『ゲルニカ』演出の栗山民也、ピカソとその絵画への思いを語る
栗山民也
1937年、スペインの都市ゲルニカは人類史上初の無差別空爆の標的となった。その爆撃を主題に描かれたパブロ・ピカソの『ゲルニカ』は、今も観る者に深い衝撃を与えてやまない。その絵画に長らく心惹かれてきた一人が、演出家・栗山民也。彼の構想をもとに、劇作家・長田育恵が書き下ろした同名戯曲が、2020年9月4日(金)東京・PARCO劇場を皮切りに、京都、新潟、愛知、福岡にて上演される。栗山に作品への意気込みを聞いた。
ーーピカソの絵画『ゲルニカ』について、20数年前、マドリードの美術館で出会われて衝撃を受けたこと、そして、亡き奥様(中川安奈さん)のおじいさまであった千田是也さんがお亡くなりになられたとき、その玄関にあったレプリカを遺品として譲り受けられ、以来ご自宅の玄関に飾っていたことを、今回の舞台に寄せてのコメントで発表されています。
千田是也さんの家に、遊びにいらっしゃいと誘われて、お孫さんをくださいと言いに行ったんです。マンションの部屋に入ったら、絵がばーんと玄関に飾ってあって、その印象がすごく強くて。訪れたのはその一回きりで、それから2、3年後に亡くなられて。マンション地下の稽古場でお別れ会をしたんですが、そのとき、遺品の中からどれでもいいから持って行っていいよということになって、僕は、本とかじゃなくて、玄関にあった「ゲルニカ」をくださいと言って、それをそのまま、うちの玄関に飾っています。その前に、スペインで「ゲルニカ」の実物を見ていたので、そのときの印象がずっとあって……。絵画と出会うとか、そういう印象じゃなくて。圧倒的な何か、大きな世界と向き合うみたいな感じというか。千田さんとは「ゲルニカ」の話は特にはしていないんですよ。したのは、芝居の話とか。共通の話題ってそれくらいしかないから。そのとき、90歳近くでしたね、千田さん。
ーー千田さんも栗山さんも、「ゲルニカ」を見つめ続ける日常を人生の時間の共通項としてもっていらっしゃるわけです。
キリストの磔があって、それを毎日拝むとかそういうことではないんだけれど、何というか、無意識の中でふっと、一番大事なところなのかなと。最近引っ越しをしたんですが、いろんな絵がある中で、中川一政さん(中川安奈さんの父方の祖父)の絵も現物を持っていて、一番大事なところ、玄関を入って廊下があってリビングがあって……その正面に千田さんの「ゲルニカ」を飾りました。ピカソ自身も言っていますけど、芸術作品とは、美しいとか、単なる観賞用ではないと。自分が楽しいかとかじゃなくて、何か爆発するもの、それが形になったものだと。だからやっぱり、答えのないものかな。見るたびに違うような感じ。本とも違うし。絵の中のいろいろなところで、人が死んでいる。死にゆく人たちかな。それぞれが毎日違った主人公になっていくみたいな感じですね。
画家の中でピカソが一番好きだったんです。何だろうこの人はっていう、謎もすごく多いし。答えを出す人じゃないから。他の画家が描くものは美しかったり、構図がきれいだったり、色の使い方がよかったりするんだけど、ピカソって、「キュビズム」を生み出した人だから。人間の一つの視点からものを見るんじゃなくて、いろいろなところから見た、その、多面的なものを、一枚のキャンバスに押し込める。だから、あれだけおもしろい構図が見えてくるわけで。それが20世紀のリアリズムというか。20世紀のリアリズムっていうのは、世界大戦が二つもあって、他にもいろいろなことがあって、地球が何度も崩壊寸前まで行かざるを得なかった、それを乗り越えたところのリアリズムなんだと。それを一枚のキャンバスの中に押し込めるということで、ピカソはそれくらいの規模で世界をとらえていたのかなという気がとてもします。
「ゲルニカ」で僕が一番衝撃を受けたのは、白と黒と灰色でできた世界であるということ。普通、世界史の中で初めてあれほどの大量虐殺の阿鼻叫喚を描くとしたら、数多くの色彩を使っていた画家だと、天然色、赤も黄色も、あらゆる色で攻めてくるかなと思うのに、モノクロームで仕上げた。だけども、モノクロームだからこそ、逆に、いろいろな世界観、いろいろな局面、いろいろな断面が、見る側の想像力の中で多面的に見えてくる。釘付けになりましたね、あの絵の前で。向き合うことによって、本当にいろいろな世界が生まれるんです。それはやっぱりすごいなと。
もう一つすごいのは、あの絵の前にいろいろ習作を描いているんです。そして、攻撃側の人間は誰も描かれていない。それは何かっていうと、世界で初めての空爆だから。相手が見えない。こんな怖いことはないですよ。それまでは、対決っていうと、前にいるやつと戦うけど、空爆だとそうはならない。それ以降、原爆も含めて、どんどんそうなっていくことを予見したかのような、被害者だけがただ地獄絵の中におさまっているという構図がやっぱりすごい。だから、もう、一つの物語ですよ。
ーーそうやって長年あたためてきた題材を、今回パルコ劇場にて新作舞台として上演されることになりました。
オープニング・シリーズのうちの一本ということだから、僕たちが生きてきた時代、すなわち、20世紀の総括じゃないけれど、これからではなくこれまでを見て、何だったんだろうと考える上での作品になったらいいんじゃないかなと。ラインアップを見てね、『ピサロ』がオープニング・シリーズの最初の作品ということだったら、同じスペイン人を扱った作品がいいんじゃないかと。ずっと僕の中にあった作品なんです。そういう作品は、翻訳劇を含めると40本くらいあって、もう全部を演出するのは無理だなと思っているんだけれども(笑)。やっぱり、時期ですよね。7月に演出した三好十郎の『殺意 ストリップショウ』も、ずいぶん前からやりたいなと思っていて、東京オリンピックにぶつけて何かないでしょうかと言われて、提案した作品なんです。今回は、大枠は脚本を書いた長田育恵さんの世界観で、こうした方がいいんじゃないということはいろいろ話しました。共同作業だから、芝居ができて、作家から、あそこはこういう思いで作ったんですが……と言われても僕はもちろんかまわないし。
ーー劇作家としての長田さんの印象はいかがですか。
言葉をすごく丁寧に書く人だなという気がします。長田さんに伝えたのは、なんてあんまり言うと偉そうなことになっちゃうし、演出家ごときが作家にあんまり言っちゃいけないんだけれど、スペインの感覚って、僕にとってはフェデリコ・ガルシア・ロルカなんです。ロルカの詩で支えられたというか。何か、暑くてじーっとする感覚というか。スペインを3か月くらい一人で回ったことがあったんです、そのときの印象がね。それと僕、19歳のときにインドに行っているんです。そのときも感じたんですが、暑い国の感覚と、寒い国、例えばロシアのチェーホフやツルゲーネフといった作家の文体との違いが、やっぱりあって。それにしては、長田さんは、ものすごく丁寧に心理描写を書いていたから、例えばこの三行は飛ばして、ここからここに行ったら、スペイン的というか、もっと原始的なもの。オリジンですよね、人間の血だとか、土地だとか、空気だとか、風だとか、そういうものがもっと介在してくるというか。どうしても、寒いと、例えばイプセンなんてそうなんだけど、ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ考える(笑)。寒いからそういうことばっかり考える。チェーホフだってそう。だけど、暑い国の作家の、感情がボーンとジャンプするみたいな感じって、逆に言えばその方が残酷だし、スペイン的な話の展開ができるんじゃないのと。そんな風に全体的な質感についてというか、例えばここ一行抜いちゃった方が、観客は、何だこれ? ってなるんじゃないの、といったことは言いました。
ーー物語上、ゲルニカに実際立つ樹がメインに据えられています。
すごいよね。信仰の中心というか、生活の中心であって。ルソーの言葉じゃないけれど、一本の木があって、そこに人が集まったら、そこに一つの祭りが生まれる。劇場っていうものもそうですよね。そういうものがゲルニカという街にはあったんだなと考えると、それは憧れですよ。素敵なことだなと思う。やっぱり、スペインってそういうところがあるんですよ。南の方に行くと、アンダルシア地方なんかはイスラム文化の影響があるから、ものすごくおもしろくて。透明感と、民衆のどす黒さみたいなものがうまく調和している。マドリードとかはもう都会になっちゃってますけど。ゲルニカがあるバスク地方はもうちょっと北で、取り残されたみたいな集落の話であって。日本で言えば沖縄みたいな感じで、ある文化をしっかり守りながら、周りが騒いで、もういいの私たちはと思って、それが内戦につながっていく、みたいな。僕たちの物語として、長田さんはアプローチして行っているんだなということがよくわかります。
ーーコロナ禍にあって、舞台芸術界にとって難しい時期が続きますが、改めてお考えになったこととは?
文化芸術が不要不急って言われましたよね。テレビやマスコミの中でもそう取り上げられて。本当にそんなことがあるんだろうかと、僕はちょっと、絶望した感じはある。この前上演した『殺意 ストリップショウ』も含めて、本当に僕たちの生活にとって、芸術、文化が不要なものなのかどうか、証明するために上演したいという気がすごくしていて。文化芸術は、必要なものなのかどうか。同じ地球の上で、ドイツはまさにそのための補償を芸術家たちにしている。この国は随分遅れて、十万円をみんなに配りましたけど。そういうのって、どんなことが起きても、優先順位をつけるべき問題では決してないんですよ。コロナだって、こんなことが起きるなんて誰も思わなかったですしね。でも、一番感じたのは、さっき「劇場」っていう言葉を言いましたけど、劇場って、いろいろなお客さんが来ますよね。そうすると、隣も、その隣も知らない人だったりするわけで、みんな違った価値観をもっている人たちがいて、それが、いい芝居だと、バラバラの人たちがふうっと一つにまとまって小さな宇宙を作るんです。それを願って僕らは芝居を作っているんです。つまんない芝居だとそのまま別れていくだけだけど(笑)。でも、コロナって、ふうっと一つになっちゃいけない、密がだめだから。僕らがやっている仕事とは対極的なものだなという気はします。実際、具体的なことを考えてみれば、芝居って人と人がぶつかりあうことだと思うし。それがドラマだから。ぶつかりあうことっていうのは、ケンカすることだし、恋をすることだし、交わることでもある。それが全部だめだって否定されちゃったらね、何を作ればいいのって。僕は本当に全員PCR検査をして、みんな陰性で、その上でドラマを作りますよという姿勢でやりたいんですよね。マスクをしながら稽古している稽古場もあります。だけど、舞台上でもしそれが強制されたら僕はできないですね。演出に関して、そこはちょっとやめてくださいとか、そこ2メートル空けてくださいとか言われたら、もう演出家は介在する必要がなくなってしまいますから。
ーーさきほど、『ゲルニカ』について、20世紀の総括とおっしゃっていましたが、コロナ禍は21世紀の大きな問題となっていきそうですね。
僕がやる作品はそういうのが多いですね。戦後についての作品であるとか。基本的には、ホロコーストや「グラウンド・ゼロ」も含めて、人間の大いなる歴史上の過ちみたいなものがあって、本当に全部がゼロになっちゃった、ここから人間はどう立ち上がっていくのか、という作品を多く創っていて。ヒロシマやナガサキについての作品もやっているし、沖縄についての作品もやっているし。ドラマの原点が何だかいつもそういうことだなという気がする。『ゲルニカ』をどういう形で上演するかについては、長田さんとも話しました。例えば、ニューヨークの話にしてもいいわけ。でも、僕は、正攻法でちゃんとスペインと向き合った方がおもしろいんじゃないのと。イギリスの芝居のおもしろさって、もともとは、ちょっと不条理が入っているところなんですけど、今のイギリスは何か、論理と経済の話ばっかりになっちゃっていて。最新作なんか、ロボットがやってもいいんじゃないみたいな芝居がすごく多いんです。でも、スペインとか、まあノルウェーのイプセンはぐちゃぐちゃ書くけれども(笑)、ちょっと辺境の国のドラマってまだまだ不条理性が残っているところがあって、そこに僕はとても引きつけられる。だって、完成された人間なんていないわけだから。やっぱり、ロルカの世界なんかに近いのかな。月を見て狂うとか、大地に血が染みていくみたいな。全部自分の体験というか。大地の中に眠る霊と語り合うとかね。ピカソなんかもやっぱりそこなんじゃないかな。科学というものがいろいろ入り込んでくる中で、何も進化していない人間の全身とぶつかりあったとき、どうなんだろうという。それを一枚のキャンバスの中におさめていく作業というか。
「ミステリアス・ピカソ~天才の秘密」っていうドキュメンタリーのDVDがあるんです。ピカソが一枚のガラスに向かって描いていく様を追っている作品で。上半身裸でピカソは描いているんだけど、カメラは反対側から撮っていて、そして絵はどんどんできあがる。できあがってパッと画面が変わると、今度はその絵を白で消し始めて。それで、今度は全然違うスタイルで描いて、そこに赤を入れたりして。つまり、幾多のスタイルをどんどん描きこんでいくわけ。そして最後に、あ、これすごくいいなと思ったときに、またそれをバーッと白で消して。一時間半くらいのドキュメンタリーなんだけれど、また塗りつぶして、そこに一言、よし、見つかったみたいなセリフがあるんです。そして、次に描き始めるところで終わるんです。「ゲルニカ」の習作って何十枚もありますが、その中には原色のものもあって、最終的にはモノクロームになった。僕はいつも、美術展に行って、一枚の絵を見たときに、この絵の具を剥がしていったら何枚の歴史があるんだろうと思うんです。ピカソの場合は、削って削って削って……。それを解明するようなドキュメンタリー映像だと思うんだけど、削って、削っていくと、彼が少年時代に描いた、緻密なデッサンが中から生まれてくるんじゃないかなと思う。演劇を作るということもそういうことだと思うから。本当に、そこにあるものをまずはどう写実でとらえるか、いろいろな形でぶつかりあって、そのぶつかりあいを新しい様式でどう描いていくのか、そして最後の大きな形の世界をどうしめくくるのか。一枚の絵と同じなんですよね。作曲っていう作業もきっとそうだろうと僕は思います。
ーーそういった意識は演出される上で常にあるものなのでしょうか。
僕、絵を描いてたんです。中学、高校、ずっと絵を描いていて。全国交通安全週間のポスターのコンクールに、小学生くらいから毎回ずっと参加して、10回くらい入選して、朝礼で校長先生から賞状をもらったことも。中学生のとき、都立駒場高校に芸術科があると聞いて、僕は絵ばっかり描いてたから、そこに行こうと思ったんです。美術の先生が、あそこはいい学校で、そのまま東京芸術大学に進めるからとも言ってくれて。だけど、担任の国語の先生が、今、人生を決めてはだめだって。その国語の先生がすごくいい先生で、その先生からドストエフスキーを教えてもらい、そこからロシア文学科に進もうと思ったんです。そしたらもう、ロシア語の活用が(笑)。若いとき、こんなの覚えても何にもならないじゃないかと思いましたよ。で、そのころ、学校がロックアウトになって、それで19歳でインドに行ったんです。3週間のつもりが、3カ月いて。そしたらもうロシア語なんてボーンと飛んじゃった(笑)。世界が全然違うんですよね。そのとき、空とか、人とか、地とか、川とか、水とか、一文字で表せる世界の大きさを知ったんです。ごちょごちょ論理的に何かをやるより、もっと強い人間がいるって感じました。
取材・文=藤本真由(舞台評論家)
公演情報
『ゲルニカ』
作:長田育恵
演出:栗山民也
出演:上白石萌歌 中山優馬 勝地涼 早霧せいな 玉置玲央 松島庄汰 林田一高 後藤剛範 谷川昭一朗 石村みか 谷田歩 キムラ緑子
<東京公演>
公演日程・会場:2020年9月4日(金)~ 2020年9月27日(日)PARCO劇場
料金(全席指定・税込):9,800円
後援:TOKYO FM
お問合せ:パルコステージ 03-3477-5858(時間短縮営業中)
<京都公演>
公演日程・会場:2020年10月9日(金)~ 2020年10月11日(日)京都劇場
料金(全席指定・税込):9,800円
主催:関西テレビ放送/京都劇場/サンライズプロモーション大阪
お問合せ:キョードーインフォメーション 0570-200-888(10:00~18:00)
<新潟公演>
公演日程・会場:2020年10月17日(土) ~ 2020年10月18日(日)りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・劇場
料金(全席指定・税込):S席9,800円 A席8,500円
主催:サンライズプロモーション北陸/(公財)新潟市芸術文化振興財団
お問合せ:
サンライズプロモーション北陸
025‐246‐3939(火~金12:00~18:00/土10:00~15:00)
りゅーとぴあ専用ダイヤル
025‐224‐5521(11:00~19:00/休館日は除く)
<愛知公演>
公演日程・会場:2020年10月23日(金)~ 2020年10月25日(日)穂の国とよはし芸術劇場PLAT 主ホール
料金(全席指定・税込):S席10,000円 A席8,000円 B席6,000円 U25(B席)3,000円 高校生以下(B席)1,000円
※U25(25歳以下)・高校生以下は、一般発売日からプラットセンターにて取扱い。一人1枚・枚数限定・座席指定不可・入場時本人確認書類提示。
主催:(公財)豊橋文化振興財団
お問合せ:プラットセンター 0532-39-3090(休館日を除く10:00~19:00)
<福岡公演>
公演日程・会場:2020年10月31日(土)~ 2020年11月1日(日)北九州芸術劇場 大ホール
料金(全席指定・税込):S席9,500円 A席6,500円 ユース(24歳以下・要身分証提示)4,500円 高校生〔的〕1,500円
※高校生〔的〕は枚数限定、窓口・前売のみ取扱、購入時・入場時要学生証提示
主催:(公財)北九州市芸術文化振興財団
共催:北九州市
後援:北九州市教育委員会
お問合せ:北九州芸術劇場 093-562-2655(10:00~18:00)
http://q-geki.jp
企画製作:株式会社パルコ
公式サイト:https://stage.parco.jp/program/guernica/