「この世の中にうんざりで嫌気が差している」田中哲司、安達祐実、でんでん、赤堀雅秋が語る『ボイラーマン』取材会
マイナス部分も平気で出していく。それが人間臭さであり魅力(でんでん)
でんでん
――今回の台本についてうかがいたいのですが、赤堀作品常連の田中さんが「やばいところに手を突っ込んだ」とおっしゃっていました。それはどういうところに感じられたのでしょうか?
田中 ワンシチュエーションで場面が変わらないのと、時間的には一夜ですよね?
赤堀 一夜の予定です。今の想定だと、一場が22時すぎから、二場が午前0時すぎから、三場が午前4時すぎから、というような三場構成です。
田中 設定が夜のみとは初めてです。屋外ですし、赤堀くん得意のカラオケも出てこないし、飲み屋のママも出てこない。演劇的にハードルが高いところにいったなと思いましたし、赤堀くんの作品を観慣れた人には新鮮なはずです。今のところ赤堀くん節は出ているので、最後まで行き詰まらないでほしいですね(笑)。
赤堀 既に2回くらい行き詰まってますけど、がんばります(笑)。
――安達さんは赤堀さんのホンのどんなところに人間的な魅力を感じましたか?
安達 一人の人間の中にいろんなものを持っている。表面で見せていることと違うことを内包していたりするような。そのいびつさだったりに人間の素敵さがあるんだろうなと思うので。そこが出てくるのが素敵な部分なんだろうなと思っています。
――でんでんさんは赤堀舞台作品は2回目ですが、赤堀さんの描く人間の魅力ってどういうところにあると思われますか?
でんでん 人間臭いんじゃないですかね。マイナス部分も平気で出していく。それが人間臭さであり、それがまた人間としての魅力でもあるんだろうと。良いところを少ししか出さないんだけど、ダメな部分をいっぱい出しておいて出すから、そのちょっとしたことがすごく効いてくるようなホンだとは思います。「人間らしくやる」とか「○○らしくやろう」とかじゃなく、そのままのものをぶつけていかないことには成立が甘くなってきますし。
――そういう役を演じる時はどう臨んでいかれるのですか?
でんでん 余分なことをやることですね。そこから削っていく。はじめから押さえていって調子を上げていくようじゃ、そう簡単には上がるもんじゃないから。最初に余分なことをバーッと。空回り気味でも最近はそういうふうにしています。悔いのないようにやりたいから、とにかく思い切ってやる。この歳になってくると、いろんな奴の力をちょっと借りながらやるんです。仲間とかね。仲間の代わりに演じている(感覚)とか。そういうふうにして役をつくって。この歳になってそういうふうになってきました。そういうのもけっこう楽しみなんですよ。
――赤堀さん、お三方の役どころや作品の中で担う部分をお聞かせいただけますでしょうか。
赤堀 それは俺が一番知りたいですね(笑)。でも今までの自分の作品と違うのは、普段はちゃんと役名があって年齢も明記して、役の関係性も明らかでっていうところから描いていくんですけど、今回は敢えて、別役実さんじゃないけど、「男1」「女2」というような書き方をしています。ただ感覚の話ですけど、(劇作家として)「男1」「女2」っていうほど人物との距離が離れているわけではないので、「中年男」とか「喪服の女」とか。「老人」とか書いて申し訳ないですけど。
でんでん ほんとだよ。しかもそれでみんな納得してるからさ(笑)。せめて「老人の中の老人」とかさ。
一同 (笑)
赤堀 だから今回は劇作家として、人物との距離の取り方は今までとちょっと違いますね。あとはなんとなく、これはあくまで僕の勝手な思いですが、昨今流れている雰囲気というか風潮には、なんかすごく閉塞感があって。いろんな想いが飽和状態で、これはコロナが拍車をかけた部分もあるんでしょうけど、もう破裂寸前、暴発してしまいそうな気がしていて。「清廉潔白じゃなきゃいけない」とか「こういうことが正義なんじゃないか」とかの応酬で、僕自身はこの世の中にうんざりで、嫌気が差している。そういう今の世の中の空気感というものを今回の舞台で描きたいというのが一番あります。哲さん(田中)演じる主人公の「中年男」も、特に明確な理由、それは家庭がどうだとか仕事でどうだとかっていうことではなく、突然なにか「もうええわ」みたいな感じで糸が切れてしまうような。そういう感覚って多分、長く生きていたらきっと誰でもあると思うんですけど。安達さん演じる「喪服の女」も、いろいろ内包しているものがあって、でも大人なのでちゃんと社会性を持って生きようとはしてはいる。そういうものが、暴発はしなくてもなにかしら漏れ出すことはきっとあるんだろうなって。それが観ているお客さんたちにも共感できるというか、なんかひとつのカタルシスになればなという思いがあります。
――名前がないからこそ、見ている私たちの側に近しい。私たちの分身でもあるというように見られるような人物たちになりそうということですね。
赤堀 横尾忠則さんの「Y字路」シリーズが昔から好きで。これは僕の感覚なんですけど、ああいう怪しげなのか、寂しげなのかちょっとわからないですけど、こういうものをやれたらなって。そこからインスピレーションを受けてやっている感じです。それと三好十郎の『夜の道づれ』っていう、ただ甲州街道を歩いているだけの話があるんですけど、それにインスピレーションをいただいたりもして。この世の中の風潮に唾を吐きたいなという感じです。
>(NEXT)自由を求めながらも踏み外さない、その気持ちを思いながら(安達)