前川知大×浜田信也×安井順平インタビュー~イキウメ最新作『人魂を届けに』は童話のようでありながら現実と地続きの物語
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これまで対の役が多かった浜田と安井 今回は?
安井順平
ーー浜田さんと安井さんの演じる役について教えてください。
前川:安井さんは八雲という刑務官で、人魂をその母親のところに届けに行く人です。浜ちゃんは葵という、その母親の家で暮らしている病人の1人ですが、他にも八雲の妻とか何役かやります。
ーー安井さんは現段階でご自分の役についてどのように感じていますか。
安井:人が死ぬ様を比較的見てるであろう職業の人です。なぜ人魂を届けに行くのかは別にそんなに書かれていないし、届けに行ったら行ったで人魂を渡してすぐに帰ればいいものを、帰らずにいつの間にか自分の身の上話をしていたりとか、人にあまり話さなくていいようなことまで話してしまうんですが、その理由も特に描かれていないんです。どう演じるのか難しいなと思っていますが、その母親という人に思わずいろいろしゃべってしまうというのは、ちょっと宗教的なところがあるのかなと。僕自身は初対面の人にそこまで喋れないから、どうして八雲はしゃべってしまうんだろう、と思うんですが、理屈じゃ説明できないようなことがそこにはあるんでしょうね。相手にすがっているのか、楽になろうとしてるのか……稽古の中で探しています。
――浜田さんの役はいかがでしょうか。
浜田:僕は森の家の住人の1人です。住人たちはみんな何かしら魂に深い傷を負っていて、その家で過ごすことで少しずつ回復していくのを待っている状態です。ここ数年の前川さんの作品は「個であり全体である」ということを扱うことが割と多いと感じていて、『外の道』のときもそうでしたし、2019年の『終わりのない』のときもそれをきっちりテーマとして扱っていましたが、そうした作品への出演を重ねることで、個人であると同時に全体のうちの一人であるという感覚が自分の中でわかってきたというか、「こういう使い方をすればすごく面白いな」という感覚が自分の中に芽生えてきているんです。今回も、舞台となる不思議な家を表現するときに、「個であり全体である」という要素がとても大事になってくるのかな、と思っています。あと、これまで安井さんとは様々な作品で対になる存在の役をやってきたんですよね。昨年再演した『関数ドミノ』のように“陰”と“陽”的な感じとか、バディになったりとか。
安井:確かに対が多いですね。
浜田:それがとうとう夫婦になった、と思って(笑)。
安井:それはね、僕も思ったんだよね(笑)。今回やっていて「これは何だか知らない感じだ」っていう感覚がめちゃくちゃあって。
浜田:どちらかというとネガティブとポジティブみたいな、二律背反的なものの象徴という役どころが多かったけど、今回は夫婦という、このパターンはとても新鮮です。安井さんとの夫婦役、楽しいですよ(笑)。
安井:夫婦の会話が結構リアルなんですよね。断片的にしか会話しない感じとか、言葉のキャッチボールがちゃんとできてない雰囲気というか、そういうところを書くのが前川さんは上手だなと思いながらやっています。今回も語りの部分が多い中で、こういう会話のシーンとの対比が楽しい感じはありますね。さっき浜ちゃんが「個であり全体である」と言ったけど、うちの劇団に「個であり全体である」という精神が染みついてきたのか、自分のことはさておいて、みたいな空気があるんですよね。自分以外のシーンについても、自分ごとのように見ていて、思ったことをお互いにどんどん話し合っていくので。「こういう作り方をしてるんですね」と、篠井英介さんにも言われました。「こういう稽古は初めてです。これはすごいですね。でも、大変ですね」って言われて(笑)。
前川:ああ、確かに夕方の休憩頃になると、ちょっと英介さん疲れてるのかな、と思う時があるね。
安井:思考して、考える稽古だから。「とにかく体動かして演技しましょう」じゃないから。劇団員も脳みそがクルクル回ってプシューってなってます。煙が出ている感じで(笑)。でもこれはね、しょうがないです。
浜田:しょうがないよね。
前川:うん、しょうがない。
安井:プシューってなって、それでも「ああでもない、こうでもない」とやってるのが劇団な感じがするんでね。
浜田:稽古の後半、朦朧とするもんね。
前川:15分のシーンを、普通に考えれば45分あれば3回練習できるんだけど、30分は話をして、残りの15分で1回やってみて、という感じで、話してる30分の間にもう「ふぅー」ってなるパターンあるもんね。
安井:でも、前川さんは潔いなと思うんですよ。例えば前川さんに「ここは、こういう感じなんですかね?」と聞いても「……わからないです」って返ってくることがあって。自分で書いておいてわからない、って素晴らしいなと思いますよね。「演出家もわからないなら、じゃあわかるように具現化しましょう」みたいな感じでやっていくことができるようになってきたんですよね、劇団が。前川さんの書いた中の、つかみどころのないものを劇団員がつかんでいくみたいな感じの稽古場なので、大変ではありますが。
――劇団に書き下ろす場合は、劇作家が100%理解している必要はないというか、完璧な戯曲を書き上げなくても、とにかく書いたものを持って行って、あとは劇団員のみんなで一緒に考えながら作っていく、ということができるのかなと思います。
前川:稽古場に持って行ってから考えればいいんだと思えることで、自分にストップをかけないで書けるから、そこはやっぱり劇団に書くときのいいところですね。劇団員もわかっていて慣れたもんだから、そこの安心感が強い分、今回の作品のように、自分の考えを超えているものが書けちゃうところはすごく大きいと思います。
>(NEXT)結成から20年 それぞれが感じる変化