THE ORAL CIGARETTESは2度目の主催イベント『PARASITE DEJAVU』を前に何を語るのか

インタビュー
音楽
2022.10.14
THE ORAL CIGARETTES 撮影=西槇太一

THE ORAL CIGARETTES 撮影=西槇太一

画像を全て表示(6件)

新曲「BUG」とともに夏フェスシーズンを駆け抜けたTHE ORAL CIGARETTESが、10月22・23日、さいたまスーパーアリーナで『PARASITE DEJAVU 2022 ~2DAYS ARENA SHOW in SAITAMA~』を開催する。DAY1はワンマンショウ、DAY2はオムニバスショウという形式の自主企画イベント『PARASITE DEJAVU』(通称:パラデジャ)は今回が3年ぶり2度目の開催。2019年のパラデジャはオーラル第2章の幕開けとしてエポックメイキングな2日間となったが、今年はいったいどんなライブになるのだろうか。まもなくリハーサルに入るというメンバー4人を捕まえ、話を訊いた。

――「BUG」のMV、めちゃくちゃいいですよね。鈴木さん、「お母さん役をお願いします」と言われた時、どんな心境だったんですか。

鈴木重伸(Gt):性別すら変わるということで1回「え?」とは思いましたけど、そのあと「まさやん(中西)はそもそも人間じゃなくなるよ」と聞いて「なるほど」と。そこから、今回はそういうMVなんだと馴染んでいった感じですかね。実際やってみたらすごく楽しかったですし。

――確かに中西さんのインパクトも強かったですね。あの姿で助手席に座っているのがシュールで。

中西雅哉(Dr):特殊メイクは前にスペースシャワーTVの番組でしてもらったことがあったので、あんまり抵抗なかったですね。僕が思ったのは、MVにちょっと遊びを入れられるようになったんだなということで。今まではコンセプトがあって、かっちりカッコよくというMVが多かったんですけど、「MACHINEGUN」辺りからファニーなものもアリになっていったというか。肩の力が抜けてきたんだなと。

山中拓也(Vo/Gt):20代の頃は“あのバンドはちゃんとキメるバンドなんやな”と思ってもらえるような見せ方をしてきたんですよ。だけどもう、カッコつけるの飽きたなって。30代に入って、じゃあ次は30代後半に向かっていきますよという時に、自分らのやりたい音楽やバンドの理想像を考えたら「もうカッコつけるの、要らんのちゃう?」と思ったんです。元々は関西の兄ちゃんだし、楽屋裏ではボケてばかりいるような4人なので。それでより自由にやろうということで、「MACHINEGUN」くらいからはMVのストーリーも自分で提案しています。

――「BUG」という曲の中には怒りや苛立ちの感情も入っていると思うんですけど、そういうものをそのままアウトプットするのではなく、ちょっとファニーな感じ、遊び心を混ぜる方が今のみなさんにとってはしっくりくるんでしょうか?

山中:そうですね。元々ファニーに比喩するような表現が好きやったんですよ。エミネムのMVでマイケル・ジャクソンの鼻がとれるのを見て「これ、逆にめっちゃカッコええな」と思ったし。でも、今まではバンドの段階に合わせてMVを作らなきゃと思ってたから、20代の俺らがそれをやるのは自分ら的にもしっくりこなくて。だけど今は、全員肩の力が抜けた状態で、メンバーというより友達・家族という感覚でバンドをやれてるから、ファニーでポップなことをやったとしてもお客さんにちゃんと伝わるんやろなと。それでちょっとずつそういう表現をやり始めてる感じです。

――今日は『PARASITE DEJAVU 2022 ~2DAYS ARENA SHOW in SAITAMA~』へ向けたインタビューなんですけど、2019年の『PARASITE DEJAVU』がどんなライブだったかを思い出すために自分のメモを見返していたら、“山中さん、開始2曲で号泣”と書いてあって。

山中:そうでしたね(笑)。

あきらかにあきら(Ba/Cho):2日ともすぐ泣いてたよな(笑)。

――で、なぜ最初に「BUG」の話をしたのかというと、今のオーラルの“信頼できる仲間と肩を組んで、自分たちが笑って過ごせる場所を作っていこう”というモードって、元を辿れば2019年の『PARASITE DEJAVU』から始まっていたんじゃないかと思ったからなんです。そこで聞きたいんですが、今振り返ると、2019年の『PARASITE DEJAVU』ってどんな2日間だったと思いますか?

あきら:自分たちにとってご褒美のような日やった気がしてます。よう頑張ったな、ここからはちょっと肩の荷下ろしてええで、みたいな。この景色を見るために努力してたんやな、あの苦労を乗り越えられたからこれが見れたんやな、という感覚が強かったです。そのあとはコロナ禍に入ってまたいろいろと考えることが増えましたけど、あのライブを境にバンドに新しい血が入ったし、僕自身も生まれ変わったような気がします。

――あきらさん自身はどんなふうに生まれ変わったんですか?

あきら:それまでは“上に、上に”、“広く、広く”って感じやったんですけど、あの2日間があったからこそ“今これだけの財産を持ってるということに感謝しよう”と思えるようになったんですよ。バンドやメンバーとの関係性に対してよりちゃんと向き合おうというふうに変わったのは、今思えばあのタイミングやった気がしますね。前日に拓也と2人で奈良に帰って、実家に泊まったんですよ。そしたらなんかすごい……空が綺麗やったんですね。東京じゃ見られない広い空。それを見て、戦いから帰ってきたじゃないですけど「ああ、奈良に帰ってきたなあ。そんで明日ワンマンかあ」と思って。拓也とは「ここまで連れてきてくれてありがとう」みたいな会話をして。

――逆に言うと、それまではとにかく目まぐるしくて、自分たちのことを褒めてあげられる機会がなかったんでしょうね。

あきら:でしょうね。周りはライバルだらけやったし、目の前のことに必死だったと思います。だけど今はそのライバルたちが仲間みたいな感覚で。

鈴木:やっぱりあの場所で自分らのイベントができるのがすごく嬉しかったから、前日のリハーサルから全力だった記憶があるし、“ああ、こんなに仲間がいるんだな”と安心できた2日目の景色もすごく好きやったし……。あのあとコロナ禍に入ったので、もしもあの2日間がなかったら、バンドのモードも今とは違うものになってたかもしれないと思います。あそこで一度それまで頑張ってきたことが肯定されて、それが自信に繋がって、今のオーラルができてる気がしますね。

中西:ライブが始まって、拓也が泣いてる姿やそれに対するお客さんの感じを見た時に“あ、これが正解やったんや”と思ったんですよ。その時点で“ああ、この2日間、どう転んでもオーラルにとっては正解の2日間になるな”という気持ちになって、気が楽になったというか。大阪城ホールとか横浜アリーナでのワンマンもありましたけど、大きな舞台であんなに力を抜けたのは『PARASITE DEJAVU』が初めてだったと思います。

山中:多分、それまではめっちゃバリアを張ってたんですよ。「なんで上手くいかへんねん」という感じで責任の矢印をずっと自分にばかり向けてたし、自問自答して、自分の中だけでぐるぐるやってて。だけどそのバリアが2日間でバーンと崩壊した。お客さんがあんだけいてくれて、あんだけ声掛けてくれて……となった時に“一人で抱え込むのもバカらしいな。みんながおるな。これだけやさしく包んでくれるんやな”という状態にようやくなれた瞬間やったと思います。

――だからこそ涙が出たと。

山中:そうですね。自分が泣いてしまった時もバリアが崩壊してしまった瞬間やったと思います。そもそも当時は、『PARASITE DEJAVU』は毎年やるようなフェスにはしませんというテンションだったんですよ。それはなぜかというと、フォーリミ(04 Limited Sazabys)やブルエン(BLUE ENCOUNT)を仲間と言いつつずっとライバルやという意識が強かったからなんですけど、バリアが崩壊したことで、“やっぱり一緒にシーンを盛り上げていく仲間やな。ツレやな”と思えるようになった。しかもそのタイミングで、自分がプライベートで仲良くしてたアーティストとも一緒にフェスを作ることができて、達成感や充実感を味わえたのも僕にとってはすごくデカかったんですよね。そこから“みんなツレ! お客さんも、お客さんじゃなくてツレ!”みたいな感覚に変わっていったし、いい子いい子するのも疲れたから、よりありのままでいられることを選ぼうと各々が思うようになった。『PARASITE DEJAVU』はその一発目のきっかけになったんやろうなと思います。それが俗に言う、第2章の始まりで。

――第1章、第2章という言葉は当時も使っていましたけど、今話してもらったようなことが起こる想定で銘打っていたわけではないですよね。

山中:そうですね。あの時は楽曲の振れ幅やスピリチュアルな部分を指して第2章という言葉を使ってたんですけど、今になって振り返ってみると、ああ、そういう意味やなかったんや、とすごく感じてます。

――でもそう考えると、2019年の時点で“2日目は対バン形式にしよう”と企画できたのが不思議ですよね。

山中:当時の自分たちは、“俺らはちゃんとトップを目指していきます”、“ドームまで行きます”というテンションだったけど、同時に“ドームでライブしてるアーティストの中にロックシーンを大切にしてるバンドっている?”という疑問もあって。俺らはシーンもちゃんと大切にする、でも俺らは行くところまで行く、という姿勢を表現する方法として、“2日目には俺らのバンド人生に絶対に必要やったバンドを呼びましょう”というふうになったんやと思います。そこはこだわりやったし、「俺らはちゃんとやってきたよな」と自分たちに言い聞かせるような意味もあれば、お世話になった人には恩返ししなきゃという気持ちもあったと思う。だけどここ3年でここまで話してきたような変化があって。コロナ禍でバンドマンと連絡をとる機会がより増えて、“さあ、これからみんなでどうしていきましょうか”という輪の中に入れてもらえたりとか、SiMが今年のフェスで「次はパラデジャがあるから」と言ってくれたりとか……そうやって仲間に入れてもらえるような場面が増えたんですよ。昔やったらそこで“いい距離感で”とか考えちゃってたと思うんですけど、今はすごくナチュラルに、輪の中に入っていけるようになっていて。

――今話してもらったように、自分たちの立ち位置を踏まえた上での“こうしなければいけない”ではなく、もっと純粋な“こうしたい”という部分をこれからはやっていこうよというふうにオーラルは変わっていったわけだけど、2019年の『PARASITE DEJAVU』がそれに気づかせてくれたライブだったとしたら、今年はそれを初めから自覚した上で行うライブであって。同じタイトルのイベントだけど、全く違う内容になるでしょうね。

山中:うん、そうですね。だいぶ違うと思います。

――そんな中で、今年の10月にさいたまスーパーアリーナで開催しようと決めた理由についてはいかがでしょうか。

山中:2020年に予定していたアリーナツアーが中止になってしまったというのが一つの理由にはなっていますね。『VIVA LA ROCK』に出る度に「いつかここでワンマンさせてください」と言い続けてたんですよ。だからアリーナツアーが決まった時はめちゃめちゃ嬉しかったしお客さんも喜んでくれたんですけど、それができなくなってしまったので「いつかはやりたいね」と言ってたんです。そしたら同時進行で『PARASITE DEJAVU』の頻度をもう少し増やしていってもいいんじゃないか、移動型フェスみたいにしていくのもアリだよね、という話も出てきて。だったら2回目はさいたまでやればいいんやないか、と。思い立ったらすぐやりましょうということで、このタイミングでの開催に決まりました。

>>「ちょっと異色なメンツで攻めてみよう」──7組の対バンについて語る

シェア / 保存先を選択