ドラムも厳密には音程はあるものの、打楽器のため「リズム」を刻むものであり、一般的にメロディーを奏でるものではない。そのため同じ帯域のキックとベースが上手く絡み合う事で、グルーブさえ生まれるのだ。

つまり、帯域が干渉しずらい、よく考えられた構成になっているのだ。

(更に音響的に言えば、ベースはベースアンプ、ギターはギターアンプから鳴らし、それをマイクで拾いメインスピーカーからボーカル、ドラムとミックスして出力される。そこには必ず専門のエンジニアが存在し、細かい帯域をイコライザーで調整している。)

これに対して、私のメイン楽器である自由過ぎる電子楽器「モジュラーシンセサイザー」は、ほぼ全ての帯域のサウンドを出せてしまう。

これは、もしも1人で演奏した場合、自らコントロールする事が可能なため、万が一帯域がぶつかり合うようであっても、事前に回避する事ができる。

しかし、これが打ち合わせ無しの2人以上の即興セッションとなると度々事故る。

いや、絶対毎回事故る

 

帯域がぶつかり合ってしまうと、どちらの音も消しあってしまうというおかしな現象を起こしたり、

極端に耳障りな音を出してしまったり、さらにはスピーカーを吹っ飛ばす可能性があるのだ。

 

これはハーシュノイズが大好きな私ですら辛いものがある。

 

しかし、矛盾するようだが、私はおかしな音楽や演奏が大好きだ。

不協和音や帯域がぶつかるすれすれで起こすフランジング効果、あるいは立っていられない程の

重低音に身体を包まれる。。。など、ハプニングはけして嫌いじゃない。

ただ、宇宙人か、あるいはテレキネシスなどが使えない場合、レンジの広過ぎるユーロラックモジュラーシンセサイザー奏者同士の即興は危険極まりない。

もちろん、事前にある程度の決まりごとをすれば上手く行く事もない事は無い。

例えば、

「今日、僕がリズムやるから、君はベースやって、なになに君は中高域のモジャモジャとカキンカキンやって」ぐらいで十分。

あとは、そのルールが守れるかどうかだ。

混沌と耳障りは別物なのだ。

 

ただし、人様に迷惑をかけずに間違えた使い方を芸術に昇華させる事も出来る。

例えば、カールステン・ニコライがシールドを抜いた時に出る「ブチッ、ブーブー」という音をサンプリングして作品にした事はとても素晴らしい発想力と想像力である。

また、ターンテーブルが楽器になったのも、前世紀最大の発明の一つだ。

 

私は更にターンテーブルの使い方を研究し、現在「回るテーブル」として、たまに利用している。

ターンテーブル物置

もちろん、このような一見蛮行にみえる事も、サウンドエンジニアや主催者との信頼関係の上で成り立つ事を忘れては行けない。

また、件の声明で私は

「その他の電子楽器を始め、全てのプレイヤーさんとのセッションは是非!」

とも申し上げたが、実はこれにはもっと深い意味がある。

どんなジャンルの音楽をやっている人でも私は喜んでセッションさせていただきたい。

ただし「プロフェッショナル」限定だ。

これは上から言っているわけでは無い。プロフェッショナルとは、それでおまんま食べている人達の事だ。

つまり、私もギャラを貰う以上は、それなりの対価をお金を払ってくださったお客さん方に返さなくてはいけない責任があるのだ。

そのパートナーに素人はいらない。

先日、中原昌也氏と1月1日の元旦早朝という非常にめでたい日にセッションした。ユーロラック同士だ。

彼はプロフェッショナルだった。だから安心して乗っかって行けた。

お客さんは我々の出すハーシュノイズと変則リズムにパニックになるほど盛り上がっていた。

終了後にお客さんとして来てくれていたEYヨちゃんが愛を込めて「メチャクチャでしたね!すごかったw

と言ってくれたのは褒め言葉なんだ。

このようなセッションならユーロラック同士だろうが大いにやっていきたいのである。

 

セッションと言えば、昨年の終わり頃、長らく(16年)オランダに住んでらした近藤等則さんの

スタジオにユーロラックを持ち込んでセッションを行った。

セッションする前に全く音楽とは関係無い世間話を2〜3時間した。

 

そして、「じゃあそろそろ回そうか」と近藤さんがレコーダーを回すと、何も打ち合わせ無くジャムが開始されたのだが、これが面白いほど帯域ぶつからない。

全ての音が聞こえているのだ。

近藤さんは電気ラッパ、ボクとgalcidはユーロラックモジュラーシンセ。

 

曲のテンポもどんどん変化させ、シンセの音色なんて止まる事を知らないほど動きまくらせたのに、近藤さんはその上で楽しそうに電気ラッパを吹きながら、まるでスキップしているようだった。

3時間の世間話、そして20分で2曲録音した。

 

これがプロフェッショナルの世界だ。

 

百戦錬磨の中で研ぎ澄まされた感覚がシンクロするのか、あるいはテレパシーや読心術を持っているのか、

相手が出す次の手をいち早く察知し合わせ混んでくる。

近藤等則×齋藤久師 いきなり即興

そういう意味で言えば、私などまだまだ青二才だ。

 

しかし、日々精進している。より新しいサウンドを追求するためならどんな実験も恐れずにやっているつもりだ。

「混ぜる」事は今後、電子楽器による即興を用いた音楽家には最も重要な鍵になるのではないだろうか。

混ざり沼。。。それは底なし沼。。。

 

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