岡田利規×湯浅永麻×太田信吾が語る「言葉」と「身体」〜『わたしは幾つものナラティヴのバトルフィールド』インタビュー

インタビュー
舞台
2022.8.25
(左から)岡田利規、太田信吾、湯浅永麻

(左から)岡田利規、太田信吾、湯浅永麻

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演劇作家・小説家の岡田利規がテキストと演出を手掛ける『わたしは幾つものナラティヴのバトルフィールド』が、9月1日(木)から4日(日)まで、彩の国さいたま芸術劇場 小ホールで上演される。

出演者として共に創作に臨むのは、本作が岡田との初コラボとなるダンサー・振付家の湯浅永麻と、2010年より岡田の舞台に参加してきた映画監督・俳優の太田信吾
昨年3月の「さいたまダンス・ラボラトリ Vol.3」でワーク・イン・プログレスとして発表された第1部に、第2・3部を新たに加えた今回の完成版は、ダンスファンと演劇ファンの双方から大きな注目を集めている。

連日クリエーションが行われている劇場の稽古場にて、岡田利規、湯浅永麻、太田信吾の3人に話を聞いた。

■なるべく色をつけずに ひたすら読む

ーー第1部は湯浅永麻さんのソロ・パフォーマンスでしたが、第2部からは太田信吾さんが登場します。どのような展開を構想されていますか?

岡田:第1部では、(湯浅)永麻さんの演じる「わたし」と言う人物が、「身体の声を聴く」という教え、すなわちナラティヴ(註:人の思考を規定するための物語)にはまっている様を見せます。この「身体の声を聴く」状態に到達するためには2つのメソッドがあり、それぞれのメソッドを信じる派閥の対立を描くのが、第2部です。第3部では、「身体の声を聴く」というナラティヴを否定し対抗してくるさらなる強力なナラティヴが現れ、さあどうする! という展開です。

ーーオンラインミーティングを経て、8月7日から劇場稽古場でのクリエーションが始まったそうですね。

岡田:今は(取材は8月上旬に実施)、基本的にはテキストを読んでいるだけですね。ほとんど動いていない(笑)。

岡田利規

岡田利規

湯浅:本読みしています、たくさん(笑)。ひたすら読むなかで、ダンスにおける振付と似ているなと気付いたことは、なるべく色をつけないで読むことの大切さです。初めに読んだ時に生まれた「こういう感じだろう」という先入観にとらわれてしまいがちなのですが、そんな誰もが思いつくような表層的な解釈=色では、やっぱり可能性は広がりません。この難しさは振付も同じで、私は振りを覚える時に感情移入というか、自分の感情とすぐリンクさせてしまうのですが、そうすると、あり得たかもしれない他の可能性がこぼれてしまうんです。

岡田:そうなんです。テキストが「振付」、つまり動きが出てくるための条件になっているので、永麻さんが言ったように「色はこうだよね」と浅いところで決めてしまうと、その浅さから出てくる動きでしかなくなってしまう。だからもっと違うものが出てくるように、もっとテキストを掘らなくてはいけない。
「読み込む」という言葉は、ちょっと違う気がするんですよ。別に行間があるわけではないテキストなので、読めばわかります。読み込むというより、何をもって読むか/やるか、テキストと振付を繋ぐ「想像」をどうするかをひたすら探し続ける作業ですね。

太田:本読みから始めるプロセス自体は、これまでに出演した岡田さんの他の作品とあまり変わらないですね。あとは、時間の戦いというのはあるかもしれません。『未練の幽霊と怪物―「挫波」「敦賀」―』の時は台本が既にあり、期間も1年くらいあったので、自分ひとりで覚えて考える時間があったのですが、今回はリハーサル期間がそれほど長くなく、まだ全体像が見えていない。そこが新鮮ではあります。でもいつも通り、テキストから自分で想像を膨らませていくところから始めていければ良いのかなと。

岡田:あの時は1年あったね(笑)。今回は期間が短いからこそ、読むことが一番重要だと僕は考えていて。とにかくできるだけ読む。そうすれば後は、パスパスパスン! と出てくるだろうと思います。

■テキスト・想像・動き どれを作ることも「振付」

ーー今回は3名で共同振付とのことですが、どのように進めていらっしゃいますか?

岡田:共同振付というクレジットは、僕は結構しっくりくるんです。何が「振付」なのか、特に今回のやり方の場合、ひとつには決められないんですよね。「この時はこういう想像を持つ」と決めるとして、その想像をベースにどんな動きが出てくるか。想像の部分については、話し合って決めたり、誰か——たとえば僕が決めたりするわけですが、動きそのものを僕が作ることはまずなくて、多くの場合はパフォーマー自身が作ります。そう考えると振付って色々あって、想像を決めることも、動きそのものを作ることも、それらの元となるテキストを書くことも振付。だから皆で振り付ける「共同振付」です。

湯浅:第1部に関しては、振付をかっちり決めるというよりは、タスク・インプロヴィゼーション(註:特定の課題を設定して行う即興)のような感じですね。たとえば、身体の中を回遊する石が肋骨に当たるという場面では、どんなテクスチャーで石が当たってくるかをイメージして、その枠内で今日の動きをやっています。フィーリングやイメージは茫としているものなので、うまくいったことをもう一度やろうとしても、どうしても同じものにはなりません。岡田さんが「毎回生み直しましょう」と言ってくれて、ああそうだなと思って。だから振付は、ふわっと決めてはいるのですが、毎回同じ動きをなぞるのではなく、決めた枠の中で今日の動きを生み出している感じです。
「身体の中にボールが何個あって」というようなことは振付家から実際良く言われるので、この感覚自体には全く違和感がなかったですね。

湯浅永麻

湯浅永麻

岡田:おそらくダンサーは、「想像」というものを使うやり方に慣れ親しんでいるんですよね。いつもやっていることだから。たとえば「石の波動を感じる」とあった時に、「石の波動ってなんですか」というのはあるにしても、イメージが繋がればやれるじゃないですか。むしろ何とも繋がっていなければ、なぜこう動くのかわからないということになる。イメージと繋げることが動きの意味を作ることだと、ダンサーは理解していると思うんです。永麻さんとも、この考え方をすぐに共有することができました。あと永麻さんの場合、喋ることに関しても抵抗というか、苦手意識がないですよね。

湯浅:私、人前で喋るときは、すごい赤面症だし吃るんですよ。でもパフォーマンスの一環であれば、喋ることはやってみたいことのひとつです。ダンスが何かを表現し伝えるための道具だとしたら、言葉を喋ることもそのひとつなのだと思います。

■喋る速さで 身体のテクスチャーを切り替えていく

ーー話しながら動いている時は、実際どのような感覚なのでしょうか? 2つのことを同時並行で行うことは大変そうにも思えますが。

太田:「2つのことを同時に考えて混乱しそうになる」といったことは、あまりない気がします。テキストから思い描いたことを言葉と身体という2つの形でアウトプットするだけで、別々の作業をやっているわけではないというか。ただ、テキストを覚えている段階ではちょっと混乱することはありますね。

岡田:僕はよく「想像のトラックを作る」という言い方をします。僕の書いたテキスト=言葉のトラックとは別に、想像のトラックを作って、その上を走ったり歩いたりしてほしいんです。言葉のトラックを歩いてしまうと、言葉と動きが同期して、要は同じ情報しか出ていない、みたいなことが起きてしまう。それだと、情報としての動きには意味がなくなってしまいます。だからこそ、想像のトラックの方から動きが出てきてほしい。そう考えると、さっき太田くんが言った通りで、2つの全く異なることを同時にやらなきゃいけないという感覚にはならないはずなのです。

湯浅:そうですね。いま昨年のことを思い出していたのですが、確かに第1部をやるときは、想像の部分を予めすり合わせてあったので、2つの脳でやっているという感覚はありませんでした。今は創っている最中で、まだ全然言葉を覚えられていないこともあり、テキストを読んでいるだけであれば動きのテクスチャーやイメージがどんどん湧いてくるのですが、実際に身体を動かしてやってみようとしたら……昨日めちゃめちゃバグって、面白かったです(笑)。どれだけ頭の中でイメージできていても、実際に身体を動かしながらやってみると、身体がイメージに到達する前にテキストを読み終わってしまったりして。
本当に人格が変わるような感じで、パシッパシッと、時にはヌルッと、決めたイメージの中に入っていく。色々なナラティヴ、色々なテクスチャーがある中で、喋るくらいの速さでこれを実行できるようにする。ダンスも一緒で、ここが一番時間のかかる作業なんですよ。身体のテクスチャーの違いをまず自分でしっかり見つけて、速く切り替えられるようにすることが、最も難しい点かなと思っています。

岡田:喋りながら動いているパフォーマンスの面白いところは、言葉と動きの関係を提示できることだと思います。ある言葉が出た段階で、その想像から出てくる動きも現れるのが普通と考えてしまうかもしれないけど、実はそれだと遅いというか、ベストなタイミングではないんです。むしろ僕は、言葉が出てくるもっと前から始まっているという状態が普通だと思っています。パフォーマンスの時には「少し早めに始めちゃおう」とはっきり決めてしまって良いんじゃないかな。
理屈でちゃんと説明できないのですが、発話するという行為は、僕が作品を作る時にとても重要で。「言葉を発しなくても自分の中にあるからそれで良いじゃん、無言でパフォーマンスやれるんじゃないの、このメソッドで」という風にも思うけれど、実際はできないし、それをやっても面白いと思えない。だから決定的なんですよ、発話するということが。

(左から)岡田利規、湯浅永麻、太田信吾

(左から)岡田利規、湯浅永麻、太田信吾

■想像に踊らされるのが面白い

ーー岡田さんは以前(註:『現代詩手帖』2005年3月号)、小説家ウィリアム・S・バロウズの「言語はウィルスだ」という言葉を引いて、「Language the virus, makes you dance.」と書いていらっしゃいましたね。

岡田:受動的な動き、つまり自分で動いているのではなく動かされているという方が良いと僕は思っているんですよね。だからクリエーションのプロセスでは、いかに動かされる状態を作るかを重要視しています。何に動かされるのかというと、「想像」なんですよ。想像を作って、あとはその想像に操られる=踊らされているというのが面白いんじゃないかと。
「言語はウィルスだ」というバロウズの言葉を、僕は勝手にそういう意味に理解しています。バロウズにとっての言葉は、どこかから勝手にやってきて侵略するエイリアンのようなもので、そのイメージはすごくわかるんですよ。「僕が書いている」とか「僕が喋っている」とか言うけれど、でも本当にそんなに主体的なのかという。単語だって既にあるものを使っているわけだし、勝手に発明したとしても誰にも分かってもらえないし、意味ないし。

太田:相手がいて、言葉がある、みたいなことなんでしょうか。たとえひとりでいる時でも、それを投げかけたい想像の人物なり脳内の自分なり、伝えようとする相手がいるから、言葉が必要なのかなという気もします。

岡田:そう解釈することもできるよね。ただ「言語がウィルス」というときは、他人を想定しているというより、病に侵されるように自分がその言葉に侵されている感覚というか、自分自身ではコントロールできないという感覚で言葉を捉えているんじゃないかなぁ。

湯浅:言葉に操られるという感覚はよくわかります。その一方で、似たような言葉が色々ある中でどうしてその言葉を選んだのかを考えると、自分の場合は、相手に対して期待する反応があったり作りたい状況があったりして。マニピュレートするわけではないですが、そういうことに言葉を選んで使っているのかもしれないとか、そんなことを思いながら、今の話を聞いていました。

■自分というものの複雑性

ーー今の社会には情報や言葉が溢れていて、ひとりの身体の中でも人と人との間でも、複数のナラティヴが行き交い、バトルを繰り広げています。そして受け取った言葉に、思考や行動、見る世界までもが引っ張られていく。「わたしたちはナラティヴに振り付けられて現実を生きている」という岡田さんの言葉は、その点でとても象徴的です。

岡田:そういうことを起こさないで生きることはできないと思うんですよ。何のナラティヴも持たないで生きることはできない。どんなにリベラルであったって、それを否定されたら絶対に許せないというナラティヴを誰だって持っているわけじゃないですか。

太田:情報化社会の中で、「この人はこういうもの」と消費するものや趣味趣向がある程度予測されるようになり、それによって表示される広告とかも一層方向づけられ、ナラティヴに振り付けられていく。この仕組みというのは、とても現代的ですよね。その時に自分というものの複雑性を自覚できていれば、たとえ自分の考えを否定されるようなナラティヴに出会ったときにも、暴発的な態度にならないんじゃないかな。その点で現代的なテーマというか、自分事として身近に作品に接していただける作品である気がします。

太田信吾

太田信吾

湯浅:昔言われた言葉が呪いのように残っているのか、それとも自分が元からそう考えていたのか、よくわからないのですが、「パフォーマーであるなら無色透明でいるのが良い」と。無色透明であれば、色々な振付家や演出家とやるときに都度その色になっていけるということなんですが、パフォーマーということは置いておいても、自分にはそういう面がすごくあるなと、今回この作品を通して再認識しています。むしろ自分をしっかり持つということがよくわからないのです。いる場所や国、使う言語が変わったり、年齢が変わったりすると、どんどん自分というものが複雑化していく。
「アイデンティティって何ですか」ってよく聞かれるのですが、「それって今の今のことですか」という。「今日はこうだ」とは思いますが、昨日も明日も同じアイデンティティとは限りませんし……。先ほど太田さんが言っていた複雑性という話にも繋がるかもしれませんね。こんな風に共感する点、引っかかる点が色々ある作品なのではないかと思います。

ーー最後に、今回のコラボレーションに寄せている期待をお聞かせください。

太田:湯浅さんは、可動域もとても広くて、想像のトラックから出てくる身体のボキャブラリーがすごく豊かなので、一緒にやらせていただくのが楽しみです。そして岡田さんの今回のテキストも、とても面白いので。

岡田:コントラストがね、もう確定しているから。コントラストがすごい。

湯浅:言葉を使うこと自体はやったことがあるのですが、こんなにしっかりやることは初めてで。やってみたいと思っていたところに、まさに渡りに船のような感じでお話をいただきました。岡田さんとは、ありきたりなものではなく、「これをやることの意味は一体なんだろう」と思うようなことをできるだろうなと。太田さんは、彼もクリエーターでありパフォーマーなのですが、私とは全然違うものを持っている人です。毎回違う人と一緒にやるのは面白いですよね。

岡田:「なんで1枚の絵の中に画風の違う2人の人物が描かれているんですか」みたいなことになったら良いなと考えています。

(左から)岡田利規、湯浅永麻、太田信吾

(左から)岡田利規、湯浅永麻、太田信吾

取材・文=呉宮百合香    撮影=荒川 潤

公演情報

テキスト・演出:岡田利規
『わたしは幾つものナラティヴのバトルフィールド』
 
日程:2022年9月1日(木)~4日(日)
会場:彩の国さいたま芸術劇場 小ホール
 
テキスト・演出:岡田利規
共同振付:岡田利規、湯浅永麻、太田信吾
出演:湯浅永麻、太田信吾
 
主催・企画・制作:彩の国さいたま芸術劇場(公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団)
助成:Dance Reflections by Van Cleef & Arpels
文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業)
独立行政法人日本芸術文化振興会
 
【ポスト・パフォーマンス・トーク実施】
9月1日(木)岡田利規、湯浅永麻、太田信吾
9月2日(金)湯浅永麻、太田信吾
※19:00公演終了後となり、該当日の公演をお持ちの方はどなたでもご参加いただけます。

料金(税込):【全席指定】
一般:4,500円、メンバーズ:4,200円、U-25:2,500円
※U-25は、公演時、25歳以下の方が対象です。入場時に身分証明書をご提示ください。
※未就学児の入場はご遠慮ください。
※営利目的での転売を禁止します。
 
一般発売日:発売中
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