ハイバイ・岩井秀人に聞いたモロモロ「オーディション、カツラ、学生時代、蜷川さん、ひきこもり、ゲーム、俳優、私演劇」

インタビュー
舞台
2020.4.16
岩井秀人(撮影:上村由紀子)

岩井秀人(撮影:上村由紀子)

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ずっと気になっていた。なぜ岩井秀人のプロフィールには大学時代がほぼ記載されていないのか。ずっと聞いてみたいと思っていた。岩井秀人はひきこもりモードから毎回どうやって抜け出すのか。

いくつかのハテナを抱え『ヒッキー・カンクーントルネード』『ワレワレのモロモロ東京編 2』上演に向けて動くハイバイ主宰・岩井秀人に話を聞いた。

なお、これは新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、ハイバイが2作の公演延期を決定・発表する2週間前におこなったインタビューである。

◆母役の大きなポイントはカツラ

――まずは『ヒッキー・カンクーントルネード』について教えてください。チーム名が「拝み渡り」チームと「トペ・コンヒーロ」チームですが、これは一体……?

岩井 両方ともプロレスの技の名前です。2チームの違いがわかればいいかな、くらいの感じでつけました(笑)。ちなみに「拝み渡り」は神崎人生というレスラーが、グロッキー状態の対戦相手の手を借りながらロープの上を渡る技で「トペ・コンヒーロ」はリングのコーナー上からレスラーがジャンプをして対戦相手にぶつかる技。両方とも「受ける側の演技力が必要」という部分で共通しています。プラス、それぞれのチームの個性を考えてのネーミングではありますね。

――今回はオーディションで選ばれた若手中心の座組みです。

岩井 『ヒッキー~』に関しては、まず物語のキーになる黒木と母の役にハマる俳優を探しました。せりふを自然体で言えるというのが大前提。さらに、役の人物の行為や行動で見せるべきポイントを自分で決めていけるかどうか。そして、役やセリフのイメージを押し出し過ぎず「観客に感じさせる」ことができるか……これはほぼ才能のようなものですが。オーディションの時にはこのあたりをじっくり見ました。

――黒木はかなり繊細な芝居も必要ですよね。

岩井 なので、今お話した感覚が大事なんだと思います。母役を選ぶ時はまた違うところも見ましたが。

――たとえばどこを?

岩井 カツラをかぶらせた時の説得力があるか、ないか。

――えっ

岩井 そこ大事なんです。さらに、やたらカツラがに似合っちゃって、おばちゃんとしての完成度がありすぎるのもじつはダメで。『ヒッキー~』って、物語はちょっと深刻だったりしますが、僕はそこを入り口にしたくないんです。だから、母を演じる俳優にも作品の入り口に立った時に、男がカツラをかぶってその場にいることのなんともいえない空気を醸し出してほしいワケです。「すんません、あの、これ、カツラなんです」みたいな(笑)。

――演劇的な構造をより効果的に見せるためのカツラ。

岩井 そう、『ヒッキー~』は進行するにつれ、深刻なターンにも入っていくので、その重さを感じたお客さんが物語から離脱したくなった時にふと母を見ると、カツラをかぶったおっさんが演じていて「おいっ!」っと軽くできる……こういうのって演劇ならではの面白さじゃないですか。そしてスタート時には無理くりに見えた自称・お母さんが、物語の終盤には自然にお母さんとしてその場にいる。これも演劇特有のことなので、母役はそういうところを担える俳優に演じてほしいと思いました。

――『ワレワレのモロモロ東京編2』は、これまでのシリーズと同じく、演じる俳優自身の体験がベースになって構成されますよね。こちらはどういう基準で出演者を選んだのでしょうか。

岩井 オーディションは『ヒッキー~』が先で、その時に来てくれた人の中から何人か、自分のことを語るという形でいろいろ喋ってもらって決めました。

――そういう時って、皆さんすぐに自分の経験を話せるものですか?

岩井 いや、やっぱりすぐには無理ですね。だから、僕がまず自分のことを話したりして、それを聞いて皆も少しずつ語り出す、みたいな感じです。これ、僕の特技だと思ってるんですけど、わりといろんな人から「初めて話すコトですが…」って、まだ他で話したことのないエピソードを喋ってもらえたりするんです。

――すごくわかります。

岩井 おおっ(笑)。

岩井秀人 (撮影:上村由紀子)

岩井秀人 (撮影:上村由紀子)

――すでに自分のモロモロを岩井さんに話したい気持ちでいっぱいです(笑)。ただ、自らの体験を“演劇”としてお客さんに見せることと、本当の”経験”の間には少し距離があるようにも感じていて。そのあたり、俳優さんの中で齟齬(そご)が生まれたりはしませんか?

岩井 今回でいえば、あまりそれはないですね。たとえば、過去に自分が家族から酷い目に遭った体験を演劇にするには、まずそのことを他者の前で説明し、そこで語ったことを一人称の文章に起こして、さらにその文章を戯曲にするため、各登場人物にせりふを振り分けて……という作業をします。その過程の中で、演じる側も自分の体験を次第に客観的にとらえられるようになる気がします。最初は本人とへその緒のように繋がっていた経験がだんだん引き離されて、作品として歩き出す、みたいな。

――それを岩井さんが演出することでより大きな説得力が生まれる気がします。『ヒッキー~』もそういう空気が強い作品ですし。

岩井 僕、“演劇作品”というものにあまりこだわりがないんです。一応、大学も演劇科でしたし、演劇そのものの歴史とか現代演劇の文脈もある程度はわかっているつもりですが。学生時代からそこに一生懸命になるのをどこか馬鹿らしく感じていましたし、なにより世界が狭い感じがしていましたね。なんだろう……もっと人にとって普遍的なものを直接観てもらいたいという気持ちが強かったのかな。
 

◆演劇科の学生時代に出会った蜷川幸雄さんのこと

――じつは今日、どうしても岩井さんに聞いてみたいことがあったんです。

岩井 え、なんですか(笑)?

――わたしも岩井さんと同じ桐朋の演劇科(現 桐朋学園芸術短期大学演劇専攻)の出身ですが、うちの学校って、授業のほとんどが実技じゃないですか。それまで4年間ひきこもっていた岩井さんがどうしてコミュニケーション命!みたいなところに飛び込んだのかずっと気になっていて。

岩井 僕、もともと映画に出るか映画にかかわりたかったんですよ。

―それ、うちの大学とめちゃくちゃ遠いですよね? 2年間は外部出演基本禁止の縛りもありましたし。

岩井 そこですよね(笑)。本当に入学するまでなにも調べていなかったので、入ってからびっくりしました。さらに、僕たちの頃は授業もバリバリ新劇モードで、映画的なリアリティのある演技のことはなにひとつカリキュラムになかったです。授業も僕にとってはなかなかの地獄でした(笑)。

――怖いけど、そのあたり詳しくツッコんでいいですか(笑)。

岩井 もちろん全部ではないですが、授業によっては先生が自分の価値観をひたすら学生に押し付けてくる、みたいなこともありました。僕、そのたびに「もし、この理不尽な稽古場をお客さんが囲んでいたら、めちゃくちゃ面白いのにな」ってずっと思っていました。実際、卒業後に同じような場面を上演したら、やっぱりめちゃくちゃウケましたし。それくらい、コントに近い不条理感。

――良い……思い出は?

岩井 良い思い出かはわからないですが、シーンを作ったりする授業でなかなかOKを出してくれない演出家をぎゃふんと言わせるため必死に稽古をしたり、同期とたくさん話してつながりができたのは、今から考えると良かったかな、と思います。彼らとは卒業後にも一緒に舞台を作りましたから。

――そして岩井さん、短大の2年に加えて修士課程にあたる専攻科にも2年間通われています。

岩井 まあ、そんな不条理を感じていたら、2年で出ろよって話ですが(笑)、専攻科で受けたい授業が多かったのでそのまま次の2年にも残りました。

岩井秀人 (撮影:上村由紀子)

岩井秀人 (撮影:上村由紀子)

――蜷川幸雄さんとの出会いは専攻科時代?

岩井 そうです。僕は蜷川さんの授業、すごく面白かったです。「お前らもっとシャレた服を着てこい」とか言われたりして(笑)。そういう感覚って、先生と学生っていうより、プロと若い俳優志望者との関係性なんですよ。「俺はお前たちに仕事を振る立場でもあるんだぜ?俺が普段、どんな人たちと会ってどんな若者と仕事してるか考えろよ。そんなドブみたいな服着てくすんでどうするんだ」みたいなことをガツンと言われる。もちろん、俳優としての技術も大事だけど、蜷川さんからは“人から選ばれることに自覚を持て”みたいなことを教えられた気がします。それってもしかしたら俗っぽいことかもしれないですが、外の世界に出た時には非常に現実的に響く言葉ですよね。

――蜷川さん、お稽古場でも俳優のジャージ着用を良しとしなかった印象があります。

岩井 蜷川さんにはいろんな逸話もありますけど、たとえば女優に水をかけたっていうのも『ハムレット』でオフィーリアが気がふれて水にぬれた姿で現れるってシーンで、その役を演じる女優がどんな感じか掴めていないからリアルに水をかけてみる……みたいなことなんですよ。多分、蜷川さんのやり方ってすべてにおいて最短。だから、教わる側も心身ともに変な膿み方をしない。蜷川さんはちゃんとその人に必要な場所に傷をつけて、膿を出してくれる方法を取ってくれていたんだと思います。
 

◆今回のひきこもりは3ヶ月・・・そして“私演劇”

――また少し時間を移動させてください。2019年の最初に作・演出を担当なさった舞台『世界は一人』があって、そこから燃え尽きひきこもり期間を経て、ワークショプやオーディション、『キレイ』出演、さらにはユーチューブ配信やWAREの社長就任と、ものすごい振れ幅で動かれていますが、今回はどんなスイッチが入ってひきこもり状態から抜けたのでしょうか。

岩井 ユーチューブ配信は大怪我しましたけどね(笑)。今回は3ヶ月くらいひきこもりましたが、最終的に動き出した理由は“時間”です。とにかくひきこもっている期間は人と会わず、同じゲームをひたすらやり続ける毎日でした。

――どんなゲームかうかがっても?

岩井 『ディアブロ2』ってゲームです。

――すみません、わからないのに聞いちゃいました。

岩井 ですよね(笑)。20年くらい前に出たゲームなんです。これ、MMOっていって、かなり早い段階からオンラインで世界中のプレイヤーが同時にプレイできるシステムで。それで、時を経て『ディアブロ3』が出ることになり、また世界中のプレイヤーがそこに群がったんですが『ディアブロ3』はめちゃめちゃ評判が悪くて。

――続編作って失敗しちゃうパターン。

岩井 そうそう!それで、世界中の『ディアブロ2』愛好者たちが怒って、結果、2チームの勇者たちが生まれたんです……聞いてますか?

――大丈夫です、前のめりで聞いてます。

岩井 続けますよ(笑)。1つは「俺たちがディアブロ2の後継ゲームを作ってやるぜ」って別の会社を立ち上げたチーム。そしてもう1つは「ディアブロ2を改造してさらにこの世界を推し進めるぜ」ってチーム。後者はモッドっていう形式なんですけど、僕がやってたのはこのモッドのほうで、これを仕事部屋にひきこもってずーっとやり続けました。

――ゲーム、終わったんですか?

岩井 まあ、やりつくしたっていうのもありますが、1日中同じ、ちょっと変な体勢で過ごしていたら、3ヵ月くらい経った時に、おしりから何かがプリって出ちゃって……

――え、それは……

岩井 いや、アレじゃないです、違います、脱肛のほうです。

――ああ!……って、どっちにしても返しが難しいです(笑)。

岩井 ですよね(笑)。でも、僕、それまで本当に異常なレベルで社会性を使う仕事が続いたんですよ。フランスでの『ワレワレのモロモロ』上演で一旦燃え尽きたのに、その燃えカス状態で『世界は一人』の現場に入ってギリギリの状態で大人たちと仕事をする、みたいな。自称「ひきこもり有段者」の僕としては、これはもうひきこもって当然の状態だと思いました。だって1年間ゴリゴリにやってたから。

――で、ある時ふっと、そろそろ外に出ようかなと。

岩井 浮きが水面に上がる感覚で。ひきこもってる時って、世の中の常識とか社会生活とか一切考えないんです。まあ、こういう状態を家族が理解してくれるから成立するんですけど。僕、多分、極端なんだと思います。社会性がある時と一切なくなる時との。

――ひきこもり検定12級ですが、わかる気がします。基本、ニュートラルじゃないんですよね。

岩井 そうそう、オンとオフのスイッチングが激しい。でも、こういう話を「そうだよね、わかるよ~」って笑って人と話せるのと「全然わからない」って否定されるのとでは生きる上での楽さが全然違うじゃないですか。

――そういう意味で、演劇関係はちゃんとした人ばかりじゃないので、いろいろ良い気がします。

岩井 そういうことですよね(笑)。

――これからも岩井さんの“私演劇”は続いていきますか?

岩井 うん、方向としてはそうだと思いますね。今からフィクションに走るつもりもないですし。きっと『ワレワレのモロモロ』は、今後もいろんな形でちょこちょこやっていくんじゃないかな。自分に関しては、大きめのモチーフを使い切った感があるので迷いもありますが、演劇と人生の間……みたいなことをやっていく気はしています。

岩井秀人(撮影:上村由紀子)

岩井秀人(撮影:上村由紀子)

 

【取材note】

演出家や劇作家にインタビューする時は独特の緊張感が走る。こちらが試されるような少しピリっとした空気。「お前、わかって来てるんだろうな?」そんな問いをつねに突き付けられるようなプレッシャー。

岩井秀人さんはこちらの勝手な先入観に反してとても柔らかかった。インタビュー中も問いに対して否定がない。そしてその独特の雰囲気で、これまで誰にも話したことのないアレコレをつい喋ってしまいそうになる。この人はヤバい。

冒頭にも記したが、岩井さんに話を聞いたのは3月中旬。ハイバイを含め、まだ多くのカンパニーが4月からの舞台上演に向け準備をしていた頃である。残念ながら4月16日に初日を迎えるはずだった『ヒッキー・カンクーントルネード』『ワレワレのモロモロ東京編 2』は公演延期になってしまった。が、中止ではない。

この事態が落ち着き、また劇場に明かりが灯る時、岩井さんと若い俳優たちはどんな世界を見せてくれるのだろう。その瞬間を楽しみに待ちたい(そしてまたカウンセリン……いや、取材に伺わせてください)。

取材・文・撮影=上村由紀子

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