シンセ番長・齋藤久師が送る愛と狂気の大人気コラム・第七十沼 『にゃんこ沼!』
「welcome to THE沼!」
沼。
皆さんはこの言葉にどのようなイメージをお持ちだろうか?
私の中の沼といえば、足を取られたら、底なしの泥の深みへゆっくりとゆっくりと引きずり込まれ、抵抗すればするほど強く深くなすすべもなく、息をしたまま意識を抹消されるという恐怖のイメージだ。
一方、ある物事に心奪われ、取り憑かれたようにはまり込み、その世界にどっぷりと溺れることを
「沼」
という言葉で比喩される。
底なしの「収集」が愛と快感というある種の麻痺を伴い増幅する。
これは病か苦行か、あるいは究極の癒しなのか。
毒のスパイスをたっぷり含んだあらゆる世界の「沼」をご紹介しよう。
第七十沼 『にゃんこ沼!』
私は子供の頃から、狩猟を趣味にしていた父の影響もあり、たくさんの犬と共に育った。
ポインターと呼ばれる狩のための犬は頭が良く、抜群のスタイルと運動能力、そして飼い主にとても従順であり、絶対的な「犬派」であった。
しかし、10代の頃に新聞を読んでいると「飼い主募集」というメッセージが目に入った。
「とてもよくなついたカワイイ黒猫ちゃんをもらってくれませんか?」
という魅惑の言葉に釣られ、100kmも離れた譲り主のところまで車を駆った。
到着後、飼い主にご挨拶し、その黒ネコちゃんとすぐに会えると思いきや、、、、
飼い主「シャイだから、なかなか出てこないんですよね〜。どこかに隠れているんだと思うんです」
話が違う、、、w
「とてもよくなついたカワイイ黒猫ちゃん」じゃないのか?
1時間程経過したころ、隣の部屋から尋常ではない音が聞こえてきた。「ババババ!ガリガリガリ!ギャアアアアアン!ドダダダ!!!!」
譲り主は汗だくになりながら、(ちょっと血も出てた)なかば黒猫を強引に掴むように私のところに連れてきた。
「とてもよくなついたカワイイ黒猫ちゃん」、、、、、、、
話が違う、、、。
私は譲り主からその黒い凶暴な超成猫を爪でひっかかれながらもなんとか車に乗せ、100kmの道のりを引き返し自宅まで連れて帰った。
それが初めての猫との暮らしの始まりだった。
ネコは場所に馴染むまで時間がかかるという習性である事は知っていたが、生まれたばかりならまだしも、ゆうに4〜5歳かと思われるその黒猫ちゃんは、自宅に入るなり、クローゼットの狭い隙間に入ってなかなか出てこない。
数日して、流石にお腹が空いたのか、用意していた餌を置いたところに食事に来た。こちらを注意深く警戒しながらお腹をみたしている。
トイレは教えてもいないのに一発で覚えた。この辺は犬と違うところだ。散歩させる必要もないし、とても手がかからない。
次第に時が経過するとともに、その黒猫は私と自然に仲間になる事が出来た。1年ほどかかって。
しかし、とんでもない事実が発覚したのは黒猫が我が家に来て数日経過した時だった。私は強度の猫アレルギーだという事が判明!
全身痒いし、目も痒い。かゆかゆにも程がある。
でも、猫の魅力はそれをはるかに上回るため、抗アレルギー薬を飲みながら大切に黒猫と過ごし、私はすっかり「犬派」から「猫派」に転身することに。
時がたち、現在の妻に会った時、彼女は異常にデカいネコを3匹飼っていた。
NYに長年住んでいた彼女は、そこで飼っていた三匹のネコを大変な手続きを行い帰国と同時に連れて帰ってきた。
さすがアメリカンサイズ。手足を引っ張って伸ばすと人間の子供程の長さだ。
黒猫の兄妹の「アカ」と「ミリ」、そして御局様の縞虎模様の「オヨヨ」の3匹だ。
実は妻も私同様、強度の猫アレルギーで、夫婦してつねにボリボリ全身を掻いていた。
その子たちは、まるで「犬」のような猫たちだった。
猫といえば自分勝手でお高くとまった印象がある。しかしあの子たちは全然違った。
「アカ〜」と呼ぶと、遠くの部屋にいても走ってきて私の目の前に座り、「お手」をする勢いだ。
まるで犬のようなひとなつっこいネコ。
疲れて心が弱っていると、言葉が通じるわけでもないのにそっと側に来て癒してくれる。
しかし、お風呂に入れる時は一大事だ。
私は全身傷だらけになりながら、よく一緒にお風呂に入ったもんだ。
お風呂に入った猫は、毛が濡れて小さく見える。それがまたかわいい。
ドアにはネコだけが通れるように「ネコドア」もつけた。
定期的に爪は切ってあげていたのだけれど、やはり爪とぎがしたいのか、部屋の壁はボロボロになる。EAMESやコルビジェのソファーもボロッボロだ。そこでこんな面白い爪とぎを見つけてDJにゃんこにさせてあげた事もあった。
私が廊下を歩いていると、わざと足下に突然飛び出し、数えきれないほど転ばされた。やつらは本当にデカいので、人間に足をかけられたのと同じように私は転倒しまくった。そんなイタズラ大好きな犬みたいな猫。アカ、ミリ、オヨヨ。
そんな人間の家族と同様に暮らしていた3匹との動物との別れの時が10年後にやってきた。
彼らは20年程生きていた。猫としてはとても長生きだった。
しかし、別れは必ずやってくる。1年おきにオヨヨ、ミリ、アカの順に天に召した。
私はこの辛い別れの度に「もう2度と生き物なんて飼わない」と心に決めるのだが、なぜか気がつくと同じ事を繰り返している。
3匹のネコ達が亡くなり数年、昨年の事だ。
裏庭に置いてある焚火用の薪を積んであるところから「ニャアアアアンニャアアアアン」とネコの声(複数)が聞こえてきた。のぞいてもまったくネコは居ない。しかし泣き声だけは間近で聞こえる。
そおこで目を凝らし、薪置き場を注視すると、、、、薪と全く同じ柄のネコの赤ちゃん(10cm)が2匹居るでは無いか!!!!!
気がつけば、毎日その2匹と遠くから様子を見る母猫に毎日餌をあげるのが日課になっていた。
その子達はたちまち大きく成長し、すっかり成猫になっていた。
そして彼らが生まれて半年ちょっと経過した先週、、、、、、、
実は我が家には井戸があるのだが、井戸から「ニャアアアアンニャアアアアン」という赤ちゃんネコの声が聞こえてきた。
半年前子猫だった子が産んだ赤ちゃんが4匹、井戸の底で鳴いていた。
しばらく観察していると、親猫が降りて行って乳を飲ませている。
動物の世界では時間の流れがはやいな〜なんて思いながら、先日あった友達の事を思い出した。
「久師さん、こんど私 ネコ飼いたいんですよ〜。しかもペットショップで買うんじゃなくって、自然に生まれた赤ちゃん猫を」
私は気がついたら彼女に電話していた。
彼女もその奇跡的な吉報に待つ事が出来なかったらしく、電話してから数時間もたたないうちに我が家へと駆けつけてきた。
井戸の底にいる4匹の猫をどう捕獲するかしばらく考えた。
そこで、私は釣り用のタモの先を変形させ、4匹のネコを無事に引き上げることに成功!
彼女は全て飼いたかったようだが、現実的に、そして冷静に考えた末、まだ目も開かない2匹の赤ちゃんネコを引き取って大喜びで帰っていった。
彼女も私たちも、「親猫が突然いなくなった赤ちゃんに気がついたら悲しまないか?」という心配をしたが、野生のねこより環境の良い屋内で優しく飼ってあげれば長生きもするし、幸せだから、、、と人間の身勝手だが仕方ないという結論を出した。
残った2匹の猫は母猫に守られながらたくましく育つだろう。
人間以外の生き物は、言葉でのコミュニケーションが出来ない。
だからこそ、人間が退化させてきた五感、さらには第六感を使いあらゆる超機能を使って生きている。
人間が弱った時にそばに来て癒してくれたアカ。いつも寝るときに私にしゃしゃり込んできたミリ。しょうもないくらい凶暴で手がつけられなかったオヨヨが晩年だんだん優しさを取り戻していった姿を私は忘れない。
ありがとう、一緒の時間を共に暮らした子達。
今日もお腹を空かせたにゃんこが庭をうろついて、食べ物をせがんでくる。
私は一生「にゃんこ沼」から抜けられる気がしない。