ピアニスト務川慧悟、”花火”打ち上げ幕を閉じた5夜連続演奏会~挑戦の果て、最終夜にみえた景色とは【レポート】

レポート
クラシック
2024.1.10

客席の期待もマックスに高まる中、務川がステージに登場。最終日にして疲れた様子もなく、いつも通りの爽やかな印象だ。しかし、当夜、ボルテージが上がっていたのは何も聴衆だけではない。演奏者本人である務川もまた冒頭第一曲目のバッハ「半音階的幻想曲とフーガ」から、脂ののった集中力みなぎる演奏を聴かせた。通常なら、この作品の性格からして “ボルテージ” や “高揚感” といった言葉はかけ離れているような感じがするが、前半の幻想曲からその鮮やかで華麗な技巧の冴えもあいまってモダニズム感あふれる、いやむしろ現代性の片鱗すら感じさせる斬新でエネルギッシュな演奏を聴かせた。

4日の初日にも同作品の演奏を聴いたが、(4日)前半に演奏したバッハ「フランス風序曲」(30分もする大組曲)の古楽器演奏を思わせる超古典的なアプローチとは明らかに異なり、(良い意味で)アグレッシブかつ大胆に攻める。全身にみなぎる小気味よい瞬発力を生かし、鍵盤を縦横無尽にダイナミックに使いこなしていたのが印象的だった。まがりなりに現代性とまでいかなくとも、その斬新な色彩感と和声感において、務川の中で間違いなく、より近代的な要素を持ってこの作品をとらえようと意図していたのではないだろうかと思われた。事前のインタビューでも務川は「バッハこそ自由な発想とスタイルで演奏されるべき」と力強く語っていたのを思い出した。

後半のフーガにおいても初日4日の演奏よりもさらに練り上げられた感があった。半音階で構成された不穏な空気感を漂わせるフーガの主題が織りなす深遠なる音の世界、そして絶え間なく前進し続ける迷宮的な音の世界を、完璧な技巧で、幾度となく現れる主題の反復を軸に理知的に展開し、最後のカタルシス的フィナーレまで段階的に緻密に練り上げてゆく構成感。それは初日の演奏でも大いに感じられたが、当夜は、よりいっそう、その鮮やかなタッチによるものなのか、滑り出しの一曲目の演奏とは思えぬほどの密度の高い熱量と気迫でいとも鮮やかに、この荘厳なる作品を客席空間に響き渡らせた。全面的にかなりテヌート気味に鍵盤をなぞらえているにもかかわらず、あのギャラントで華麗なる絶妙なタッチは、ドビュッシーなどのフランスのレパートリーを極めつつある務川ならではの持ち味だろう。重厚感や精神性といった通常のバッハの世界観を超えた独自のバッハ感を見事に呈示していた。

そして、二曲目のフランク「プレリュード、コラールとフーガ」。初日4日の演奏ですでに度肝を抜かれたが、当夜の演奏では、自らを完全に解き放ったかのように柔軟でダイナミックなテンペラメントを発揮しつつも、その起伏のある感情を見事にコントロールする余裕すら感じさせた。前半プレリュードの冒頭部分から初日よりもよりいっそう深みを増した美しい和声を紡ぎだし、もはや“幽玄”という言葉がふさわしい程に熟成度を増していた。オルゲルプンクトを思わせる重厚な左手バスの進行と、得も言われぬ神秘的なハーモニーが交錯するアルペッジョの連続をバランスよく、そして垂直の重厚な響きをほのかに燻らせながらもダイナミクスを巧みにコントロールし長大なフレーズを描きだしてゆく様は、現代性を帯びたバッハとは対照的に前時代的な時の流れの濃密さを感じさせる芳醇な美しさにあふれていた。

特に後半フーガでのクライマックスの築き上げ方は、務川がピアノという楽器の性能を知り尽くし、そのスペックを極限にまで活かしきることができる能力を十二分に備えているからこそのものだと実感せざるを得なかった。彼岸の境地にも近いある種の諦念の観に達しながらも、内面から湧き上がる抑えがたいエネルギーとの対立によって、むしろすべての感情から解き放たれてこそ生まれでる凄まじい音の波が音響空間を席巻していた。
この壮大な作品において、務川の中では明確なストーリー、それがダンテなのかプルーストなのか、はたまた務川独自の創作の世界なのかは知る由もないが、明確な詩的世界が彼の脳裏の中で音とともに描きだされていたのは間違いないだろう。
また、この最終日の演奏を改めて聴いて、ピアノという楽器がオーケストラや聖堂のパイプオルガンのように一つの宇宙観を惜しみなく描きだせるものであるということを見事に証明してくれた。

通常なら、ここで休憩をはさむところだろうが、続いて演奏されたのはドビュッシー「前奏曲第二集」から「酒の門」⇒「ヒース」⇒「カノープ」。本来Bプロでは、これに「花火」も演奏されたが、最終日の当夜は、モノクロ的水墨画の世界にあえて「亜麻色の髪の乙女」(同前奏曲第一集より) を挿入。緊張感あふれる流れにほのぼのとしたオアシス的空気感が吹き込まれた。「酒の門」 では務川節全開の、みずみずしい響きと絶妙なタッチによる音響的効果の妙を存分に聴かせ、次なる「ヒース」では務川らしさのもう一面である朴訥とした美しさをストレートに表現した。こういう、いわゆる “平易そうに聞こえる” 曲でもパースペクティブ、いわゆる遠近法的な寄り引きの描き方が圧倒的に上手い。

これらの自家薬籠中の作品群を弾きこなし、バッハ的世界から少し会場の空気感も変化したところで、突入したショパン「バラード 第4番」と同ポロネーズ 第6番「英雄」。ともに1842年に作曲されたものだ。創作においてはショパン円熟期の絶頂を迎えつつも、私生活や感情面においては苦しい時期に書かれたというこの二曲(務川談)を、ともに「苦しみを乗り越えた芯のある強さが表現された作品」という文脈で捉えて欲しいという思いから、あえて二作品並べての演奏だという。

「バラード4番」——冒頭のユニゾン(ソの音の連なり)の続くあの数小節からすでに務川が目指そうとする方向性が感じられるほど意志の強い音だった。その響きは作品全体像をも描きだすほどの力がみなぎっていた。
第一主題———舟歌のごとく水面をたゆたうような響きは美しいのみならず、その饒舌さに心を奪われる。ショパンのまどろむような感情に務川自身が同調しているかのようだ。その緩急を利かせた絶妙な間の取り方の駆け引きなどは、務川のショパンに対する天性のセンスを感じずにはいられない。この作品を構成する一つひとつの細やかなパーツ――それは、目くるめく変化するものだが、どれ一つとして流れの中に埋没させること無く、感情の襞を繊細に、しかし多彩な言語で雄弁に語り紡ぐ。その円熟味あふれると言って良い程の音の持つ‟包容力“は、熱量というものとも異なる、まさに老練のピアニストのみが到達し得る境地に近いものだった。それは務川が長い時間をかけて一つひとつの音に込め続けた深い思索の結晶というべきだろうか。
コーダからフィナーレに向かってのくだりは、高揚感などという陳腐なものではなく、まさに心技体が一体となった神がかかった凄まじさがあった。前夜にも同曲の演奏を聴いたが、やはり当夜の最終日における心と身体の統合感、そしてメンタルの充足ぶりは、5日目にして到達したある種、一期一会のような強烈なものがあり、まるでショパンの魂が務川に乗り移っていたかのようだった、という言葉も決して大仰ではないように思えた。

そして、「内なる情熱を秘め、苦しみを克服した英雄の凱旋……」———「英雄ポロネーズ」。「英雄」は当夜のプログラムだけに挿入されたまさにスペシャルな演奏だが、あまりの上手さと洒脱なカッコよさに「しびれた」というのが率直な感想だ。務川のエレガントで美的感覚に満ちた演奏は、むしろポロネーズというよりもパリ社交界で披露される華麗なるワルツを思わせるものだが、優雅なたたずまいの中に描きだされた、ガラスのように繊細ながらも悲壮感あふれる‟英雄”の姿が聴き手の心を揺さぶってやまないのだ。まるでショパンの姿そのものを思わせるようなはかなさも感じられるほどだった。

ここまで来れば普通は集中力が枯渇しそうなものだが、務川はここでも果敢にトークを挟み、プログラムの最後を飾る バッハ=ブゾーニ「シャコンヌ」について解説を加える。また、ここで5日間連続演奏会を半ば終えての実感を自ら語っていたのも印象的だった。

「精神的な疲労感はもちろんあったが、つねに音楽と演奏会のことばかり考えていたので、自身の中で音を感じるセンサーが日々、研ぎ澄まされ、浄化されてゆくのを感じた。そのようなプロセスを経て、よりいっそう頭の中が音楽だけで満たされてゆくという稀有な経験ができたことに何よりも感謝しています」と率直な思いを述べていた。

5日の壮大な連続演奏会を締めくくる最後の大曲。バッハ=ブゾーニ「シャコンヌ」。こちらは、まさに近代の作曲家ブゾーニの感性によって新たに描きだされたバッハ像だ。務川は全体的に速めのテンポで冒頭から斬新なアプローチを際立たせる。しかし、その斬新な様式感と弾き手の精神の深さの(良い意味での)乖離が興味深い。テンポ感や音質の軽やかさとは対照的に、務川は自らに真っ向から対峙するように、そして原曲の世界観を投影すべく、自らに課したテンポを揺らすことなくストイックな音の流れを描きだす。やはり、そのような中にも独特なしなやかさがあるのは務川の独自の個性でありスタイルだ。

務川は事前のトークで、この長大な作品を4つの盛り上がりのある構成感というかたちでわかりやすく聴衆に説明した。二回目の盛り上がりに向けては、近代ピアノのメカニズムの限界値を行く超絶技巧をいとも容易に駆使し、自らの導きだす音の奔流に確固たる信念を込めて壮大な音の波を描きだした。三回目の唯一の長調による盛り上がりでは、あふれんばかりの喜びが全身からあふれ出ていた。そして、最後の短調による盛り上がりでは、すべての集大成らしく、間の取り方一つにしても強烈な思い入れが感じられ、驚異的な集中力を保ったまま最後まで突き進んだ。

全曲演奏を終えた務川は、驚くことに疲れた表情一つなく、むしろ晴れやかな面持ちとともに客席に語りかける。

「5日間、学びの連続で未熟さも感じましたが、その姿もお客様に見ていただいたことで、今後もつねに向き合っていきたいと思います」と一言。

アンコール二曲は撮影可能というファンにとっては待望のプレゼント付きだ。一曲目はBプロでも演奏されたシューマン「こどものためのアルバム」より「無題」、そして、二曲目は、あえて先ほどのドビュッシー「前奏曲 第二集」の演奏から外してアンコールで披露したという「花火」。「なぜなら“花火”で打ち上げたかったからです」という務川の満を持しての言葉に会場からも割れんばかりの拍手が贈られた。まさに華麗な打ち上げ―———色彩豊かに、スリリングな演奏を聴かせ、5日にわたる壮大な日々を締めくくった。

取材・文=朝岡久美子 撮影=池上夢貢

今後の出演予定

横浜みなとみらいホール 開館25周年記念
『Japan National Orchestra ロマン派協奏曲 前夜祭演奏会』
 
日程・会場:2024年3月19日(火)19:00 横浜みなとみらいホール
指揮:反田恭平
出演:エリック・ルー(Pf)務川慧悟
プログラム(予定):​グリーグ/ピアノ協奏曲イ短調 Op.16(務川)他
 
その他のコンサートは務川慧悟HPにてご確認ください https://keigomukawa.com/concert/
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