【対談】宮田和弥×松岡充:バンドの成功、軋轢、そして音楽を続けていくこと
宮田和弥×松岡充
かたやJUN SKY WALKER(S)として、かたやSOPHIAとして、音楽シーンに一時代を築いたバンドのフロントマン、宮田和弥と松岡充。かつては同じ事務所の先輩・後輩の間柄だった彼らが時を経て、解散から大復活を遂げた新生JUN SKY WALKER(S)と、SOPHIAの活動休止後に結成したMICHAELという姿で、昨年開催された『MICHAEL Summer Night Circus2015』のステージで共演を果たした。バンドの成功、軋轢、そして音楽を続けていくこと。二人のヴォーカリストが、その経験を通して語る言葉の数々はどれも実に興味深く、また微笑ましくもある。いまだから話せる貴重なエピソードも明かされた、ヴォーカリスト対談が実現。
「昔、洗車場で和弥さんから“お前はいま夢に乗ってるんだ。でもこの夢はいつか終わる。だけど、その先があるんだぞ”といわれたんです」(松岡)
――宮田さんと松岡さんがバンドで共演すること自体、珍しいですよね?
宮田和弥(以下、宮田):昨年夏、MICHAEL主宰のイベントで初めて共演しまして……。あれ、初めてじゃないの?
松岡充(以下、松岡):はい。細かくいうと、前座をやらせてもらってます。SOPHIAがデビュー前で、ジュンスカが学祭ツアーをやっていらっしゃったときに。
宮田:あー、そうそう! SOPHIAと同じようにミスチル(Mr.Children)も俺らの学祭ツアーの前座をやったりしてたんですよ。
――ミスチルも同じレコード会社でしたものね。
松岡:そうですね。でも観客の皆さんは当然ジュンスカを見に来ているので、そこに俺らみたいな化粧した5人が出て行ったから大ブーイングでしたよ。
宮田:そうかそうか(微笑)。それでその後、僕は当時いた事務所のスタッフに誘われて、デビュー前のSOPHIAを大阪で観たんだよ。
――アマチュア時代のSOPHIAはどうでしたか?
宮田:歌メロがキャッチーなバンドという印象だったかな。メロディがあって歌詞が聴こえて。僕らの時代の化粧したヴィジュアル系バンドといえば、X JAPANくらいだったので。彼らとは一緒にコンテストに出たりもしていましたね。
――うわー(笑)。すごいエピソード。
宮田:だから、SOPHIAはヴィジュアル系だとは思いませんでしたよ。
――では、松岡さんから見た当時のジュンスカは?
松岡:ホコ天から生まれたスターという感じで、伝説的な感じがありました。そんなジュンスカの事務所に僕らは入れたので、ジャンルは全然違うけれどすごく嬉しかったんです。
宮田:そうなんだ(微笑)。
松岡:はい。そこから和弥さんとのお付き合いが始まって。和弥さんは最初から優しくて、可愛がってもらいました。家に呼んで頂いたり、洋服を頂いたり。僕、当時は和弥さんから頂いた洋服をライブで着てましたから。
――SOPHIAのライブで?
松岡:はい、アンコールのときに。和弥さんには本当に面倒見がよくて。いろんな話もしてくれましたしね。音楽の話もそうですし、デビューして活動していくなかで、一番大事にしなきゃいけないこととか。和弥さんは“お前らこうだぞ”みたいな説教くさい言い方はまったくしないんです。“うんうん”ってちゃんと話を聞いてくれるんです。そのなかですごく憶えているエピソードがあって。今日、和弥さんとの対談だったから、洗車したんですけど。和弥さんと洗車場で会ったの、憶えてます?
宮田:ああ~、ハイハイハイ。憶えてる憶えてる(微笑)。あの洗車場もうないけどね。
松岡:僕はそのとき、BMWの新しいヤツに乗ってたんですけど、和弥さんも以前、派手なスポーツカーに乗っていたのを知っていました。真っ赤なスポーツカーに乗って武道館にバーンと乗りつける、みたいな。
――カッコいい! まさにロックスター!!
松岡:そうなんです! ライブのときだけ(笑)、乗るのは。しかもファイナルの武道館だけ。それがロックスターだというのを、和弥さんや多くのロックスターを見て育ってきたので、僕はコルベットに乗りました。ただ僕が乗り出した頃は、和弥さんはもう落ち着いていらっしゃって。チェロキーでしたっけ?
宮田:そうだね。釣りに行ったり、家族のことも考えて大きい車にしちゃったんだよね。
松岡:それで、僕が派手なスポーツカーに乗ってるとき、その洗車場で和弥さんに「充、お前はいま夢に乗ってるんだぞ。でもこの夢はいつか終わる。もしかしたらこの車を手放すときが夢の終わりかもしれない。だけど、その先があるんだぞ」といわれたんですよ。正直、そのときは“何いってるんだろう?”って、分からなかった。でも、いまは分かるんです。
――その言葉の意味が。
松岡:はい。
宮田:そんなこともあったね(微笑)。
松岡:夢っていうのは一つじゃないぞ、お前らがいま思っている夢は現実の夢とはまた違うものなんだっていうことを、洗車しながらサラッといっていたんですよ。
宮田和弥×松岡充
「僕も影響を受けた先人達から習ったり、してもらったことをしているだけ。僕がやっていることは特別なことではないんだよ」(宮田)
――先輩からしか聞けないそんな深いい話を、洗車しながらっていうところがカッコいい。
宮田:僕ね、思いつきでいろんなことをいうので、それを充にいったのははっきりとは憶えてないんだけど(笑)。でも、その夢の話というのは、名古屋にあるE.L.L.というライブハウスの社長の影響で。その社長はポルシェに乗っているんですけど、「夢を売る商売をしてるヤツは夢に乗らなきゃいけないんだ」っていう名言をいっていて。僕はその話を聞いていたから、ジュンスカでメジャーデビューしてすぐにアメ車のスポーツカーを買ったんですよ。
松岡:なんでバカでかい、派手なアメ車のスポーツカーだったんですか?
宮田:アメ車のスポーツカーが僕の中で夢の車だったの。フェラーリとかポルシェのエンジンとは違って、ロック感があったから。僕のイメージでは。でも、3年間持ってたんだけど、乗ったのはそのうちの2週間ぐらい。
一同:(笑)
宮田:それこそ、入りが目立つような会場に乗って行っただけで、それ以外はほとんど修理に出してたからね(笑)。
――それ、どう考えても不経済な買い物ですよね?
宮田:そうなんだけど、夢に乗ってるんだからいいんですよ(微笑)。でも、充もいつかはその車を手放すときが来る。いいときもあれば悪い時もあるから。けど、その先にいろんな楽しいこともあるんだぞっていうことを、僕なりにいったんだと思う。自分の経験を踏まえて。
松岡:だから僕、その後チェロキーを買いましたからね。釣りも好きだったし。
宮田:同じ場所でやってたこともあったね。
――えぇー。すべて宮田さんの後を追って。
松岡:はい。オン/オフともに和弥さんの影響はすっごく受けているんです、実は。って僕は思っているんですけど。その後にいろいろ……まあ事務所に後輩として入ってきたthe PeteBestはいいとしても……175Rとかジュンスカフォロワーみたいなバンドがたくさんデビューしてきましたね。和弥さんはこういう性格だから、その子達も可愛がってて、先輩・後輩として一緒にメディアに出たりしていたんですよ。でも、僕らは毛色が違ったからそういう機会がなくて。去年イベントで共演して、やっとみんなに気づいてもらえたんですよ。関西にいた頃の先輩が西川(貴教)さんで、「お前、東京に来いよ」といってくれたのが(河村)隆一さん。そこまではファンの人たちも知っています。でも、和弥さんは僕のなかでは“育ての兄”みたいな存在なんです。だけど、そこはあんまり知られてなかったので。
宮田:いわれてみるとそうかもしれないね。
松岡:だから、そういうのにジェラシーがあったんですよ。僕としては。
宮田:いやいや、そんなことないから(笑)。
松岡:いや、あるんですよ(キッパリ)。後輩ならではの歯がゆさが、そこには。
宮田:それは、僕も(忌野)清志郎さんとか石橋凌さんが誰かと飲みに行ったっていう噂を聞くと“なんだ、俺じゃないんだ”って思ったから。そのジェラシーは分かる。
――宮田さんも、いまおっしゃっていた先輩方に可愛がられてきた訳ですか?
宮田:そうです。当時は清志郎さんの家や石橋凌さんの家に遊びに行ったりしてましたね。
松岡:すげぇ……(絶句)。
――そういう先輩方から、洗車場で宮田さんが松岡さんにおっしゃったようなアドバイスをもらった経験も?
宮田:ありますよ。清志郎さんに、俺がジュンスカ解散しますって伝えに行ったとき、清志郎さんは「いまから人生は長いんだぞ」といってくれたんだけど。そのときに、昔家族で鹿児島に温泉旅行に行ったときのことを話してくれて。鹿児島のどこかの駅のホームで、学生カバンにジュンスカのステッカーをいっぱい貼った女子高生たちが、ジュンスカの曲を歌いながら目の前を通り過ぎて行ったんだって。それを見たときに“俺の時代は終わったんだな、いまはコイツらの時代なんだな”と思ったんだって。そのうちRC(サクセション)は活動休止に入るんだけど。「和弥もこの先そういうこともあるだろう。だけど、音楽は続いていくんだ」ということをいっていたんですよ。だから、さっきの洗車場での話っていうのは、そうやって俺が清志郎さんとかからもらったものを、充にいっているのかもしれないよね。いましゃべっててそう思ったよ。
――宮田さんにも素晴らしいロックレジェンドの先輩方がいらっしゃったんですね。
宮田:いましたよ。清志郎さんって、人前では絶対にそういうことはいわないんですよ。ラジオとかに呼ばれると、「釣りをやっているのはロックなのか?」「お前なんかアイドルのくせに」とか、そういうことしかいわない(笑)。だけど飲みの席では励ましてもらったりしたよね。
松岡:わぁ…(感嘆)、すげぇ。
宮田:(石橋)凌さんの家に呼んでもらったときは、奥さんの原田美枝子さんがまだお子さんにおっぱいあげてる頃だったんだけど。「お前もいつかは子供ができてこういう時期もあると思うから、そういう時間を大切にしろよ」みたいなことを教えてもらったり。そうやって、僕も影響を受けたロックンロールの先人達から習ったり、してもらったことをしているだけなんだよ。だから、僕がやっていることは特別なことではない。ただ、いまこうして話していて、ジェラシーとかさ、そういうことを感じていたんだというのを聞けたのはよかったな。僕も清志郎さんが他の人とセッションしたりしてると“何で俺じゃないんだよ”って思ってたから。その気持ちは分かるからね。
宮田和弥×松岡充
「ジュンスカによって救われる人たちの気持ちが、むしろ俺自身を救っているんだなということに気付いて。だから、きっとSOPHIAにもそういうときがあるんじゃないかなって思うんです」宮田
――こうしてロックンロールの先人達の教えが次の世代へと継がれていくんですね。
宮田:継がれていきますね。逆に僕が、充がいっていた言葉でいいなと思ったのは「ポリシーを持たないことがポリシー」っていう言葉。
松岡:そんなこといってたんですか? 生意気ですね。すみません(大苦笑)。
宮田:いや、それはすごくいいなと思ったから自分の言葉として何回か使わせてもらったこともある。
一同:(爆笑)
松岡:うわー(笑)。ありがとうございます。
宮田:あとね、充は俺の影響を受けたっていうけど、俺はSOPHIAの武道館とか観に行って思うよ、充はライブの構成が上手いよね。最初は勢いよく挨拶から始まって、和やかな笑えるコーナーもあって、でも最後にはビシッとした話をキメてみんなを感動させて終わる。そのエンターテインメントさは凄いなと思った。俺は最後の大事なところでちゃらけたりするから(笑)、キメるのを恥ずかしがって。でも、充は恥ずかしがらないでビシッとできる。その強さというか、勇気というのかな、尊敬する。この間MICHAELのライブを観ても、そこは変わってなかったよ。
松岡:(笑顔で)嬉しい。ちゃんと見てくれてたんですね。実は僕らのイベントにジュンスカに出てもらおうっていうことを一番最初に考えたとき、“いや、まだダメだろう”というのが僕の中にはあったんです。SOPHIAだったらいいんだけど、まだスタートしたばかりのMICHAELで声をかけるのはおこがましいんじゃないのかなというのがありまして。だから、スタッフを通して声をかけさせてもらったんです。
宮田:俺もいまだからいうけど、あの誘いが来たとき一番最初はね、 “SOPHIAの充で俺を呼べよ”みたいなところはあったよ。実はね。
松岡:それはそうだと思います。
宮田:でも、メンバーに聞いてみたら、森純太(G)が「充君がせっかく誘ってくれてるんなら出ようぜ」っていったの。
松岡:うわぁ~本当ですか(感動)!?
宮田:俺は、JUN SKY WALKER(S)という看板を背負って俺が行くなら、そこには、SOPHIAという看板で充にも来て欲しいっていう、その気持ちが半々だったの。ところが、森純太を筆頭に、(寺岡)呼人(B)も小林(雅之/Dr)も「出よう」っていってきたから「よしやろう」って決まったの。そういう心の変動はあった。
松岡:それは分かってました。本当はSOPHIAで声をかけさせていただくのが一番よかったんですけど。
宮田:僕は、いつかSOPHIAをやってもらいたい派なので、そのイベントに出たときもMCでわざといったんだけど。「やり続けてれば、いつかみんなの気持ちが解けるときがくるんじゃないかな」って。
宮田和弥×松岡充
――宮田さん自身、ジュンスカでリアルにそれを体験している訳ですものね。
松岡:そこがね、すっごく素敵だなと思うんですよ。あのいつも寡黙な小林さんが「やらない?」っていったんですよね?
宮田:そう(微笑)。俺と森純太がめちゃくちゃ仲悪かったからね。お互い電話番号消去して、スタジオですれ違っても目も合わさない。
松岡:マジっすか?
宮田:うん。それぐらい険悪だったから。そこから時が過ぎて、小林が「みんなやらない?」って声をかけていってくれたんだけど。俺はそれぐらい険悪だったから、もう絶対やらないって思ってたんだよ。
――再結成する気はなかった訳ですね。
宮田:ええ。でも、時間が経つなかで、震災があったり、再結成を喜ぶファンとかの声を聞いていると、“ジュンスカっていいんだな”って価値観が変わってきたんですよ。ジュンスカによって救われる人たちの気持ちが、むしろ俺自身を救っているんだなということに気付いて、完全復活をして、いまに至るんだけど。だから、きっとSOPHIAにも人生のなかでそういうときがあるんじゃないかなって思うんです。それがいつになるかは分からないけど。充はリーダーだし、みんなの気持ちを待つしかないと思うから大変だと思うけど。でも、俺はみんなの気持ちが解けていつかSOPHIAをやるチャンスがあったら絶対にやるべきだと思うから。みんながまた一緒にステージに立つことがあったら、そのときは共演したいよね。
松岡:嬉しいことです。
――それでは、改めてこうして対談をやってみていかがでしたか?
宮田:充のしゃべる感じとか、自分の中にもあるものだったりするから、非常に楽しかったです。またこの先も、MICHAELから見えてくる次の扉を開けていくんだろうけれども、俺もそれをずっと見ていきたいなと思うし。また、対バンもぜひやりたいなと。一緒のステージに立ちたいなと思いますので、お互い頑張りましょう。
松岡:こうして近い場所で和弥さんが背中を見せてくれているのはすごく刺激になるので、本当に僕が胸を貸して下さいということが、これからも多いと思うんですが、そのときはよろしくお願いします!
――では最後に、お二人にとって人生のSPICEとは?
宮田:ちょっとした暴言を吐くこと(笑)。少し前にツイッターのこととかありましたけど、なにかのタイミングでそういうことをやっちゃうんです、性格的に。そういうスパイスで、自分もここまで転がってこられたのかなと(笑)。
松岡:僕もちょっとした無茶をすることがスパイスですね。なんで僕が無茶できるのかというと、傷ついたり騙されたり悲しいことっていっぱいあるじゃないですか? けど、僕はそういうときに“これだけですんだのはここまで頑張ってきたからだ”っていう風に考えるから、あんまりクヨクヨしないんです。無茶な冒険をしても、その前にちゃんとラッキーを貯金しているから、それを使ってする冒険だからマイナスにはならない。プラマイ0になるだけ。だから無茶なことをするんです、たまに。いろんな意味で。
宮田:失敗こそがスパイスなんだね。僕も充も成功したことはたくさんあると思うのね。でも、失敗したことのほうが自分のスパイスとなって人生を豊かにしているのかなと思う。失敗しても、くじけないで転がり続けることがその人の人生を豊かにするんだと思います。
撮影=大塚秀美 インタビュー・文=東條祥恵
松岡充×宮田和弥
『宮田和弥「50th BIRTHDAY LIVE」』
1月22日(金) 京都 磔磔
2月1日(月) Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASURE
『世良公則 60th Anniversary LIVE 「Birth」 ~タカガウマレタヒ~』
2月6日(土) 福岡サンパレスホテル&ホール
『満月キャラバン Vol.42』
3月13日(日)浄土宗大本山 光明寺 大殿
『ROOTS 66 -Naughty 50-』
3月25日(金)仙台サンプラザホール
3月27日(日)日本武道館
4月3日(日)大阪城ホール
アルバム『BACK BAD BEAT(S)』
発売中
初回限定盤(2CD+DVD) QAIR-30007 4,300円+税
通常盤(2CD) QAIR-10019 ¥3,700+税
2016年1月27日発売
QAIR-50001 ¥5,800+税
1月20日(水)日本武道館
1月21日(木)日本武道館
http://www.tv-asahi.co.jp/ghost/eiyusai2016/
オフブロードウェイミュージカル 『Forever Plaid』
4月26日(火)志木市民会館パルシティ
4月28日(木)石橋文化センター 石橋文化ホール
5月1日(日)島根県芸術文化センター「グラントワ」
5月2日(月)~5月5日(木・祝)サンケイホールブリ―ゼ
5月7日(土)刈谷市総合文化センター 大ホール
5月8日(日)富山県民会館ホール
5月18日(水)~30日(月)東京グローブ座
5月11日(水)高知市文化プラザかるぽーと 大ホール
5月12日(木)サンポートホール高松 大ホール
5月15日(日)熊谷文化創造館 さくらめいと 太陽のホール
6月1日(水)君津市民文化ホール 大ホール
6月2日(木)電力ホール
6月4日(土)~6月5日(日)KAAT神奈川芸術劇場<ホール>
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