愛知の“新生”<AAF戯曲賞>受賞作が決定
左から、愛知県文化振興事業団理事長・中野秀秋、三浦基、鳴海康平、松原俊太郎、深谷照葉、羊屋白玉、篠田千明
【大賞】は松原俊太郎の『みちゆき』、【特別賞】は深谷照葉の『ダム湖になる村』に
愛知県文化振興事業団が主催し、2000年にスタートした<AAF戯曲賞>が今年、生まれ変わった。15周年を迎えるのを機に「戯曲とは何か?」という原点に立ち返り、「作家と演出家の出会いを創る場でありたい。戯曲の可能性を拡げる場でありたい。戯曲という財産を育て、上演を通して未来に繋ぐ場でありたい。そして、演劇に対する挑戦の場でありたい。」というコンセプトのもと、審査員も一新。三浦基(演出家、地点代表)、羊屋白玉(指輪ホテル芸術監督、劇作家、演出家、俳優)、鳴海康平(第七劇場代表、演出家)、篠田千明(演出家、作家)の4名が審査にあたった。
5月の募集開始から8月25日の締切までに集まった今年の応募作は全114作品。10月に行われた第1次審査では17作品が通過(公式HPに発表)し、11月の第2次審査会で以下の5作品が最終審査へ。そして12月5日(土)、【大賞】と【特別賞】を選出する公開審査会が愛知県芸術劇場小ホールで行われた。
【第15回AAF戯曲賞受賞作 ノミネート作品】
・『居坐りのひ』杉本奈月
・『ガベコレ~garbage collection』林慎一郎
・『ダム湖になる村』深谷照葉
・『ヘイセイ・アパートメント』山田由梨
・『みちゆき』松原俊太郎
公開審査会の様子
審査員は舞台中央のテーブルを囲む形で着座、観客は三方向に設けられた階段状の客席からそれを見守るスタイルで催された。まずは一作ずつ丹念に議論を重ねていったのだが、全作を話し終わったところで既に1時間45分が経過。そこで、各々良いと思う作品を2作ずつ選ぶことに。結果は以下の通りだ。
三浦/『みちゆき』『居坐りのひ』
羊屋/『みちゆき』『ダム湖になる村』
鳴海/『みちゆき』『居坐りのひ』
篠田/『ガベコレ~garbage collection』『みちゆき』
ここで、全員が挙げた『みちゆき』の【大賞】が確定。『ガベコレ…』は、「大賞でなければ特別賞には推さない」という篠田の意見により外され、【特別賞】を『居坐りのひ』と『ダム湖になる村』のどちらにするか? となり、篠田は『ダム湖…』を選択。これで票が2対2となったため、さらに熱い議論が重ねられた。『ダム湖…』については、文体やキャラクターの書き分けなどについて厳しい意見も出た一方、『居坐りのひ』に対する評価は皆高かったのだが、次点ではなく【特別賞】であるという点に於いて最終的には『ダム湖になる村』に決定。約2時間半にも及んだ審査会が終了した。各審査員の受賞作に対する主なコメントは以下の通りだ。
大賞『みちゆき』
三浦●圧倒的に筆力が高い。抽象性が高くわからない部分も多いが、充分なお喋りに読ませられ、嫌な気はしなかった。大型新人の登場です。最大に評価したいのは、文体があるということ。神の啓示とか「自分はここにいる」みたいなことではなく、圧倒的にダイアローグをしようとしている。そこが一神教のヨーロッパの戯曲と違う。日本語でここまで劇を紡ごうとしていること、この文体を日本人が書いているということにすごく希望を持ちました。 羊屋●登場人物たちは、何を目の前にしてこんなにも発語してるの? と、思いました。それを見つけたくて読んでいくと、もしかしたら、彼らは皆、同じことを体験した人々なんじゃないかな、と考えました。それ以上のことは謎のままで、まるでいまだ呼び名のない現象なのです。観客の目の前に、その謎が立体化されるのが待ち遠しい。というのが一番の理由です。 鳴海●『ゴドーを待ちながら』とか初期のベケットの匂いがする。途中で出てくる、<姿の見えない浮浪者が声を出さずに笑う>というト書きは、演出家的には「どうするんだよ」と挑戦されている感じがありますが、これを描かなきゃいけない理由を想像すると魅力的なんです。このト書きが必要な世界を作者が見ている、という点に強く惹きつけられます。最近は、自分と世界を短絡的に結びつけて描く作家が多い気がしますが、この『みちゆき』は、自分を取り巻いている世界を多様なままとりあえず捉え、その多様な状態、自分にも手が届かないところがたくさんある複雑で不安でしょうがない世界というものを、身近な枠組みの中に回収しようとせず、そのままどうにか形にしようとトライしていて、その結果もある程度出しています。 篠田●沈黙しないという勢いがすごい。よく読んでも良いところしか発見できなかった。黙らず、先に進もう進もうという。東日本大震災後、黙った人や叫んだ人はたくさんいるけど、この作家は黙りも叫びもせず、一個ずつちゃんと書いていったという気がする。
特別賞『ダム湖になる村』
三浦●戯曲賞は、このタイプの作品の応募が多いです。60歳過ぎて、余暇なのか昔やりたかったのか知らないが、趣味みたいな大河ドラマの焼き直しのような作品の応募がやたら多い。でも、『ダム湖になる村』は決してそういうタイプの作品ではない。褒められないところもたくさんあるが、喜劇の構造も持っていて非常に興味深く読みました。
羊屋●希望のかたまりの喜劇だと思いました。過密する都市生活者の水の供給の犠牲になり、ダム湖に沈んだ集落は、世界中でたくさんあります。それを題材にした小説もありますけど、ほとんどが、小さな村が都市の犠牲になってゆく。日本政府から独立する村の話を描いた、井上ひさしさんの『吉里吉里人』は、最後、亡霊が彷徨って終わりますけど、この作品は、“村の生きている”人々が、最後の一人になるまで籠城しようと決心する。人間の誇りを感じるんです。
鳴海●戯曲としては構造やプロットはクラシックなスタイルです。「戯曲とは何か?」をテーマにしているAAFでの受賞とは別に考えるべきだと私は感じてしまう。ただ、クラシックの良さや面白さ、作家の血肉を感じる魅力があるのも事実。賞に関わらず、誰かが上演をして、この戯曲に息を吹き込むことの方が大事じゃないかと思います。
篠田●補綴は必要だと思う。でも、それが必要だからといって戯曲の価値に変わりはないと思っていて。登場人物は必要だけど、この数の爺さん婆さん出さなくてもいいと思う。出落ちになっちゃうと思うんですよ。もうそれだけで何か見た、みたいな気持ちになっちゃう。爺さん婆さんのロマンスをキャッチーに書ける作家として評価したい。『みちゆき』とかに比べて死に対する圧倒的な(リアリティーの)差がすごく面白くて、徹底的にコメディになってる。
休憩をはさみ引き続き行われた授賞式では、【大賞】の松原俊太郎氏に賞状と賞金50万円、【特別賞】の深谷照葉氏には賞状と賞金10万円が授与された。受賞作を含むノミネート5作品は愛知県芸術劇場のHPよりダウンロードして読むことができるので、審査員の講評を参考にぜひご一読を。<AAF戯曲賞>は当初から「上演を前提とした戯曲賞」として、受賞作のプロデュース公演を毎回行っている。その点は今回のリニューアルでも変わらず、来年度には『みちゆき』が上演されるので、こちらもお楽しみに。
《受賞コメント》
大賞『みちゆき』作者 松原俊太郎「このような賞をいただき、本当にありがとうございます。自分はずっと小説を書いてきましたが、見向きもされず、戯曲を初めて書いてここに応募してこのような賞をいただいたので、本当に演劇の懐の深さを身にしみて感じました。あの戯曲を書いた理由というのは、今年の8月に地点の『茨姫』(第14回AAF戯曲賞受賞作・愛知県芸術劇場プロデュース公演)を観ていいなぁと思い、自分の作品も上演してほしいと思って書き始めました。来年上演されるのをすごく楽しみにしています。ありがとうございました」 特別賞『ダム湖になる村』作者 深谷照葉
「ボケ防止に戯曲を書いております。喜劇を笑いながら楽しんで書いておりますので、ガンに罹りません。今後も楽しい老後を過ごしたいと思っております。どうもありがとうございました」