ロッシーニの楽しさがはじける! 日生劇場の『セビリアの理髪師』【ゲネプロ・レポート(11日組)】
NISSAY OPERA 2022『セビリアの理髪師』ゲネプロより(11日組)
NISSAY OPERAとして2022年6月11日(土)、12日(日)に上演されるロッシーニの『セビリアの理髪師』は、オペラ・ブッファ(喜劇オペラ)の最高傑作のひとつ。今回は特に歌、演奏、舞台と、全てが充実している上演になりそうで要注目だ。
プロダクションは2016年に日生劇場で初演された粟國淳の演出だ。2020年に再演が予定されていたが、コロナで延期を余儀なくされ、この度やっと上演の運びとなった。日生劇場のオペラ・シリーズの特徴は、完全にオーディションで選ばれた二組のキャストが出演すること。加えて中・高校生向けの無料招待公演(ニッセイ名作シリーズ)、地方公演があるので公演数が多く、ていねいに作り込まれた舞台が評判だ。今回は両キャストのゲネプロ(最終総稽古)を取材したところ、それぞれ個性が際立った甲乙つけ難い充実の公演になっているようだ。キャストごとに見どころ聴きどころをお届けする。
日生劇場芸術参与でもある粟國淳はイタリア育ちのオペラ演出家だ。『セビリアの理髪師』は18世紀フランスの革命児ボーマルシェの戯曲が原作になっているだけあって、登場人物の性格づけや台詞のやり取りの完成度が高く重要な意味を持つが、粟國演出はそれを歌手たちの演技やレチタティーヴォ(歌で進める会話部分)で見事に表現している。音楽に合わせて集団を動かすのもうまい。
もうひとつ彼の演出の特徴は、常に舞台芸術への大きな愛が感じられるところだ。粟國との仕事が多い美術の横田あつみ、照明の大島祐夫、衣裳の増田恵美、振付の伊藤範子と共に、洗練された美しい世界を作り上げている。今回の演出は舞台の設定を当時の劇場内部にしている。ステージの中央には周り舞台が置かれ、序曲の間に見えている表側には普段観客が目にする赤い緞帳幕が描かれており、序曲の終わり頃になると衣裳をつけた裏方がフットライトにひとつひとつ灯りを入れていく。この舞台が回転すると、観客からは見ることができない舞台の裏側となり、その二つの面を使って物語を進めていくのだ。舞台前方の両脇には柱に歯車が取り付けられており、この歯車を回すと緞帳幕などが開閉するのも楽しい。
初日組のキャストを一言で表せば、ベテランの歌役者たちの大活躍。中井亮一(アルマヴィーヴァ伯爵)、富岡明子(ロジーナ)、伊藤貴之(ドン・バジリオ)は2016年にもこのプロダクションに出演しており、そこに須藤慎吾(フィガロ)、黒田博(ドン・バルトロ)というやはり第一線の歌手たちが加わった。
初演された時にこのオペラのタイトルが『アルマヴィーヴァ、または無益の用心』だったことからも分かるようにアルマヴィーヴァ伯爵は重要な役である。しかもオペラの最後にある伯爵のアリア「もう逆らうのをやめろ」は超絶技巧が必要なゆえに長年カットされてきた難曲だが、今や『セビリアの理髪師』を上演する時には観客はどうしてもこのアリアを期待してしまう。中井は芳醇な歌声と、兵士や音楽家などへの変装を含む幅広い演技で惹きつけ、主人公のオーラがたっぷり。第一幕でバルコニーの中にいるロジーナに披露するアリアでは自ら演奏するギター・ソロでしっとりと歌い、第二幕でオペラを締めくくる難曲アリアはそれまでのさらに上をいく盛り上がりを見せる歌唱で迫力満点だった。ロッシーニ歌手として活躍する富岡のロジーナは歌唱スタイルをよく知った気品溢れる歌が魅力。須藤のフィガロは颯爽としていて〈闘うフィガロ〉も感じさせる。黒田のドン・バルトロは、この役にしては彼本来の色男ぶりがときどき顔を出すユニークな演技だが、美声と歌はさすがの一言。伊藤のドン・バジリオは安定の歌唱。種谷典子のベルタは演技も可愛らしい。フィオレッロは豊かな声の宮城島康、隊長は説得力のある歌と演技の木幡雅志。アンブロージョの宮本俊一、そして黙役のエキストラたち(実際の舞台裏の人々?)の演技も良い。
ソロ歌手と、C.ヴィレッジシンガーズの男性合唱に共通して言えることは、イタリア語の台詞さばきが実に巧みなこと。聞き取りやすい発語に加え、各自が自分の言葉として台詞を歌っているのは貴重なことだと思う。合唱指揮は及川貢。
近年、ロッシーニはオペラ・セリア(シリアスな題材のオペラ)でも高い評価を得ている。『セビリアの理髪師』も喜劇ならではの笑いはふんだんに含まれているが、それ以上に活気に満ちた音楽と緻密な計算で作り上げられた名曲である。今回の上演で輝いていたのが沼尻竜典指揮の東京交響楽団による演奏だ。沼尻の指揮は歌手たちを牽引し、第一幕最後のコンチェルタート(全員が登場するアンサンブル場面)での統率と盛り上がり、そして第二幕で変装していた伯爵の正体をドン・バルトロが見破った場面での五重唱の緩急と音の強弱のコントロールなど、抜群の音楽を聴かせた。東京交響楽団は序曲冒頭のオーボエや、終幕近くに伯爵、フィガロ、ロジーナがバルコニーから逃げ出そうとする場面の木管やホルンの柔らかい響きなど、音色が美しい。またロッシーニならではのクレッシェンドではティンパニや大太鼓が活躍し爽快であった。
全曲の中で大きな位置を占めるレチタティーヴォはチェンバロが伴奏を務めたが、平塚洋子のエレガントでウィットに富んだ演奏が楽しめた。
翌日に行われた12日組のゲネプロ・レポートはこちら(https://spice.eplus.jp/articles/303964)。
取材・文=井内美香 撮影=長澤直子