‟親密な空間”に響かせた、ピアニスト務川慧悟の音楽世界~4日間2プログラムを届けた浜離宮朝日ホールでのリサイタルをレポート

2023.2.3
レポート
クラシック

12月20日(火)、二つ目のプログラムは、務川が取り上げたことで広く知られることとなったラモーの《ガヴォットと6つのドゥーブル》で幕を開けた。リクエストの声が多く、このリサイタルでも演奏することにしたとのこと。各ドゥーブル(変奏)の精妙なテンポ設計が、じわじわと聴き手の感情を揺さぶるバロックの世界。離鍵の仕方がチェンバロ的な響きをもたらし、誠実で抒情的な音楽にいきなり惹きつけられた。
2曲目はシューマンの《クライスレリアーナ》。務川がこれまでほとんどステージ上で取り上げて来なかった作品であり、自身にとっても新たな挑戦の一つ。ラモーのあと袖に下がり、少し間をあけて登場したが、椅子に腰掛けると弾き始めは速やかだった。すでに音楽がそこにあったように、スッと入る。入(い)りのスムーズな美しさは、務川の演奏の一つの特徴だろう。一つ目のプログラムのモーツァルトのソナタでも、座ってからの弾き始めが速く、あの烈火のごとき音楽にスッといざなわれたのを思い出した。第1曲は上昇するバスの歩みが濁らずクリアに届き、中間部は羽毛のように柔らかな響きのコントラストが美しい。第3曲はとてもナラティヴな演奏で、音楽的な物語がわかりやすく惹き込まれた。第6曲は落日を思わせる穏やかさ、深さ、仄暗さ。第7曲は感情の沸点を思わせるが、滑舌の良いタッチで音が混濁しない。全曲を通じて、務川の語り口の多さをあらためて知る。ドラマティックではあるが、いたずらにスペクタクルで大仰な表現はない。品位のある語り口が美しかった。

後半のラヴェルは、まずは《ソナチネ》である。第1楽章は細部まで作り込まれたミニチュアの装飾品を思わせる、粒立ちのよいタッチで描いていく。第2楽章は陶器のような輝きと冷たさを思わせる響き。和音ひとつひとつの音の重なりに、どれだけのバランス意識を働かせているのだろう。素晴らしい。終盤にはあえて、ほんの少しの濁りを持たせたのが心憎い。第3楽章は勢いと流れがありつつ、細密画のような繊細さ。
《亡き王女のためのパヴァーヌ》はこのリサイタルでの忘れ難い聴体験となった。多彩な音色、よく伸びて上昇する響きは、筆者にとっては、この作品のあまりに理想的なもので、もはや形而上的な領域に突き抜けるようであった。ムジカ・ムンダーナ(宇宙の音楽)とまで言うと言い過ぎだろうか。目の前で演奏されている音楽が、何か抽象的で大きな力とつながっていくような、そんな経験をした。

プログラムの締めくくりは《夜のガスパール》である。〈オンディーヌ〉は細やかなテクスチュアの中で、主旋律はじっくりと浮き立たせた。幻惑的でとろけるようなグリッサンドと、閃光の迸るアルペジオは圧巻。〈絞首台〉は儀式のような緊張感の中にどこか柔らかさがあり、内省的であると同時に開かれたものを感じた。アンビバレントなものが同居して鳴り響く不思議さ。ここにも務川の言う「二面性」が息衝いているのであった。〈スカルボ〉も無駄な揺らぎを感じさせない拍感、細密に音色を弾き分けるメロディーやハーモニー、トレモロや同音連打やグリッサンドの立体感が鮮やかだった。

アンコールに入る前のMCで、務川は一つの種明かしをした。この日使用したピアノは、15日(木)・16日(金)に弾いたスタインウェイとは違い、ホールが所有するもう一台の楽器とのことだった。両日聴いた方々の中には、この日の音色の方が、どちらかといえば太い響きのように感じた人もいたのではないだろうか。筆者は個人的には15日(木)・16日(金)の、より線の細く透明感のある響きのピアノの方が、ラヴェルには合っているように思った。西村作品をそちらのピアノで聴けたのもよかった。20日(火)のピアノは、シューマン作品を念頭に置いたのだろうか。いずれにせよ、それぞれの特性を感じ取りながら演奏していた務川は、「こちらのピアノでも、15日(木)・16日(金)のプログラムの曲を弾いてみたくなった」ということで、アンコールに《水の戯れ》を弾いた。よく伸びる、まろやかさのある音色が印象的だった。日本のリサイタルで《クライスレリアーナ》を初披露したことは「一大イベント」だったと話す。アンコール2曲目には、シューマンの《ユーゲントアルバム》から第30曲を披露してくれた。シンプルで繰り返しの多いこの作品を、務川はじんわりと心に深く染み入る音色変化で聴かせた。やはり帰り道にずっとずっと、その響きが耳と心に残った。

終演後のサイン会の様子

終演後のサイン会の様子

取材・文=飯田有抄

アルバム情報

『ラヴェル:ピアノ作品全集(2枚組)』
 
【出演者】務川慧悟(ピアノ)
【発売日】2022年11月30日
【予定価格】2枚組CD +ブックレット 4,400円(税込)

【収録内容】
ラヴェル作曲
古風なメヌエット
亡き王女のためのパヴァーヌ
水の戯れ
ソナチネ

夜のガスパール
ハイドンの名によるメヌエット
高雅で感傷的なワルツ
ボロディン風に
シャブリエ風に
前奏曲 イ短調
クープランの墓
  • イープラス
  • 務川慧悟
  • ‟親密な空間”に響かせた、ピアニスト務川慧悟の音楽世界~4日間2プログラムを届けた浜離宮朝日ホールでのリサイタルをレポート