『大英博物館ミイラ展』で6体のミイラが語る古代エジプトの歴史と文化、河合望教授に訊く特別展の見どころ解説第2弾
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『大英博物館ミイラ展 古代エジプト6つの物語』 撮影=黒田奈保子
現在神戸市立博物館にて、約2~3000年前、古代エジプトで生きた人々の素顔に迫る『大英博物館ミイラ展 古代エジプト6つの物語』が開幕中だ。5月8日(日)まで行われる同展では、歴史の殿堂として知られ、古代エジプト文明の研究でも世界を牽引してきたイギリスの大英博物館の収蔵品から厳選した、年齢や職業、立場などそれぞれ異なる6体のミイラが登場。SPICEではこれまでに内覧会のレポートや、日本側監修を務めた河合望教授に「初心者でも楽しめるミイラの謎」を伺ったインタビューを掲載しているため、展示品の概要などはそちらを確認してほしい。今回は同会場で開催された、河合教授の記念講演『大英博物館ミイラ展の見どころー古代エジプトの埋葬習慣と来世観ー』の内容と併せて、前回のインタビューからさらに深く、展示されている6体のミイラについて紹介したい。
『大英博物館ミイラ展 古代エジプト6つの物語』
そもそもミイラはどうやって作られるようになったの?
同展では会期中に、学芸員による展示解説会や未就学児向け鑑賞会などの子供向けイベントなどが展開されている。なかでも2月27日(日)に行われた、河合教授による記念講演には、関西はもちろん、全国から抽選で選ばれた約50名の聴講者が集まった(6倍もの競争率だったとか)。集まった聴講者は実際にエジプトまで足を運んだこともある生粋の古代エジプト文明好きから、考古学を学んでいる学生や歴史好きな人まで世代も様々。当日は河合教授が同講演のために作成した特別なレジュメを基に、約90分の講演が繰り広げられた。
「ミイラ」という言葉には2つの由来があるそうだ。ひとつ目は、防腐剤代わりにも使われていた天然アスファルトを意味するアラビア語「ムンミヤ(瀝青)」。ミイラの皮膚が黒ずんでいるのは、実際にはほとんど植物樹脂が変色しているからだが、当時はムンミヤによるものだと信じられていた。ムンミヤはイスラーム世界や西欧では古くから薬として使われていたため、ムンミヤを使ったミイラそのものも同じ薬効を持つとされ、万能薬として使われていた時代もあった。そのためミイラを粉にしてヨーロッパや中国、果ては日本にも輸入されていたという。中国では「木乃伊(ムナイイ)」と呼ばれ、日本では戦国時代には「モミー」と呼ばれていたらしい。同時期に「ミルラ」というラテン語で防腐剤にも使われる没薬が伝わり、それがいつしかミイラと呼ばれるようになり、この2つの説が混同してミイラになったという。
もちろん、最初からミイラは内臓を取り除いて防腐処置を施し、包帯でぐるぐる巻きにされて棺に納められていたわけではない。エジプト最古のミイラは紀元前4500~3800年頃まで遡る。ここでは植物樹脂につけた包帯が遺体に巻かれていたが、保存が目的か、葬送儀礼の要素によるものかは不明らしい。ほかにも、初期の頃は単に漆喰と顔料だけを塗って外側だけが保存されていたことから、内側は腐敗した状態のミイラも見つかっている。その後、技術の発展により肉体の大部分が維持されるようになり、新王国時代から第3中間期の時代にかけてミイラ製作の頂点の時代へと変わっていく。
6体のミイラから知る、古代エジプト文明の歴史
「アメンイリイレトのミイラ」「アメンイリイレトのビーズネット」 前600年頃
本展は6体のミイラを中心に構成されている。どれも時代が異なり、CTスキャン映像や木棺、包帯の巻き方などから、ミイラ作りの技術の進化を間近に観ることが出来る。そのひとつひとつを紹介しよう。
まずひとつめは「アメンイリイレト テーベの役人」、紀元前600年ごろの末期王朝時代、第26王朝のミイラだ。カシュタ王の娘アメンイルディスの所領を管理していた役人で、その地域の名士でもあった。ミイラとともに三重の棺や豪華なビーズネットなどの副葬品も展示され、彼の地位や財力の高さを窺い知ることができる。注目はこのミイラの製作技術が最高レベルだということ。
彼の内臓は乾燥処置を施し、下腹部、大腿、膝の上に置かれた3つの包みに納められていて、脳も完全に取り除かれていることがCTスキャン映像から判断できる。多くのミイラの死因はアテローム性動脈硬化症だと認められているが、このミイラは珍しく、骨転移性ガンの疾患の跡が見つかっている。ちなみに、古代エジプトの平均寿命は30歳くらいだとか。現代とは全く異なる、当時の一般の人々の食生活や生活環境の違いにも驚かされる。
「葬祭用の船の模型」 前1985~前1795年頃
「アメンイリイレト」の展示では、ミイラ作りにまつわる展示が行われている。死者の心臓を裁きにかけて、生前に正しい行いをしたかを問うための銀製の天秤、アヌビス神のお面をかぶったミイラ職人がミイラ作りを行うシーンを描いたパピルス、死者の身代わりとされたシャブティと呼ばれる小像、ミイラを墓へ安置するための船の模型など、古代エジプト人がミイラに込めた想いを知ることができる。
今回展示されているミイラはすべて未開封のものばかりだが、ぜひともチェックしてほしいのが包帯の巻き方だ。時代が進むごとに包帯の巻き方もより複雑になっていて、考古学者たちは包帯の巻き方だけで時代を推測できるらしい。また、ミイラは横たわっている状態で観ることがほとんどだが、よく観ると足の裏は平らになっている。実はこれ、墓に埋葬する前に一度立てられて最後の儀式「口開けの儀式」を行うためのもの。ミイラ作りのすべては来世(冥界)で復活するための儀式だということがよくわかる。
「ネスペルエンネブウのミイラ」 前800年頃
ふたつめは「ネスペルエンネブウ テーベの神官」。今回の展示では最も古く、紀元前800年頃(第三中間期、第22王朝)のミイラだ。色鮮やかな棺は大英博物館のミイラ室でも代表するクラスのものだという。彼は過去に日本に来日したこともあるが、最新のCTスキャン映像によって当時はわからなかった情報が次々に明らかになったという。このミイラも製作技術の最盛期を示していて、完全に脳が取り出され、内臓も取り除かれ、丁寧な防腐処理が施されている。内臓のほかにも義眼や護符、内臓切開部には保護板が配置されていることがわかる。
また、頭部には粘土製の椀が配置されている。かつては偶然頭にくっついてしまい、そのままにされていたといわれていたが、最新CTスキャン映像から頭と椀の間に厚い布があることがわかった。それでも呪術的な意味なのか、守護的なものなのか、なぜ椀が置かれているのかまではまだわかっていない。棺もこの時代の頃から材質が変わっていく。砂漠地帯の多いエジプトでは木材を手に入れるのは難しく、カルトナージュという亜麻布やパピルスを漆喰で固めて形作ったクラフト仕立てのものに彩色を施したものが多い。しかも新王国時代の棺を再利用しているミイラもあったというから驚きだ。
「ウジャトの眼形護符」 前1070~前332年頃
「ネスペルエンネブウ」の展示では神々への進行にまつわる品々が展示されている。ミイラの内部に納められている護符は3Dプリンターで再現。死者を守り、不死の力を得るための呪術的な力を持つ護符や装身具、棺やレリーフに描かれた神々の姿はどれも繊細だ。エジプトの神はアメン神、ムート女神やコンス神、オシリス神やイシス神、ホルス神など地域ごとに信仰する様々な神様がいる。頭に太陽がついていたり、肌が緑色だったり、頭がアヌビスやワシ、カバ、フンコロガシだったりとその姿も役割も個性的だ。同展のグッズショップではエジプトの神々が描かれたタオルハンカチや象形文字をかたどったマグカップなど、見た目の可愛いアイテムも充実しているので、こちらもぜひチェックしてほしい。
生活様式から知る古代エジプトの魅力
「ペンアメンネブネスウトタウイの内棺」 前700年頃
3つめは「ペンアメンネブネスウトタウイ 下エジプトの神官」で、紀元前700年頃(第三中間期、第25王朝)のミイラだ。このミイラはナイル川の下流域、デルタ地帯にいたアメン神の神官で、猫の神様とされるバステト神にも仕えていたことが棺に書かれている。彼はテーベへの旅行中に他界したとみられ、棺の様式やミイラの製造方法などからテーベに埋葬されたと伝えられている。
このエリアでは、「暮らしと食」にまつわる展示品を展開。ペンアメンネブネスウトタウイを含む、同展で展示されている4体の成人ミイラの死因は俗にいう「現代病」とされる、アステローム性動脈硬化症の症状がみられる。地位や財産がないとミイラになれなかったことから、彼らが生きていたときは随分と裕福な暮らしをしていたのだろう。当時の主食はパンやビール。ビールも嗜好品ではなく、栄養源のひとつとされ、多くのたんぱく質とビタミンを含んでいた。
「ホルのシトゥラ」 前350~前280年頃
富裕層はワインを飲んでいたこともわかっている。展示品には美しい装飾が施されたワイン壺、作りかけのパンや小麦が化石状になったものなどが並び、当時の暮らしぶりを知ることができるだろう。ちなみに、当時のパンは製粉技術が確立されていなかったため、砂や小石がわんさと入り込んでいたらしい。そのため古代エジプト人の多くは虫歯や歯の摩耗が激しく、その様子は3Dスキャン映像からも知ることができる。
「タケネメト」の内棺 前700年頃
4つめのミイラは紀元前700年頃(第三中間期、第25王朝)「タケネメト テーベの既婚女性」のミイラだ。「家の女主人」という称号を持ち、神官の娘で、既婚女性でもあったミイラで三層の入れ子状になった棺に注目してもらいたい。外側の装飾はとても繊細で、最表面の棺にはタケネメトがシストルという楽器を持った姿が描かれている。しかし、外側の装飾は繊細なのに対して、内側のデザインは大雑把で職人の腕の違いが感じられる。三重の棺は内側になるほどに色彩が明るくなっている。ツタンカーメン王も一番内側は純金の棺に埋葬されていたが、神の肉体は黄金でできているとされていて、棺の内側に行くほど復活するとされていたらしい。また、古代エジプトでは「3」という数字は複数形を表し、「何重にも保護する」という意味合いを持っているらしい。
弓形ハープ 前1550~前1069年頃
ここでは美意識と音楽にまつわる展示品も並べられている。古代エジプトの楽器は多くの種類が現存していて、打楽器や吹奏楽器、弦楽器など今にも音が鳴り響きそうだが、その演奏方法や音色については詳しいことはわかっていない。それでも、シストルムという楽器は時代をこえて文化継承され、遠いエチオピアのキリスト教の山岳教会などで今なお使用されているらしく、古代エジプト文明がもたらした影響を現代でも感じることができる。身づくろいについては、アイライナーとして使われた道具などが展示されている。美しさだけでなく、身分の象徴や魔除けや護符の役割もあったというから、古代から女性にとってメイクは生活の一部として重要だったことが伝わる。
おもちゃに勉強、今も昔も変わらない子供の暮らしとは
「子どものミイラ」 後40~後55年頃
5つめは「ハワラの子ども」。ローマ支配時代、紀元後40~後55年頃の子どものミイラだ。子どものミイラは珍しく、高貴な家族の子どもと見られる。上半身は覆い布でくるまれ、頭部には亜麻布に漆喰で塗り固められた板に大きな目をした男児の肖像画が描かれている。さらに、CTスキャンの撮影によって肖像画の両側に神々の図像が描かれていることや、蜜蝋製の品々が置かれていることも明らかとなった。
ローマ支配時代になると、以前にはそれだけの力がなかった層の人もミイラにしてもらえたことから、数多くのミイラが発見されている。ミイラの保存処置方法も多様化し、従来の伝統に、ギリシャやローマの美術様式や技法がもたらした新しい手法が混在するようになっている。展示ではローマ支配時代に作られたミイラの肖像画から、時代の移り変わりを感じとることができる。これまで平面的だったミイラマスクから立体的なミイラマスクや肖像画へと変わり、よりリアルに描かれるようになっているので、そのあたりも注目して観てもらいたい。
手前:ネズミの形をした玩具 前1550~前1070年頃 奥:車輪がついた馬の玩具 前30年以降
ここでは子どもの暮らしについての展示品も並んでいる。古代エジプトの家庭において、子どもは最大の関心事だった。家系を絶やさず、子孫を繁栄させることが重要視され、子どもを守る神様が一般家庭で強く崇拝されるほど。魔除けの護符や像からは子どもへの想いを感じることができるだろう。また、鞠やコマ、ボードゲームなどの玩具も展示されている。しかもこれ、単なるオモチャではなく、ボードゲームは来世に無事に行けるための「通過」を表すものと考えられていたらしい。残念ながらルールはわかっていないが、当時の子供がはしゃぐ様子を想像するのも楽しいはず。また当時は子どもの教育にも熱心だったらしく、テキストの筆写に赤ペンチェックが入ったようなものも発見されているそうだ。
同展ではアニメ『かいけつゾロリ』とコラボしていて、展示の合間にクイズパネルなども設置されているほか、オリジナルコラボグッズなども販売。家族でも楽しめる構成になっているので、子どもと一緒に古代エジプト文明の魅力に触れてみるのもおもしろいだろう。(
「若い男性のミイラ」 前100~後100年頃
最後は「グレコ・ローマン時代の若い男性」のミイラだ。紀元前100~後100年頃、5つめのミイラと同じくハワラで出土したミイラだ。ミイラマスクのモチーフやミイラ製作技術はプトレマイオス朝時代特有のもので、これまでになかったピンク色の顔料を使っていたり、ガラスがはめ込まれていることからプトレマイオス朝時代の終わりからローマ支配時代の初期のものだと考えられている。このミイラはCTスキャンの結果、胸元あたりが大きく破損していて、略奪者などに装身具を盗られたあとがみられる。また、頭蓋骨の中には脳を取り出す際の道具が一部残っていることも判明している。
ローマ支配時代に進むと、カルトナージュ棺が再び使われるようになるが、棺はほとんど作られなくなる。ミイラの頭部にミイラマスクを装着する習慣は依然として残り、体の一部だけなど省略化されるようになっていく。顔の部分は呼吸や話をしたり、目で見るなど人体の重要なパーツが集まっているためミイラマスクで保護する目的があったとされている。それでも、ミイラマスクのデザインもエジプトの伝統的なものからギリシャ・ローマ的な海外からの技法が導入されていく。
左:「若い男性のミイラマスク」 後100~後140年 右:「女性のミイラマスク」 後90~後100年頃
そういったことから、「グレコ・ローマン時代の若い男性」では異文化との交わりにまつわる品々が展示されている。石膏で作られたストッコ製のマスクは傾斜がつけられていて、頭を持ち上げるようなデザインで作られている。ほかにも、ミイラ肖像画では写実的な人物表現にギリシャ・ローマの文化の影響を感じとることができる。髪型の描写や顔料、使用する木材などもこれまでの古代エジプト文明にはなかったものばかりで、一気に時代が進化していることを間近に感じとることができるだろう。
上記6体のミイラのほか、大英博物館がセレクトした至宝は約250点。見応えたっぷりの展示品がずらりと並んでいるので、ぜひとも時間をかけてじっくりと鑑賞してほしい。
なお、6体のミイラの展示のあとには河合教授が隊長となり、2019年に発見した「サッカラ遺跡」のカタコンベ(地下集団墓地)の実寸大模型が展示されている。遺跡の発掘当時のエピソードなども取材しているので、後日公開予定の記事もぜひチェックを。
取材・文・撮影=黒田奈保子
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イベント情報
会場:神戸市立博物館
会期:2月5日(土)~5月8日(日)81日間
開館時間:9:30~17:30 ※展示室への入場は閉館の30分前まで
※金曜日、土曜日は19:30まで
休館日:月曜日、3月22日(火)
主催:神戸市立博物館、大英博物館、朝日新聞社、関西テレビ放送
後援:神戸市教育委員会、Kiss FM KOBE
協賛:鹿島建設、DNP大日本印刷、三菱商事、公益財団法人 日本教育公務員弘済会 兵庫支部
協力:日本航空
一般 2,000円(1,700円)
大学生 1,000円(900円)
高校生以下無料
※神戸市在住で満65歳以上の方は当日一般料金の半額。(要証明書)
※団体は20名以上。
※障がいのある方は障がい者手帳等の提示で無料。(要証明書)
公式HP:https://daiei-miira.exhibit.jp/