仁左衛門×玉三郎による圧巻の『四谷怪談』、女方の名優ふたりを偲ぶ追善狂言~歌舞伎座『九月大歌舞伎』第一部、第三部観劇レポート
『九月大歌舞伎』
2021年9月2日(木)、東京・歌舞伎座で『九月大歌舞伎』の第一部と第三部が初日を迎えた。第一部は、「六世中村歌右衛門二十年祭 七世中村芝翫十年祭」と掲げ、中村梅玉、中村魁春、中村福助、中村芝翫をはじめとした一門が、総出で六世歌右衛門と七世芝翫にゆかりのある演目を盛り上げる。そして第三部は、片岡仁左衛門と坂東玉三郎が、四世鶴屋南北の代表作『東海道四谷怪談』を上演する。
■第一部 午前11時~
おかしくて切ない、『お江戸みやげ』
舞台は、湯島天神境内の芝居茶屋。おゆう(中村勘九郎)とお辻(芝翫)は田舎から出てきた行商人だ。おゆうはお酒好きで気前がよい。お辻は帳簿を気にしてばかりの倹約家で、抜け目のない性格。江戸での仕事を終え、田舎へ帰る前に茶屋で一息つくことになったふたり。ふだんお辻は酒を口にしない。「心が大きくなってしまうから」だという。しかし、この日はおゆうのすすめもあり、二人でお酒を飲むことに。そこへ聞こえてきたのは、宮地芝居のお囃子。お江戸のみやげに、人気の役者、阪東栄紫(中村七之助)の『櫓のお七』を観ることに……。
七世芝翫が6度勤めたお辻役を、当代の芝翫が初役で演じる。幕が開くと、茶屋の店先に常磐津文字福がいる。勤めるのは福助。2013年に発症した病気のため、2018年の舞台復帰以降も台詞や動きに不自由を伴う。今回の福助はハンディをも役に溶け込ませ、目線や息づかい、まとう空気で芝居の土台を大きく広げた。劇中と現実をシンクロさせるようなセリフと、「またね」と立ち上がり、その足で茶屋をあとにする姿には熱い拍手が贈られ、はやくも目頭を押さえる人の姿がみられた。中村福之助、中村歌之助は、角兵衛獅子の兄弟を大らかに溌剌と勤める。入れ替わりで現れたのは、七之助の栄紫。なよやかな中にも、お紺(中村莟玉)への思いの強さを感じさせる。ふたりの初々しさを引き立てるのが、中村東蔵の常磐津文字辰。品が良く、すっきりとした意地の悪さが芝居のスパイスに。鳶頭六三郎に東蔵の長男松江、小女みのに孫の玉太郎と、親子孫の三代で、芝居の味わいを深めていた。客が入れ替わり立ち代わりする茶屋を回すのが、七世芝翫の元で女方の修業を積んだ中村梅花の女中お長。出演者が六世歌右衛門、七世芝翫にゆかりのある俳優ばかりという、今月ならではの配役が楽しかった。
いよいよお辻とおゆうが登場すると、舞台は一気に賑やかになる。勘九郎のおゆうは、お辻が「差し向かいになりたいけれど、恥ずかしい」とモジモジすれば、あっけらかんと背中を押し、傷ついた時には憐れみではなく、ユーモアとともに手をさし伸べる。芝翫のお辻に引き込まれたのは、お座敷の場面。お芝居の感動を栄紫に伝える姿は少女のよう。ケチで偏屈に見えた頑固さの中から、純粋ゆえの真っ直さに光が当たりはじめる。夢のようなひと時からまもなく、お辻は、栄紫、お紺、文字辰の事情を知ることになる。障子越しに耳を傾けるお辻に、心を動かされる。お辻とおゆうの笑顔、かしましさ、そこから溢れる可笑しさと人情味は、人との接触や距離を強いられる今、なお一層愛おしく感じられた。
風雅なひととき、『須磨の写絵』
舞台となる須磨の浦は、現在の兵庫県神戸市にある海岸。京の都から流されてきた平安貴族の在原行平は、須磨で出会った海女の姉妹のそれぞれと親密になる。3年が過ぎ、都に戻ることが許された行平だが、そのことを2人に言い出せず、着物、烏帽子、そして歌の短冊を松の枝に残して去っていくのだった……。
行平を巡り姉妹は不仲になる。行平が(そんなケンカをして)千鳥が笑っているよと宥めると、姉妹は納得する。ツッコみどころがありすぎるシチュエーションだが、時代設定が平安となると、とたんに古風でファンタスティックな一幕に変わる。これを舞台で体現するのが、行平をつとめる梅玉、松風を勤める魁春、村雨を勤める中村児太郎だ。梅玉は、平安貴族(しかも都でモテ男)を、揺るがない気品とともに艶やかに立ち上げる。魁春は、行平を一身に見つめる眼差しに、思いの強さとあどけなさを宿す。児太郎の村雨は一途さが愛らしかった。汐汲桶を使った踊りから、3人の明るい手踊りまで、清元にのって波音が聞こえてくるようだった。現代の日常生活では得難い、ゆったりとした豊かな時間が流れていた。
本作には、行平と姉妹の様子を描く「上の巻」、行平が去り、地元漁師が現れ松風に恋慕する「下の巻」があり、明治以降は主に「下の巻」が上演されていた。昭和の中頃に「上の巻」を復活し、上下を通して上演を重ねたのが六世歌右衛門だった。今月は、「上の巻」から行平が須磨を去るところまでを「行平名残の巻」として上演する。
■第三部 午後6時~
ファーストネームで呼ばれ、抜群の知名度を誇る“お岩さん”。一般的には「イコール、幽霊」と認識されるが、『東海道四谷怪談』におけるお岩さんは、『仮名手本忠臣蔵』の世界を借りた、塩谷浪人・四谷左門の娘であり、民谷伊右衛門の女房となる、一人の女性として描かれる。第三部では、仁左衛門の伊左衛門、玉三郎のお岩という38年ぶりの配役での上演だ。お岩は、父・左門を殺した犯人が伊右衛門と知らず、父親の仇討ちの助太刀を約束した伊右衛門とよりを戻したところから始まる。
「四谷町伊右衛門浪宅の場」「伊藤喜兵衛内の場」「元の浪宅の場」
暮らしは貧しい。伊右衛門は、産後の肥立ちが悪いお岩に苛立ち、生まれた我が子を、ごくつぶしのガキ呼ばわりする始末。妻子のいる家で、小仏小平(中村橋之助)にリンチを加えているところに、伊藤喜兵衛(片岡亀蔵)の遣いで、乳母のおまき(中村歌女之丞)がやってくる。お岩のお見舞いに、血の道の妙薬を持ってきたのだ。伊右衛門が、お礼に伊藤家へ出向くと、迎えた喜兵衛と後家のお弓(市村萬次郎)から、孫のお梅(片岡千之助)の婿になるよう頼まれる。そして、お岩に渡した薬は、面ていが崩れる毒薬であったことが知らされる……。
劇中のお岩の出来事は、ほぼリアルタイムで進行する。伊右衛門を送り出し、赤子をあやし、薬をのみ、まもなく手が痺れはじめ、顔が痛み出す。玉三郎のお岩が薬に手を合わせ、ありがたがる姿は、あまりにも哀れで涙を誘う。宅悦(片岡松之助)から事実を知らされた、お岩の怒りと慟哭は、観客に身じろぎさえ許さない。“世にも醜い悪女の面”で、髪をとき鉄漿(おはぐろ)をつける姿は、怨念に満ちている。同時に、怨念の芯に武士の娘としての気高さをも感じさせた。お岩が“お岩さん”に至る一部始終を目撃した今、『四谷怪談』は、怪奇現象の話ではない。日常の延長線上にある人間の恐ろしさを描いたドラマとして、改めて突き付けられる。
これに対して伊右衛門は、人の心があるとは思えないお手本のようなサイコパスぶりを発揮。お岩を“義理ある女房”と言ったそばから、妻子を捨てる心を決める。お梅を迎えるべく、お岩を蹴り倒す。こんな人間がいるだろうか、と憤り、目を覆いたくなる瞬間が何度もあった。しかし前半の幕切れ間際、伊右衛門が火の玉に向けて刀を振り、見得をした時、その美しさと色気に目を奪われ、嫌悪感を迷わず手放し、拍手をおくっていた。仁左衛門に向けた喝采とはいえ、観客として、傍観者としての薄情さがさらけ出されたような瞬間だった。 背筋も凍る恐ろしさと凄まじい緊張感から、解放された瞬間でもあった。
「隠亡堀の場」
後半の「隠亡堀の場」では、尾上松緑の直助権兵衛が登場。たしかな人物造形で、今回は上演のない、前後の物語をも想像させる。お花役で玉三郎が再登場し、幕切れは、仁左衛門、玉三郎、松緑、橋之助の格好良さと美しさの力業で、鮮やかに晴れやかに締めくくられる。万雷の拍手に、歌舞伎座が揺れた。
歌舞伎座『九月大歌舞伎』は、2021年9月2日(木)から27日(月)までの公演。第二部は、全スタッフを対象とした稽古開始前のPCR検査により、新型コロナウイルスの陽性反応の出演者がいたことから、安全のため開幕を見合わせていたが、7日(火)に初日を迎えた。
取材・文=塚田史香
※公演が終了しましたので舞台写真の掲載を取り下げました。