アルカラ──"ロック界の奇行師"は結成20周年を迎え何を思うのか。新アルバム&野音ワンマン目前に語ったこと
アルカラ 撮影=大橋祐希
2022年7月、アルカラが結成20周年を迎えた。ポップとエキセントリックの隙間を駆け抜ける、ロック界の奇行師として。地元・神戸から全国へ発信する、大規模サーキットフェス『ネコフェス』主催者として。アルカラが刻み続けている足跡の大きさは、いくら強調してもしすぎることはない。20周年を記念する最新作『キミボク』も、オルタナティブでダンスでプログレ、なおかつ青春ロックで美しいバラードの歌い手でもある雑多な持ち味を、ライブ感みなぎるバンドサウンドで一体化した傑作に仕上がった。20年間の紆余曲折について、アルバムについて、そして11月26日の日比谷野音ワンマンについて。稲村太佑、下上貴弘、疋田武史が、節目を迎えて今なお燃え盛るバンド愛を語る。
――20年、おめでとうございます。バンドを20年続けるのは本当にすごいことだと思います。20と聞いてまず何を思いますか。
稲村:パッと思いつくのは、大人になる年齢ということですよね。子供の時に、20歳になるってすごい大人やと思ってたんですよ。でも20になったら「こんなもんなんや、まだまだやな」という思いがあって、たぶん(バンドの)20年もそういうことなんだと思いますね。
下上:いまだに自分ごととしてはとらえられなくて、20年やってきた仲間のバンドを見ると、マジですげぇなと思うんですけど、自分たちが20年やったことをすごいとは、あんまり認識してないです。常に1年ずつで、たまたま選んできたいろんな道筋で20年になったということで、一歩間違えたら終わってた可能性もあるわけで。今の状況があるということは、自分らの努力もあるんでしょうけど、運が良かったなという気持ちの方が大きいかもしれないです。
――ということは、20年の中で、正直ピンチもあったと。
下上:いくらでもあったと思いますよ。メンバーもいなくなりましたし。神戸から東京に出てきた時にも、一人が嫌だと言えば話が変わってただろうし、先のことはわからない中で続けてきたのは奇跡みたいなものだって、ほかのバンドを見て思いますね。僕らはただ一生懸命やってきただけなんで。
疋田:シモが言ったように、走り続けたら20年たったという感じです。人生の約半分を一緒に活動し続けてることになるので、そう思うと長いですけど、実際活動してきた中では、20年経ったなというよりも、ずっと歩み続けてるなという感覚が強いです。家族とはまた違うんですけど、気が付いたら20年一緒にいて、通過点になってるねという感じですかね。
――今パッと思い浮かぶ、特に記憶に残るシーンってありますか。
疋田:それこそ僕は、上京する前に一度就職してて、太佑から「話があんねん」と言われた時に……僕は仕事をしながら、みんなの好意で土日だけライブをやったりとか、僕だけリハーサルなしにさせてもらったりとか、そういうふうに続けさせてもらった1年間があったから、「話がある」と言われた時に、アルカラが活動を広げようとしていたタイミングだったんで、「ついにクビか」と思ったんですよ。そしたら「一緒に上京しよう」と言ってくれたんで、「行く行く」と言ってすぐ話が終わった。それは僕の中で大きい転機でした。
――いい話。青春の誓いじゃないですか。
稲村:俺は、言ってはみたものの、「東京へは行かれへん」と言われると思ってたんで。
下上:それをどうやって説得しようか、みたいな。
稲村:一応、思いを伝えるのはええかなと思ったんで、一席もうけて、「二人で話あんねん」ということになったんですけど。向こうが構えてるから、「東京行こうや」「それは無理や」という、暗い空気になるんやろなと思ってたんですけど、最初にビールが届いて一口飲んで、「俺、東京行こうと思うてな」「そうなんや」って。もう一口飲んで、「みんなで行けたらええなと思ってるんやけど」って言ったら、「ええで」って言って終わったよな。頼んだメニューがまだ来てないのに、どないしよう思って。
疋田:5分もかからんかったよな。
稲村:最初の乾杯で話が終わった(笑)。あの時は面白かったな。下上は、前の前のバンドから一緒なんで、その都度その都度「やりたいようにやったらええやん」って言ってくれるんですよ。今思えば、何の無責任な発言やねんと思いますけど、ノリでそういう運気ってあるじゃないですか。一人やったら行けてなくても、メンバーがいてくれるからここにたどり着いてるなって、振り返ればそう思うシーンは多いので。
――そこから20年。やりたいことは変わってないですか。
稲村:良くも悪くも変わってないですし、ブラッシュアップできてる部分はあると信じながら、常に新しいことを取り入れていこうとはしてるんですけども、根っこの部分は変わることはないんで。根っこから生えてくる新しい枝や花をいかに表現していくか、といったところはあったかもしれないです。
――さっき、20年間にはピンチもあったと言ってましたけども。5年前にメンバーが一人抜けた時は、やはり大きな転機だったんじゃないかと。
下上:あの時は、「結局みんなバンドやりたいんやな」と思いましたね。「俺もやめるわ」という奴がおってもおかしくないタイミングだったと思うし、他にもいっぱいありましたけど、「とりあえずやろうぜ」みたいな感じが全体にあったのは、20年やめられへん理由なんやろなというか。
稲村:うん。
下上:最近もスタジオによく入ってるんですけど、単純にそれが好きというか、バンドをやっている状態が安定してる状態なんかなと思ってて。自分も含め、それを苦と思わないメンバーで良かったなと思ったりします。
稲村:そこがいちばんのベーシックにあった上で、練習法とか、いろいろ考えて来てくれるんですよ。ぐるぐると同じところを回るにしても、2周目は違う景色を見ようみたいなことをやってるのが、すごく面白い。SNSを使ってカバーの動画を上げてみようぜとか、昔やったら考えすら及ばないこととか、そういう発想に転化してくれるんで。いろんなアイディアを出して、そのアイディアが何の意味があるねん?って、100個あったら99個がそうやと思うんですけど、その99個をやってみるからこそ残りの1個を選べると思うんで。20年やってたら、どこかで慣れっこになってきて、そのぶんスタイリッシュにやれるんですけど、やっぱり無駄こそが美学じゃないけど、99個の無駄を繋いできたからこそ今のアルカラがある部分もたぶんあるだろうし、それが正解のルートかどうかはわからないけど、僕らが選んでるルートなんで、これしかないと思ってますし、そんな感じで20年やってます。常に新鮮なものをやろうぜという、老舗が新しいメニューを作ろうぜみたいな感じで。
――ああ。それはわかりやすい。
稲村:せっかくうまいことやってるのに、それをあえて壊すのもアルカラらしいなと思うんですね。アルカラのライブって、いい感じで感動させて終わる曲をやっても、アンコールで呼ばれたらとんでもないふざけた曲で終わるみたいな、伝統の技みたいなものがあって、自分でも何かを壊さないと次に行けないという、その日をただ最高でしたで終わらせても、それだと次がないなという思いもあって、常に塗り替えていこうというものを、無意識にでも選んでいってるなと思いますね。
――そして迎えた、20周年イヤー。昨年の年末からやる気満々で、配信シングルを連続リリースしたり、いろいろやってますけど、もう準備万端ですか。
稲村:いや、準備もクソもないぐらい、これだけのことをやればうまくいくというのがない世界じゃないですか。準備すればするほど、こんなこともある、あんなこともあるという、それが楽しいです。
――ということは、昨年末に配信で「Dance Inspire」を出した時には、今回のアルバムは見えてなかった?
稲村:見えてないです。アルバムの概念もだいぶ変わって、今は配信の時代でもありますし、アルバムという一つのバラエティを聴かせるものが、どんどんそうじゃなくなってきてるなと思うので。だからといってあきらめるんじゃなくて、結局やってたら一個の線で結ばれるというか、小細工を入れなくても一つの場所に落ち着いてくるなというのは、今回すごく思いましたね。歌詞の部分は特に。
――見事にアルカラらしいアルバムになったと思います。メンバーの手ごたえは?
下上:前のアルバムで原点回帰みたいなことを言ってて、あんまり回帰できてなかったなと自分で思うんですよ。1枚目とか2枚目のことを考えると、もっと青春やったなというか、レコーディングのために新しい機材を買ったりして。でも今は「こうやればこういうのができるよな」というのが見えてるのがおもろないなと。最初の衝動がなくなってきたなと思ってたんで、ライブで曲をやった上でレコーディングしようとか、クリック使わないで録ってみようとか、言うたら昔やってたことなんですけど、それをやってみようということで。
――はい。なるほど。
下上:バンドを始めた時の感覚や、何に感動したのかとか、忘れたらあかんと僕は思ってるんで。4月にcinema staffの『OOPARTS 2022』というイベントに出させてもらった時に、ハルカミライのベースの須藤と話したら、「今でも週5回スタジオ入ってます」って言ってたんですよ。それは一つのきっかけにはなりました。いろんなバンドのいろんな立場で、洗練していく部分と、忘れないようにする部分とがあると思うんですけど、自分の中でこうしてみようとか、こういう機材を買ってみようとか、あえて失敗してみるぐらいの覚悟じゃないと新しいものを生み出すのは難しいんかなと思って、僕はレコーディングに向かいました。
疋田:今回は、自主制作の2枚目でノンクリックでほぼ全曲録った以来の、クリックをほとんど聴かずに録ったアルバムなので。僕はドラマーとして、クリックに合わせないといけないという思いがずっとあったんですけど、もっとライブ感を出してやっていこうよということになった時に、クリックという絶対的なものがないんで、ブレてはいるんですけど、聴いてみるとそんなに気にならないし、勢いが出たり、逆にいい意味で勢いを殺したり、新しくないはずの発見だけどすごく新しいというか、忘れていたものを思い出した感覚がありました。
下上:自分らもその間にレベルが上がってるから、あの時見てた新鮮な感じと、10数年を経た時の景色とはまた違っていて、そこが面白い。
疋田:こんなに(リズムが)走るんや、と思ったり、こんなに走らへんのや、と思ったり、ここまで走るんやったらちょっとだけクリック聴こうか、とか、いろいろやってみました。「この楽曲に対して今の走りはめっちゃ良かった」とか、そういう方向性で1曲1曲できあがっていったので、総合的に言うと「楽しかった」になるんですよね。ライブをやってるみたいな感覚で、レコーディングにも臨めました。
稲村:変に20周年だからという思いもなかったですし、なんならコロナ禍で活動が停滞したからこそ、徐々に曲を作って、ライブでやって、集まってみたら「なんか、いいアルバムになったな」と思ってます。そもそもバンドを始めた時って、まずライブで曲があって、「君ら、ええから、レコーディングしてみないか」みたいな、そういう順番じゃないですか。それが逆になって、レコーディングしたものを聴いてもらってからライブで披露するという、答えがわかってる状態でライブをするみたいなことから、元の原点に戻れたなというアルバムになったと思います。小細工がないというか。
――ああ。なるほど。
稲村:曲には小細工はあるんですけども、それは昔からそういうものが好きで、これは誰誰っぽい曲やなと思われるのが嫌で、隙間を探しながら作ってきたバンドではあるんで。でも最近は、アレンジに関してはいろんなテイストがあって、ジャズ、ファンク、ロックンロールとかはありますけど、「らしく」やったらそれでええんやなと思ってます。このアルバムを作る前までは変な気負いがあったというか、自分がしたいというよりは、みんなが何を求めてるんやろ?というのがいつもあったんで。今回はそれをまったく考えんでええわと思ったんで、それが正解かはわからないですけど、ネイキッドな感じはしますね。
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