「東京ドームの3万人が泣きながら笑った夜」武藤敬司引退試合リポート

コラム
スポーツ
2023.2.28
 photograph by Yasutaka Nakamizo

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【プロレスラー武藤敬司の“今”と“過去”】

 
東京ドームに駆け付けた、おじさん達が泣きながら笑っていた。
 
令和5年2月21日夜、武藤敬司の引退試合は、内藤哲也のディスティーノに沈んだ直後、マイクを持って別れの挨拶……と思ったら、「まだ灰にもなっていねえや。どうしてもやりたいことがひとつあるんだよな。蝶野! 俺と戦え!」と思い出に宣戦布告。解説席の蝶野正洋と観戦していたタイガー服部をレフェリー役でリング上に呼び込んだ。
 
杖をついて花道を歩いた男が歯を食いしばり繰り出すシャイニングケンカキック。実況の辻よしなりは「一寸先はハプニング」なんて思わず絶叫。ゲスト席の棚橋弘至も鳴り響く「Fantastic City」にイチファンの顔に戻って手拍子。観客は、今のレスラー人生39年目を迎えた“60歳の武藤”と、“闘魂三銃士の武藤”にお別れをできたわけだ。
 
それにしても、最後までえげつないくらい武藤敬司だった。所属するノアの選手ではなく、現在の新日本プロレスで最も会場人気が高く集客力があり、かつ子どもの頃から自身に憧れていた内藤哲也を引退試合の相手に指名。
 
そして、ドームに3万人以上の観客動員とABEMAのPPV中継を売る(23日付の東スポによると推定10万件以上)という現実的なノルマをクリアした上で、試合ではドラゴンスクリュー、足4の字固め、シャイニングウィザードから、さらに飛ばないことで魅せるムーンサルトプレス。三沢光晴のエメラルド・フロウジョン。袈裟斬りチョップからDDTの橋本真也ムーブまで、武藤プロレスをしゃぶり尽くす全部乗せのフルコースを披露。
 
そして、最後は闘魂三銃士でのアンコールファイトだ。現地では武藤グッズを身につけた中年男性だけなく、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンのキャップをかぶった現在進行形の若いファンも多かった。要は、リアルとストーリーとノスタルジーのすべてが詰まった引退興行を実現させたわけだ。
 

【“武藤敬司世代”の内藤哲也】

プロレスは想像力と説得力だ。飛べないムーンサルトプレスに杖をついて入場した蝶野。それが弱点ではなく、一転フックとなり、物語を補完する。
 
帰りの電車でふと思う、4年前のインタビューでの「引退も何度も考えた、公には出してないけど。「蝶野、デビュー戦一緒にやって、引退試合も一緒にしたらカッコいいだろ」って話もしたことあるよ。あのヤロー、やめる気ないけど(笑)」(平成スポーツ史永久保存版プロレス/ベースボール・マガジン社)的な発言の数々は伏線だったのか。どの時点から作り込んでいたのか。いつの時代も家に着くまでドーム興行は終わらない。すんません、我ながらこれだからオールドファンは面倒臭い。
 
もちろん介錯人の内藤も難しい役をやり遂げた。カードが発表された時は決して賛否の賛だけではなかったからだ。どうしても、ファイナルロードに求められるのは、サプライズ(ザ・ロックとか)と美しきスイートメモリーズ(高田延彦ワンマッチ限定復帰的な)。だが、今の満身創痍の武藤との28分58秒のラストマッチは、まさにふたりで作り上げた作品でもあった。
 

82年生まれで40歳の内藤は、アントニオ猪木の全盛期はもちろん、初代タイガーマスクにも、UWF旋風にも間に合わなかったはずだ。80年前後生まれは悲しいけど全部後追い世代。スポーツ大好き内藤少年は巨人の原辰徳ファンで、プロレスでは武藤敬司に憧れて……って、引退試合の相手を務めるこの男は、当時の四番タツノリと天才武藤に夢中になった元ズンドコ少年たちの代表でもあるんじゃないだろうか。

実はメイン序盤から、現地では「あれ……武藤、マジで足大丈夫?」という声が聞こえていたのも事実で、傷だらけのプロレスリング・マスターの動きはちょっと危なっかしく、内藤が巧みにさりげなく引っ張って試合を構築している感すらあった(そこにあえて触れない唯我独尊ぶりもまた武藤敬司なわけだが)。中学時代に武藤が負けた試合に腹を立てて、録画したビデオをすぐ捨てるほどの大ファンが、その自らのアイドルの引き際を最高に引き立てるレスラーに成長したわけだ。

 

【土曜夕方4時の闘魂三銃士】

東京ドームのスタンドから、武藤対蝶野を堪能したあと、規制退場待ちでしばらく終演後も席で余韻に浸りながら、91年夏の第1回G1 CLIMAX決勝を思い出していた。両国に座ぶとんが舞い、リングから「1、2、3ダーッ!」で締める武藤・蝶野・橋本。俺ら金曜夜8時の猪木には間に合わなかったけど、土曜夕方4時の闘魂三銃士は強烈に覚えてるからさ。
 
土曜日の遅い午後、ガリガリ君片手に見た『ワールドプロレスリング』。それは異常にユルく時間が流れる少年時代の象徴でもあった。受験とか彼女とか出世レースより、ファミコンと少年ジャンプとプロレスがあればなんとかなったあの感じ。昨夜、多くの中年男は、その少年時代から楽しませてくれた恩人に別れを告げた。現役でいてくれたら、どこかであの頃から続いていると思えた時間が、ついに終わっちまう。
 
引退試合は儀式だ。学校の卒業式と同じで、そこに参加して精一杯の拍手を送ることに意味がある。正直、最後は蝶野とのロックアップだけで泣けたけど、不思議と湿っぽさはなかった。悔し泣きというより、嬉し泣きだったから。よくこれをやってくれた、本当にありがとうって感謝の涙。殺伐さとか潰し合いじゃなく、リングに残るのはプロレスLOVEの高揚感。客席はみんな幸せそうだった。
 
まさに最後のその瞬間まで、武藤敬司のプロレスそのものだったのである。
 
photograph by Yasutaka Nakamizo

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