「道頓堀の凱旋門」と呼ばれ、映画に歌舞伎にとハイブリッドな劇場だったーー大阪松竹座100周年記念特集『松竹座の未来予想図』コラム(松)

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2022.12.7
開場当時の松竹座 (c)松竹

開場当時の松竹座 (c)松竹

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来年、開場100周年という記念の年を迎える大阪松竹座。道頓堀の西詰に建つ、その壮麗な偉容は、今も多くの人の目を惹きつける。正面を美しく飾る大アーチの印象から「道頓堀の凱旋門」と呼ばれ、親しまれてきた劇場は、かつて「日本一の芝居町」として繁栄した道頓堀の面影や、上方文化の灯を守り続ける貴重な存在だ。大きな役割を担いつつ、多様なジャンルの文化芸術を発信し続けている大阪松竹座の歩みと未来を、3回にわたって追っていく。

開場初日の客席 (c)松竹

開場初日の客席 (c)松竹

まず、「道頓堀」と呼ばれる大阪・ミナミの一角は、飲食店が立ち並び、巨大看板が観光名所となっている繁華街、というイメージが今は強い。しかし、この運河が完成した江戸時代の初期から、道頓堀一帯は芝居町として開発が進められ、大小の芝居小屋が軒を連ねて歌舞伎や人形浄瑠璃といった様々な芸能が盛んに上演される「上方文化の中心地」として発展した。明治以降に「道頓堀五座」と称された浪花座、中座、角座、朝日座、弁天座へと繋がる大小様々な芝居小屋や見せ物小屋、食事や席の手配など観劇の便宜を図る芝居茶屋へと向かう人々が通りを行き交い、一大歓楽街として大いに賑わったという。

歴史ある芝居町に大阪松竹座が誕生したのは、大正12(1923)年5月。その頃の日本は好景気に沸き、芸術文化への興味が高まる中、海外から一流の芸術家の来演が増えていた。自由主義的な傾向が強まる大正デモクラシーや、モダンな文化を好む大正モダニズムも浸透。そんな時代の風を受け、大阪初の本格的な洋式劇場として大阪松竹座は産声を上げた。木造の芝居小屋が並ぶ道頓堀に忽然と姿を現した、近代建築(鉄筋コンクリート造り)によるネオ・ルネッサンス様式の白亜の殿堂。当時の人々の驚きと感銘は想像に難くない。

1923年松竹楽劇部第1回公演『アルルの女』大阪松竹座のこけら落としで華々しく幕をあける

1923年松竹楽劇部第1回公演『アルルの女』大阪松竹座のこけら落としで華々しく幕をあける

「大正の名建築」と称される建物だけでなく、興行形態もまた斬新だった。優れた映画の封切りと実演が行われ、柿落とし記念公演では、ドイツ映画『ファラオの恋』、松竹映画『母』などの間に、前年に創立された松竹楽劇部(OSK日本歌劇団の前身)による新舞踊『アルルの女』が上演された。大阪松竹座の藤田孝支配人は、「素晴らしい映画と、レビューや歌舞伎、西洋の芸術家の実演という、幅広い客層を狙ったハイブリッドな劇場で、大阪松竹座ならではの興行スタイルでした。その後に、京都松竹座や浅草松竹座、名古屋松竹座といった、同じ興行スタイルの劇場が全国に約10カ所開場しています。大阪松竹座はその発祥で、100年前に立ち上げた先人たちが新しい発想とチャレンジをしたのだと思います」と話す。

その頃の興行内容は、二代目市川猿之助(後の初代猿翁)一座の歌舞伎、ロシア舞踊の来日公演、クラシックやジャズ・バンドの演奏、アメリカの名画など、実に多彩だ。そして、大正15(1926)年4月には、大阪松竹座を本拠地としていた松竹楽劇部が、開場3周年記念として『春のおどり 花ごよみ』を上演。その時を皮切りに、『春のおどり』は恒例化され、海外のレビューの様式を取り入れた、季節感に富む華やかな歌と踊りで人気を集め、春の大阪の風物詩となるほどの名物公演へと成長していった。

「開場した年の9月には関東大震災が起こり、経済や人や文化が東京から大阪へ流れ込んできました。人口も経済も東京を上回る「大大阪」と呼ばれた時代背景もあり、素晴らしいコンテンツを提供できて発展した。そういう歴史に運命を感じます」と藤田支配人。

大正15年8月1日 (c)松竹

大正15年8月1日 (c)松竹

昭和9(1934)年に松竹楽劇部が大阪松竹少女歌劇と改称し、ミナミ・千日前の大阪劇場(大劇)へ本拠地を移してからは、外国映画の封切りに力を注ぎ、「洋画の殿堂」として若い観客の支持を集めた。名画を次々に上映し続けた大阪松竹座だが、次第に時代の波に飲み込まれていく。太平洋戦争の勃発によるアメリカ映画の禁止、国威発揚のための軍事色の強い邦画の上映。昭和20(1945)年3月13日の夜から翌日にかけての大阪大空襲では、道頓堀一帯が一夜にして灰と化した。しかし、大阪松竹座は奇跡的に焼失を免れ、その庇の下で道頓堀の人々が炎や火の粉から身を守ったそうである。8月15日に終戦を迎え、焼け残った大阪松竹座は、同年8月中に戦後最初の映画『むすめ』、『愛の世界』で興行を再開した。荒廃した道頓堀に、再び文化の灯を灯し始めたのである。

取材・文=坂東亜矢子

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