東京二期会『トゥーランドット』インタビュー~ソプラノ土屋優子が歌う「氷の姫君」は、心の氷をどう溶かしていくのか?
イタリア・オペラの巨匠ジャコモ・プッチーニが長年住んだトスカーナ州のトッレ・デル・ラーゴには、今年2023年で69年目という伝統を誇るプッチーニ音楽祭がある。湖に張り出した野外ステージで毎夏上演されるプッチーニの人気オペラにはイタリア内外からオペラ・ファンが詰めかける。
昨年8月に、このフェスティバルで上演された『トゥーランドット』に彗星のようにデビューした日本人ソプラノがいた。題名役のトゥーランドットを歌った土屋優子である。元々のキャストが不調で降板の後、最終公演を土屋が歌い大成功を収めた。
2月、東京文化会館で上演される東京二期会『トゥーランドット』でも同役を歌う土屋に、イタリアでのデビューの様子と、公演への抱負を聞いた。
――歴史あるプッチーニ音楽祭で『トゥーランドット』の題名役を歌ったいきさつを教えていただけますか?
私はイタリア在住なのですが、去年の春に、音楽祭が主催する若い歌手のためのアカデミーに参加したんです。そこでは歌手たちに、夏の音楽祭に小さな役で出演する役を勉強させます。私はもともと『トゥーランドット』に関わりたいという気持ちが強かったので、『トゥーランドット』の女官役を歌えればと思っていたのですが、ちょうどアカデミーの時期にコロナに罹患してしまい、復帰した時には殆どの役はもう他の人に決まってしまっていました。でもアカデミーの先生が「優子はトゥーランドット役のカバーがいいのでは?」と言ってくださり、その役でオーディションを受けて、夏の音楽祭のトゥーランドット役のカバー歌手になりました。
――本公演の最終公演を歌うことになったのは、初日から何回か歌っていた歌手が不調で降板したからだそうですね?
詳しい事情は私には分からないのですが、最後の公演日の5日前くらいに連絡があって「優子、歌ってみないか?」と。もともとリハーサルの初めの頃、音楽稽古や立ち稽古で、主役の歌手がいない時にカバーとして歌うことがあったのですが、その時の印象が良かったのかもしれません。私は2020年10月にグランドオペラ共同制作公演『トゥーランドット』でもカバーをやらせていただいていたので、すでに自分の持ち役として、体にしっかり入っていました。それで本番の前日に演出助手が立ち稽古をしてくださり、当日の公演前には指揮者とピアニストの方と少し合わせをしてテンポを確認して。本番はずっとマエストロを見て歌っていました(笑)。
――音楽祭のFacebookページに、この最終公演が素晴らしかった!という現地のお客さんたちからの書き込みがたくさんあってびっくりしました。
良い方たちとの出会いがあった、というのが大きかったと思います。お客様からも大きな拍手をいただきましたが、実はその前に、第2幕を終えて楽屋に戻って次の衣裳に着替え、ちょっと休憩しようと思っていたらコンコンとノックの音がして。誰だろうと思って開けると、アカデミーの先生、他のキャスト、アカデミーで一緒だった歌手たち、合唱の人たちなど、みんながワーっと集まってきていて、口々に「ブラヴァ!ブラヴァ!」と言ってくれたんです。私は「え、まだ終わっていないのに!?」と(笑)。マエストロも来てくださり、演出助手の方も「良かったよ!」と。これまでも思っていたことですが、私は本当に、周りの人たちのおかげで舞台に立てているのだな、と実感しました。
――それはきっと、土屋さんの実力とお人柄あってのことだと思います。ところでトゥーランドットは、北欧系の強い声を持った歌手たち、もしくはもっと軽い役から始めてドラマチックな役を歌える様になったベテランが歌う役、という印象があります。土屋さんはまだお若いのに、音楽祭でも『トゥーランドット』に関わりたいと思っていたそうですし、元々そういう役に向いたお声なのでしょうか?
私の場合は多分、初めからこの種の役に向いているのかもしれません。学生の頃から、すでにトゥーランドットとヴェルディ『マクベス』のマクベス夫人役が私の憧れの役でした。アリアを勉強しても、とても歌いやすかったんです。普通、若い頃に歌うのに適していると言われるモーツァルトは、最初の頃からそれほど得意ではありませんでした。高校生の頃から低い音域はよく出ていましたが、声を鍛えた今は低い方を保ちつつ高音も出る様になりました。今後また、変化はあるかもしれませんが、今はこのような役が歌い時なのかな、と思っています。
――マクベス夫人も演じがいがありそうな役ですね。トゥーランドットもマクベス夫人も、かなり激しいところがある役柄だと思います。気性的にもこのような強い女性を表現しやすいと感じていますか?
普段の自分ではない自分をそこで出せるのが楽しいです。私の中にも、どこかにきっと気性の荒さというか、激しさの引き出しがあって、それは普段は出てこないし、できれば私生活では使いたくない要素ですが(笑)、舞台の上ではそれを思い切り出せるのが楽しいんですね。
――『トゥーランドット』はプッチーニの中では唯一、おとぎ話を原作にしたオペラだそうです。トゥーランドットのキャラクターはどのように捉えていますか?
トゥーランドットは第一幕でほんの少し姿を見せますが、歌い始めるのは第2幕なのです。そこでの圧倒的な声の存在感は大事です。声でキャラクターを出していくといいますか。そして歌詞にもあるように彼女は「氷の姫君」であり、オペラの中でもどんどん死刑を命じて、とても冷酷だと恐れられていますが、その一方では、結婚したくないので謎を出し、その謎を解かれてしまったのにまだ結婚したくないとわがままを言うなど、誰よりも人間らしい面もあります。そのギャップが表れるのは第2幕では一瞬のことですが、その後の第3幕のカラフとの掛け合いで彼女はぐっと変わります。その二つの面を声と演技で描き、自分なりに表現できたら嬉しいです。
――第2幕のトゥーランドット姫の登場の場面で彼女が語る先祖の姫の物語も、彼女の内面に影響を及ぼしている不思議な話ですね。
『トゥーランドット』の元になったお話の一つとして、これは私はイタリアで聞いたのですが、モンゴルの皇女クトルンの物語があるそうです。チンギス・カンの玄孫にあたる姫で武勇に優れ、謎解きではなく、腕っぷしで自分を負かすことができる人にしか嫁がないと言っていたそうです。それがやがて謎解きの物語になり、オペラ化もされたということだそうで、姫の強さはそういうところから来ているのかもしれないですね。
――今回のプロダクションはダニエル・クレーマー演出、そして何といってもチームラボの舞台美術が大変話題になっています。短い動画を拝見しましたが圧倒的な美術ですね。演出の方向としてディストピアを表現する、というのも興味深いです。
そうなんです。女性優位で、男性は生殖と力仕事のためだけにいる、という世界として描かれており、謎解きの場面もある種、ショーのようにして行われます。トゥーランドットは姫としては敬われてはいるのですが、自分の役割が嫌だと思う気持ちも持っていて、カラフとの出会いが彼女を変えていく。実際にお客様にどのように見えるのかは私たちも解りませんが、映像を使った壮大な舞台になるということで本当に楽しみです。中野希美江さんの衣裳も素晴らしく、トゥーランドット姫の登場の場面はアカデミー賞のオスカーのような金色のドレス、それが謎が解かれてしまうと白のドレスに着替えさせられ、第3幕では自分を守る鎧のようなプラスチックのドレスを着たり。衣裳での心理描写も巧みで、それが私たちの解釈を深めるのにも役に立っています。
Opera Turandot Trailer / オペラ『トゥーランドット』告知動画
――『トゥーランドット』といえば、もう一人の女性リューの存在、そして結末も様々な演出の仕方があります。具体的には本番の楽しみにとっておいた方がいいと思いますが、今回の東京二期会の上演は、プッチーニが未完で(音楽スケッチのみで)残した第3幕の後半を、現代作曲家ルチアーノ・ベリオが完成させた補作版を使っているのも特徴ですね。最近はベリオ版の上演も多くなっている様ですが、とても美しい音楽だと思います。
昨年夏のプッチーニ音楽祭もベリオ版でした。歌詞や歌う部分の音楽は基本的に変わりませんが、オーケストラはやはり時代が違う響きを持っていますし、新しい発見があります。トゥーランドットのカラフへの気持ちの変化がより深く書き込まれていると感じています。リューの存在については、愛のために死んだリューを見てトゥーランドットはその影響を受け、それで彼女の内面が変わっていく。そのことはプッチーニの音楽自体にも表現されていると思うのです。
――最後に、この公演を観る方へのおすすめポイント、そしてメッセージがあればお願いします。
『トゥーランドット』はプッチーニの最後の作品だけあってやはり彼の集大成というか、どこをとっても素晴らしい音楽です。トゥーランドット姫の歌う部分も、彼女の登場の場面など見せ場、聴かせ所は多いですし、その他にもカラフの有名なアリア「誰も寝てはならぬ」は、そのためにこのオペラを聴きにいらっしゃる方もいるであろう名場面です。リューの美しいアリア、そしてピンパンポンが舞台を盛り上げるのを楽しみにしていらっしゃる方も多いと思います。またオーケストラと合唱の迫力はプッチーニのどの作品よりも大きいものです。今回はそれに加えて演出、そしてチームラボさんが作り出す映像空間で、誰もが楽しめる舞台になるのではないかと思います。私自身はお客様からの応援とエネルギーをいつも感じていますので、感謝を忘れずに、今回が自分の最高の歌でした、と言えるように頑張りたいと思います。
取材・文=井内美香 撮影=長澤直子
公演情報
東京二期会オペラ劇場
『トゥーランドット』〈新制作〉
オペラ全3幕(ルチアーノ・ベリオによる第3幕補作版)
会場:東京文化会館 大ホール
演出:ダニエル・クレーマー
ステージデザイン:チームラボアーキテクツ
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
田崎尚美
牧川修一
ジョンハオ
樋口達哉
竹多倫子
小林啓倫
児玉和弘
新海康仁
増原英也
土屋優子
川上洋司
河野鉄平
城宏憲
谷原めぐみ
大川博
大川信之
市川浩平
井上雅人
■料金: S 22,000円、A 18,000円、B 14,000円、C 10,000円、D 6,000円、E 2,000円、学生 2,000円
*2月24日 (金) 公演は、平日マチネ特別料金=S - B席1,000円引き
共同制作:ジュネーヴ大劇場・東京二期会オペラ劇場
チームラボ協賛:株式会社ジーシー