【THE MUSICAL LOVERS】Season3『ミス・サイゴン』 ~第四章:キャスト論・キム編~

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2020.4.18


【THE MUSICAL LOVERS】Season3『ミス・サイゴン』 
~第四章:キャスト論・キム編~


2020年4月8日、今年の『ミス・サイゴン』の全公演中止が発表された。覚悟はしていたもののやはり虚無感が大きく、本連載も中止にしようかとも考えたのだが、この「中止」は「延期」だと信じて続けてみることにする。『サイゴン』の三つの“楽しみ方”の紹介を通じてリピートを推奨した第一~三章に続き、ここからの議題は、ロングランミュージカルをリピートする理由の鉄板とも言えるキャストについて。まずは、ヒロインのキムから始めよう。

殿堂入りの知念里奈キム

『レミゼ』ほど回数(人数)を観ていないので、Season1の時のようにベストキャストを発表するつもりはないのだが、ことキムに関してはMYフォーエバーベストの知念里奈(2004~14年。16年公演からはエレン役に)の名を挙げずには語れない。憐れみを誘い過ぎるか弱いキム、逆にひとりでも生きていけそうに強いキム、クリスに末代まで憑りつきそうな粘着質なキム…色々なキムを観てきた。どんなキムもいていいし、色んなキムが観たくてリピートするのだし、どんなキムでも泣けることに変わりはないが、個人的に感情移入しづらいなと感じることはある。そんな時、筆者が脳内にこっそり召喚するのが知念キムなのだ。

知念キムのスゴさは、まずはその「キンキンなのにプルンプルン」な声にある。恐らくその声と筆者の涙腺が赤い糸的な何かでつながっているのだろう、何度観ても第一声の「17歳で初めて~店に出るのよ今日から~」からもう泣けて、その後もひと声発する度に自動的に涙が出てくるので、途中からはなんだかいじめられているような気になったものだ。すでに十分殴られてヘロヘロで倒れそうなのに、まだまだパンチが繰り出されてくるのが楽しくなってくるみたいな、ちょっとしたMの気持ちを味わわせてくれる、それが知念キムの声。

知念キム(2014年公演の稽古風景公開&取材会より)

 

もうひとつのスゴさは、真実味と切実さにあふれた表情だ。初めてクラブに出る不安。信じられる人に出会った嬉しさ。つらい日々の中で一点の希望だけを見て生きる強さ。再会が叶う喜び。裏切りを知った絶望感。そして、覚悟――。同じ過程を繰り返し演じているにもかかわらず、いつ観てもその場その場で本当にその感情を味わっているとしか思えない表情を見せる、それが知念キム。特に、エレンから「クリスの妻です」と告げられる瞬間の、あの的確な目まぐるしさは今も忘れられない。最初は何を言われているのか分からず、やがて飲み込み、信じたくないが信じなくてはいけないと悟り、その絶望感の中で、最愛の息子の未来を計算する母としての逞しさまで見せた知念キム、これが殿堂入りしらいでか。

初役のキムには何かが宿る説

では、知念里奈が卒業した今となってはそんなキムがもう観られないのかというと、そんなことはないのでご安心を。そもそも、涙腺が赤い糸的な何かでつながっている相手は人それぞれだし、それが知念キムだった筆者にしても、卒業後いつも脳内召喚でしのいでいるわけでは全くない。2014年公演でデビューし、16年には声帯結節により東京公演を休演した昆夏美キムを追って、わざわざ名古屋まで観に行ったほどには昆キムだって大好きだ。

昆キムによる「命をあげよう」(2014年公演の製作発表より)

 

キムというのは特別な役で、あの歌を歌うだけで自然と彼女の気持ちになり、否応なく激動の人生を生きてしまうのだ、という話を聞いたことがある。稽古はキムになるためにするのではなくむしろ、キムとある程度の距離を保てるようになるためにするもの。100%キムの気持ちのまま演じていては舞台上で危険を伴うし、舞台を降りたあとの生活にも支障が出るということだろうと解釈し、妙に納得した覚えがある。だからだろうか。演じ始めたばかりでまだ役との距離が保ちきれてないキムには、特に感情移入しやすいような気がする。もちろん例外はあるのだが――初役でも知念キムの脳内召喚が必要な場合も、何度目でも距離がないように見える場合も――、これが筆者が唱える、初役のキムには何かが宿る説。

そんなこともあって、初役が3人もいて、もうひとりは大好きな昆キムという今年の布陣には特に期待していたのだった。国民的女優・高畑充希の実力は折り紙付きだし、大原櫻子は初舞台の時から「いつかキムいけそうだな」と思っていた女優だし、屋比久知奈に至っては、『レ・ミゼラブル』や『シスター・アクト』を観ながらも「この声で、この目でキムを演じくれたらどれだけ泣けるだろう」と妄想してほぼもう泣いていた。今年の公演はなくなってしまったが、いつか四者四様のキムが競演する日を、やはり望まずにはいられない。

(つづく)

文=町田麻子

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